5.放課後女子会
高校から徒歩10分のところにある駅前の商業施設。
1階部分が食料品、2階は衣料品、そして3階に玩文具と生活雑貨のフロアとなっている。
建物自体もそこまで大きくなく、ウインドウショッピングをするには物足りない広さかもしれない。おしゃれなテナントは入っていないが、ひとまず生活に必要なものはここに来れば揃えられる。
それゆえに地元民に長年重宝されてきた場所だ。
その商業施設に隣接するファーストフードがわたしたちの目的地でだった。
2階建ての店内は、カウンターの前に制服を着た若者でごった返していて、注文するまでにかなりの時間を要した。
店内のテーブル席に座れたのは運が良かったからとしか言いようがない。
タイミング良くあいた1階奥の6人がけの席に、わたしとカナメが隣同士で、向かい側の位置に三谷さんと大塚さんがなんとか腰を落ち着けることができた。
「あれー、マリはこんだけ? セットで頼めばよかったのに」
わたしの前に置かれたトレーをのぞきこみ、カナメが不満そうに声を上げる。トレーの上は照り焼きバーガーとウーロン茶だ。
「これから夕飯が控えているから、そんなにたくさん食べられないよ」
食べた分だけ贅肉に変換される体質なのだから、欲に負けて好きなだけ食べ物を胃袋に入れていては必ず後悔する。
いくら食べても太らないカナメとわたしじゃわけが違う。
「ふーん。じゃあわたしのポテトちょっとあげる。つまんでいいよ」
カナメが自分のトレーに横倒しにしていたフライドポテトをわたしのほうへと向けてくる。
「人が我慢しているときに誘惑してきやがって。まぁありがとう。食べたくなったら遠慮なくもらうよ」
「うんうん。マリちゃんはいい子だねー」
「いい子はやめて」
嫌な記憶が脳裏をよぎりついきつめの口調で言ってしまった。
カナメが気にしたそぶりはなく、内心ほっとした。
「栗原さんと築山さんって確か中学も同じだったよね」
「そうだよー。明守中学出身で、しかもずっと同じクラス」
「ふーん。この高校って明守の人結構いるね」
「うん。うちのクラスだったらあと松井さんと菊池君がそうだし、ひとクラスに3、4人はいるんじゃないかな」
カナメと三谷さんがしゃべっているのを聞きながら、照り焼きバーガーをかじる。
わたしたちの通う普通科の高校は、県内でもあまり偏差値が高くない。
そのため市内にある4つの市立中学校から毎年、とりわけ頭がいいわけでもなく、将来やりたいことも定まっていない生徒が進学してくる率が非常に高い。
例に洩れずわたしもその一人だ。
先ほど名前が挙がった松井さんとは、実は幼稚園、小学校、中学校も同じところに通っていたりする。
だからと言って家も近所でないし、クラスが一緒になったのは今回と小学3、4年の時だけなので、そこまで親しくはない。
カナメたちの話題は互いの出身中学からすぐに離れ、高校の部活動のことに切り替わった。
おもにカナメと三谷さんが流れの舵を取り、そこに時々大塚さんが口を挟んでいる。
わたしは聞き手役に徹し、小さく相槌を打った。
話を聞くに三谷さんは軽音楽部、大塚さんはバトントワリング部にそれぞれ入部したらしい。
当然カナメはわたしと同じく帰宅部だ。
「というか今年のサッカー部ってレベル高いよね」
部活の話が出てきた時点で、話題がさっき見ていたサッカー部のことに向かうのは必然だったのかもしれない。
大塚さんが言ったレベルとはおそらくサッカーの技術ではなく、部員の顔を示しているのだろう。
「言えてる。あー、さっきの大西先輩カッコよかったねー」
「うん。佐野君も」
大塚さんと三谷さんがはしゃぎ出し、今度はカナメがところどころに口を挟む形態になった。
わたしは相変わらず傍聴人のまま。
「ぶっちゃけわたし、高校入学してクラスで佐野君見たとき、心臓爆発するかと思った。こんなカッコいい人を一年間近で見れるなんて、このクラスサイコーって舞い上がったよ」
興奮気味に言う三谷さんに、大塚さんが大きくうなずく。
「分かる分かる。たぶんうちのクラスの女子みんなガッツポーズしてたと思うよ」
いいやみんなは違う。少なくともわたしはしていないからね。
「それって入学式の日の話?」
なんとなく浮かんできた疑問を深く考えずに口にした。
佐野君というクラスメイトを今日まで把握できていなかったわたしは当然、入学式の日に彼のことでクラスの女子が浮かれていた記憶がない。
「はあ? っていうか他にいつがあるのよ」
「……だよね。ごめん、忘れて」
三谷さんの口調に刺を感じ、気まずくなって話から外れる。
ちびちびとドリンクを飲んで時間を稼ぎ、その場をやり過ごした。
「マリってあんまり恋愛とかに興味がないもんね。流行とかにも乗らないし。わたしも佐野君の顔はいいと思うけど、好きになるかと聞かれたら首をひねるところがあるかなあ。はっきり言って好みじゃないし」
わたしが言えば反感を買ってしまいそうな言葉でも、堂々とカナメが告げればふたりはそんなものかと納得した。
嫉妬なんてしない。理不尽だと嘆くつもりもない。これがわたしとカナメの人柄の違いというだけだ。
「男子だったら、わたしは佐野君よりも今日来た草野君のほうがタイプかもしれないなー。佐野君ってなんか腹黒っぽそうだし」
「うん、草野君もカッコよかったね。でもわたしは佐野君派かな。笑った時のさわやかな感じがすごくいいし。草野君はなんか無愛想で、ちょっととっつきにくそうだから」
「えー、そのツンツン具合がシャイでかわいいんだよー! まあその分ガードも堅いんだろうけどね、いろんな方面で」
カナメと、話を合わせてうなずく大塚さん。
ふたりとは逆に、三谷さんとわたしは怪訝な顔でカナメを見て硬直した。
おそらくわたしが引っかかったのは三谷さんと同じ部分だろう。
「栗原さん、男子だったらってさっき言ったけど、恋愛対象にもしかして女子も入ってるの?」
いぶかしげに質問をぶつける三谷さんにきょとんとしたカナメは瞬きを繰り返す。そして特に恥じらうそぶりも見せず、あっけらかんとこいつはとんでもないことを口にした。
「うーん、ぶっちゃけわたし、マリにもうちょっと肉が付いたような女の子が好みのドンぴしゃだから」
食べ終えた照り焼きバーガーを包んでいた紙をきれいに小さく畳んでいたわたしの手が止まる。
……何それ?
わたし初耳だよ。
カナメの爆弾発言には、正面に座る三谷さんと大塚さんも引き気味だった。
「え……、栗原さんって、ひょっとしてレズ、とか?」
「いんや。わたしはバイ」
小声で探るように聞いてきた三谷さんにも、カナメはきっぱりと言ってのける。
ひきつった顔をして互いに視線を合わせる三谷さんと大塚さんが考えていることは、手に取るようにわかった。
ふたりがカナメに向ける感情に、次第に軽蔑が混ざっていく。
そんな彼女たちが見せた上辺だけの愛想笑いに、カナメが目を吊り上げた。
「ちょっと! わたしが同性もいけるからって、まさか自分たちもそういう目で見られてるとか思ってんじゃないでしょうね。偏見もいいところ。そういうのを思い上がりって言うんだよ」
カナメの怒りは収まらない。
「あいにくわたしはおふたりにビビっとくる何かは全く感じないし、もしもそちらさんがわたしを好きだと言ってきても、ノーセンキューだからね」
ふたりか。そこは3人って言ってほしいよカナメちゃんや。
「さっきも言ったけど、わたしの好みドストライクはマリをもうちょっとぽっちゃりさせたような女の子だから。絶妙なツンデレ具合とギュっとしたときのふにふに感は、想像しただけでよだれが出そうになっちゃう」
力説するカナメは置いておく。
ひとまず冷静になるため冷たいドリンクを飲み干して、決心する。明日から本格的にダイエットを始めよう。
カナメは友達として好きだけど、わたしの恋愛対象は異性にしかない。
レズもバイセクシャルも、価値観は尊重する。しかし同時にわたしの価値観も認めてほしい。
いくら好みだからって、絶対に太らないからな。
「カナメ、わたしはあんたと生涯の友達でいたい」
「マリちゃんそれすごく嬉しい! でもふられた!!」
大げさに泣きまねをするカナメに、三谷さんと大塚さんは声をあげて笑う。
「いいじゃん築山さん、一回付き合ってみたら?」
「栗原さん、一途に尽くしてくれるよきっと」
他人事だからと調子に乗ってからかいやがって。
心の中では悪態をはきまくるが、間違っても表情にまで出したりはしない。
ごまかすように苦笑して、ストローに口をつける。
紙コップの中はまだ溶けていない氷ばかりで、水分を補給することはできなかった。
「恋とか、今はあんまり興味ないから。他にやりたいこともいっぱいあるからね」
無難な言い訳をして逃げたけど、特別好きでのめり込んでいるものがわたしにあるわけじゃない。
三谷さんと大塚さんの意識がわたしからそれるのは早かった。
ふたりはカナメに対して、他にどういう人間がタイプなのか、バイセクシャルの心境などを根掘り葉掘り聞いている。
こっちは完全に蚊帳の外だ。
だけど話の中心じゃなくて聞く側にいるほうが息はつまらない。
ダイエットをすると意気込みながらも、カナメの前にあるフライドポテトを1本つまんで口に入れた。
好きな人ができる日なんて、きっと来ない。
誰かを好きになって、自分の全てを尽くして愛したところで、もしもその人が突然消えてしまったら……。
悪い予想ばかりが先行し、わたしを臆病にする。
もうあんな思いは二度としたくない。大好きだった人たちが世界からいなくなったとしても、悲しみは誰にも理解されないまま。心にぽっかり穴が開くばかり。
大切だと思える人さえいなければ、悲しみに暮れる心配もなくなる。
帰り道はファーストフードの前で三谷さんと大塚さんと別れ、カナメと一緒に自転車で走った。
わたしたちの通っていた明守中学校は、ふたつの小学校の通学区域が統合した市立の中学校だった。
カナメとは小学校が別々で、中学から一緒になった。
学校ではカナメがさぼらない限り常に一緒にいるわたしたちだけど、互いの家の正確な場所は知らない。
彼女の通っていた小学校区、隣の市との境にある河川沿いのどこかだろうと認識している程度だ。
気心の知れた相手とのたわいない会話をしながらの帰路は、あっという間に別れ道まで来てしまう。
さっきの衝撃的な告白は何だったんだと思うぐらい、カナメの態度はいつもと変わらなかった。
国道を渡って市の北西にある河川へと続く道に行くため、カナメの自転車は信号で停止した。
止まらず道をまっすぐ行くはずのわたしも、カナメが信号を渡るまでだけ自転車のペダルから足を離す。
「……わたしも、カナメが好きだよ」
交通量の多い道、車のエンジン音にかき消されそうなほど小さな声で呟いた。
聞こえなくても別にいいという気構えだったけど、カナメにはばっちり聞こえていたようだ。目を見開いて固まった後、口だけを動かしてきた。
「キタコレ」
「勘違いしないでよ。あくまでもラブじゃなくてライクのほうだからね」
「マリちゃんツンデレ! でもそこがいい!!」
「はいはい」
テンションが最高潮に達したカナメに余計な期待をさせてしまったかと少し後悔した。
でもね、恋とかはよく分からないけど、カナメがわたしの中で特別なのは本当だ。
失いたくない大切な友達。
冗談を言い合える、わたしにとって数少ない本当の友達なんだ。
国道を走る車が止まり、カナメの進む信号が青になる。
「それじゃ、また明日」
「うん。明日もちゃんと登校しなよ」
「ザッツライト! マリのためになら喜んで!」
最後の最後まで騒がしいまま、わたしとカナメは別れた。
ペダルを強く踏みしめて自転車は次第に加速する。
カナメと帰るときはいつもそれぞれの道に分かれるこの時が苦痛で仕方がない。
本当に、「また明日」があるのだろうか。
もしも次の日学校に行って、栗原カナメという存在が世界から消えていたら——。
想像しただけでぞっとする。
わたしにとってきっとカナメは人の社会で普通に生きるための最後の砦なんだ。
カナメになら、いつかわたしの人とは違うおかしな部分を打ち明けられるかもしれない。
いなくならないでという本当の願いすら彼女に伝えられないままだけど。切実に、望む。
明日も、その次の日も——、ずっとずっと変わらないまま、わたしはカナメと一緒にいたい。