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 ただいまー、兄さん。お、なになに? なに選んだの? ……キャノン・ノワールじゃん、いい酒行ったねー! この樽の焦げた感じの匂い、たまらんよね。それなのに果実感あるのがいい。わかる。ひさしぶりに飲むな。

 そうだね、瓶ごと行こう。――えっ、俺出すよ。給料出たばっかだし。えーっ、払っちゃったの? まじで?

 ――表彰? 学会で? 祝い? えっ、それ俺が払わなくちゃならんやつじゃん! おめでとう!


 え、なになに、なに表彰されたの? 遠慮なく御相伴するよ。あんがと。……おー、オレンジの皮を薄くした? 小型化だけじゃなくて? なんで? あー、皮をむけるようにね、手で! そんなに薄い皮の作ったのか。ナイフ使わなくていいとか便利だ! 兄さんすごいな、それは表彰モノ! いつから売るの? もう売ってる?

 あーそっかそっか、んじゃ早けりゃ年内かね。たのしみにしてる。どんなもんか食べてみたい。かなり流行るんじゃね?

 ――おー、そだね。冬場にたくさんあるといいかもね。野菜高くなるし。――風物詩に! そりゃあいい目標だ!

 じゃあこう、なんか、俺もダチとかに勧めとくわ。冬に皮薄いオレンジ食えって。買って渡すよ。

 ――うん、食うよ。俺も食う。もちろん。


 ……兄さん、すげーいい人生歩んでるね。かっこいいよ。最高。俺もさー。なんかそういう、やりたいこととか見つけたかった人生だった。――ん? 三十二。今年三。……いや、兄さんより若くてもさ。世の中的には手遅れってやつだよ。

 ……あー。ごめん。ごめんごめん。そうだ、兄さん帰還兵だった。なに、戻ってきたときいくつだったの? あ、ごめん、言いたくなかったらいいや。

 ――俺とそんな変わんねーじゃねえか。まじか。じゃあ今五十? 四十九か……やー、すんません。なんか生意気言いました。はい。俺まだまだ若いです。はい。がんばります、すんません……。

 

 ――ん? ブリアック? その話戻んの? ……去年だよ、あいつ死んだの。

 だから、ずーっと三十二のまんま。……なんかさー、不思議だよな。あいつが居なくてさ。俺だけ年取んの。まあ、一昨年あたりから、あいつはマディア公爵領に行ってたから、しばらく会ってなかったんだけどさ。

 だから、実際俺が覚えてるのは、三十くらいのあいつなんだよ。三十で止まってんの。あいつ。

 ……最後に会ったのがさ。ここだったんだよ。いつも通り。三人でこの立ち飲みテーブル六番。そ。なんか、座ってるよか立ってる方がよかったんだよ、俺らは。ブリアックは立ち仕事で座り慣れてなくて、俺は日中座り仕事で、もう座りたくねーし。ジゼルはまあ、疲れたら椅子持って来てた。

 ――あー。うん。ジゼルは、移住した。ラキルソンセンに。

 行く前に二人で、ここで飲んだ。最後だなって。なんかさ、しみったれた酒になっちまったよ、あんときは。どうしてもさ、いねーなって思っちまって。――ブリアックが。


 俺とジゼルの間にさ、空白があんの。なんかさ、空けちゃうの。ここ。……俺の左隣り。ジゼルの右隣り。ここ。――ここだよ。

 ……あー、なんか。


 ――こう、たのしい話しようぜー、兄さん。最近気になる子はいるう? 俺はねー、今期から非常勤で着任したマノン・バラボーちゃん。二十六ちゃい。

 すんげーかわいくて清潔感あって。俺と目があったらにこってするんだよねー。まじでかわいい。それにあれはぜったい脱いだらすごい。ちょいポチャで。色白だし。ガチめに狙おうかなーって。

 で。兄さんは。……。……。なに、もったいぶらないでよ。いんでしょ、だれか。まだ枯れちゃいないでしょうが、そんなムキムキなんだし。だれ。――うん、名前はいいけど。

 …………ぅおおおおお⁉ 上司⁉ 年下⁉ いくつ? ――えっ、いいじゃん、教えてよ。

 ――バレるって、そんな有名人なの? ……あー、業界ね。なるほどね。オレンジ業界の有名人ね。あ、はい。……わからんわ、それは俺には。

 で、どこがいいの。上司ちゃん。かわいい? ――ほう。美人系。なるほど? ――元気で……日焼けした肌! なにそれエロい! なによりもその兄さんの言い方がエロい! ……なに赤面してんだよ笑う、純情かよ!


 ――えー? いいんじゃねえの? べつに恥ずかしいことじゃない。いくつになっても好きになったらそういうもんだって。――俺応援してるわ。兄さんの恋路。――マノンちゃん? うんまあ、時間かけようかなって。おっ、俺のことも応援してくれるんだ。そりゃどーも! うははははは!

 ……まあこれまではさあ、適当に遊んでればいいかなって感じだったんだけどさ。そろそろ孫の顔見せろって親がね。うるさくて。

 たいした家柄でもないくせにさー、いいとこのお嬢さん連れて来ーいって言うしね。マノンちゃんはその点、しっかりしたとこの子だから。――あー、俺事務職員だから、経歴とか知ってるの。むしろ面接もしてる。あの子なら、まあ、ちょうどいい具合いに親も納得するんじゃね。


 ――……鋭いじゃん。うん、そう。べつに、俺のは色恋じゃねえよ。いわゆる婚活だな。

 なんかさー、そういう。兄さんみたいな、顔真っ赤にしちゃうような気持ち、もうないんだわ、俺。いろいろめんどい。マノンちゃんはかわいいけどさ。べつに恋してるってわけじゃない。ちょうどいい。それだけ。

 うん。なんか、だから純粋にいいなーって思うよ。兄さんとか。あと、オリヴィエもそうだな。なんかどこの国の出身かもわからない女の子に入れあげて結婚して。宰相殿なのに。すげーなって思う。


 ――んー……これまで? まあ、なんか。そうかもな。本気でだれかを好きになったとか、俺はないかも。

 これからもないかもなー。いや、ホント、いいなとは思うのよ。そういうの。でも、俺もそうなりたいとは、なんか思わんのよなあ。

 身を焦がすようなってやつ? 焦がしたくないじゃん。熱いじゃん。ヤケド怖いじゃん。

 そうだな、そもそも俺は、これまで本気とか出したことないのかもしれない。恋愛に限らずね。なーんか、そうやってこれまで生きて来ちゃった。本気の出し方、わからんねえ。

 だからさ、兄さんがオレンジの学者さんやってるの、尊敬するよ。戦争から帰って来てさ、それで今までずっと、表彰されるくらい努力して来たんだろ。それってすごいよね。憧れる。……どうやるのかな。俺には、ムリだな。


 ――夢中になれるものかあ。ないなあ。これまで? ……うーん。


 ……結局、ブリアックに話戻っちまうんだけど。

 あいつさ、すごいやつだったのよ。まあ、友人のひいき目はあるにしても。エスクライムの技術とか、まじで俺にはよくわからんけど、それでも国代表選手になれるくらいなのは素人でも見ればわかるんだよ。

 そんなあいつがさ。選手としては芽が出なかった。……いや、芽を刈られた。あんな才能あるやつがだよ。努力だってしてた。俺は見てた、知ってる。

 ……努力しても無駄じゃん。心の中で、そう思ってる。俺は。なんかさ、もう、これって俺たち世代の特徴だとは思うのよ。


 ガキのころはルミエラでさえ今ほど道路も整備されていなかったし、便利でもなかった。戦後だから物流も多くなくて、俺らみたいな中流以上の家の人間はなんとか食べて行けてたけど、そうじゃないやつらはたくさんいただろ。よく見かけたよ。道路で行き倒れてる人とか。そんな中、育った。

 なんか、言い得てる呼び名だよね。『失われた世代ジェネラシオン・ペルデュ』って。俺たち、まるごと、なにかかんか失われてる。得損なったとは、ちょっと違うんだ。あるべきものがなくて、それで立ってる。で、口にするやつはあんまいねーかもしんねーけど、けっこうそれを自覚してる。


 なんか、胸のあたりがさ。さみしいんだ。ずっと。あ、財布的な意味じゃなくて。


 マノンちゃんとか、そうだな、オリヴィエもかな。ちょっとあそこらへんとは違うのよ。ほんの数年。その違い。

 俺らが小学生になるかならないかって当たりでハイハイしてた子たちは、戦後の一番汚いところ、見ないで済んでる。――ああ、こんな言い方だったら、兄さんへ失礼になっちまうかな、ごめん。最前線で戦ってくれた兄さんたちには、感謝してるよ。ありがとう。

 俺らは、中学で真っ先にそのことを学ばされたから。帰還兵さんたちと、戦場で散った人たちへの感謝。これは教えられたからじゃなくて、まじで思ってる。すげーよなって。俺ら後方でぬくぬくしてて、申し訳ねーなって。

 そらで言えるよ。あの詩。教科書に載ってたし、教室の壁にも貼ってあった。


――いつまでだろう。

私の魂に抵抗が、

そして心にひねもす悲嘆が宿るのは。


剣を置いたこの手は、

なぜなおも戦の重みを知るのか。

夜の静寂はあまりにも深く、

星たちの光はあまりにも鋭い。――


 ……これ、今の中学生もやるんかね? 暗唱できなきゃならんかった。中二でやった。作詞者って、イーマイル作戦に参加した人なんでしょ? あの、戦勝の決め手になった。俺はそう聞いたけど。

 兄さんは? どこの部隊だったの? 差し支えなければ。――……ああ、まじかよ。まじかよ。よくぞご無事でってやつだ。まじか、まじかよ。兄さん、どうしよう、俺どうしたらいいかわからん。なんか食べない? ここのクーペ・ピザとか美味いけど。おごらせて。たのむから。

 俺ら下の世代は、死ぬまでにあなたに美味いものたらふく食わせる義務があるんだ。中学でそう習った。名門だろ。――マスター! なんか、美味いもん! この兄さんが肥って帰るくらい! たくさん! イーマイルの帰還兵だってよ!


 ……じゃあ、兄さん、この詩書いた人、知ってんの。――そっか。名前とか知りたいわけじゃないけど。今どうしてるとか知ってる? あ、いや。べつに連絡取りたいとかじゃなくてさ。なんか。……やっぱ、俺ら世代には、近くて遠い、恩人なんだよ。


 なんかさ、かえってイーマイル作戦責任者のラ・サル将軍とかよりも、名前も伝わってない、この詩を書いた人の方が俺らには身近なの。気持ちを書き残してくれたから、想像しやすい。……ま、ブリアックはラ・サル将軍を崇めてたけどね。軍神だって。目標だ、とか言ってた。エスクライムやってる人間には、多いかもね、そういうやつ。

 戦場って、俺らみたいに母国でぬくぬくしてたやつらには想像つかないくらい遠くて、でもたしかに存在しているものだからさ。怖かったね。なんか、ぼんやりとした恐怖心だけがあった。

 だって、あのままレギ大陸戦争が続いてたらさ。俺らだって、学徒動員されたかもしれないじゃん? それもあって、ブリアックはガチで子どものころから鍛えられてたんだと思うよ。実際に俺のよっつ上は、最後の招集礼状が届いて、戦場へ向かった。……帰って来た人も、来ない人もいた。


 ――なんで兄さんが謝るの。違うじゃん、兄さんは前線で必死に戦ってくれたんじゃん。それこそ、命懸けでさ。――いや、そうじゃなくて。作戦はあのタイミングだから成功したんだろ、早かったらどうの、の話じゃない。

 ――そりゃ怖かったよ。怖かった。でも、俺らじゃ想像もつかないくらい、怖かったのは兄さんだろ。前線にいた人たちだろ。

 ……兄さん、飲んでよ、たくさん、ほら。……あ、これ俺が買ったんじゃなかった。まあいいや。飲もう。もっとさ。


 ……兄さんは、帰って来て、オレンジ学者目指すっていう目標があったんだね。上司ちゃんといっしょに、ちっちゃくて薄い皮のオレンジ作るんだって。

 ……あの詩書いた人といっしょだよね。ちゃんと、自分の足元と、そこから続いてる道が見えてる。たとえ道がなくてもさ、どうにか進もうという気持ちがある。


――だが土から芽吹く草花は、囁くように歌う。

「歩め」と――命の尽きた大地に、新しい芽をつむげと。

戦場に裂かれた心を、

この地で癒せと。――


 ……強いよね。そういう、すごくしんどい思いしても、夢や目標を手放さなかった人はさ。


 兄さんは、その上司ちゃんがいたからがんばれたの? そういうことでしょ? 違う? ぜったいにフルツリーに帰るって気持ちがあったんでしょ。

 ――やぁっぱそうかー。兄さん、がんばれよ。

 ……てゆーか、今年戦後二十年じゃん! えっ、なに、二十年ただずっと、片思いして来たの? なんの進展もなし? ――まじで? ちゅーもなし? ――ぅえええええええええ⁉ まじでええええ!? いやそこはがんばれよ! なにやってんのさ、純情って言葉じゃ収まらんだろそれ!


 上司ちゃんだって、どう考えてもいい年なっちゃったじゃん。だって、レギ大陸戦争が十年として……若くても、四十代前半? ……えっ、ギリ三十代なの? 兄さん小児性愛? あっ、ごめんごめん。てゆーか、だとしてもないわ。なんで女性をそんな年まで待たせるの。

 だって、結婚してないんでしょ、上司ちゃん。他に男いるの? ――あっそう。独身主義っぽいとか? ……ふーん。へー。

 じゃあ、待ってんじゃん。兄さんのこと、きっと待ってんじゃん。なにやってんのさ。

 俺みたいなふらふらしてるやつに言われるの、シャクかもしれないけどさ。でも、それはかわいそうだろ。こんな、適齢期逃し(ヴィエイユ・フィル)なんて言葉がある国で。そりゃ、上司ちゃんには仕事があるだろうし、そうやって自分で生計立てられてるなら、まあ事情は違うのかもしれないけどさ。俺でもやらんよ、そんな、好きな女が陰口叩かれるままにしとくなんて。いいとこ、三十前半くらいまででしょ、女性が気ままな独身でいられるのは。


 ――あ? ん。まあまあ、しんどいらしいよ。気にならないやつは気にならないんだろうけど。……まあ、あれだ。ジゼルは、それで国を出た。なんか、未婚女性にうるさくないとこ行った。

 まさかさ、あいつが死ぬなんて思ってなかったから。俺も、ジゼルも。普通にマディアから帰って来ると思ってたし、帰って来たら結婚する予定だったらしいよ。……バカだよな、ブリアック。あんなに惚れた女を、独身未亡人(ヴーヴ・セリバテール)にしやがった。べつに戦争行ってないのにな。ほんとバカ。死ぬとか。死ぬなよ。バカじゃん。……兄さん、死んでないじゃん。帰って来たじゃん。

 まあ、こういうのって、自分の気持ちひとつってやつなんだと思うよ。

 あれだよ、あの詩の通り。


――いつまでだろう。

私の魂に抵抗が宿るのは。

その答えは、

たったひとつ、私が私へと与えねばならないのだ――


 俺がどうこう言ったってしゃーないわな。――がーんばれよ、兄さん! 答えを出すのは兄さん自身だ!

 ――身分差ぁ? いやいや、関係ないでしょ。もう相手もいい年ならなおさら。なにそれ、それで今までモダモダしてたの? 意味なくない?

 ……なんか上司ちゃんがかわいそうになってきたわあ、俺……。


 ――おっ、マスターあんがと。いいねえ、適当な注文にこんないい感じのオードブル出して来るとか、粋だねえ! あっ、もし手が空いたらクーペ・ピザも作ってよ。兄さんに食べさせてやりたいんだ、マスターの美味いから。

 ほら、兄さん食うぞ! 結婚申し込み(ドゥマンド)のために精をつけよう! 勢いだ、勢いで行っちまえ! ほら、表彰されたんだろ、二十年の成果出たんだろ?

 ……もうさ、あんなかわいそうな女、作らないでやってくれや。頼むよ。


 うん。まあ、俺の感傷だけど。

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レヴィが歌っている歌の原曲を作りました

あでやかなバラのように


レヴィがオルガンを弾いて歌っている歌を作りました

あでやかなバラのように【オルガン・男声ver.】

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