第27話 決着 règlement (挿絵あり)
わりと早い段階で本格的な冬がやって来て、学生たちの小遣い稼ぎが始まった。雪かきの手伝いをする代わりに、入寮条件が緩和されたり、学費免除が申請できたりする制度があるんだ。なにかと入り用の学生たちにはありがたい話だろう。まだ根雪になったばかりで除雪するほどではないけれど、男子寮事務室の前に『本年度の除雪控除申請は終了しました』って書いて貼られているのを見かけた。僕も前の学校で何度も雪かきには駆り出されたけれど、制度を利用することはなかったよ。まあ、正直富裕層の僕が免除してもらうなんて、ひんしゅく買うよね。
レヴィ氏の提案通り、ブリアック兄さんの指輪を預かったままで、時間が過ぎている。オリヴィエ兄さんから一度だけ『今度話そう』って連絡があった。きっと宝石店から、僕の手元に指輪があるってことが知らされたんだろう。僕は返事をしていない。もしかして僕に接触したことがバレたら、ジゼルさんが怒られるかもしれないって思ったのと、きっと、オリヴィエ兄さんも心の準備が必要だと思ったから。……僕よりも。
寮の部屋の、文机の引き出し奥に入れたまま。本当は貴重品をそんなところに置いてはいけないんだけれど。ときどき、箱を開いて眺めている。なんとなく。
レヴィ氏は、僕自身の将来を考えろって言った。でも指輪を見たときに想うのは、存在しない、けれどあり得たかもしれないブリアック兄さんの、将来。
窓の外では雪がちらついている。このままではいけないと思いながらそれを見る。瓦斯暖房で温められた部屋はとても快適だけれど、どこか肌寒いような、なにか足りないような気分で腕を抱く。
昼の休み時間終了の鐘が聞こえた。窓の下を、急いで校舎へと走って行く生徒の姿が通り過ぎる。鳴り終わっても、僕はちょっとの間、窓際から動けなかった。
僕自身の将来は、あの生徒が走った先にあるんだろうか。そんなことを考えた。
大幅に遅れて午後の授業に参加した。いつも通り教科担任はなにも言わなかった。僕の扱いは問題児ってよりも、繊細な硝子細工みたいな感じ。都合がいいからそれに準じている。
レオンが静かに手を上げて僕に振った。その席に座るのも、習慣になった。僕も小狡い人間になったなって思う。
前の学校が進学校だったからか、それともこの学校の水準を一般市民に合わせているからなのか、一年飛び級していても今のところ僕に授業内容の遅れはない。これだけサボってるのにね。冬休みを挟んで年明けにはどうなっているかはわからないけれど。きっとみんな、がっつり勉強してくるだろうから。雪国の冬なんて、雪かきか勉強くらいしかすることはないし。
冬休みの過ごし方を、どうしようか僕は迷っている。グラス侯爵領へ帰るか、このまま首都ルミエラで過ごすか。遠方から来ている学生の中には、実家へ帰らずに寮で過ごす者も多いんだ。中学生のときは、そうしたこともあったよ。どうせ雪に閉ざされて退屈なら、友だちと過ごしたかったし。ルミエラ市の方が除排雪の機能が回る程度の雪だからね。グラス侯爵領は一冬に二、三日、交通が麻痺する。もちろん最新の除雪機とか導入しているけれどね。降る量が尋常じゃないんだよ、ルミエラと較べたら。
それよりも――僕の心にかかっているのは、ただひとつだ。
もし、この冬、僕がグラス領に帰るとするなら。
目的は…………墓だ。
「では――では、ボーヴォワールくん次の詩の朗読を」
こうやって、各教科で、なにかしら当てられる。目立たないようにしているつもりなんだけどね。僕は教科書を手に取って立ち上がり、指定されたページを開いた。
「――荒野に立つ影は、いまだ帰らぬ何かを待ち望む。風に舞う灰色の霧は、友の声、消えた日々の残響」
重く響くその詩は、僕が生まれるより前にあった『レギ大陸戦争』を生き延びただれかが作ったものだという。題名はない。ただ、戦後にこうして伝えられて、僕たちの元に届いたこと、それに多くの人が共感して広まったことだけが確かだ。
――いつまでだろう。
私の魂に抵抗が、
そして心にひねもす悲嘆が宿るのは。
剣を置いたこの手は、
なぜなおも戦の重みを知るのか。
夜の静寂はあまりにも深く、
星たちの光はあまりにも鋭い。
だが土から芽吹く草花は、囁くように歌う。
「歩め」と――命の尽きた大地に、新しい芽をつむげと。
戦場に裂かれた心を、
この地で癒せと。
いつまでだろう。
私の魂に抵抗が宿るのは。
その答えは、
たったひとつ、私が私へと与えねばならないのだ――
読み終えると、教室に微かなざわめきが戻った。だれかのため息が聞こえた。先生が「お上手でした、ありがとう」と言ったので僕は礼をして座った。
学校の授業は、ときどき冴えたことを教えてくれる。たまにだけいいこと言うレヴィ氏みたいに。
いつまでだろう、って思う悲嘆にだって、最終的に、自分で結論を出さなきゃいけない。戦争にまで行って、いろんな問題を抱えた人がそう考えたんだから、きっとそうなんだろう。
だから。
僕は、冬をグラス侯爵領へ戻って過ごすことに決めた。そして、自分の中で決着をつけよう。
ただ、少しだけ気がかりなことがあった。そのことを考えていたら、先生の詩の解説を聞き逃した。なんとなく解釈違いな雰囲気だったからべつにいいんだけど。顔と名前が一致していない男子生徒が当てられて、しどろもどろで答えていた。それもべつに正解じゃない。
正解なんてないのかもしれないけれど。この詩だって、もし書いた人に聞いたら、思いつきで適当に書いたって言うかもしれないじゃないか。
とりとめなく考えていて、でもノートは手が勝手に要点を書いていく。こういうことができてしまうから、かわいげがなくて好かれないんだろうな、僕は。
鐘が鳴って、この時間の終わりを告げた。先生が次の範囲を言って教室を出たら、僕ら生徒も散り散りになるけれど、今日は先生が出入り口に立ち止まってだれかと話していた。そして振り返って、あきらかに僕を見る。
「――ボーヴォワールくん。宰相閣――ご父兄がみえている」
教室内がざわめいて視線が僕に集まる。僕は無言で机の上を片付けて、みんなに見守られながら廊下へ出た。
オリヴィエ兄さんの姿はすぐにわかった。廊下の窓から見下ろしたら、中庭の中を揉み手でもしそうな校長に案内されている。少しだけため息をついて、そして僕は階段へと足を向けた。
「――なにしに来たのさ、兄さん」
僕が声をかけると、降りて来ているのがわかっていたのか、驚きもせずにこちらを見て兄さんは笑った。
「――話を、したくて」
冷や汗をかいていた校長が、空気になろうとしていた。
ふさわしい場所とかよくわかんないけど、なんか校長が応接間みたいなところへ案内しようとしたから僕は「いいです。二階に部屋があるから」と言って断った。僕が歩き出したら、オリヴィエ兄さんも後ろから着いて来ている。校長も来そうだったけれど、それは兄さんが丁重に断っていた。
半螺旋の階段を上がる。もういろんな教室から生徒たちが出てきていて、僕らはいい見モノだった。音楽室の前を通り過ぎて、その奥。白い扉。ノックには、いつもの声が答えた。
「はぁい、テオく……っとお! 宰相さんじゃないのお! おひさしぶりです!」
「おひさしぶりです、レヴィ氏。妻と弟がお世話になっております」
ふたりはガッツリ握手をした。仲がいいんだろうか。そんな印象ないけど。レヴィ氏はいつも通りに湯を沸かして、この部屋では定番の、苦いのに甘い香りの茶を淹れた。
僕はソファに座った。兄さんも、斜向かいの一人掛けソファに。なんで正面じゃないんだよ。よくわかんないけど、レヴィ氏がカップを僕たちの前のテーブルに置いた。そして僕の正面に座った。
「――例の件は、レヴィ氏には知らせているのか」
兄さんが静かに尋ねた。僕は茶を口に運びながら「一番最初に、相談した。他には、話してない」と言った。レオンも知ってるけど、形見としか言ってないから、数に入らないだろう。――言わずと知れた、ブリアック兄さんとジゼルさんの結婚指輪のこと。
オリヴィエ兄さんはちょっとだけ考えるような表情をして、茶のカップを口元に運んだ。メガネが一瞬で曇った。口に含んでテーブルに置いて、メガネのもやがなくなるころに僕へ向き直って尋ねて来る。
「……どうやって、存在を知った? 前から、おまえが取りに行くように言われていたのか?」
「怒らないで聞いてくれる?」
「もちろん」
その言葉が本当かどうかわかんないけど信じることにして、僕は「ジゼルさんから、受け取ってほしいって、たのまれたんだ」と言った。オリヴィエ兄さんが目を見開いた。
「おまえに、会いに来たと?」
「うん。学校にではないよ。いろんな人がいるところで、わかんないように声かけられた」
「なにか言っていたか?」
重ねて質問してくるオリヴィエ兄さんは、僕が想定していたよりも冷静だった。もし、これが、結婚指輪に関する話じゃなかったら、怒ったかもしれないけれど。
オリヴィエ兄さんも、僕と同じ結論を得たのだろう。――ジゼルさんは、ブリアック兄さんが、愛そうとした人だ。
「……アウスリゼを離れるって、言ってた。ここじゃもう、暮らせないって」
僕が言った言葉に、オリヴィエ兄さんは唇を結んだ。そして、あんまりその唇を動かさずに「他には。また連絡を取る約束はしたか?」と尋ねる。
「してない。好きに処分してほしいって。自分が受け取りに行くことほど、惨めなことはないって。それで、僕に」
「……そうか」
オリヴィエ兄さんもどうしたらいいかわからないんだと思う。僕も、ずっと悩んでいる。でも、今年の冬休みは、家へ帰ることに決めた。だから。
僕はオリヴィエ兄さんを見た。レヴィ氏は完全に空気になって、茶の甘い香りをたのしんでいる。兄さんが僕を見返したときに、僕は尋ねた。
「ねえ、国を出る準備って、どのくらいかかるものなの?」
「……どうだろうな。一般の事務についてはよくわからないが、外遊に行くときの手続きを考えたら、一週間くらいではないか」
「……じゃあ、まだ、居るかな。ジゼルさん」
僕がなにを言おうとしているのかわからないんだと思う。だからオリヴィエ兄さんはちょっと不安そうな表情で僕を見る。僕は、もう気持ちが定まって、そうするのがいいと思ったから、言った。
「ジゼルさん、探してよ。やっぱり、この指輪は彼女のものだから。受け取ってもらえなくてもいい。一度でも、見せたいんだ。これは――けじめとして」
沈黙が落ちた。この部屋の防音壁も通過する鐘の音が、次の授業の時間を知らせてくれた。茶はいつも通り苦くて、でもカフェの苦味とはまた違って、僕のあいまいさを払拭してくれた。
挿絵提供:りっこさん
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