3.救助
「要救助者の状態は!」
雨音に負けないようリシーは声を張り上げた。縄を橋の欄干に括り付け、自ら中継地点になるようにその縄を抑えている男、デティが同じく声を張って返事する。
「まだ大丈夫だ、でも急いだ方がいいぞ!」
少し身を乗り出し見てみると、縄の先を右手に巻き付けながら両手で抱えるようにしてなんとか掴まっている状態の男がいた。苦悶の表情を浮かべていてデティの言うようにもう、少しの余裕もなさそうだ。
「左足に何かが引っかかってるかもしれない、さっきからずっと気にしているみたいだ」
「わかった。すぐに準備するから、そのまま声をかけ続けて」
「はいよ」
背中の荷物を下ろし、待機していた二人に声をかける。
「ベーアは私の補助、ダクスは引き上げをお願い。足元の障害物は私が何とかする」
「わかりました」
命綱を新たにつけながらすぐに準備を始めたダクスの横で、大男の隊員、ベーアはリシーに一歩近づいた。
「俺も行くか? 荒れた水は危ないぞ」
頭二個分ほど上のベーアの心配する目を見てリシーは首を振る。
「危ないことは重々承知してるよ。ベーアは何かあったら真っ先に動けるよう準備だけしてて」
「でも……」
それでも食い下がろうとする部下の腹を笑いながら軽く小突く。
「いいから始めるよ。要救助者が待ってる」
リシーは用意した装備を身につけ終え、身軽そうに欄干の上に乗った。
「ダクスは水面近くまで降下後、要救助者の補助!」
「はい!」
「デティは配置についたらダクスの補助をお願い!」
「了解!」
「私もその後に水中まで降下する! ベーア、合図したら命綱を伸ばして」
「おう」
仕上げにごつい防水ゴーグルをしっかりとかけて叫ぶ。
「作戦開始!」
身を切るように冷たい水の中、見えたのは男の足に絡む細く丈夫な鎖だ。
鎖の先に壊れた小舟の舳先が繋がっていて、水の底でまるで重石のようになっていた。
元が廃船だったのか錨の爪が潰れていて、足に引っかかってはいても刺さってはいなかった。
リシーは一度呼吸をするために浮上した。
「もう少しです。頑張ってください」
水面に出てからまずパニックにならないようにゆっくり男に話しかける。苦悶の表情を浮かべた男の目は焦点が合わず反応が得られない。
万全の状態では決してないが暴れ出さないのなら大丈夫だろうと判断して今度は男を支えているダクスに目を向ける。
「壊れた小舟の錨鎖が絡まってた。今からもう一回潜って外してくる」
リシーはダクスの耳元に口を近づけ要救助者である男には聞こえないように耳打ちする。
「外れた拍子に重石が無くなって流されるかもしれないから、しっかり捕まえといてね」
「はい。無茶はしないでくださいよ」
「大丈夫、任せて。合図したら引き上げをお願い」
最後だけ男にも聞こえるように大きく言って、深く息を吸うとリシーは再び水中に潜った。
鎖がピンと伸びていた。絡まった足側の方をどうにかすることは難しそうだ。だとすれば中間の鎖を切るか舳先を壊すかだが──。
リシーは舳先の方へと向いた。自分の腰に繋がっている命綱を一回だけゆっくり引っ張って固定して欲しいという意思を伝える。
その意思が伝わったのを確認してその舳先に右腕を向けた。
握られているのは暴漢取り抑え用の衝撃波の出る魔具だ。
警備隊員に一般的に支給されている殺傷能力の低いものだが、家屋倒壊などで人が下敷きになった時にその障害物を破壊できるよう威力の限定解除機能がついていた。
リシーは拳の先に握りこまれた丸っこい魔具の衝撃波放出口を慎重に回して威力を調節する。
狙いを定めて引き金を引くと大きな衝撃とともに体が振り子のように大きく後ろに飛んだ。
デティがしっかりと命綱を固定しくれているおかげで元の位置に戻ってくる。
魔具と舳先の間の水が緩衝材になったのか未だに少し削れただけで破壊には至っていないのが見えた。
もう一度命綱をゆっくり引っ張る。命綱が二度細かく上から引っ張られ一度上がるかを聞かれたが、構わずに更にゆっくりと引っ張る。
息は正直ギリギリだったが、それ以上にギリギリなのは要救助者だ。弱まっていたと言っても今の衝撃は鎖を伝わって感じているはずで、ゆっくりはしていられなかった。
リシーは魔具を直接舳先に当てた。足を使ってしっかりと組み付き奥歯を噛み締める。
引き金を一回、二回。直に返ってくる衝撃で右手を始め全身に痛みが走ったが、躊躇することなく三回目を引ききった。
次の瞬間重りをなくした鎖が暴れる。リシーは巻き込まれないよう、急いで離れるようにして水面まで浮上した。
「障害物撤去、引き上げて!」
すぐに「ほい来た!」と返事するデティの声が聞こえ、ダクスに支えられながらぐったりして気を失っている男が引き上げられるのがすぐに見えた。
今更弱まった雨を浴びながら、しばらく仰向けになって水面に浮かんでいたリシーにベーアが橋の上から声をかける。
「気は失ってるけど、息はちゃんとしてる。男は無事だ」
浮かんだまま左手をヒラヒラとさせわかったと伝える。
「一人で上がれるか」
問いかけに無言で首を振り、命綱を二回短く引っ張った。
「了解」
されるがままに引き上げられる。たまに振動で右腕が手の先から肩まで満遍なく痛んだが、それでもリシーはほっと安堵の表情を浮かべた。
誤字脱字はご報告ください。