血塗られた邂逅 3
一瞬の迷いすらなかった。
次の瞬間、ルネは全身の力を振り絞り、目の前の女を強引に地面へと押し倒した。
「きゃっ——!」
硬い石畳に背を打ちつけ、ローゼリアの身体が一瞬だけこわばる。
「やめて! 何をするの!」
悲鳴を上げる彼女の手を、ルネは容赦なく押さえ込む。抵抗する力はあるはずなのに、彼女の動きにはどこか戸惑いがあった。それが隙を生む。
「おとなしくしてろ」
かすれた声で言い放ちながら、ルネは冷たい笑みを浮かべた。そのまま手を伸ばし、ローゼリアの胸元を乱暴に引き剥がす。白い肌が月光の下に露わになり、夜風が彼女の震えた体を撫でる。
ローゼリアの瞳が強張った。
「……っ…あなた……!」
ルネはその表情を見ても、何の感情も抱かなかった。
お前の命なんて、俺の延命装置に過ぎないんだよーー喉の奥でそう呟く。
「叫んでも無駄だ」
ルネはローゼリアの細い喉を掴み、低く囁いた。
「お前がどうなろうと、俺には関係ない。お前の価値は俺が決めるんだよ」
ルネの手が、ローゼリアの胸元に触れた瞬間、空気が一変した。
冷たい夜の空気を切り裂くように、掌から赤黒い光がほとばしる。それはまるで生き物のように脈動しながら、彼の指先から彼女の肌へと流れ込んでいった。
「——っ!」
抵抗する間もなく、灼熱の痛みが走る。
肌に直接焼き付けられるかのような感覚。鋭い刃が肉を刻むような激痛。ローゼリアの胸元に、複雑な紋様が浮かび上がり、それは血のように鮮やかな赤へと変わっていった。
熱い。痛い。けれど、それだけじゃない——何かが、流れ込んでくる。割れるような頭痛。折れる骨の軋み。肌を裂く冷たい刃の感触。
自分の体が傷ついたわけではない。それなのに、皮膚が裂け、血が流れ、臓腑が抉られるような苦しみが、次々と波のように押し寄せる。
ローゼリアは目を見開いた。
ルネの目が光を帯び、どこか嘲るように彼女を見下ろす。
「感じるか?」
その声は低く、どこか酷薄だった。
「それが俺の痛みだよ」
胸元の刻印が脈動する。痛みは止まらない。いや、むしろ深く刻まれ、消えることのないものへと変わろうとしていた。
ローゼリアは、息を詰まらせながらも気づく。
——これは、彼のものだ。
傷の熱、血の匂い、砕けた骨の軋み。すべてが彼の肉体の記憶となって、ローゼリアの中に染み渡る。
だが、それだけではなかった。
痛みの奥にある、もっと強烈なもの。
まだ死ねない。まだ終われない。ここで朽ちるわけにはいかないーーその執念が、彼女の血を巡り、肉を蝕むように浸透していく。
ローゼリアは叫びたかった。だが、その衝動さえ、彼の生存欲求に押し流される。
ローゼリアの身体が震えた。
胸元の紋様が脈動するたび、血液が逆流するような感覚が全身を駆け巡る。焼けるような痛み。鋭く抉られる苦しみ。
まるで彼の"死にかけた時間"が、そのままローゼリアに流れ込んでいるかのようだった。
その傍らで——ルネの身体はゆっくりと変化し始めていた。
まるで時間が巻き戻ったかのように裂かれたはずの皮膚が塞がる。滴る血が止まり、肉が再び繋がっていく。肩から胸にかけて走っていた深い傷が、痕跡すら残さず消えていく。
傷の痛みが消え、衰弱した体が確かな感覚を取り戻していくのをルネはっきりと感じていた。
ルネは小さく笑う。
指を握りしめ、ゆっくりと腕を動かす。確かめるように拳を握り、解く。その指には、もうかつての震えはなかった。
ローゼリアはその様子を見ていた。いや、正確には——見ているしかなかった。
痛みは消えず、彼の"死にかけた瞬間"が彼女の内側にまだ刻み込まれている。
何が起こっているのか、説明はつかない。
ただ一つ、確かなことがあった。
ルネは生き延びた。彼女の痛みと引き換えに。