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12.彼女は旦那か、番犬か




所詮その記憶は、私の頭の中にしか存在しない。


共有できる誰かや何かがないというなら、過去の体験が現実だったと証明することは一生叶わないだろう。







テレビから流れる朝の報道番組をリビングのソファに座って眺める。いつもならとっくに家を出てしまっている時間帯だ。

番組終了間際、今日の星占いの結果がランキング形式で発表された。わたしの星座であるしし座は6位。ラッキーアイテムはアロマキャンドルとのこと。普通すぎて話のネタにもなりやしない。


朝食を食べてからこうしてくつろいている間に、茂さんは仕事へ行ってしまった。美子さんは洗い物を片付けたり、洗濯機を回したりと慌ただしく動き回っている。

両手にいっぱい、山のように乾いた洗濯物を持って、美子さんが2階から降りてきた。

わたしの前を通り過ぎると、リビングの奥にある畳のスペースに手に持っていた洗濯物をおろす。



「今日はゆっくりなのね」


「うん。友達と約束してるから」



畳の上で正座をして、膝の上で衣類をたたむ美子さんが嬉しそうにはにかんだ。



「そう、それは楽しみね」


「うん」



ここは迷うことなく頷いた。誰かと登校するのは本当に久しぶりだ。心が弾む。


ソファの上で体をひねってうつぶせに寝ころび、テレビの音をぼんやりと聞きながら畳に座る美子さんの作業をじっと観察した。

タオルや衣類を素早く正確にたたんで、てきぱきと積み上げていく様は職人のごとく手慣れている。

茂さんのカッターシャツが小さな山の中に残っているは、後でアイロンをかけるからだろう。


テレビから流れる音楽に混じって、外からカラスの鳴き声がした。そういや近所の鉄塔にカラスが巣を作っていたな。



「美子さんは、さあ……」


「どうしたの?」


「わたし、もうちょっと太っても大丈夫だと思う?」



沈黙に気まずさを感じ始めていたとはいえ、考えもなしにおかしな質問をしてしまった。


恥ずかしさは後から来た。

美子さんはバスタオルをたたむ手を止めて、きょとんとした顔をわたしに向ける。


どうしよう。おかしなことを聞く子どもだと思われてしまっただろうか。



「そうねえ。マリちゃんは痩せてるってわけじゃないけど、太っているとは言えない体型でしょう。成長期の無理なダイエットは大人になってから体にマイナスの影響が出てきたりもするし、そんなに体型のことを気にする必要はないんじゃないかしら」


「う……ん」



曖昧な返事をしながら言われたことを整理する。

どうやら美子さんはわたしが自分の体型を気にしているのだと勘違いしてくれたみたいだ。


質問の趣旨はあってないようなものだったので、これはこれでよしとしておこう。

首をかしげた美子さんのさらさらな前髪が顔にかかる。

わたしを安心させようと微笑んだ美子さんは、日焼けを知らない細くて長い指で前髪を耳にかけ直した。



「おいしそうな食べ物は、カロリーとか気にせず好きなだけお食べなさいね。まだまだ縦にも伸びる年ごろでしょうし」



ねっ、と同意を求めて首を軽く傾けるだけで、美子さんのくせのない痛み知らずな髪は、またもや耳から逃げ出して顔を隠した。



「……そう、だね」


「そうよ。食べられるときに食べておきなさい。年をとったら胃も縮んで、若いころみたいに油ものをたくさん食べるなんてできなくなるんだから」


「うん。そうする」



そろそろ家を出ないと、待ち合わせに遅れてしまう。

勢いをつけてソファから立ち上がり、ダイニングテーブルに用意されたお弁当とお茶の入ったペットボトルををカバンの中に放り込む。



「行ってきます」


「行ってらっしゃい。気をつけてね」



美子さんの弾んだ声を背中に聞いて、玄関から外へと飛び出した。


ガレージから自転車を出して、風のない晴れた道をひたすら走る。

天気予報で少し前に梅雨入りが発表されていたけれど、この地域は週間予報で雨マークの表示はひとつもなかった。


朝の気温も次第に暑くなりだして、自転車をこいでいると背中が汗ばむ。

国道を進み、道の反対側にコンビニがある信号にたどり着いた。


いつもは帰り道で、さよならを言う場所であるそこには、すでに彼女の姿があった。

意外だ。少しは待つことになるか、最悪寝坊か何かで来ないかもしれないと予想していたのに。


カナメの明るめの茶色い髪は遠くからでもよく分かる。

信号の下、歩道の脇で自転車にまたがりながら、だるそうに前かがみでハンドルにもたれかかっていたカナメが振りむいた。

徐々に近づいていくわたしが手を振るとあいつは勢いよく姿勢を正す。

はしゃいで大きく手を振って返してくる姿に思わず苦笑した。



「おはよう、マリ!」


「うん。おはようカナメ」



ふたり並んでこぎ出した自転車は、普段より心なしか軽く感じられた。


初夏の田んぼは田植え当初の倍以上に稲が育ち、一面が緑色に覆われつつある。稲の茂る田んぼの奥に、水の引かれていない茶色い土がむき出しになった土地が見えた。どうやら麦の収穫が終わったようだ。

例年通りだと、これからあの土地には大豆が育っていくんだろうなとぼんやり考える。


そんな通学路の景色観察も、カナメが話しかけてきてすぐに頭から吹き飛んだ。

くだらない話題で盛り上がってふざけていると、道端に停車していた軽トラックにぶつかりそうになり、あわてて回避し、また笑う。

楽しいと、心から思える時間だった。


昨日の今日で三谷さんたちと顔を合わせるのは少し緊張するけれど、それ以上にカナメと一緒にいられるのが嬉しかった。


朝の予鈴が鳴る5分前。いつもより遅い登校だ。

自分の席にカバンを放り投げたカナメはさっそくわたしのところまで来て、前の席の椅子に座る。



「眠いー。けど朝イチで学校来るのも悪くないね。自転車こいでても涼しいからそんなにしんどくない」


「そんなものかな」


「うん。今でも日中の日差しはやばいよ。初夏ってレベルじゃないもん」


「じゃあちゃんと朝から学校来ようよ」



机に伏せたカナメの髪をなでてみる。

定期的に染めているはずなのに、ちっとも傷んでないな。



「えへへ。マリと一緒ならそーする」



机に側頭部を付けて見上げてくるカナメは、今にも寝てしまいそうなほど目が細められている。

この調子だと1限目は爆睡だろう。



「あっ、おっはよう! 築山さん、栗原さん!」



後ろからしたいきなりの声に肩がびくりと上下した。

振り返らなくても分かる。三谷さんだ。

次はなんと言って罵られるのだろうか。責められるのは嫌だなあ。


彼女の声を聞くだけで心臓が大きく脈打って、体が拒絶を示してくる。


リラックスモードだったカナメも上体を起こす。

後ろを見る間もなく、駆け寄ってきた三谷さんは朝の眠気など微塵も感じられない笑顔でわたしの机の横に立った。



「……おはよ」



緊張して声が小さくなったのは仕方がないとしてほしい。カナメはわたしと違い無言を貫いている。

対する三谷さんは笑顔満点。こっちの警戒に全く気付いていない。


いや、こっちの態度を気にしていないだけか?



「栗原さんが朝からいるって珍しいね! きっと棚上先生も大喜びなんじゃないの?」



だけどちょっと待ておい、そのフレンドリーなテンションは何だ。



「……かもね」


「ていうかさ、ほんとに栗原さんと築山さん、いつもくっついてるよねえ。もう結婚しちゃいなよー」



あははは、と自分で言ったことにひとり笑う三谷さんに、もはや苦笑しか出てこない。

どういうつもりだ。昨日の今日でこの接し方。


もしかして、この人は昨日の一件、なかったことにしているのか……?


その後も三谷さんは、大西先輩の話や昨日のことには一切触れて来ず、一方的に一通り喋った後友人に呼ばれて教室の外へと行ってしまった。



「なにあれ?」



教室のドアを睨みながらカナメがこぼす。



「あれ、絶対昨日自分がマリに言ったこととか、勝手に水に流すつもりだよ。悪いと思ってるならまずはごめんなさいだろ」



不満をぶちまけるカナメをなだめながら考える。

三谷さんにとって、わたしは自分よりはるかに格下の人間なんだろうし、謝るってのはプライドが許さないんじゃないのかなあ。



「別にもういいよ。こっちから掘り返してまた険悪な仲になるより、表面だけでも元の付き合いに戻っている方が気が楽だから」


「マリがいいって言うなら、いいけどさあ……」



唇をとがらせて拗ねた表情をしながらも、カナメは一応納得してくれた。

いいんだよ。本音でぶつかり合って友好を深めたいような人でもないからね。

できればあんまり関わりたくない人なんて、上っ面だけ当たり障りのないぐらいに仲好くしていたら十分だよ。


ホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴った。

三谷さんの予言通り、朝のホームルームにカナメが出席している事実を棚上先生はこれでもかというぐらいに褒めちぎった。



「……先生大げさすぎ。注目されて恥ずかしいったらありゃしないよ」



ホームルーム終了後にカナメはそう愚痴っていたが、わたしの見立て、ただ照れているだけでまんざらでもなさそうだった。



カナメは宣言通り、その日から毎日真面目に学校に来て、わたしと行動を共にしてくれた。

授業態度は相変わらず寝てばっかりで決していいとは言えないけれど、問題児の改心に棚上先生が大喜びだったのは言うまでもない。


クラス内の人間関係も円滑で、あの一件以来表立ってこちらに不平不満をぶつけてくる人はいなかった。

周囲にいる人たちが心の中で何を思っているかなんて、わたしの知る由もない。


カナメが隣にいるだけで、これまでびくびく怯えていた些細なことがどうでもよくなっていく。


何より心強いのが、あの厄介な大西先輩に遭遇してしまった時の対応だ。



「おっ、マリちゃんだ」



次の授業が特別教室のため廊下を歩いて移動していると、前方に大西先輩が見えた。

無意識に足を止めたわたしの手をカナメが強く握り、険しい顔で相手の前に立ちはだかる。

あからさまに威嚇されても怯まない大西先輩は、やっぱり何かが変だ。


「ふたりとも、ここんところよく一緒にいるよね。仲いいんだよねー、妬けるなあ」



口ではそう言っているが、本当のところはどうだか。

彼がカナメの出現を面白がっているように感じるのは、杞憂だろうか。



「うらやましいでしょ。ざーんねーんでした―。わたしとマリはらぶらぶだから、先輩が立ち入る隙なんて微塵もないんですよーだ!」



そしてカナメ、あんたもあんまり煽るんじゃない。

だけど知り合った当初に比べて、わたしも大分彼に対して耐性が付いてきた。


カナメが大西先輩の作る嫌な空気を片っ端からぶち壊してくれるおかげだ。



「カナメ、いいからもう行こう」



カナメが握ってくれた手をわたしからも握り返して引っ張った。



「次の授業が始まりますので、失礼します」



事務的に言い捨てて、先輩の横を通って先を行く。

大西先輩が今どんな顔をしているかなんて、怖すぎるから振り返るなんてできないけど。冷たくあしらえるくらいにはわたしも成長した。


カナメがそばにいてくれるから、強くなれる。


四六時中行動を共にするわたしとカナメに、クラスの女子が茶々を入れることも少なくない。

あまりにも仲が良すぎだとか、実はできてるんじゃないかと、からかいながら質問されることもかなりの頻度である。



「はっはっは、その通り! マリはわたしの嫁だ!!」



女子たちがふざけるたびにテンション高めにカナメが調子に乗って返すものだから、いつしかわたしのクラス内でのあだ名は「栗原の嫁」となってしまった。




6月中旬になると、少し前までは一限から6限までちゃんと授業に出席していたカナメも、つまらない授業は部分的にさぼる問題児な性格をぶり返しだした。


登校と下校はわたしと共にするのだが、2限か3限くらいにふらっと消えて、昼休みにまた教室に戻ってくるのだ。

本人いわく、人目の付かない寝心地のいいところで昼寝にいそしんでいるらしい。



「栗原ー、お前またさぼったらしいなあ。先生方が心配していらしたぞ」



さぼりを再開したカナメに、昼時を見計らって棚上先生が注意をうながしに来ることもしばしばだ。



「えー、どーせあの先生たちが言ってたのは心配ごとじゃなくて文句でしょうに」


「お、れ、が、お前を心配してんだよ。おい嫁、お前も旦那の首根っこぐらい掴んどけ」



そして毎回、ふたりで昼食を食べているものだからわたしも当然のようにとばっちりを食らう。


にしても……。

くそう、棚上先生までそのネタを持ち出すようになったか。



「嫁っていうより、保護者って言われた方がわたしの中ではしっくりくるんですけど」



わたしは何の監督責任もない放任主義だけど。とは心の中で付け足しておく。



「保護者っていうよりも、どっちかというと飼い主の方が正しくないかな?」



後ろからした佐野君の声に複数の笑いが重なる。

聞いてたのか。ていうかここで話に入ってこないでよ。

後ろを向くと、面白そうに笑う佐野君と今日も今日とて仏頂面の草野君が弁当を広げていた。


突然の一言に目をぱちくりとさせたカナメが、いきなり嬉しそうに手を上げた時は驚いた。



「ワン! わたしはマリの番犬です!」


「いやいやここは怒れ。けなされていることを察しなさい」



単純すぎるカナメの思考に思わず素で突っ込むと、教室中から先ほどよりもさらに大きな笑いがおこる。

どんだけのやつが聞き耳立ててたんだよ。


この昼休み、クラスはひとつになった。

実に不本意な一体感だ。


クラスでのわたしの立ち位置は、相変わらず危うい。

カナメがいてこそのわたし。カナメがいなければ、わたしなんて誰の目にも留まらない背景に等しい存在にしかならない。


だけど、たとえ引き立て役に思われていても。

ただの金魚のフンのようにしかみんなからは思われていなかったとしても、わたしはここにいたい。

カナメを通して馴染んでいるだけのクラスだけど、今の教室は居心地が良かった。






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