4-2.mormorando~ささやくように~
貞樹の車に乗り、理乃たちは少し遠いスーパーで買い物をする。自宅の冷蔵庫が小さいことを告げると、貞樹は使い切れる分だけの食材を購入してくれた。
駐車場に車を置き、手を繋ぎながら歩道を行く。雪がちらちらと降り始めていたが、多少、髪を濡らす程度で部屋へと辿り着いた。
「あまり広くないですけど……どうぞ」
「気にしませんよ。お邪魔します」
貞樹を部屋に招き入れ、リビングの電気をつける。モダン風な部屋にほとんどものは置いていない。本棚、サイドボード、ソファ。そしてテレビ程度だ。
「洗面所はあっちです。手を洗うならそこで……」
「お借りします。食材はすぐに使いますから、そのままでお願いしますね」
首肯し、貞樹が洗面所へと向かう間に暖房を入れてカーテンを閉める。自室へ行き加湿器をつけた。バイオリンケースと鞄を置き、コートを脱ぐ。ハンガーを持ち寝室から出た。
戻ってきた貞樹へ、理乃は黒いハンガーを差し出す。
「これ、どうぞ。コートのままだと動きづらいと思いますから」
「ありがとうございます。今日もまた、素敵な服ですね」
「そ、そうですか?」
言われて、照れてはにかむ。今日は白のブラウスに萌葱色のプリーツスカートだ。最近、明るめの色の服装をよく着ている。最初は抵抗があったが、貞樹はいつも褒めてくれた。これも千歳のおかげだろう。
一方の貞樹は教室があったために黒いスーツ姿だが、緩めたネクタイがとても色っぽい。少し見える肌を意識してしまい、慌てて預かったコートを近くの縁にかけた。
「わ、わたしも手、洗ってきます。ソファに座ってて下さい」
頷く貞樹から逃げるように、洗面所へと駆け込んだ。手を洗い、かけてあったハンドタオルで手を拭う。居間に戻れば、ソファに座りながら辺りを見回す貞樹の姿がある。
「あの、コーヒーとお茶、どっちがいいですか? ペットボトルのものですけど」
「それではお茶をお願いします。料理は理乃が最初、作りますか?」
「は、はい。少し時間がかかるから……動画を見ながら待っていて下さい」
キッチンに買い物袋を運び、冷蔵庫に入っていたほうじ茶をマグカップに注ぐ。隆哉用のものではなく、以前瑤子とショッピングした際に買っておいた新しいものだ。
貞樹に茶を手渡し、テレビをつける。リモコンを使って動物の動画をかけると、タイミングよく画面に兎――垂れ耳のホーランドロップが映った。それを見る貞樹は嬉しそうだ。
「似ていますね、やはり」
「何がですか?」
「あなたとこの兎がですよ」
「え、に、似てません。わたし、こんなに可愛くないです」
「最初に会った時から似ていると思っていたのです。まあ、昔から好きなのですが。本物のあなたの方が数倍も可愛らしく、好きですね」
とんでもないことを言われた気がして、理乃は顔が熱くなるのを自覚した。返事もろくに返せず、またもや逃げ去るようにキッチンへ戻る。
「お、お味噌汁作りますね……」
「楽しみにしています」
貞樹は小さく笑い、また画面に視線をやった。少しはリラックスしてくれているのだろう、そう思い、理乃は冷蔵庫から味噌と豆腐、ネギを出す。具材の切り方もまだ下手だが、できるだけ食べやすい大きさにカットした。
もたもたしながらも、なんとか手鍋一杯に味噌汁を完成させる。
「できました……」
「お疲れ様です。いい匂いですね。それでは次は、私が腕を振るうことにしましょう」
「何を作ってくれるんですか?」
「味噌があるので、それに合わせた野菜炒めです。調味料も買いましたし」
貞樹がジャケットを脱ぎ、ソファの上に畳んで置く。シャツの袖を捲って立ち上がった。洗い物を終えた理乃は、貞樹と入れ替わるようにキッチンから出る。
「ああ、理乃。忘れていました」
「はい?」
立ち止まった瞬間、頬にキスをされた。ぼっと全身が熱く火照る。
「さ、貞樹さんっ」
「これがないと英気を養えないので」
不敵に微笑む貞樹の台詞に、理乃はうう、と小さく唸って縮こまる。料理を覚えようと貞樹の手並みを拝見しようとしたのに、こんなことをされてはまともに面も上げられない。
「では台所と調理器具をお借りします。白米はパックでしたね、確か」
「そうです……電子レンジで温めておきます……」
真っ赤であろう顔を背け、キッチン近くの棚からパック飯を取り出す。その間にも貞樹の手は休みなく動き、次第に野菜と調味料が合わさる香ばしい匂いが立ち上った。
理乃は皿などを用意し、シンクの端に置く。貞樹が味噌汁やご飯も装ってくれ、白一色の味気ない食器は、できあがった食事によって美味しそうに彩られた。
「できあがりました。さあ、食べましょうか」
「美味しそう。楽しみです」
二人で料理を運び、並んでソファに腰かける。シメジと豚肉、キャベツなどを合わせた野菜炒めは味噌とごまの風味が香ばしい。手を合わせる貞樹に理乃も静かに倣った。
「ではいただきます。メインの味噌汁から、ですね」
「あの、本当、美味しくなかったら……」
無理しないで、と言う前に貞樹が腕に口をつける。今になって色々心配になった理乃は、固唾をのんで貞樹の様子を横でうかがうばかりだ。
「……美味しい」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。鰹節のダシと塩味が丁度いい。これが理乃の実家の味なのですね」
「うぅん……二年も実家に帰ってないので、どうなのかはわかりませんけど」
「ではこれは、理乃だけの味ですね。本当に美味しいですよ。毎日飲みたいくらいです」
「よかった……」
少しでも貞樹を喜ばせることができた、その事実に胸を撫で下ろす。
「理乃がご実家に戻られないのは、何か理由があるからでしょうか?」
「電話が来るから、それでいいかなって。貞樹さんのご実家はドイツですよね?」
「今は両親共に東京にいますよ。私が札幌に来た際、葉留がくっついてきたのです」
「そうなんですね。池井戸先生の旦那様も、やっぱりピアノ関係なんでしょうか」
「調律師ですよ。大手メーカーに所属しているので、私もお世話になっています」
食事をしながら、二人で会話を弾ませる。野菜炒めや白米も平らげたあと、貞樹が味噌汁のお替わりまで頼んでくれて純粋に嬉しかった。誰かと食べるご飯は確かに美味いが、それが貞樹となら余計美味に感じる。
食器を片付けた理乃は、お気に入りの紅茶を入れた。飲みやすいディンブラだ。
「明後日はお姉さんの墓参りですね」
「……はい」
再び貞樹の隣に腰かけ、紅茶を手渡しながら頷く。
「そう言えば上江君と理乃のお姉さんは……莉茉さんは恋人同士だったとか。彼も来るのでしょうかね」
「多分、来ると思います。上江さんは毎月十五日、必ず墓参りをしていますから」
「二年という月日は長いようで短い……理乃」
「なんですか?」
「あなたと上江君の関係を、話してもらうわけにはいかないでしょうか」
カチャリとソーサーに置いたカップが、震える。は、と嘆息めいた吐息が漏れ出た。
「それ、は……」
「どんなあなたでも私は受け止めたいのです」
目線がかち合う。どこまでも穏やかな、凪みたいな視線は優しく、甘えてすがってしまいたい気持ちに駆られた。けれど、恐ろしい。嫌われるのがどうしようもなく怖い。
「話すのはやはり嫌ですか?」
「……怖い、です。だって、本当のわたしを知ったらきっと、貞樹さんは……」
「あなたを嫌いになる?」
貞樹の言葉に、理乃はうなだれて首を縦に振る。
「理乃」
そっと両頬に手を当てられた。そのままゆっくり顔を持ち上げられる。すぐ側に貞樹の微笑みがあった。自信と真摯に溢れている笑みが。
「あなたがそう言ってくれて嬉しいですよ。嫌われたくないと思う心は、少なからず私に好意を持ってくれているという証なのですから」
「貞樹さん……わたし……」
「聞かせて下さい。あなたの弱さも脆さも、私はほしい」
諭すような、ひたむきな言葉に勇気、という単語が頭に浮かんだ。貞樹はいつでも自分と真剣に向き合ってくれる。その思いに応えたい。
震える手で、貞樹の手の甲に触れた。食事のあとのためか暖房のおかげか、いつもより温もりの方が勝っている。
貞樹の言葉と心を信じて、理乃は唇を開いた。全てをさらけ出すために。




