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真冬の逃げ水 Mirage d'hiver  作者: つこさん。
第六章 希望への道
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第29話 墓石 pierre tombale

 冬休みには果たすべき目的があったから、退屈な授業も意外と早く過ぎた。ノートの余白に無意識のうちにブリアック兄さんの名前を書き込んでしまうことさえあった。僕の心は、もう決まっている。

 地元へ帰るか帰らないかっていう話題が出るころには、僕はもうオリヴィエ兄さんにもソノコにも、実家のあるグラス侯爵領ディルゼーへ帰るって伝えてあった。オリヴィエ兄さんの顔が曇った。きっと僕がどんなことをしようとしているのか、兄さんは把握している。でも、止めないでくれるだけの配慮はあった。兄さんだって、僕と同じ立場だったら同じことをするさ。

 冬休みに入って、みんなそれぞれの予定に従って移動して行く。年末年始を含む一カ月近い休みだから、この時期に帰省する生徒は多いと思うよ。


「えっ、テオ、君、寮に残らないのかい?」


 レオンがちょっと驚いた感じでそう言った。僕は「帰省するよ。なんでさ?」と言った。ちょっと困ったような表情で、彼は「そっかあ、僕は残るもんだから。さみしいなって思ってさ」と言う。それが、なんでかわかんないけど。

 帰る日、レオンが寮の僕の部屋まで来て、そしてバス停まで着いてきた。そのままルミエラ駅まで来そうな勢いだった。だから「なんでさ?」ってまた聞いたんだけど、彼は今生の別れを迎えてるみたいに「なんか、君が帰って来ない気がしてさ」って言った。そんなことあるわけないじゃん。ここの生徒なのに。


「君、最近どこか遠いところを見てるみたいだ」


 それはそうかもね。ずっと、ブリアック兄さんのことを考えているから。

 この前ジゼルさんを見送ったときとは真反対の汽車に乗る。もう切符は買ってあって、三等寝台車両。狭い個室の上下のベッドを、それぞれ知らない人同士で使うんだ。本当は一等客車を借り受ければいいんだろうけど。丸四日間移動だけだし、貴重品の指輪は肌身離さず持っているからさ、べつにいいかと思ったんだ。

 同室の人はもう来ていて、上のベッドのカーテンが閉まっていた。僕はいちおう「失礼します」って声かけてから、靴を脱いで下のベッドへもぐった。


「なんだよ、やっぱ三等かよ。しけてんな」


 個室の入口が開いて、そんな声が聞こえた。半身を起こして振り返ったら、軽い旅装のノエルさんだった。そのまま、上のベッドあたりの壁をノックして、紙幣と切符を挟んだ指をカーテンに差し込む。


「こんにちは、兄さん。ふたつ隣りの上のベッドなんだけど。交換してくんないかな」


 ちょっと間があって、上から人が降ってきた。靴を履いて無言で去って行く。ノエルさんが上のベッドに入って「うっわ、他人の温もり、さいっこうだね!」と最低そうな声で言った。


「なんで僕が三等選ぶって思ったの?」

「だっておまえ、贅沢じゃ満足できない質だろ。どうせ指輪さえ無事なら、寝台なんてどうでもいいってとこじゃないの?」


 言われてみればその通りだったけれど、そんなことまで見抜かれているのは少し気に入らない。

 ただの移動だって思ってたけど、同乗者がノエルさんだったから、退屈しなかったよ。彼は饒舌で、話題もたくさんある人だった。たくさん話した。話した内容の三割くらいには、ブリアック兄さんの名前が出た。ノエルさんは、その名前を過去のものとして使わないから、僕はなんだか、実家に帰ったら兄さんがいそうな気もするくらいだった。だから、すごくたのしかったんだ。

 ちゃんと、降りた後にどうするかって決めた。四日後にしようかって。僕は普通に出かけて、ノエルさんが自動車とスコップを用意する。そして落ち合って、いっしょにお墓へ。それまでの間に、僕はちゃんと、兄さんの墓の場所を調べておく。計画って言えないくらい、ざくっとした約束。

 汽車は別々に降りた。ノエルさんはつばが短い帽子を深くかぶって、無表情で僕より先に部屋を出て行った。その背中が、なんか別人みたいに思えて、なんとなくだけどディルゼーはルミエラより寒い気がした。


「お帰りなさいませ、テオフィルぼっちゃん」


 実家の従者が駅構内まで迎えに来ていた。小さいころ、僕の世話係だった人。僕の小さい旅行鞄を受け取って「これだけですか?」と不思議そうな顔をする。僕は「それだけ。みんなへの土産は、別便で送ったからあとで届くよ」って言いながら歩いてディルゼー駅を出て、自動車へ乗り込んだ。


「冬休みに、こうしてお帰りになられるのは、三年ぶりですね」


 運転しながら、従者はちょっとうれしそうに言った。僕は窓の外を見ながら「そうだっけ」と言った。そういえば、去年はマディア公爵領レテソルで過ごしたんだったな。もう、あの日々がとても遠い思い出のように感じる。

 家に着いたら、家人が総出で列んで迎えてくれた。寒いんだからそういうことは中でやりなよって思った。正面入口から入ると、中では母さんが喜色満面で待っていて「お帰りなさい!」と言った。僕は「ただいま」って言った。


「寒かったでしょう。お風呂は用意させています。お食事を先にしましょうか?」

「風呂をもらおうかな。そのあとちょっと眠ってもいい? 汽車でちゃんと眠れなかったんだ」

「ええ、ええ、もちろん」


 ブリアック兄さんが亡くなってから、母さんの過保護に加速がかかったと思う。それもしかたないかと思って、したいままにさせている。先日わざわざ父さんと連れ立ってルミエラまで来て、それぞれの気持ちを話し合ったけれど、理解が進んだからって傷が癒えるわけじゃない。でも、少なくとも、忘れなきゃって言いながらブリアック兄さんの思い出の花をテーブルに飾った、あのときよりずっといい。

 湯をもらって、女中たちが着こうとしたけど下がらせた。寮住まいだと、なんでもひとりでやるのが楽になる。湯船はひさしぶりで、思いっきり脚を伸ばして浸かった。湯はちょっと熱いくらいだったけれど、冷え込んだ両手足にはちょうどいい。眠りこけそうになってびっくりして起きて、出た。待ちかまえていた女中が手早く僕の髪を乾かして行く。

 子どものころのままの僕の部屋は、キレイに片付いて室温も快適に保ってあった。僕はずっと使っている文机の引き出しを開いて、奥に入れたままの新聞記事を取り出した。

 ――ブリアック兄さんの、哀悼期間告知の全面広告。

 じっと見て、もう一度たたんで、奥に入れた。深呼吸して、壁にかけてある外套の胸ポケットから、赤い箱を取り出していっしょに入れて、閉めた。

 ベッドには温石が入っていて、僕はすぐに眠りに落ちた。夢は見なかった。


「お帰り、テオ」


 夕食の席で父さんと顔を合わせたら、開口一番そう言われた。僕は「ただいま」って言いながら席に着く。考えてみれば、この広いテーブルに家族全員が集ったのって、僕が赤ん坊のころくらいじゃないだろうか。だから、空席があっても気にはならないけれど、それでもいつもは父さんと母さんだけって考えたら、なんとなくオリヴィエ兄さんにも帰省を勧めようって思った。

 静かな夕食だった。この前のルミエラのときみたいに、なにか話し合うべきお題があるわけでもないし。ただ父さんが「マルラン氏の授業はどうだ?」と聞いてきたので、僕もそれに合わせて話した。


「べつに。めちゃくちゃ強い人だから、やっぱ厳しいかな」

「それが糧になることだろう」

「それはそう。今は、朝に走り込みとかしてる。基礎体力つけたくて」

「それはいい」


 父さんはうれしそうだった。母さんも、そんな父さんを見てうれしそうだった。二人がちょっとでも明るい表情でいてくれるなら、僕もうれしい。けど、聞くべきことは聞かなきゃ。


「……ルミエラ戻る前にさ、稽古つけてよ、父さん」


 ブリアック兄さんにしていたみたいに。僕が、そこへたどり着くには時間がかかるだろうけれど。

 父さんは平静を装いながら低い声で「いいだろう」と言った。その声はちょっとオリヴィエ兄さんに似てた。母さんはにこにこしていて、仔牛のテリーヌは美味しかった。


「――それと、ブリアック兄さんのお墓の場所、教えて」


 しん、と静まり返った。壁際に控えている従者たちにも緊張が走ったように思えた。父さんは静かにナイフを下ろして「……それが目的で帰って来たのか?」と尋ねて来た。


「なんだよ、その、僕が悪いことしてるみたいな言い方。それ『も』目的だよ。自分の実家に帰って来て、なにがいけないのさ」

「……墓の場所は、一般公開していない」

「知っているよ。だから聞いてるんじゃない」

「行くのか」

「うん」


 僕は、隠さないことにした。場所を聞くんだから、隠せるわけもないし。目を逸らさずに父さんを見て、言った。


「僕にも、けじめが必要なんだ。見て、自分の気持ちを、はっきりさせたい」


 母さんはなにも言わなかった。食事の手は止まっていた。父さんは長考した後に「……シメティエール・デュ・レポ・エテルネル。十八番地だ」と言った。


「ありがとう」

「いつ、行くんだ」

「そのうち。ひさしぶりにディルゼーの街も見て回りたいし、そのついでに」

「今は季節じゃないから、きっと雪が積もっている」

「僕雪かき得意だし。問題ないよ」


 どうにか理由をつけて行かないって言わせたいのかもしれない。そうじゃなくて、ただなんとなく焦ってるだけなのかもしれない。父さんは、ちょっとどこかを見てから、僕を見て「私も行こう」って言った。僕がちょっと焦った。


「今回は、僕が自分で行きたいんだよ」

「でも……」

「お願いだから。必要なんだ。僕にとって」


 そう言うと、また沈黙が落ちて、しばらく後に父さんは「わかった」と言った。


 四日なんてすぐだった。僕が出かけるって言ったら、従者たちに緊張が走った。そんな軽装で行かれるのですかとか、なにかお持ちになるものはとか、お供しますとか。なんかいろいろ言われたけど「ぜんぶいらない。着いてきたら怒るよ」って言って下がらせた。たぶん父さんに言われてつけてくると思うけど。

 自動車でディルゼー駅前まで送ってもらった。約束の時間まで、本当に街の中をぶらぶらと見て回った。記憶にあったお店が違う店になっていたりして、おもしろかった。

 約束のオテル・ル・ソレイユ・ドールの中に入って、昼食を摂った。もし僕が本当に父さんの後を継ぐとしたら、こういう食べ歩きも毒見を連れていなきゃできなくなるんだろうな。父さんから派遣された尾行者の仕事は完璧で、どの人かぜんぜんわからなかった。でもぜったいどこかにいるって確信はある。父さんも過保護だから。

 食べ終わってトイレに行って、ホテルの裏の駐車場へ向かった。たくさん停まっている自動車の中で、ノエルさんが退屈そうに立っているのをみつけて、走って向かった。ノエルさんは「よう」と言って白い自動車の運転席に乗り込む。僕は、ちょっと考えてから後部座席に座った。


「……なんかついてきてる自動車がいるんだけど」

「へただなあ。行き先わかってるんだから、もうちょっと離れて着いてくればいいのに」

「なんだよ、おまえんちの自動車か?」

「うん。父さんに言われてついてきてるんだと思う」


 ノエルさんは「はあー、十五にもなる男に、過保護なことで!」と言った。ほんとその通りだと思ったから僕はなにも言わなかった。

 片道三十分くらいかな。山をちょっと登ったところにあるから、自動車が埋まってしまわないか心配だった。でも何台か通ったらしい轍があって、おかげさまで墓地の駐車場まで行けた。こんな時期にも来る人がいるんだね。十台は駐車できるように除雪して雪山ができていた。

 自動車の後ろからスコップを出して、ノエルさんが無言でひとつ差し出してくれた。僕も、無言でそれを受け取った。胸ポケットの赤い箱が、熱を持っている気がした。

 十八番地。ほとんどは雪をかぶっていて、どこかわからない。キレイに除雪してあったところの番地を見ながら、雪を漕ぎ進んでいく。だいたいここだろうってところで、試しに少し雪を除けたら、十八って文字が見えた。僕は、深く息をついた。

 互いに、無言だった。隣りの敷地に雪を投げ込むわけにはいかないから、入口の一箇所に雪を集めた。ノエルさんの息遣いが聞こえる。僕の心臓の音が聞こえる。その他は痛いくらいの静寂で、息が白くて、あたり一面も白くて、呑み込まれそうだと思った。

 腰くらいまであった雪を除けたら、灰色の石灰岩が見えた。ノエルさんが息を呑んだ。僕はスコップを放りだして、手で雪をかいて平らなその石の輪郭を現した。


 ブリアック・ボーヴォワール


 そう、記されていた。


「うわっ」


 ノエルさんが心底びっくりしたようにびくっとした。僕はじっと墓石を見下ろしていた。ノエルさんが動揺した声で「……やべえ、まじかよ。……まじかよ」って言った。僕は答えなかった。


「――ごめん、俺、先自動車戻ってるわ」


 泣いていたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。去っていく足音が聴こえなくなるまで、僕はじっと墓石を見ていた。ノエルさんは、これでブリアック兄さんの死に向き合えただろうか。それとも、それはこれからなんだろうか。

 僕は、立ち上がってスコップをもう一度持った。そして、墓石の右隣の雪をもっと掘って、土にたどり着いた。だれかに掘り返されたり、動物に持って行かれたりしないように、ちょっとだけ深く掘る。

 そして、手袋を両手とも脱いで、胸から赤い箱を取り出した。開けて見て、中で大きめの金色の指輪が光っているのを見る。指でその輪郭をなぞった。泣きたかった。泣けなかった。

 ふたを閉じて、土に押し込むように埋めた。土をかぶせるとき、僕自身でブリアック兄さんを埋葬している気分になって、なにかこみあげるものがあった。

 雪もかけて、わからないようにして。周囲もキレイに除雪して。十八番の数字のところに立って、そこから墓石の名前を見下ろした。まだ新しい墓石で、白い中、とてもキレイだった。

 僕は思いっきり息を吸い込み、吐いて、それから深く深く、頭を下げた。言葉なんかみつからなくて、なにも言えなくて、兄さんはここに埋葬されている。

 しばらく後に頭を上げたら、雪に光が反射してまぶしかった。目を眇めてやり過ごそうとしたら、そのとき。

 ブリアック兄さんが、いた。

 驚いて、でもその次に瞬間にはなにも見えなくて、僕はそこに立ち尽くした。

 また、見えた。逃げ水みたいに。

 僕は、まだ傷ついている。

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あでやかなバラのように


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あでやかなバラのように【オルガン・男声ver.】

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