表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】歪みの旋律~わたしが愛を知るまでのレッスン~  作者: 実緒屋おみ@忌み子の姫は〜発売中
第七章:脱却のための旋律

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/47

7-4.Weichet nur, betrübte Schatten~しりぞけ、もの悲しき影~

 理乃(りの)貞樹(さだき)と共に墓参りを終え、二日間の稽古をした一ヶ月後――四月。


 自主公演まであと少しだ。何度も貞樹(さだき)と一緒にクロイツェルの練習をし、自分が納得できるところまで、また彼も満足いく音色が仕上がった。


 今日は四月唯一の祝日。金曜日で、昼から瑤子(ようこ)たちとドレスショップにいる。


「たくさんドレスがあるねー。瀬良(せら)ちゃん、どれにするか決まった?」

「うぅん……悩んじゃう」

「無難なのは白だね。黒でもいいけどさ。これなんてどうよ」


 千歳(ちとせ)が手にしたのは、黒いワンショルダーのドレスだ。確かに色味には落ち着きがあり、動きやすさもある。しかしクロイツェルという曲を想像した時、色が合わない気がした。


 発表会では動きやすさと同時に、演目と合わせたドレスを選ぶことが求められる。千歳(ちとせ)に対し首を左右に振り、あれでもない、これでもない、と三人で悩んでいた時だ。


「あ……」


 桔梗(ききょう)色に近い紫のドレスに目が行く。手にしてみた。


 アメリカンスリーブのシフォンドレスだ。花柄の刺繍レースがトップスにはあり、デコルテ部分だけが透けている。プリーツ部分にはシルバーが混ざっており、大人っぽい印象があった。スカートの長さも丁度いい。


「これなんてどうかな。曲にも似合うと思うし。千歳(ちとせ)、色、変じゃない?」

「お、青っぽいから似合ってる。いけるよ」

「ありがとう」


 試着もしてみたが、あつらえたかのようにぴったりだ。満足して買うことに決める。少しばかり予算オーバーだが、靴はすでに藍色のものを購入済みだし、装飾品は必要ない。


 二人を待たせたこと、また選んでくれたことに謝辞を述べ、店を出る。


 その後はコーヒーチェーン店に移動し、一息ついた。


「そういや理乃(りの)。アンタ宇甘(うかい)……さんとお姉さんの墓参り、行ったんだって?」

「うん。いろんなことがあったから、その報告も兼ねて」

宇甘(うかい)さん、何か言ってた? 妹さんを下さいーとか」


 瑤子(ようこ)の言葉に首を振り、苦笑する。


 貞樹(さだき)と共に、姉の墓前で理乃(りの)は全てをさらけ出した。隆哉(たかや)との関係、それから莉茉(りま)に対し怯えがあったことなどを。死者から返答はない。それでも貞樹(さだき)と歩いていく、その思いを吐露したときには胸のつかえが取れていた。


 自己満足だと言うものはいるかもしれない。しかし、けじめだ。これから自立していくと決意した。悲しみも喜びも、自分の手で紡ぎ上げていくということを。


 貞樹(さだき)はただ優しく見守ってくれていた。彼がいるから、理乃(りの)は未来へと歩き出せる。


「一緒に来てくれた、そのことが嬉しいの。わたしもほっとしたかな」

「おーおー、熱いことで。でもアンタ、今本当にいい顔してるよ」

「そ、そうかな?」

「うんうん。瀬良(せら)ちゃん、明るくなったって言うか」

「両親も呼んだからかも……公演に。来てくれるかはわからないけど」

「来てくれるよ、きっと。いい方向に進むといいねぇ」


 頷き、ラテを飲む。両親には手紙と共にチケットを郵送した。返事がないのは少し気がかりだが、来演してくれることを信じている。自分の音色を取り戻せたことを伝えたい。


「これから理乃(りの)、稽古なんでしょ? アタシらは飲みに行くけど」

「もう公演も近いし。最後の音合わせをしておこうかなって、貞樹(さだき)さんと」

「今度は彼氏も入れて一緒に皆で飲もうよー」

貞樹(さだき)さんに言っておくね。そろそろわたし、行かなきゃ。今日は二人ともありがとう」

「オッケー。宇甘(うかい)さんにもよろしく」

「またね、瀬良(せら)ちゃん。またお仕事で会おー」


 二人に手を振り、飲み終えたラテの片付けをする。ショップから地下歩行空間を通り、大通駅まで歩いた。三連休ともあってか人通りは多い。そのままドレスを入れた袋を手に東西線へ乗って、いつものように教室の道を行く。


 今日は見事な晴天。雪もすっかり溶けた。春風が飴色のコートの裾をさらっていく。髪を押さえながら教室へ入ると、受付には葉留(はる)ではなく(しゅん)がいた。


「あ、神津(こうづ)さん……こんにちは」

「ああ。宇甘(うかい)たちは今レッスン中だ。瀬良(せら)さんも音合わせに?」

「はい。ちょっと早かったかなって思いましたけど。神津(こうづ)さんはどうしてここに」

「ボランティアというところだな。一日だけの店番だ」

「そうだったんですね。座って待ってます」

「そうしてくれ」


 理乃(りの)はコートを脱ぎ、流れるピアノの音に耳を澄ませながら椅子へ腰かける。


 この教室とも半年の付き合いになった。そう思うと感慨深い。貞樹(さだき)たちとの出会いがなければ、今も自分は永劫の冬に囚われていただろう。隆哉(たかや)との別れ、姉との決別もすることなく、生きたまま死んでいる状態になっていたかもしない。


 だが今は違う。自分の足で歩いている。貞樹(さだき)と共に、新しい道へと。自分の音も蘇った。バイオリンを弾くことが、好きだ。情熱は確かに胸の中にある。


 口元をほころばせながら、貞樹(さだき)から借りた本を読もうと鞄を漁った直後。


「みんなお疲れ様ー。いい感じだね」

池井戸(いけいど)先生、ありがとうございました」


 葉留(はる)と生徒たちが部屋から出てきた。その中に貞樹(さだき)美智江(みちえ)の姿はない。


「あらっ、瀬良(せら)さん。早いのね」


 生徒たちと挨拶を交わした理乃(りの)へ、葉留(はる)が声をかけてくれる。頭を下げて微笑んだ。


「さだなら今、ちょっと永納(ながの)さんと……」

「だと思いました」


 こちらの余裕を見て取ったのか、語尾を小さくする葉留(はる)が目をまたたかせた。


 美智江(みちえ)はまだ、理乃(りの)を認めていないだろう。確かに今の状態の演奏を聴かせたことはない。けれど――


 葉留(はる)に近付き、小声でささやく。


池井戸(いけいど)先生、あとで貞樹(さだき)さんとの演奏を永納(ながの)さんに聴かせたいんですけど、いいですか?」

「あたしはいいけど。何弾くの?」

「……シューベルトの『華麗なるロンド D895』を」

「それ、アンコール用の曲よね? いいの? 先に聴かせちゃって」

「練習の成果を。今のわたしの音を永納(ながの)さんにも聴いてほしいんです」


 言って、笑みを深める。


 シューベルト作曲『華麗なるロンド D895』はクロイツェルと同等の難易とされている曲だ。リズミカルな曲想には技巧も要求される。クロイツェルと共に貞樹(さだき)と練習を重ねてきた曲目の一つで、美智江(みちえ)を納得させるならこれしかないと思った。


「オッケ。ここらでガツンとやっちゃえ」

「いえ、その、ガツンとやるだなんて……」


 にやりと笑む葉留(はる)へ、顔を苦笑に変えたその時――


永納(ながの)さん、注意事項は以上です」

「ありがとうございますっ、宇甘(うかい)先生」


 奥の部屋から、貞樹(さだき)美智江(みちえ)の二人がこちらに向かって歩いてくる。美智江(みちえ)理乃(りの)に気付くと笑顔を消し、厳しい眼差しで見てきた。


「お疲れ様でした、貞樹(さだき)さん。永納(ながの)さん」

「……お疲れ様です、瀬良(せら)さん」

理乃(りの)、早かったですね」


 理乃(りの)の言葉に、それぞれが返答する。敵愾心(てきがいしん)をそのまま声に乗せた美智江(みちえ)の声は硬く、貞樹(さだき)の声音は柔らかい。理乃(りの)は真面目な面持ちで美智江(みちえ)を見つめた。


永納(ながの)さん。よかったら、今のわたしの音を聴いてくれませんか?」

「……別にいいですけど……」

貞樹(さだき)さん、休んだらわたしに付き合ってほしいです」

「ピアノは弾いていなかったので、すぐにでも構いませんよ。葉留(はる)、準備を」

「はいはいっと」


 葉留(はる)が楽譜置き場に入るのを見て、理乃(りの)はバイオリンが置かれている室内へと赴く。自分のバイオリンをとり出し、ケースを持って奥の部屋へ進んだ。


 防音室には椅子があった。貞樹(さだき)はそこで、美智江(みちえ)の演奏チェックをしていたのだろう。バイオリンの準備をしているうちに、三人が入室してくる。


 椅子に腰かけた美智江(みちえ)の顔は硬い。構わずにバイオリンの音を確かめる。貞樹(さだき)がピアノの前に座り、譜面を見て頷く。葉留(はる)は譜面を捲るため、一脚、椅子を持ってきていた。


「これから貞樹(さだき)さんと弾くのは、シューベルトの『華麗なるロンド D895』です」

「聴かせてもらいます、瀬良(せら)さん」


 答えた美智江(みちえ)に首肯し、理乃(りの)はバイオリンを構える。貞樹(さだき)がこちらを見た。その手が鍵盤に置かれる。


 厳かな、粛々とした重い音が響いた。入るところを間違わないよう、リズムをとる。最初は緊張感のある音色に弦を弾き、感情を乗せていく。


貞樹(さだき)さんと出会えなかった頃の思いを)


 一転して優しく、明るくなり始めたピアノに合わせて少しずつ音を軽やかさに変える。


(出会えたことの喜びを)


 生動たるリズムに合わせ、アレグロに。思いを込めて弾き続ける。まさに貞樹(さだき)との邂逅をイメージしたような曲は、弾いていて楽しい。貞樹(さだき)と共に演奏できるのが、嬉しい。


 主題の華麗さを忘れず、それでいて愛しさも乗せて弾いた。ただただ貞樹(さだき)との出会いを歓喜に変え、華麗なる曲想を響かせる。


 クライマックスでピアノと共にバイオリンは駆け上り、理乃(りの)貞樹(さだき)の演奏が止まった。


 十六分近くもある長い曲が一瞬のようだ。ほぼ全力を出した。今弾けるもの、出せる技術を総動員したと思える。


 は、と小さく呼気を吐き、理乃(りの)はバイオリンを降ろした。呼吸を正して背後を見る。美智江(みちえ)は目をつむり、曲の余韻に浸っているようだった。


「……これが二人の音」


 ぽつりと美智江(みちえ)がささやき、瞼を開けた。その顔はどこか清々しい。


「凄いですね、瀬良(せら)さん……曲に感情が乗せられてない、って聞いてましたけど」

「今のわたしは違います。これがわたしの音なんです」

「完敗か。凄かったです、瀬良(せら)さんも、宇甘(うかい)先生も。聴かせてくれてありがとう」


 少し寂しそうな笑顔に理乃(りの)も微笑む。


「うちも頑張る気になっちゃった。お幸せに、二人とも」

「ありがとうございます、永納(ながの)さん」


 祝辞を述べた美智江(みちえ)理乃(りの)の言葉に一礼し、防音室をあとにした。貞樹(さだき)が立ち上がり、こちらへと近付いてくる。


理乃(りの)、見事な演奏でしたよ。安心して伴奏することができました」

「さ、貞樹(さだき)さんのピアノですから……思いを込めて弾けたんです」


 理乃(りの)ははっきりと、自信を持って貞樹(さだき)を見上げた。優しく微笑む彼が愛おしい。


「……理乃(りの)

貞樹(さだき)さん……」

「お二人さん、あたしがいること忘れないでねー」


 甘い空気を打ち消すように、けらけらと笑う葉留(はる)の言葉で我に返る。


 照れながらまた、姿見を見た。


 ――そこにはもう、姉の幻はない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ