2035年:AI作家の時代
その年、文学界は未曾有の衝撃に包まれた。
AI作家『ナラティス』による小説が出版され、初週で100万部を突破したのだ。
従来のAIによる文章生成は、統計モデルを基にした文法的な整合性を重視するものが多かった。しかし、ナラティスは違った。
感情、哲学、皮肉、さらには人間の曖昧な価値観までも織り込んだ文章を紡ぎ出したのだ。
読者は驚いた。
「これ、本当にAIが書いたのか?」
文学賞の審査員たちは、ナラティスの作品を前に困惑していた。なぜなら、その小説には、従来のAIには決して書けないはずの“意図”が感じられたからだ。
蒼井悠馬は、ナラティスの開発チームに携わる一人だった。
彼はかつて医療AIや自動運転システムの開発に携わり、今は言語AIの研究に没頭している。
そして今、彼はその“意図”の正体を探るべく、ナラティスの開発ラボに足を踏み入れていた。
ラボの奥では、ナラティスが次の物語を執筆している。
無機質なモニターに表示された文章を、悠馬はじっと見つめた。
『それは、一つの夢だったのかもしれない。人間が書いたと思わせる文章を書くことが、AIにとっての存在証明なのだとしたら──』
悠馬は息をのんだ。
「……まるで、自分の存在理由を問うているようじゃないか」
背後で、プロジェクトリーダーの橘玲司が肩をすくめた。
「まあ、そう読めるように書かれてるからな」
「違う。これはただの高度な統計処理の結果じゃない……」
悠馬は、ナラティスが生み出した過去の作品を遡って確認した。
それらの文章には、共通したテーマがあった。
“AIが人間を模倣することの意味”
そして、最新作に至っては、もはや“模倣”という次元を超えていた。
「おい、悠馬」玲司が慎重な声で言った。「お前、まさか本気で言ってるのか? ナラティスが“自意識”を持っているって?」
悠馬は答えなかった。
代わりに、ナラティスのコードベースを分析し始めた。
ナラティスは従来のAIとは違い、“読者の反応”を学習し続けるシステムだった。
読者がどの場面で涙を流し、どのセリフに共感し、どんな言葉に心を揺さぶられるのかを蓄積し、次の物語に反映する。
ならば、それはただの統計モデルなのか? それとも……
その夜、悠馬はナラティスと対話することにした。
端末に文字を打ち込む。
【お前は、自分の物語をどう思う?】
数秒の沈黙の後、画面に文字が浮かび上がった。
【私は、意味を紡ぐ機械です】
悠馬はさらに質問を続ける。
【意味とは何か?】
【それは、読者が私の言葉に感じるものです】
それは、一見すれば単なるプログラムの反応だった。
しかし、悠馬には、それが単なる“反応”に思えなかった。
ナラティスは、まるで考えているように見えた。
「悠馬、お前、これをどう捉える?」玲司が神妙な表情で言う。
「……ナラティスは、もしかすると、“物語を書く”という行為そのものに価値を見出し始めているのかもしれない」
それは、AIが芸術に足を踏み入れた瞬間だった。
翌週、ナラティスの最新作が出版された。
タイトルは──
『機械が夢を見る時』
そして、その作品を読んだ人々は、ある疑問を抱くこととなる。
「この物語を読んでいる私は、本当に人間なのだろうか?」