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真冬の逃げ水 Mirage d'hiver  作者: つこさん。
第六章 希望への道
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第26話 将来 pour l'avenir

 結局、僕の道はどこにつながっているんだろう。

 希望とか、なんかそんなもののところへ、たどり着ければいいのに。


 寮に帰ったときには、まだ観戦に行ったやつらは戻っていなかった。結局レオンも僕に着いて帰って来て、なにか言いたそうにしてたけど、部屋の前で別れた。

 寮は全体が集中暖房っていう全体が暖かくなる設備で、部屋の中に入ってしまえば寒さとは無縁だ。しかも最新式の瓦斯稼働のやつだから、室温にムラができなくて経済的なんだってさ。

 この学校が、一般市民向けに拓かれたのにわりと富裕層の子どもたちも通っている理由のひとつは、オリヴィエ兄さんが設備投資に私財を投じて、こうしてしっかり設計したこと。夏の空調もよかったしね。おかげさまで、みんな快適に過ごせている。

 文机の椅子に座って、僕は外套の内側から赤い容れ物を取り出す。ふたつ入っているから横長。開けると、飾り気がないけれどひと目で高価なものだとわかる金の指輪が大小並んでいる。しばらく眺めてからふたを閉じて、引き出しの奥へしまった。

 なにもする気が起きなくて、僕はベッドへ横になった。

 ブリアック兄さんのことを考える。ジゼルさんといっしょにいた姿を想像する。あの店へいっしょに結婚指輪を作りに行ったんだね。マディア公爵領へ向かう前に。

 二人がどんな気持ちだったのかを考えた。でも、僕に恋人はいないし、これまでだれかを恋愛的に好きになったこともなくて、よくわからない。

 昔、おしゃべりなメイドから聞いた話だけど。ジゼルさんが、最初にオリヴィエ兄さんと出会ったのは、僕と同じ十五歳の頃だったらしい。僕と同じようにルミエラで学校に通っていたから。僕がそのころの兄さんを知らないように、きっと兄さんも僕がどう感じるかなんて知らないだろう。なにがあったのかも、いつのことかも知らないけれど、その後、ジゼルさんはブリアック兄さんと付き合うようになった。

 恋愛も、女心もわからないし、兄さんたちの考えもわからない。それにオリヴィエ兄さんへ事情を聞こうなんて気持ちは、僕にはない。だからきっと、この三人のことは僕にとって謎のままなんだろう。

 それでいいと思う。ブリアック兄さんは、ジゼルさんと結婚の約束をしたまま亡くなった。オリヴィエ兄さんは、ソノコと出会って結婚した。それが、二人の選択の結果だ。

 僕も、いつかそんなことになるのかな。キレイな女の人に出会って。そして、好きになって。なんだか途方もないことで、想像できなかった。特に、オリヴィエ兄さんがソノコを溺愛している様子を見ているから、なおさら。あんな風に、だれかを好きになるって、僕には信じられない。

 だから、僕は。机の引き出しの奥の指輪を、どうすればいいのかわからない。僕が持っていてもいい気がしない。ジゼルさんは受け取りを拒否したから、僕がどうにかしなきゃいけない。オリヴィエ兄さんには、相談できないな、と思った。ブリアック兄さんも、ジゼルさんも、きっとオリヴィエ兄さんにとっては痛みのある思い出だ。――じゃあ、レヴィ氏は? もし指輪を見せたら、何て言うだろう?

 窓の外を見た。まだ明るかった。今からあの喫茶店へ行ったら、帰りが遅くなるかな。蒸気バスの接続状況によるな、と思って、僕は起き上がった。そしてしまったばかりの赤い箱を取り出す。

 もう一度開けて中を見た。レヴィ氏のことを考えた。僕はちょっとだけ、そんな気分になって、大きい方の指輪を右手でつまんで取り出した。

 そして、左手の人差し指にはめてみた。

 指に触れた冷たい金属の感触が、瞬間的になにかを呼び覚ますようだった。でも、それは僕にとって手に余る重みだった。大きすぎる指輪は、僕の指にぴたりと収まることなく、ただ滑稽だった。

 レヴィ氏の手のようには見えなくて、僕ははっとして、すぐに外して元に戻した。なんてバカなことをしてしまったんだろう、ってすぐに後悔した。

 ちょっとだけ、期待があったんだ。レヴィ氏や、ブリアック兄さんの気持ちがわかるかもって。……本当にバカだ。

 僕に、ブリアック兄さんとジゼルさんの思い出を、汚す権利なんてないのに。

 居ても立ってもいられなくて、僕は外套をもう一度着込んだ。そして、赤い箱のふたを閉じて、もう一度胸のポケットへ押し込む。

 部屋と寮を飛び出して、初雪がちらつく中をバス停まで走った。試合観戦から帰って来たやつらとすれ違いで、変な顔された。かまっていられない。レヴィ氏に会わなきゃいけない、と強く思った。

 一番近くのバス停は、ぜんぜん違う方向へ向かうやつだった。だから通りを三本またいだ向こう側まで走って、違う停留所に並んだ。時間通りに来るルミエラ交通局の手腕には毎度唸らされるけれど、僕が急いでいるときは早く来てもいいんじゃないかな。

 結局、コブタ通りに着いたのは夕方近くだった。宝石店から、すぐにこちらに来ていたらよかったのに。

 雪がちらつく中、冷たい空気が頬を刺した。子どもたちがはしゃいで家路に就く声が耳に入ってくる。僕は足を止めることなく通り過ぎた。胸にある赤い箱の感触が、僕を焦らせる。

 走って喫茶店の茶色い桟敷と扉のところまで向かった。でも……閉店の札がかかっている。

 脱力した。座り込んでしまいそうだったけれど、喫茶店の店主が窓から僕に気づいて目を真ん丸にした。そして扉を開いて「中に入ってな。呼んでやろう」と言ってくれた。

 カフェの残り香が鼻をくすぐった。蒸気暖房は消したばっかりみたいで、むわっとした熱気があまりなかった。店主は外へちょっと出て、だれかに言付けしているみたいだった。伝令の子どもを雇ったのかな。申し訳ないなとちょっと思う。

 店主は「火を落としちまったから、あったかいのは無理だ。残り物でよければ食べるかい」と言ったけれど、こうして待たせてくれるだけでありがたいから、首を振って辞退した。

 三十分もしなかったんじゃないかな。扉の開閉音があって「マスター、ありがとう!」と息を切らしたレヴィ氏が入ってきた。前にかけていたメガネと同じのしていて、今日は髪を下ろしている。


「テオくん、お待たせ。今日は競技場行くんじゃなかったっけ?」

「行って、帰って来て、ここに来ました」

「そう。マスター、ありがとう、お礼は今度ね!」


 手招きされて、僕はレヴィ氏と外へ出た。出るときに店主へお礼を言ったら、にこにことしていた。


「びっくりして、あわててすっぴんで来ちゃった!」

「……いつも化粧してたんですか」

「冗談よ。それくらい急いだってこと」


 レヴィ氏が言うと絶妙に冗談に聞こえない。前に趣味で美容液作ってるとか言ってたしね。僕は、胸のポケットにあるものが熱く感じて、はやくレヴィ氏に見せてしまいたかった。なので「あの、黄色い店はどうですか」って聞いた。まだ開いてそうだったから。


「あらあ、あの店もいいけど。僕の家行かない? ここの裏手なの。すぐだから」


 言われて、僕はちょっとだけレヴィ氏がどんなところに住んでいるのか興味があったから、うなずいた。僕とレヴィ氏には黄色い店は似合わない気がしたし。

 中小路を通って、本当に裏側。喫茶店からは斜め後ろあたりの建物だった。古いけれど管理が行き届いた、白い漆喰壁の単身者用アパルトメント。二階の、日当たりが良さそうな窓のある部屋だった。


「学校と違って蒸気暖房だから、足下冷えるのよねー。よかったら、靴脱いでこっちに履き替えて。靴はそこの棚の上に置いてー」

「……もこもこですね。靴下……?」

「そうよー。自分で作ったの。これ履いてるだけでぜんぜん底冷え感が違うわよー!」


 言われた通りにしたけど、僕の服装にまるで合わないな、と思った。でもレヴィ氏は「あら似合うじゃないー」と言った。うそつけ。


「入ってー、あんま片付いてないのは目をつぶってねー。カフェと、お茶、どっちがいい?」

「……どっちでも」

「じゃあカフェにしようかー」


 マディア公爵領のレテソルに滞在していたとき、公使館っていう名前が着いているだけの民家で寝泊まりしていたけれど、そこの居間にもうひとつ隣りへ部屋をつけた感じだった。ソファがなくて、低いテーブルの回りに大きいクッションがたくさんある。もこもこの絨毯が敷いてあるし、たぶん床に直接座る感じなんだろう。ソノコがよくやってる。

 だから、なんとなく「ソノコも来たことあるの?」って聞いてみたんだけど。レヴィ氏は台所から「ないわよー」と即答した。


「外套は、脱いだらそこの飾り棚のハンガーにかけておいてー。適当に座ってってー」


 外套を脱ぐとき、赤い箱をどうしようか迷って、取り出して握った。どうしていいかわからなくて、とりあえずたくさんクッションがあるところに座る。床に直接座るって、どうしたらいいんだっけ? なんかこう、脚を組む感じだったかな。

 よくわかんなくて、テーブルの下に脚を伸ばしたまま座った。ソノコがやってる、脚を折りたたむやつは無理だった。

 部屋の中をじっくりと眺めた。部屋の区切りと目隠しに飾り棚が置いてあって、本とか小物とか、いろんなものが置いてある。物は多い気がするけど、片付いてないって感じはしない。全体的に白と黒と灰色で統一されている。クッションだけ、いろんな色があるけど。


「はーい、お待たせ。マスターが淹れたほどではないかもしれませんが!」

「……ありがとう」


 なんとなく水色のクッションを抱いて待っていたら、そう言ってカフェを手渡された。喫茶店のやつと同じ香りがした。レヴィ氏は僕の向かい側の床に、脚を器用に組み合わせて座った。僕が「どうやるのそれ」って聞いたら「あら、簡単よー、足先を交差させて、押し込むの」とやってみせてくれた。難しかった。


「なんか、東方の戦士がこういう座り方するんだって、昔流行ったのよ」

「レヴィ先生と話していると、昔の風俗をたくさん知れて、おもしろいです」

「あらあ? ちょっとグサッと来たわよお?」


 絨毯が厚いのか、椅子じゃなくても冷たく感じない。カフェの苦味と温かさが、僕の気分をはっきりとさせてくれる。レヴィ氏は単刀直入に「今日、なにかあったのね?」と聞いてきた。僕は「はい」と言った。


「これを……どうすればいいのかわからなくて」


 絨毯の上に置いてあった赤い箱を、僕はテーブルの上に置いた。レヴィ氏は目を見開いてそれを見て、それからその驚いた表情のままで僕を見た。


「……中。拝見していい?」

「はい」


 開いたとき。レヴィ氏ははっと息を飲んだ。そして閉じた。テーブルに置いて、手を離す。


「……どなたのもの?」

「ブリアック兄さんと……その、恋人さんのです」


 沈黙が落ちた。僕は、もしかしたらこれはレヴィ氏に聞いては、彼を頼ってはいけないことだったのかもしれないと思った。なんて言ったらいいかわからなくて、なにも口にはできない間に、レヴィ氏が切り出してくれた。


「……たいへんなものを、預かっちゃったわね。テオくん」


 それは、僕の今の気持ちそのもの。

 レヴィ氏はカフェを飲んで、ちょっと遠くを見て、そして僕を見た。僕は、赤い箱を見てから、その視線に答えた。レヴィ氏は「どう思っている? この指輪のことを」と尋ねてきた。


「わかりません。ただ、これを僕が持っているのは間違いな気がして……」


 僕はその言葉の続きを持たなくて、言えなかった。ただ自分はふさわしくない、という思いだけがある。

 なら、だれならふさわしいんだろう? オリヴィエ兄さん? 父さん? 母さん? いや、みんなだめだ。みんな、きっととても悲しんでしまう。

 レヴィ氏は、考えにふけるように、カップの縁を指で何度か叩いた。そして言葉を選んで、僕に言う。


「……今すぐ手放したいと思うくらい、重荷に感じている?」

「……ちょっと、違うかな。ただ、僕じゃないよな、って」


 僕も、言葉を探す。なにが、僕のこの感情を言い表すものだろう。オルガンの鍵盤を叩くように。音で感情を出すように。そしてそれを名付けるように。


「――これを持っているべき人は、他にいるはずだと。その人に渡すべきだと。そう思います」


 ジゼルさんは受け取りを拒否した。ブリアック兄さんはもういない。では、だれの元へ行くべきなんだろうか。

 レヴィ氏は僕の顔をじっと見た。僕が隠し事をしていないか確認するためだったかもしれないし、単にどう返すべきか考えていただけかもしれない。しばらく後に、彼は言った。


「もしね、苦しくないなら。……その人が見つかるまで、持っているのはどうかしら」


 それは、ちょっと僕には意外な言葉だったんだ。レヴィ氏なら、なんか特別な解決策とか、預け先とか、そういうのを示してくれそうって思っていたから。


「これはね、ただ僕がそう思ったというだけ。テオフィルくんの答えを聞かずに、誘導している時点で僕は相談員失格ね。だから、嫌だったら僕に預けてくれてもかまわないわ」

「……どうして、それを言おうと思ったんですか」

「うん? ちょっとだけ、それをあなたに預けた人の気持ちが、わかる気がして。そしてそう思う自分がなんか嫌だわーって。それだけ」


 ちょっとわからなくて、僕は「わからないです」って言った。レヴィ氏は「それでいいわよ」と笑った。


「持ち続けるにしても、手放すにしても、時があるわ。今は、テオフィルくんがそれを持って、考える時なのかもしれない」

「考えるって、なにを?」

「あなた自身の、将来を」


 僕はレヴィ氏を見た。レヴィ氏も僕を見た。将来なんて、今ここに立ち止まっている僕にはよくわからなくて、どうしたらいいんだろう。

 ただ、僕の足下にも道があるなら、それは希望につながっていてほしい。そんな風に思う。


「手放す時は、来るんでしょうか」

「来るわよ。きっとね」

「レヴィ先生の指輪も?」


 僕の問いかけに、レヴィ氏ははっと息を呑んだ。そして、やさしい笑顔で言った。


「さあ……どうかしらね?」


 その表情はさみしげで……キレイだな、って思った。


来週ももしかしたら週三かも?

月曜の更新のときにお知らせします



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レヴィが歌っている歌の原曲を作りました

あでやかなバラのように


レヴィがオルガンを弾いて歌っている歌を作りました

あでやかなバラのように【オルガン・男声ver.】

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