3.草野カズナリ
これまでも不思議な出来事に何度も遭遇してきたけれど、それは決して頻繁に起こるものじゃなかった。
人が消えるのだって、1年に一度あるかないかぐらいの頻度だ。
一昨日にわたしの前から人がふたりも消えたのは記憶に新しい。
本当に人がいなくなったかどうか真相は定かでないものの、わたしとしてはクラスメイトがいなくなってしまったのだから、「消えた」ということにしておく。
三者懇談があった次の日。
登校したわたしは怪訝に思いながらもいつものようにクラスの机を数える。
いや、本当は教室を見た瞬間から何かがおかしいのはわかっていた。机の並びがどう考えても昨日と違う。
……何があった?
実際ひとつひとつ数えた結果、机は38台。昨日より2台増えている。
……転入生か。誰かそうだと言ってくれ。
教卓に貼られた紙が示すわたしの座席の位置は、昨日と同じ場所にあった。
教壇に上がって前から教室を見渡す。
昨日の帰りまでは縦に6台、横に6台で並んで計36台だったはずの机が、窓際の2つの列にそれぞれ机が一台ずつ追加されている。これは大型連休前のクラスの並びと同じだ。
再び座席表を見て、増えた席に座る生徒の名前を知った。
——草野カズナリと、佐野ヨシアキ。
カズナリって、ひょっとしなくても昨日の彼か?
……どうなっているの。
とりあえずは自分の席について、クラスメイトが登校してくるのをひたすら待つことにした。
こんな日に限って、8時を過ぎても誰ひとり教室に入ってこない。
ようやく登校した男子は、顔こそ覚えたが名前はまだ朧げな人だった。
しかし背に腹は代えられない。
「ねえ!」
教室に入るなりあいさつもなしに話しかけたわたしに、男子生徒は若干引き気味になる。
「なんだよ」
「このクラスって、何人だったっけ?」
「……37人だが、それがどうした」
当然のごとく答えられたけど、昨日の安達さんの答えと違う。ひとり増えてるよ。
それに——。
「教室の机、38あるんだけど」
すがるような思いだった。名前も分からない彼が少しでも異変に気付いてくれたらと、期待していたんだ。
「あ? それって前からだろ。空いた机がいっこあるのは。何がおかしいんだ?」
怪訝な顔をされて、わたしは慌てて首を振る。これ以上の追及はまずい。
「ごめん、なんでもない。わたし、クラスの人数今知ったみたい」
「はあ、遅すぎじゃね? もう5月だぞ」
ははは、と乾いた笑いで男子生徒をかわして机に伏せる。
おかしい。入学式の日、クラスには38人の生徒がちゃんと机に座っていた。
連休明けの朝、安達さんはクラスの人数が36人だと言って……、昨日の机は36台並んでいたはずだ。
きつめに目を閉じても、先程教室を見渡した時の映像が鮮明に頭をよぎる。
当り前のように並んだ、後ろの机。——本当に、どうなっているのよ。
予鈴が鳴ってすぐ、「彼」は男子の集団に紛れて登校してきた。
昨日は暗くてよく見えなかったけど、声で判別がついた。間違いなく夕方教室に残っていたうちのひとりである。
男子たちとふざけ合う姿は、まるで入学当初から彼がここにいたのだと証明しているようだった。
……いいや。
わたしはあんな人がクラスメイトにいたなんて知らない。
ヨシアキと呼ばれる彼は、日焼けを知らない色白の肌に細身の長身の生徒で、友人であろう男子が肩に腕を回してくるのに人懐っこそうな笑みを浮かべていた。
男子の集団がふざけ合って、その話を聞いていた周囲の女子も一緒になって笑っている。
こんな目立つ人を、わたしは入学してから今日まで気付かなかったというのか。そんな馬鹿な。
混乱しながら佐野ヨシアキ君を見つめていると、目があってしまった。
ふっと微笑んで首を傾げられる。
頭から血の気が失せるような気がした。
社交辞令でこっちも笑い返してとか、今のわたしにはそれどころじゃない。
黒板を見るように勢いよく顔をそらして、やってしまったと後悔した。
この反応、おかしな人だと思われてしまわないだろうか。
人生の中で、人が消える事態にはこれまでも遭遇してきた。
わたしはその都度多少の動揺は見せつつも、それでもなんとか周囲に合わせて今日まで生きてきたのだ。
だけど、このケースは今回が初めてだ。周りが気付かぬうちに人が増えるなんて、これまでに一度もなかった。
クラスに上手く順応できるか不安でたまらない。
「マーリー、おっはよー!」
遅刻ギリギリで、ハイテンションなカナメが登校してきたのには心の底から安堵した。よくぞサボらないで来てくれた。
「ねえ、ねえ。今日の放課後、駅前行こうよ。新作バーガーがすごく食べたいの!」
本鈴を無視して喋り出すカナメに苦笑する。
今のわたしには彼女がいてくれることがどうしようもなく嬉しい。
「いいけど、授業途中でサボってひとりで行ってしまわないでよ」
「当然!」
「あと、わたし今日保健委員の当番だから、放課後はちょっとだけ残るよ」
「ばっちこい! いくらでも待たせていただきます!」
「もうひとつ言えば、わたしがあそこで頼むのはテリヤキだから」
「ええっ!?」
「おーい、栗原あー。ちゃんと登校したのは偉いが席に付こうかー」
棚上先生の注意を受け、こころなししょんぼりしとしたカナメは自分の席に戻っていった。
ごめんね。わたしは新商品に冒険するより確実においしいのが食べたいよ。
いつもの号令から始まった朝のホームルームだが、今日は少し事情が違った。
「入学式の日に話したと思うが、今日ようやくこのクラスも全員揃うことになる」
棚上先生がそう言って廊下に顔を出す。
先生の指示で教室に入ったひとりの男子生徒が壇上に上った。
——カズナリ。
口の中でその名を呟いて、食い入るように彼を見つめる。
でもその前に、入学式で先生はわたしたちになんて言ったって?
遅れて誰かが入学してくるなんて聞いてないよ。
朝に喋った男子だって転入生がどうとかいってたじゃないか。
日に焼けた肌をした彼は、釣り上がりがちな目でクラス全体を見つめていた。
緊張しているのか、クラス全体を睨んでいるようにも思える。
「家庭の事情で1カ月登校が遅れたが、今日からこのクラスの生徒だ」
「草野カズナリです。よろしくお願いします」
落ち着いた低い声で彼は先生に続いて自己紹介して、わたしたちに頭を下げた。
「席は、分かると思うが一番後ろの空いているところだ。黒板が遠くて大丈夫か?」
「目はいいほうなんで、問題ないです」
草野君は指定された席に向かって歩き出す。
自分の心臓がうるさい。わたしの横を通る時も、彼はこちらに見向きもしなかった。
「よろしく。俺は佐野ヨシアキってんだ」
「ああ。佐野でいいか?」
「ヨシアキでいいよ。みんなそう読んでる」
「そうか。じゃあ俺もカズナリにしておいてくれ」
「了解。カズナリ、な」
後ろから聞こえる声にちょっと待てと言いたい。
そんなよそよそしい会話しなくても、あんたら昨日普通にふたりでこの教室にいただろう。
それともなんだ。昨日わたしは予知夢でも見たのか?
ホームルームが終わる。
クラスの男子が教室の後ろに集まり、佐野くんと草野君に話しかけている。
女子もそわそわと彼らをうかがう。
話しかけたいけれど男子の集団に入るのは気が引ける。そんなとこだろう。
新しいクラスメイトが増えて、どことなくよそよそしい空気のまま授業は進んだ。
草野カズナリという生徒は、最初こそ人と話すのに緊張をみせていたが、すぐにこのクラスに順応してみせた。天性の才能だろう。
1カ月以上ここにいるわたしよりも馴染むのが早い。
物怖じしない明るい性格と、はっきりとした喋り方。
佐野君とは気が合うらしく、ふたりを中心に休み時間には男子が輪を作って盛り上がっている。
自然と話の引っ張り役になっている佐野君は、とにかく目立つ。まさにクラスのリーダーだ。
あんな存在感のかたまりのような人を、わたしは今日まで気付かずに過ごしていたというのか。
佐野君のことはすごく気になる。
だけと本人に「あなた昨日までこのクラスにいた?」なんてとてもじゃないけど聞けないし。
わたしは誰からもおかしな人間だなんて思われたくない。人から変に思われたうえに注目をあびるなんて、嫌すぎる。
わたしの頭は普通じゃなくても、普通を演じて日常生活を送れているうちは一般人の中に分類されてもいいはずだ。
悶々と悩んで迎えた昼休み。
「築山さんってさ——」
自分の席に座って五限目である現代文の教科書を眺めていると、教室内で誰かがわたしの苗字を口にした。
女子の声。誰かがわたしを話題にしている。
耳に入ってきたのは築山という単語だけで、あとにどんな言葉が続いているのかまでは聞き取れなかった。
……どうしよう。うわさされてる。悪口かもしれない。
思考は悪い方向にばかり流れてしまう。
教科書に顔をうずめてひとまず気持ちを落ち着けた。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせている時点で、わたしはちっとも大丈夫じゃない。
「何、読めない字でもあったの?」
前の席の椅子を陣取って、わたしの机で弁当を食べていたカナメが首をかしげてからかってきた。
たったそれだけ。
だけどカナメの声はわたしにとって、泥沼のマイナス思考に歯止めをかける魔法の声だ。
「違う。まずこの教科書をわたしは今読んでない」
「駄目じゃんそれ。現代文の教科書を読書じゃなくて観賞に使う人って初めて見たよ」
いや、別に見て楽しんでるわけでもなく、なんとなく開いているだけなんだけどね。
カナメと話していると、不安が自然と和らいでいく。
冷静になった頭で肩のコリをほぐすように首を伸ばしながら、さりげなく教室内を見渡した。
いくつもある女子の集団の中、ちらちらとわたしのほうを窺ってくる人たちを見つける。
まだ顔と名前の一致しない人もいる中、問題のグループで三谷さんだけははっきりと分かった。
昨日の三者懇談前に会って話した時、おかしなことでも口走っただろうか。
心当たりは全くない。
三谷さんの視線に気付いたふりをして顔を彼女に向けると、気まずそうにそらされてしまった。
今朝わたしが佐野君にしてしまったのと同じだ。失敗が心に刺さる。
敵意をもって睨んできていない分まだましだけど、これはこれで気分が悪い。
わたしが一体何だと言うのか。
不思議に思ったところで、わたしには三谷さんに直接聞いてみる勇気などあるはずもない。
まったく、今日はとんでもない一日だ。
前からいたはずなのに今日存在を知った佐野ヨシアキ君。
知らされていなかったクラスメイトの草野カズナリ君。
わたしのことを噂しているらしい三谷さんたち。
全て気になるけれど、真実を確かめられない。
弁当を食べた後に、購買で買ってきた菓子パンをかじるカナメはだけいつも通りだ。
奇怪な変化は起こってしまったが、わたしが密接に関わっている部分じゃない。
だから、大丈夫。
クラスの男子となんてほとんど喋らない。
女子のクループだって、邪険にされたわけではなさそうだし。
だから、問題ない。
教室内の居心地の悪い空気に耐えながら、放課後を迎えた。
この高校の保健委員には、定期的に液体せっけんの補充当番が回ってくる。
昨日に引き続き放課後は懇談会のため、授業終了と同時に生徒は教室を追い出された。
カナメには昇降口で待ってもらい、わたしはさっさと仕事を終わらせようと保健室に向かう。
「失礼しまーす」
目的地のドアを開けると、白衣を着た若い女性が職員机に座っていた。……あれ?
「どうしたの?」
「あっ、や……いえ、保健委員の当番で来ました」
「あら、ご苦労さま。じゃあこれお願いするわね」
白衣を着て、軽くウェーブのかかった明るめの茶髪を後ろでひとまとめにした美人は、水場近くの床に置いてあった1,5リットルのペットボトルを渡してきた。
中身は透明な緑色をした液体せっけんだ。
「……どうかしたの?」
ペットボトルを受け取った後も彼女の顔を見つめていると、白衣の美人がは首をかしげる。
「……ええっと、保健の先生って変わったんですか?」
4月にあった委員会の集まりで紹介された養護教諭は、もっと年のいった中年のおばちゃんだったはずだ。
こんな青少年の健全な教育によろしくない、スタイル抜群なお姉さんではなかった。
「……ええ。前任の先生はご家庭の事情で退職されて、後任にわたしが入ったの。近衛ミチルよ。よろしくね」
そう言って近衛先生はウインクをかます。
この行為は美人じゃなかったら大顰蹙だろうな。
なんて考えている場合じゃない。こっちはカナメを待たせてしまっている身である。
近衛先生との話は早々に切り上げて、担当になっている校内の水場へと急ぐことにした。
担当場所を全て回り、半分以下になったペットボトルを保健室に返却しすればわたしの仕事は終了だ。




