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真冬の逃げ水 Mirage d'hiver  作者: つこさん。
第六章 希望への道
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第30話 希望 espoir

 この冬休みが、冷たさで満たされているように感じる。

 ノエルさんが見せた動揺や、家人のどこか目を背けるような優しさ。それらがすべて、僕の中の何かに触れることを避けているようだ。

 それは僕の感じ方の問題だとわかっている。

 ただ、ブリアック兄さんのお墓からの帰り道、ノエルさんがひとことも話さなかったこと、そしてそれきりになってしまったことが、妙に心に刺さっている。

 ずっと考えている。その理由を。

 そして、レヴィ氏の言葉も、頭の中を何度も巡る。彼はブリアック兄さんとジゼルさんの指輪についてこう言った。


(――持ち続けるにしても、手放すにしても、時がある)


 僕は、その「時」を適切に選べただろうか? そして、適切な行動を取れただろうか?

 答えは出ない。でも、これが僕にできる最善だったと思う。ノエルさんにとっての『適切な時』だったのかはわからないけれど。

 そして、考えるべきなのは――。


「僕自身の、将来」


 目を閉じて、深く息を吸い込む。吐き出した息とともに胸の奥に生まれる痛みは、鋭いものではなく、どこか冬そのものの冷たさに似ている。


 冬休みが明ける前に、父さんに稽古をつけてもらうって話は、なぜか毎日敢行されている。

 もしかしたら学校の訓練室に匹敵するぐらい広い鍛錬場。僕はこれまで、数えるほどしか使ったことはなかった。張り詰めた空気が漂う。窓から差し込む冬の陽光が、かすかに揺れる訓練用剣の先を照らしている。

 口には出さないけれど父さんははりきっているし、ときどき母さんが眺めに来て、にこにこしている。自分のための行動だけど、なんだか親孝行している気分だ。

 父さんはブリアック兄さんと同じ色素の薄い金髪だから、随時見せてくれる手本に、ブリアック兄さんもこんな感じだったのかな、と思う。きっとそうだったんだろう。僕は、これまでまるで剣術に興味を持ってこなかったことを、少しだけ悔やむ。


「構えが甘い」


 父さんの低く鋭い声が、僕たちの息遣いのみが聞こえる静寂に響く。

 僕は慌てて姿勢を正し、剣の先を目の前の父さんに向け直す。足を少し後ろに引いて重心を安定させ、左手を背中に回す。防御と平衡を取るための基本姿勢――この数日で何度も繰り返し教わった。


「剣をただ振るのではない。全身で動きを制御するんだ。足運びを意識しろ」


 父さんの声に従い、僕はゆっくりと足を前後に動かす。靴の爪先で床を感じながら、小刻みに足踏みをする。

 頭の中では「前進、後退、前進」と反復している。そうしないと、今の僕じゃすぐに歩調が乱れるんだ。視線は父さんの剣先から決して離さない。次の瞬間、父さんが素早く動いた。鋭い突きが目の前に迫る。


「くっ!」


 父さんの剣先が、まるで冬の稲妻のように一瞬で距離を詰めてきた。僕は驚きつつもとっさに剣を横に動かす。金属がぶつかり合う音は甲高く、寒い鍛錬場の空気に響き渡る。その音が、僕の心臓の鼓動にさらに拍車をかけるようだった。腕が痺れるほどの衝撃が伝わってくる。

 こうして、ときどき父さんは僕を試すように本気の動きをしてくるんだ。いや、手加減はしてるんだろうけどさ。


「ふん、今のは防げたな」


 その言い方が、なんとなくブリアック兄さんっぽくて、兄さんは父さんそっくりだったんだなって思う。


「だが、次はどうする?」


 父さんの剣がまたもや攻撃を繰り出す――今度は足元を狙った横薙ぎだ。僕は急いで身を引き、床を蹴って後退する。その動きに合わせ剣を振り上げて攻撃をかわしたけれど、足元が不安定になってもつれて、倒れてしまった。


「甘い。足が乱れれば命取りだ」


 戦争はもうずっと前に終わったし、命のやり取りをする機会なんて僕にはないと思うけれど。でも、僕が教わっているのはそういうものだ。僕は立ち上がって息を整えながら、剣先をもう一度構え直した。心臓が速く脈打つ。呼吸が荒く、手のひらにじっとりと汗がにじむ。


「もう一度」


 父さんが言い放つと同時に、再び攻撃が始まった。父さんの剣先が鋭く突き出されるたび、まるで冷たい刃が空気を切り裂く音が耳に残る。必死に応戦し、今度は父さんの隙を狙って突きを繰り出した。でもその動きは読まれていて、軽々と剣先をはじかれる。


「剣術とは力の勝負ではない。相手の動きを読み、先を取ることだ」


 剣を握り直す。剣を振るう腕が重く感じられる。でもやめたいと思わなかった。なんでかわからないけど。

 構えて、もう一度突いた。僕の剣先がほんのわずかだけ父さんの剣先をかすめた。その瞬間、父さんの口元にわずかな笑みが浮かぶ。


「……その調子だ」


 短い褒め言葉。珍しいこともあるもんだと思う。僕もちょっとだけ笑ったけれど、すぐに追い込まれてそんな余裕はなくなってしまった。

 そんなだったから、冬休みはあっという間に過ぎたよ。ルミエラへ帰る汽車も、母さんの大反対を押し切って三等車両にした。

 でも、ノエルさんは来なかった。だから、同じ距離だけど行きよりも長くて、寒い旅って感じた。

 たくさん考えることがあった。僕のこと。将来。ジゼルさんの先行き。埋めた指輪。ノエルさんの沈黙。それに、レヴィ氏の指にはまったままの指輪。

 僕は傷ついている。それを認めれば、気分は楽だ。それは僕にとって、ブリアック兄さんの思い出を忘れず大切にすることと同義なんだろう。

 だから、望まない。癒やされることを。違うかもしれないけれど。レヴィ氏が指輪をしたままなのだって、きっと傷ついている自分を受け入れているからだ。そう思ったんだ。違うかもしれないけれど。

 こういうことって、どうやったらはっきりわかるようになるのかな。剣術みたいに訓練が必要なのかな。そうしたら、動きを読んで、先を取ることができるんだろうか。わからないな。

 ルミエラ駅はいつも通りの人混みだった。寮の近くへ停まる蒸気バスに乗り、三十分くらい揺られて学校へと帰る。

 学校敷地内はキレイに除雪されていた。寮の正面玄関の扉を開けた瞬間、暖気とともに、僕の冬は終わったのかと思うような騒々しさが僕を襲った。けたたましい笑い声、交わされるあいさつ、それに「だれか、宿題のノート見せてくれ!」っていう悲鳴。明日から始業だから、僕みたいに帰寮した生徒たちとそれを迎えた生徒たちが廊下を埋め尽くしている。それらが渦巻く中、僕は外套を脱ぎながら足元の雪を払った。


「テオ! おーい!」


 聞き慣れた声が、喧騒をかき分けるように届く。レオンだ。笑顔で駆け寄ってくる姿がある。変わらないな、と思った。


「ひさしぶり! 冬休み、どうだった?」

「べつに、普通。特になにもない。君は?」

「僕? いやー、宿題三昧だったよ! テオはもう終わってるの?」

「帰省する前に終わらせた」

「さすが!」


 僕の部屋の前まで着いてきて、レオンはずっと話していた。あいつはどうした、こいつはどうだったって話。あんまり興味なかったけれど、僕は適当にあいづちを打ってた。そして。


「……なんだよ、これ」

「あー、君へのお土産だよ。みんなからの」


 僕の部屋のドアノブに、いろんな紙袋が下がっていて、かけられなかったものは扉の前に置かれていた。ちょっと予想していなかった事態に、軽くめまいがする。


「最初、僕から渡してくれっていろんな人に言われたんだけどさ。自分で渡せよって言ったら、こんなになっちゃった」


 ここは男子寮なんだけれど、記名されたカードには女性名が書かれているものもたくさんあった。なんだよ、どうやってここまで持ってきたんだよ。ため息が出て、僕は「いらないな。持って行ってくれない? レオン」と言ってみた。レオンは「めっそうもない!」と両手を振った。


「前から言ってるだろ。君と仲良くなりたいやつは、たくさんいるんだって」

「知らないよ。だれから来た物かもわからないのに、受け取れるか」

「えー? さすがに、同じクラスのやつらの名前はわかるだろ?」


 僕はドアノブに荷物をかけたまま、鍵を開けて扉を開いた。一カ月近くだれもいなかった部屋は冬の匂いがした。荷物をそのままにして入り扉を閉めると、レオンがあちら側で「えーっ」と言ったのが聞こえた。


「さすがに、それはまずいよ、テオ。受け取るくらいはしなきゃ」

「移動で疲れてるんだよ。休ませてくれ」

「じゃあ、僕が部屋の中に入れようか? よかったらだけど」

「どっちでも」


 僕が外套をハンガーにかけて暖房をつけて、洗面台で手を洗っていると、レオンが恐る恐るって感じで「失礼します……」って入って来た。振り返りもしないで僕は着替える。レオンは「あっ、ごめん」と慌てた声を出した。


「べつに。そこらへんに置いといて。そのうち確認する」

「えっと……じゃあ文机の上に」


 汽車に乗っている間は風呂に入れないから、本当はすぐにでも行きたいんだけどさ。でも今の時間だといろんなやつとかち合いそうだし、やめた。部屋着に着替えた僕はベッドに全身を投げ出して天井を見た。部屋の中はまだ寒くて、息が白い。


「えっと……寝るの? テオ?」

「べつに。疲れたから、横になってるだけ」


 この部屋の温度に、現実に戻って来たような感触がある。ふと、視線だけで窓の外を見る。冬の日差しがきらめいて、それはブリアック兄さんの墓でのことを思い起こさせた。僕は何気なくつぶやいた。


「知っている? 真冬でも、逃げ水ってあるんだよ」


 思ったよりその声は、温もりのない部屋に響いた。居心地悪そうにしていたレオンは、僕のその言葉にすぐに反応したけれど、でもどう返答したらいいかわからないみたいだった。ただ「どういうこと?」って聞いてきた。


「――この間、見たんだ。きらきら光って、まるで夏の陽炎みたいな。でも、もう一度見ると消えるんだ」


 レオンは興味深そうに「へぇ……冬にもそんなことあるんだな」と言った。


「それで、どうしたの?」


 それは、たんに間を取り持つだけの質問だったかもしれない。けれど僕の奥深くに刺さった。僕は、どうしたんだろう。ブリアック兄さんを見て、どうしたんだろう。


「いや、べつに。それだけ」


 僕は、傷ついている。それを認めた。レヴィ氏の指輪の意味ときっと同じ。ノエルさんの沈黙とも似ている。いや、違うかもしれない。僕の中のまだ形になっていないなにか。それに音と名前を着けるには、まだ時間がかかるんだろうか。

 レオンはそれ以上聞かずに話題を変えようとして、失敗して、夕飯いっしょに食べようとか言いながら去って行った。


 僕の中では、ブリアック兄さんが揺らめいたあの瞬間の光景がまだ消えていなかった。あの逃げ水。届きそうで届かないもの。

 僕を追いかけて来て、消える。どうしたらいいんだろう。それとも、どうもしなくてもいいんだろうか。

 僕が目指すべきなのは、見出すべきなのは、自分の将来と希望。消えてしまう幻なんかじゃない。でも、希望ってなんだろう。それだって消えてしまわないだろうか。もっとなにか、わかりやすいものならいいのに。剣術みたいに、訓練で身に着けられればいいのに。


「――剣術とは力の勝負ではない。相手の動きを読み、先を取ることだ」


 父さんが言ってたことを口にしてみた。難しいと思った。剣術も、将来も希望も、なにもかも。動きなんか読めないし、先を取れたら苦労しない。

 レヴィ氏に会いたいと思った。なにか答えを、そのとっかかりを示してくれるだろうと思えた。がまんぜず会いに行こうかと思った。けれど部屋の暖房が本気を出して包容して来て、僕を眠りへと誘った。


次の章で完結です

完結まで月水金更新です

もう少しお付き合いください

よいお年を!


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レヴィが歌っている歌の原曲を作りました

あでやかなバラのように


レヴィがオルガンを弾いて歌っている歌を作りました

あでやかなバラのように【オルガン・男声ver.】

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