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11.二度目の勇者、上位魔族と出会う

蜘蛛の巣に引っ掛かった獲物の動きは、大抵いつも決まっている。


じたばた体力が無くなるまで藻掻くか、何もかも諦めて己の最期を見つめるか、せめて一矢報いようと捕食者が近づくその時を待つか――


だが今回の獲物はそうではなかった。巣を無茶苦茶に焼き払いながら、捕食者の元まで一歩一歩と近づいてくる。獲物はどちらなのかと、突き付けて来る。



ダンジョンの魔物を統率しているリーダーは、心底恐ろしかった。


迫りくる相手が?損失に怒る主が?


いいや。


真に恐ろしいのは、蜘蛛の巣から伸びる一本の大きな糸だ。その先を見れば、自分よりも遥かに強大な捕食者が愉しげに笑っているのが見える。主の叱責よりも恐ろしい笑みが。


そいつは巣の半分以上を補強してくれているものの、両目はいつも愉し気に笑っている。面白い何かを常に求めている。


強大な捕食者の視線が騒動を起こしている獲物へと向かう。その瞬間こそが、リーダーは何よりも恐ろしかった。


自分の巣から落ちた捕食者は、獲物になるしかない。そしてその巣は、もはやほとんどそいつのものだ。

そいつを愉しませられる道化は自分か、侵入して来た獲物か。


それすら、そいつにしか分からない。




回廊の先へと進んだハルバーンたちの消耗は、確実に増していた。小規模ダンジョンとは思えない複雑な内部構造、倒しても倒しても減らない魔物。


ハルバーンが真っ二つになったコボルトの死体を見下ろしながら、汗を拭った。


「ふぅ……見つかんねぇな、黒幕の部下って奴」

「本当にこのダンジョンに居るんですかね?確かに回廊で戦った魔物たちは、それなりに統率が取れていましたが……」

「まぁ、考えたって仕方ないよな。一階に続く階段が壁になっちまったし」

「ダンジョンモンスターもやはり出てきませんし、ダンジョンの在り方としてあり得ないことばかりなんですよねぇ」


ボロボロになったナイフを見つめながら、従者は唸った。


彼らから少し離れて先行していたセリカは、T字路から左右の通路の様子を見ている。小柄な聖職者は敵影がないことを確かめると、二人に向かって手招きして見せた。


「久々に、敵の気配が感じられませんね」

「……今日だけで、衛兵時代に会った魔物の数を越えた気がします」


疑り深い衛兵がセリカに投げかけたかった言葉は別にあったが、何とか喉の奥に本音を押しとどめる。これより状況が悪化するとすれば、それはもう仲間割れ以外にないだろう。


「刃がかなり滑ってきてるから、どっかで軽く手入れしてぇな」

「ハルバーン殿はこの状況にイヤに順応してますよね。私の方が記憶喪失みたいですよ」

「腹を括るしかない状況が、やけに落ち着くんだよな」


三人はT字路を左に進む。


セリカが言った通り、敵の気配はどこにもない。大理石の床や壁は相変わらず磨かれたようにつるりとしていて、一度足を掬われるとどこまでも滑り落ちてしまいそうだった。


少し進むと道はまた前と右の二つにわかれ、そしてそのどちらにも魔物の姿は見えない。


静寂の中に溶け入ったみたいだった。


自然と口数が減った三人が右へと曲がる。強まる警戒に対して、ダンジョンは何も返さない。


ただ、その奥にある小さな扉へと導かれる様に辿り着いた。


ハルバーンが少し躊躇いがちにその扉を押し開くと、ふわりと野菜を煮込んだ柔らかく甘い匂いが鼻をついた。


パチパチとくべられた木が音をたてる。炎の上にある鍋をその部屋に居た男がかき混ぜると、その香りは濃厚に漂い始めた。


「やぁ、お客人。こちらに来て、一緒にスープで温まらないかい?」


男は入ってきた三人に、穏やかな口調でそんな提案をした。


木のお椀は三つぶん床に並べられている。この小部屋にあるのはそのお椀とスプーンと鍋だけで、それ以外には何もない。


「腹減ってたし、本当に食べてもいいのかな?」


ハルバーンが手を擦り合せて舌をぺろりと出すと、男は優雅に頷いた。


「勿論だとも。何事も、熱いうちが一番だ。さぁ、君たちもこっちに来ないかい?」


男が、二人を軽くみつめた。


アルディールは取っておいた最後の魔術爆弾に手をかけようとしていた。セリカも、杖を床に放り投げて軽く背を曲げている。


だが男は気配も音もなく正面から近づき、二人の肩をぽんと叩いた。


「止めた方がいいよ。食事は楽しく味わうものだからね」

「おっ!?塩が効いててめっちゃ美味いぞ!」


すでにハルバーンは、三つのお椀に野菜スープをよそい終わってそれに口を付けていた。

熱い液体が疲れた体に染み渡る感触は最高だった。


「そう言ってくれると嬉しいよ。てづから準備した甲斐があった」


男は二人に無防備な背中を晒し、それからハルバーンの横に自らも座り込んだ。


「……ハルバーン殿。この人は」

「んなの俺でも分かってるって。でも、もし俺たちをどうにかする気があるなら、とっくにやってんだろ?」


ハルバーンがそう言った瞬間、男の微笑みはより深くなった。


同時に、硬直していたセリカは激しい鼓動と全身の痺れを取るように小さく息を吐き出して、それからお椀を手に取った。


「では……いただきます」


最後にアルディールが葛藤の後にそれを拾い上げる。


香りは芳醇の頂へと達していた。それがスープから漂うものなのか、それとも男からなのか、三人からなのかもう分からなかった。


「ところで、あんたが魔物を操って、ロバウトを困らせてる存在なのか?あんたなら、それくらい出来そうな気がするんだけど」


食事中の何気ない会話のような気軽さでハルバーンは聞く。


男は首を横に振って返した。


「ロバウト?近くの人間の街のことだったかな?いや、私はそんなものに興味はないよ。ただちょっとしたよしみで、このダンジョンで暇つぶしをしていただけだ。最近は面白いことがめっきりと減ってしまってね」

「彼女の……よしみですか?」


セリカが意を決して問うと、男は"ああ"と肯定した。


「彼女の親の、だね。だから正直、ここにいる理由は暇つぶしの方が大きいね。中々、面白い奴がいてさ」


しかし、そんなことなど忘れていたように続けた。


「あ、けどもう彼にはあんまり興味がわかないかな。それよりも、面白い存在を見つけたからね」


男がハルバーンに向き直ると、二番目の勇者は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「野郎から好奇の目で見られるのは、あんまり好かないな」

「じゃあ、女の方がいいのかな?」


そう言い終わると目の前にいた印象に残らない男は、神からも愛される至高の芸術のような見目麗しい女性になった。


「これなら、好かれるかしら?」

「そこまでされると色々こえぇよ!」


たおやかな女性のくすくすとした笑い声で、部屋が満たされる。


鍋は空になり、ハルバーンは自分のお腹を撫でながら満足そうに一つ息を吐いた。そんな余裕はない他の二人は、女性から一瞬たりとも目を離す様子はない。この存在が自分たちには大して興味を持っていないと感じていたからだ。


だがセリカが、恐怖を飲み込むように喉を鳴らして問いかけた。


「……あいつは、どこに隠れているんです?」

「それを言ったら興覚めでしょう?道はすでに(ひら)けています。扉の先にそれを、知る者がいるでしょう」


女はそう言って壁を見遣った。いや、壁だったはずのそこにはいつの間にか扉があり、そこからはダンジョンで会ったどの魔物よりも静かでけれど確かな気配が伝わってきた。


「あなたたちをダンジョンに閉じ込めて、少々愉しませてもらいましたからね。目的の相手の元へと送りましょう。それを見るのもまた、愉しみですから」


ぐにぃ、と空間が歪んだ。男とも女とも分からない存在は、扉と鍋の残り香を残して、唐突に消えてしまった。


アルディールとセリカの額から、一気に冷や汗が噴き出した。やっと満足に息を取り込めた肺が仄かに熱を帯び、安堵の息が漏れる。


「あの化け物は一体……!?」

「……恐らく、最上位の力を持った魔族です」


魔族は全よりも個を重んじる気質を持つ者が多い。今自分たちがあの見逃されたのは、その気質をどこまでも煮詰めたかのような存在だったからだろう。


黒幕の存在に心当たりがあるセリカは、そう思って推測を言葉にした。




剣や道具を手入れし終えると、杖を持ったセリカが<<神聖防護>>を唱えた。扉の先にいるはずの黒幕の部下へと挑む準備を終えた三人は、決戦へと近づいた。


セリカが予測した強力な魔族は、そこしか出入り口を残していない。この部屋の入り口はいつの間にか壁となっていた。


「やるべきことが、やるしかなくなっただけだな」


ハルバーンはいつもの調子で言ったが、その語調は少しだけ重かった。


扉が、開く。


その先は、明るく大きな部屋だった。横から繋がっている幾つかの部屋には、物資がたんまりと重なっている。


だが、いつの間にか一人でそこに立っていたハルバーンはそれに目が行かなかった。


何よりも目に付いたのは。


「……」


床に突き立った白銀の刀を、無言で引き抜く。


たった一匹でそこに立つ魔物は、巨大でもなく威圧的でもなく。


刺し貫くような双眸をした、古傷だらけのコボルトだった。

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