9.二度目の勇者、ダンジョンに閉じ込められる
痛みが消えないのなら、心は何のためにあるんだろう。
身体を癒し、歩き方を考え、目的に向かってただ進む。私がやりたいことはそう多くはないけれど、私の足跡はずっと一つだ。
誰にも受け入れられることのない歪な足跡だ。変えようのない、足跡だ。
誰かが私の隣を歩くと、自分の醜さを思い知らされる。息を吸い込むと、いつも胸の奥が不快で蠢く。お美しい神のご加護は、皮肉でしかなかった。
それでも、やらなくちゃいけない事があるから。知りたいことがあるから。
私には、それだけだから。
そのためになら、何を犠牲にしてでも前に進んでいける――己の穢らわしい手が、どれだけ血で塗れようとも。
「あれが目標の小規模ダンジョンです。やはり、入り口に見張りがいますね……」
「おおっ……!初めて見たぜ、ダンジョンってやつを!」
「ハルバーン殿、ちょっと声が大きいです。あと、岩陰からはみ出そうなので、出来れば三回りくらい小さくなって下さい」
「出来ねぇよそんなこと!?」
ダンジョンから少し離れた岩陰に三人の男女が身を寄せ合って、獣や鳥の鳴き声に混じる魔物の気配を窺っていた。
昼前であろうと森の中は暗がりに満ちている。見上げた先にあるのは深い緑ばかりで、陽射しはほとんど届いてこない。
そんな鬱蒼とした景色が延々と続くはずの森で、セリカの歩みは一度も止まらなかった。
木肌に刻んだ小さな印を、彼女は強い手つきでそっとなぞる。その仕草を見たアルディールの脳裏に、洞穴型のダンジョンをじっと見つめる過去の少女の姿が浮かび上がった。
「洞窟の近くに、何度も重い物を引きずったような跡がありますね。本当にダンジョンを倉庫代わりにしているのかもしれません」
苔に覆われたダンジョンの入り口を見ながら、アルディールが分析する。
「ダンジョンってそんな使い方すんのか?魔物っていうか、人間もだけど」
「魔物も人間も、普通倉庫代わりに使ったりしませんよ。モンスターが湧き出てきますからね」
アルディールの説明に続けて、更にセリカが補足した。
「ええ。あのダンジョンは不浄系のモンスターしか出現しないようです。利益より損失の方が大きいとして、所有権を持つロバウトは放棄したみたいですよ。あいつはそこに、目を付けたんでしょう」
あいつ、と言葉にした時に僅かに漏れ出た冷たい口調が、他の二人の耳元へと届く。
だが魔物の陣地となっているダンジョンを前にして、それをいま問う機会はなかった。
「見張りが後ろを向きました。不意を突くなら今しかないかもしれません」
セリカの言葉に、二人は頷いた。
アルディールが腰元からナイフを抜き放ち、出来るだけ素早く、けれど音を立てないように見張りへと近づく。斥候の真似事は少々不本意だったが、任務に忠実な男は他の二人が周囲を警戒する中で魔物の背後を取った。
「ギッ!?……グッ!……ォ……!」
首にナイフを突き刺し、同時に緑色の魔物の口を塞ぐ。力なく崩れていく骸をゆっくりと地面に降ろしながら左右を警戒する従者は、そこで目を見開いた。
小さな何かが揺らめく姿が、遠くの木々の合間から見えた。
見張りと同じ姿をした数体のゴブリンだ。彼らは、早足でダンジョンに向かって来ている。
主と従者の視線が合った。主もどうやらゴブリンたちを見つけたようだ。
アルディールが身振りで止めようとする前に、主はゴブリンたちに向かって矢のように駆け出していた。
――やりやがった。
アルディールは内心で毒づきながら、ゴブリンの死体を茂みの中へと横たわらせる。それから洞窟の入り口から退きながら主の方を見やると、彼は向かって来ていたゴブリンたちをすでに殲滅し終えていた。
魔物たちの短い断末魔を薄暗い森の中に残して。
「くそっ……やっちまった」
ハルバーンは鋭い石を握り締めたゴブリンを一刀両断し、顔をしかめた。しかし彼には、向かって来ていたゴブリンたちが、投擲用の石と道具を準備する姿が見えていたのだ。
従者が魔物に攻撃されそうな状況を、彼は無視することが出来なかった。
三人は警戒を強めながら、岩陰へと戻った。断末魔を聴いた魔物が集まって、ダンジョンから魔物が出て来るか、それをつぶさに観察していたが、数分待っても何かが起こることはなかった。
「……どうします?一旦退くのも手です」
アルディールの意見に、セリカは強く首を横に振って見せた。
「いま退いたら、死体が発見され警戒は強まるでしょう。拠点として使われているこのダンジョンは、必ず放棄されてしまいます」
「必ずとは思えませんが、向こうが手を引くなら、それも悪くないと思いますよ?物資は回収できませんが、そもそも使える状態なのかも不明です」
「でも、あいつの部下もいるはずです。私なら、奴から情報を引き出せます」
「部下は魔物なのでしょう?どうやって情報を引き出すんですか?まさか、あなただけに人の言葉を喋ってくれるとでも?」
「それは……っ!」
熱の入った小声のやり取りに、ハルバーンが割って入った。
「あのさ。ミスっちまった俺が言うのもなんだけど、今回の目的は互いの強さを見せようってことじゃないのか?」
未だ静かな辺りに、ハルバーンの疑問がじんわりと流れていく。己の主張を相手にぶつけていた二人は、不思議と通るその声を聞いて押し黙った。
「俺にはアルディールもセリカも、そんな気が無いように見えるんだよな」
珍しく難しい顔をした後で、彼は更に続ける。
「俺はロバウトのためになると思ったからここに居るんだ。目の前にある魔物の拠点は何とかしてぇ!でも、力を見せるなら別にここじゃなくたっていいと思う」
そう言うとハルバーンは、セリカへ自然に手を伸ばした。小さな少女はむこうから触れられることを恐れるように一瞬体を強張らせたが、大きな手はとても優しく彼女を掴んだ。
「なぁ。改めて約束してくれ。俺たちが力を見せれば、情報を教えてくれるって。そしてそれだけ必死になっている理由が、俺たちのためにもなるんだって」
――約束。そんな言葉だけの信頼に、何の価値があるんだろう?
セリカの困惑に満ちた表情は、すぐに引き締められた。
「はい。ロバウトに迫る脅威は、その黒幕を倒すことでしか解決できません。私には……いえ、私たちにはその潜伏場所を知る必要があるはずです。ここで黒幕の部下を逃すわけには行きません」
「分かった」
ハルバーンはそう言うと、今度は"だろうな"という顔をしている従者に言った。
「いっつも悪いなアルディール。そう言うことだ」
「まぁ、こうなると思いましたよ。ですが、状況によっては退却することもちゃんと考えて下さいね」
「おう。死にたかねぇからな」
そう締めると三人はダンジョンの入口へと向かった。
「我が神の御名において、遍く信徒を守り給え。<<神聖防護>>」
セリカが詠唱と共に杖を掲げると、三人の体が淡く白い光で覆われる。
中の様子を窺い、待ち伏せや罠がなさそうなことを確認した三人は、ようやくダンジョンに一歩足を踏み入れた。
まずハルバーンが少し興奮気味に入り、次にアルディールが後方にも気を配りながら続く、最後に入った後衛職のセリカは一度だけ、ダンジョンを睨み付けるように見た。
「俺、信徒じゃないんだけど効くんだな。この奇蹟?ってやつ」
「……意外と誰でも信徒扱いですよ。お偉い神様にとって下界の存在は、どれも同じに見えるのでしょうね」
薄暗いダンジョンをその白い光が満たしていく。ひんやりとした空気の中に漂う生臭さと足裏に伝わる地面の固さは、踏み入れて少し経っても変わらなかった。
魔物の姿は影も形もない。だがそれはともかく、ダンジョンモンスターの姿も死骸も見えないことに、アルディールは疑問を浮かべた。
「魔物は隠れたとしても、モンスターの死骸すらないのは妙ですね」
下り坂を進みながら小さく響くその声に、セリカが返す。
「そうですね。ダンジョンモンスターの出現を制御することは非常に難しいはずです。魔物に出来るとは思えません」
「黒幕なら?」
アルディールの探るような疑問に、セリカは顎に手を当てて考える。
「あいつでも……難しいと思います」
ダンジョンは下に続くタイプのようだ。しばらく続いた細い下り道を過ぎると、小さな家一軒分ほどの大きさの広間に辿り着いた。何かが隠れられるような遮蔽物もなく、何かの気配もない。
ただその中央にぽつんと、地下へと降りる階段があった。
「ここまでに何も無いとなると、もうあるのは不安だけですね」
閉塞感のある低い天井を見上げながらアルディールが言った。
「ダンジョンって暗いだけのつまんねーところだな、と思ったけどやっぱこの状況が特別おかしいのか」
「はい。普通なら開けた場所には、モンスターが数体いるはずです」
セリカが大理石で作られた階段を見降ろしながら答える。
階段は誰かと並んで歩けるほどの幅しかなく、先の様子はよく見えない。
だが、深夜に遠くの建物が一瞬照らされたような、不吉さが漂ってくる。
「うっわぁ……雰囲気あるなぁ」
「隠密が得意な斥候がいたら、様子を見て来てもらうんですけどね……奇蹟で何とかなったりしませんか?」
「神兵を借り受けて先行させることは出来ますが……」
セリカは杖の黒い支柱を軽く手の中でくるくると回した。
「私からあまり離れられませんし、一日に何度も使えません」
「ま、行くしかないってこった。なんかあったら全力で逃げるつもりでな」
ハルバーンはそう言って、更に暗い階段を降りていく。
コツン。コツン。
しばらく足音と息遣いだけがその場の全てになり、やがて先ほどの広間よりも更に大きな部屋へと辿り着いた。
床、壁、天井、扉。とにかく全てが階段と同じく大理石で作れている。
全てが輝くように丁寧に研磨された冷たい部屋には、しかし何もない。
「おぉ?結構滑って足をとられるな!?二人とも、気を付けろ……よ?」
ハルバーンが忠告のために振り向き――そしてすぐに大声を上げた。
「階段の入り口が閉じていくぞ!!?」
最後尾にいるセリカが振り向いた。ハルバーンの言った通り、一階と地下を繋いでいたあの狭い階段の入り口が塞がっていく。大理石と大理石を縫い合わせるようにいやにゆっくりと、けれど三人が逃げるには間に合わない速度で。
彼らを嘲笑うかのように。
最後尾にいるセリカだけは、唯一間に合うかもしれなかったが――彼女は軽く振り返っただけで、すぐに前へと歩き出していた。
「戻れなくなってしまいましたね」
セリカが事実を淡々と告げると共に、三つの扉の先から幾つもの足音が絶叫のように轟き響く。それはこの部屋へと次第に迫り、最悪の想像は現実となろうとしていた。
そんな中でさえ小さな聖職者は、絶望ではなく決意を秘めた双眸を震える大理石の扉に向けていた。
よろしければ、心のままに評価をお願い致します。




