13.二度目の勇者、セリカを識る
「これは……魔族の変化!?」
アルディールの驚愕に、セリカが答える余裕はなかった。
背中から伸びる禍禍しい影にも似た黒い腕と人の腕の四つが探るのは、倒れる際にどこかへ飛んでしまった小さな鞄と杖だ。だが、体勢を変えることも出来ないセリカには、その二つがどこにあるのか分からなかった。
「つ、杖か!?」
けれど黒い腕を目の当たりにしてもあまり動じていないハルバーンは、その影のような手に杖を持たせた。
黒い手は、恐る恐る杖を受け取った。それからセリカがかすれた声で奇蹟を唱えると、傷口がじわじわと塞がっていく。
だが、それでは足りない。剣先が突き刺さった患部から滲み出す血は、止まらない。
「……鞄……中身……」
「っ!これですか!?」
逡巡の末に鞄を開けて、今度はアルディールがその中身を取り出した。
糸に針、透明な液体で満たされた瓶に、小型のナイフと手鏡。
黒い手は、その禍々しい見た目に反して驚くほど繊細に、そして器用な手つきでそれらを摘まみとった。
「お願い……見ないで」
セリカがそう懇願する。
一体何をする気なのか、背を向けた二人には見当もつかない。だがその切なる頼みを聞いて、二人は背中を向けた。
少女の絶叫が、部屋を這った。
ハルバーンは大丈夫かと問おうとしたが、すぐに口を噤んだ。
大丈夫なわけがない。それでも彼女は、見ないで欲しいと望んだのだ。
命を助けられたアルディールも、自分の足を強く叩き、何とも言えない表情を浮かべていた。
しばらくして、蒼白い顔をしたセリカが言った。
「……終わり、ました。少しなら……話せます」
剣先が、カランと音をたてながら床に転がっていく。黒い腕はそれを拾い上げると、恨みを籠めるように投げ捨てた。
「いや、話すとか言ってる場合かよ!?いいから休めって!」
何を言っているんだと言わんばかりの声に対して、セリカは平静を装いながら答えた。
「ここで話しておかないと……もう二度と、機会はないでしょうから」
「はぁ?なんでだ?」
――気を失ったら、この人たちは私をここに置いていく。
いや、もしかしたら殺されるかもしれない。
視界がかすみ、四肢に力が入らず、少しの振動を感じただけで激痛に苛まれる。
だがそれよりも痛いのは、胸の中だ。その奥底が冷え、喉がきゅっと詰まる。
恐怖を言葉には出来なくて、セリカは顔をしかめた。
そんな彼女の胸中を察したアルディールが口を開く。
「……私は、命を救われました。あなたが魔族であろうとも、そうでなくても、その言葉を聞く義務があります。だから、ここで見捨てたりはしません。絶対に」
それは魔族と言う存在を知るが故の、元衛兵にとって精一杯の言葉だった。
ハルバーンはそれを聞いて、当然だとでもいうふうに続ける。
「いや、変化で黒い手をつくったことが、何で見捨てるだのなんだのの話になるんだよ。魔族とか、人間とか、関係あるのか?アルディールを庇ってくれただけじゃなくて、俺の傷も癒してくれた。肩を並べて戦った。もう信じられる、仲間だろ!?」
――信じられる、仲間?
なんでこの人はこんなにも簡単に、私が言うことを赦されない不快な言葉を出せるんだろう。
信じる、だとか。仲間、だとか。感謝、だとか。
そんな簡単じゃない。そんな言葉で済まされてたまるか。復讐のためだけの生を、お前があっさりと認めるな!
自分ですらも自分を認められないのに。魔族の実験体として孤独に過ごした日々を。人と馴染めず忌み子と呼ばれた日々を。
そんな一言で済ませられてたまるか!
揺れる視界と意識、激しい痛みに圧し掛かる感情。何もかもがごちゃごちゃに黒く混ざって、セリカは一瞬言葉を失った。仮面を取り繕えなくなって、黒い手が縫合したお腹の痕が、ずくんと疼く。
「……この腕を見て、よく私なんかを信じられますね?」
自分でも驚くほど、低く震える慟哭が出て行く。
「この醜い腕は、変化で生やしたものじゃありません。私に生えているものを変化で、消しているんです」
初めて他人に見られたその腕を、何でもないかのように扱われたセリカは、咄嗟に皮肉気に言ってしまった。だが、止まらない。募り募った感情は、ハルバーンの無責任な言葉によって胸の中で限界を超える。
「たった一回ダンジョンを一緒に探索しただけで……もう、仲間?私を信じられる?世の中は、生きていくってことは、そんなに簡単じゃない!人間でも、魔族でもない。私は、ずっと醜い正体を偽ることでしか生きてこれなかったんだ!何も考えず、何も知らないままに私を信じられるなんて……そんな言葉を言えるなんて、あなたはどれだけ幸せな馬鹿なんですか……!?」
痛みよりも激しい激情と止まらない言葉。小柄な少女の崩れた表情には怨みすら籠っていた。
言葉を吐き切ったあと、セリカはゆっくりと肩を揺らした。
黒い腕が、自分の胸の前で静かに握られている。
ハルバーンは少し目を伏せ、それからセリカを真っすぐに見据えて言った。
「ごめん。セリカの言う通りだ。記憶を無くしてからの半年間、どうでもいいやって、惰性に過ごしてきた。勇者のくせに戦い方もろくに分からなくて、なのに軽い気持ちでロバウトの依頼を引き受けた。自分がどれだけ無責任なのか、考えなしなのかって、あのコボルトと戦って、そう言ってくれて、本当に思い知らされた」
そう頭を下げたハルバーンから、セリカは小さく鼻を鳴らして目を逸らした。
言葉で、態度で謝られて、はいそうですかと流せるようなものではない。だが彼を貶そうと喉まで上がってきた言葉は、不思議と詰まってしまう。
「何も知らない馬鹿な俺には、自分の信じるって言葉を信じることすら出来ねぇんだ」
ハルバーンは言葉を探すように頭を掻いた。全く役割を果たそうとしない勇者の剣よりも、セリカに寄り添える言葉を選べる頭があればいいのに、と勇者は思う。
それでも彼は、ゆっくりと自分の言葉を紡ぎ出した。
「だから……知っていきたいんだ。知らないことを、自分のことを、勇者ってものを。そして……セリカのことも」
「……私のことなんて、この腕を見れば誰でも分かりますよ」
ハルバーンは強く首を横に振った。
「悪いが、分からない。その腕を見ても、人間でも魔族でもないって言ったことも、分からない。俺に分かるのは、初めて会った時の印象が強烈だったってことだ。ダンジョンに来る前からちょっと変だったってことだ。何か、成し遂げたいことがあるんだろうってことだ。一緒に戦ったことだ、俺の傷を治してくれたことだ、アルディールの命を救ってくれたってことだけだ」
「ほとんど、汚い打算ですけどね」
「それって駄目なのか?俺だって打算で、このダンジョンに来たんだ。打算でも何でも俺はここの頭を張ってた奴を倒せたし、セリカも戦闘や奇蹟で助けてくれた。それじゃあ、いけないのかな」
「……」
セリカはダンジョンの灰色の天井をぼんやりと眺めた。何を言ってもこの勇者は、少女の醜さを認めようとはしない。そもそも、醜いと感じる理由さえ、ハルバーンは知らないのかもしれない。
ただ事実として彼は、一度もその黒い手から目を背けなかった。
誰にも言ったことのなかった本音を吐き出したからなのか、セリカを常に焦がしていた乾いた熱が少し冷めていく。
「……あなたのように直球ではありませんでしたが。実験体として閉じてられていた頃の私にも、優しく接してくれたただ一人の魔族がいました」
痛みと疲労で意識が混濁する。それでもやらなければいけない事のために、少女は身を起こそうとした。
「けれどその彼女によってその研究所は破壊され、私は重傷を負いながらそこから逃げたんです」
「頼みますから安静にして下さいよ。私たちのことを信じられるかどうかの前に、本当に死んでしまいますよ」
アルディールはそう止めたが、セリカはコボルトの死体に向かって這いずり進もうとする。
「私は彼女に復讐をしたい。あのまま実験体として死なせてくれなかったことを、千切れるような痛みの中で研究所から這い出し、一人で外の世界で歩んでいかなければいけなくなったことを」
ふぅぅと重い息を吐いて、セリカは続けた。誰かに聞かせるためではなく、自分自身の中でもう一度確かめるように。
「私だけ生き残った理由を聞くために、生き続けなければいけなくなったことを――っぎっ!!」
激痛に動きが止まるその背中に、ハルバーンは声を掛けた。
「多分……かなり痛むぞ?それでもいいか?」
少女はしっかりと頷くと、ハルバーンは四本の手を持つ小さな少女を抱え上げる。
そうして黒幕の部下の元へとそっと降ろされた彼女は、黒い手に小型ナイフを握らせながら言った。
「見ない方が、いいですよ」
「え?おぁ?な、なにやってんだ!?」
「やるべきことを、やっています」
ナイフをコボルトの頭に当てながら、少女はハルバーンに向かって淡々と述べた。
アルディールは、この時みた光景を思い出したくもないだろう。魔物のものであれ、神から授かった肉体の中身を自らの意思で暴くなど。
まして黒い手で頭を――
命の恩人でもなければ、そこに燃え盛る意思が無ければ、衛兵でなくなった今でも彼女を捕まえていたかもしれない。
「はぁっ……」
黒い手が開頭したその先へと侵入してからしばらく、セリカは虚ろな様子だった。
だが苦し気に胸を撫で下ろすと、人間の手で額を拭って言った。
「情報を手に入れました。やっぱり、あいつの仕業だ……」
それだけ言うと少女は、全ての力を使い果たしたようにぱたりと倒れ込んだ。
「私にはまだ、価値があります。だから……」
「ああ。起きたら、聞かせてくれ。情報も、セリカのことも」
セリカは無言のまま微かに頷くと、瞼が深く閉じていく。
小さく端整な顔が限界を訴えようにかくりと落ちて、ほどなく寝息が聞こえて来た。
自分が近くにいると落ち着かないだろうと思ったハルバーンは、物資の状態を確かめているアルディールの元へと向かおうと腰を上げようとしたが。
「……ん?」
何かが裾を引く感触に動きを止めると、そこには、そっと自分の服を摘まむ夜空のように黒い手があった。
「……」
先程までの冒涜的な行いとは似つかわしくない穏やかな呼吸と寝顔を浮かべる少女を見たハルバーンは、頬を掻きながら腰を下ろした。
長い探索によって迎えた夜はこうして過ぎていき、やがて穏やかな朝が訪れた。




