自国で障害者と認定された私、隣国で求婚される
私は幼い頃から出来が悪かった。
それは私が産まれた瞬間から、既に始まっていた。
赤子の私は自力で泣くことが出来ず、両親がもうダメかと諦めかけた時に思い出したかのように産声を上げてしまった。
今思えば、そのまま息をすることを知らないまま、神の元に還った方が我が家は平和だったのかもしれない。
私が六歳になった頃、貴族の習わし通りに神託を頂くことになった。
父は優れた火炎魔法を扱えて、母は優れた水流魔法を持つ、貴族の中でも取り分け優秀な家系だった。
三つ違う兄はすでに神託で、父の魔法を受け継ぎ優れた火炎魔法を授かると予言されていた。
そんな中、私は周囲から母の水流魔法を受け継ぐことを望まれており、私もそれを信じて疑っていなかった。
母の様に美しい水流魔法を扱えるのだと。
けれど、私が神託で頂いた予言は、“魔法適応障害である”との言葉。
魔法適応障害とは、魔力を全く持たずさらに魔法に触れる事すらできない、先天性の障害の一種だった。
貴族としては、とても稀なケースとして噂は瞬く間に広がり、両親は障害者を産み落としてしてしまったことを嘆き、同時に家名が汚れたと私を罵った。
それから家族を含め周囲の人間は、私を出来損ないの障害者だと認識し、恥を表に出さぬ様自宅へ軟禁状態となってしまった。
当時はなぜ自宅から出ることも許されず、また外部の人間と接触することを禁じられたのか分からず戸惑っていたけれど、それも成長していくうちに本から学び理解した。
更に、後に三つ下の妹が神託で母の水流魔法を受け継ぐと予言されてからは、完璧に私の居場所はなくなってしまった。
両親は私をいない者として扱い、兄は私を見ると苦い顔をして避け、妹は幼いながらも私を差別した。
家の使用人も私を持て余し、無下に扱われる事はなかったが極力接触してこようとはしなかった。
貴族ならば当たり前に行く学園へも通わせてもらえず、魔法を持たない者が通う学園ですら外聞があるからと入学させてもらえなかった。
お父様に伺うと「家の恥を外に出すわけないだろう!」と強い口調で咎められ、それから学園のことは聞かないようにしている。
有り余る時間で私は自宅にある本を読み、そこから世間の事を学ぶ日々を送っていた。
「ちょっと」
私が日中の殆どの時間を過ごしている自宅の図書室。
今では私に使用人は付いておらず、食事を用意してもらう事以外は自分で自分の事を行なっている。
その食事も家族とは別で、寝室に籠り一人で摂っているのだけれど。
干渉を受けない私が日中図書室にいると知っている人間は少ない。
三つ年下の妹、アイラはその数少ない内の一人だ。
アイラの方を振り返るとやや不機嫌そうに私を一瞥し、すぐに視線を逸らしてしまった。
私はアイラと仲良くしたいと思ってきたのだが、彼女はそうではないのだと、過去の経験から理解している。
幼い頃はそんなアイラに必死に話しかけていたが、今思うと私の行動はアイラにとって迷惑以外の何物でもなかっただろう。
そのようなアイラが私を呼ぶことは極めて珍しい。
「アイラ、どうしたの?」
私が名を呼ぶと、更に眉間の皺が深くなってしまい、名前を呼ばずに要件だけ尋ねれば良かったと後悔した。
できることなら、家族に不快な思いはしてほしくないのだけれど・・・。
「・・・いつまで」
「え?」
アイラはその整った顔を歪めて私を見つめた。
「・・・いつまで、この家にいるの?」
アイラの綺麗な緑の瞳が私を睨みつけている。
その視線から感じ取れるのは憎しみの感情のみ。
到底、家族に向けられる視線ではなかった。
あぁ、私はここまで嫌われてしまったのね・・・。
私が無能であるばかりに・・・。
「私が家にいるとアイラは邪魔?」
「邪魔。家の中が辛気臭くて堪らない。障害者だと分かった時点で養子にでも出せば良かったのよ。それを、お父様やお母様が中途半端な哀れみをかけてやったせいで」
「でも、家に篭って、周りに迷惑をかけていないつもりだけれど・・・」
「家の中が辛気臭くて堪らないって言ったでしょう。私の言葉も理解できないの?」
「・・・ごめんなさい」
私が家に篭っているせいで屋敷内や家族の雰囲気が暗くなっていると分かっていた分、アイラの言っていることも理解できる。
分かっていながらも、家を出て行けなかったのは私の我が儘だ。
同じ家で暮らしていれば、いつか私を家族として受け入れてくれるかもしれないと、淡い希望を捨てきれずにいたから・・・。
けれど、アイラの反応を見るにどうやらそれも無理のようだ。
「・・・分かったわ。近いうちにこの家を出るようにするから、もう少しだけ堪えて」
「・・・そういう所も嫌いなのよ、良い子ぶって」
アイラはそう言い残すと、もう用は済んだとばかりに踵を返して行ってしまった。
再び一人になった図書室で思わずため息が溢れてしまった。
読みかけの本をそっと閉じて棚に戻し、衣服を整える。
「この図書室ともお別れね」
名残惜しい気持ちもあるけれど、私にはもうここに留まる方法もない。
まずはお父様に家を出る許しをもらいに行かなければ。
「・・・許しをもらうのは簡単だろうけれど」
まず私の話を聞くために、時間を割いてくれるかが心配だ。
「・・・」
結局家族の誰一人、私を家族とは認めてはくれなかった。
それも私の障害と出来の悪さが原因なのだろう。
アイラ達のせいではない。
全て私のせいなのだ。
コン、コン、コン
「お父様、ミリアーナです」
中から返事はないが、それもいつもの事。
話を聞いて欲しいと懇願し約束を取りつけるのに、四日もかかってしまった。
それでもお父様相手に約束を取れたのは、私たちの関係性を考えると上出来だと思う。
「失礼します」
案の定、お父様は机で書類仕事をしていた。
私を一瞥すらしない。
そういえば、お父様の姿を見たのは久しぶりであることに今気が付いた。
「この度はお忙しい中、私の要望を聞き入れて頂きありがとうございます」
「・・・なんだ」
冷たい声色で一つ返される。
まだ五歳の頃は目の前の冷たい顔や声は、とても優しいものだった。
初めての娘だと随分甘やかされていたが、それも今では夢だったのではないかと思ってしまう程、お父様の対応は変わってしまった。
「家を出る許可を頂きたいのです」
「・・・どういった意味だ」
「この家と縁を切る許可を頂きたいのです」
「良いだろう」
想像の通り、少しの逡巡もなく許可を得られた。
心の準備はしていたため、さほど悲しくはない。
「家を出るからには、もうこの家に戻ってくるな。お前は我が家の唯一の恥だからな」
「はい。家を出た後は、もう姿を現しません」
私が家を出た後、どこに行こうとしているのかとか。
別れの言葉とか、資金を心配する言葉とか。
続く言葉が何もない事に、流石に少し心が傷んだけれど仕方のないことだと分かっている。
お父様は私にもう興味などないのだから。
一つ頭を下げ退室しようと踵を返した時。
「ミリアーナ」
「!」
数年ぶりに名前を呼ばれ、驚き急いで振り返る。
やはり視線は合わないが、続きの言葉を待つ耳に神経を集中させた。
「私はあの時の事をずっと悔いていた」
「?」
お父様が何の話をしているのか分からず、言葉を返すことが出来ずにいると、続けてお父様は口を開いた。
「泣かず息をしなかった赤子のお前を、私が必死に頬を叩いて泣かせてしまったことだ」
「そ、それは・・・」
「あの時、お前はあのまま死ぬべきだった」
「・・・・・・」
あぁ・・・。
出来ることなら、もっと早くその言葉を聞きたかった。
最後まで視線を合わせないお父様の姿を瞳に焼き付け、部屋を後にする。
翌日、私は少ない荷物を手に、誰にも別れの挨拶をせず、誰にも見送られることなく、ひっそりと生まれ育った家を後にした。
◇
「ミリー、苺のジャムまだ残ってるー?」
「あ、ルビーさん。こんにちは、きちんとルビーさんの分とっていますよ」
「わぁ、ありがとう。ミリーの作ったジャムがないと朝食もおやつも物足りないのよね」
そう言ってルビーさんは私が作ったジャムを手に取り嬉しそうに笑った。
店内には昼過ぎでありながら、既に品物は売り切れており、残っていたのはルビーさんにとっておいた苺ジャムのみ。
それも今し方ルビーさんの手に渡ったため、有難いことに本日も全て完売できた。
「今日も完売が早いね。今じゃ町一番の人気店になって、これでミリーも安泰ね」
「全てルビーさん達が口コミで広めて下さったお陰です、ありがとうございます」
「何言ってるのよ、美味しい物を美味しいって言っただけよ」
謙遜した言い回しをしてくれるが、ルビーさんは私を気にかけて色々手助けしてくれる優しい女性だ。
余所者の私がこの土地に馴染むことができたのもルビーさんの力が大きい。
年齢も近い彼女とは今では一番の友人である。
バタン!
「ミリーさん!!」
「「!」」
勢い良く扉が開いた音に驚いて入口を見ると、一人の男性が立っていた。
その男性は私の目の前まで来ると、大輪の花を差し出した。
店先に閉店の看板を出していたけれど、どうやら店ではなく私に用事があるようだ。
「・・・またかー」
隣でルビーさんが小さく呟いた。
ルビーさんがそう言うのであれば、またあの申し出なのかもしれない。
途端に胸が重くなる。
「ミリーさん! 好きです! 僕と結婚を前提にお付き合いして下さい!! 」
「・・・結婚」
私は目の前の男性のことをあまり知らない。
数回お客様として接客したことはあるけれど、名前も年齢もどのような性格なのかも知らないのだ。
真っ赤に染まった顔と真剣な眼差しを見ると心底申し訳なくなる。
「・・・ごめんなさい。お気持ちは大変嬉しいのですが、私は誰とも結婚するつもりはないのです」
私は頭を下げ誠意を込めてお断りの言葉を伝えた。
男性の泣きそうな顔が一瞬見えたが、そのような顔をさせてしまったことに強い罪悪感を覚える。
「・・・そうですか。・・・あまり気にしないで下さい。僕この度転勤になりまして、玉砕覚悟で想いを伝えにきただけですので」
男性は無理した笑顔を浮かべ、お元気で!と言い、頭を下げて店から出て行った。
「ミリー、本当にモテるわねー。まぁ、女の私でも嫉妬心すら持てないくらい綺麗だから」
「いえ、そんな。私はそこまで・・・」
「何言ってるのよ、その大きくて澄んだ緑の目、サラサラした金色の髪、色白で華奢な身体。何よりその整いすぎた顔! 私、ミリーの造形は人類の最高傑作だと思うわ」
私はこの土地に来るまで、容姿を褒められたことはない。
自国ではずっと家に引きこもっていたため、家族と使用人としか接してきていないが容姿を指摘される事はなかったし、外部との接触がないため自分の容姿を気にかけることもなかった。
ルビーさんは私の容姿をとても褒めてくれるが、私は未だにそれがよく分からない。
不出来な私には、褒められること自体が恐れ多くて居心地も悪いのだ。
「この前なんて、カールさんから求婚されてたじゃない! 良いなぁ、カールさんこの街一番のイケメンなのに。ミリーったら、断るなんてもったいない」
「ルビーさんったら、からかわないで」
私がそう言うとルビーさんはニカっと笑った。
「でも本当、いつか恋出来たら良いわね、ミリー」
ルビーさんの言葉に曖昧な笑顔で返す。
私は誰とも恋愛や結婚をするつもりがないから。
この土地に来てから何故か男性に求婚されることが多いけれど、一生を独り身で過ごすと決めている私には、それを断ることが今一番辛い。
私などが、断るなど。
なんて烏滸がましいのか。
「あ、もうこんな時間! 店の手伝いに戻らないと、ミリー、また来るわ!」
「えぇ、ありがとう。今度は私から伺うわ」
ルビーさんはまたニカっと明るく笑い、パタパタと急いで戻って行った。
ガチャ、パタン
昼食を摂り店内を片付けた後、厨房で翌日の準備を行なっていると、店の扉が開く音が聞こえた。
扉の鍵は夜間以外はかけていない。
閉店後であっても隣人や知人が訪ねてくることがあるためである。
この地域の人々は皆そうしているとルビーさんから聞いたが、穏やかな人々ばかりであるので危険を感じたことはない。
時々、昼間の様に求婚を申し出られる事はあるけれど。
「すみません、本日は完売してしまいまして・・・」
厨房から出ると一人の男性が立っていた。
銀の髪に青い瞳、そしてとても整った顔立ちの男性が私を見て少し目を開いた。
「・・・あの」
「あぁ、失礼しました。私はテオと申します」
綺麗に頭を下げる男性。
「・・・えっと、どういったご用件でしょうか」
「突然の訪問で申し訳ありません。ミリーさんでしょうか」
「はい、ミリーは私ですが」
目の前の男性は私をまじまじ見ると、強く頷いた。
「噂の通り本当にお美しい。・・・ミリーさん、私の主人と面会して頂けませんでしょうか」
「・・・え」
テオさんはホールマン辺境伯様の執事で、主人のアロル・ホールマン辺境伯様の婚約者候補を探しているのだと語った。
何でもこだわりが強い方らしく、貴族の中から婚約者を選べなかったらしい。
そこで、各地からまず容姿が優れている女性を集めており、街中で私の噂を耳にして訪ねて来られたのだと。
「・・・でも、私、誰とも結婚する気はないのです。申し訳ないのですが・・・」
「それもお噂で聞いております。そこを何とか聞き入れて下さいませんか」
「・・・すみません」
「・・・そうですか」
テオさんは少し視線を落とすと、再び私の瞳を真っ直ぐ見つめてきた。
「また明日この時間に伺いに来ます」
「え、でも」
男性は微笑むと一礼し店を出て行ってしまった。
「・・・明日、また来るのですか」
何度来られても、誰とも結婚などする気はないのだから、手間をかけさせてしまう。
「結婚、なんて・・・」
私などが、結婚なんて烏滸がましい。
両親にすら必要とされなかった出来の悪い私が、誰かを支えられる筈がないし、きっと私の内面と不出来さを知ればまた捨てられるに違いない。
それならば、やっと穏やかな生活を手に出来たのだから、それを崩すことなど絶対にしない。
私の気持ちに反して求婚されることが多いけれど、テオさんも他の男性同様断り続けていれば諦めてくれるだろう。
翌日からテオさんは毎日、店が閉店してから顔を出すようになった。
何度お断りしても、どんなに結婚の意思がないことを伝えても、それを気にする様子もなく毎日手土産と一緒にやって来るのだ。
「こんにちは、ミリーさん」
「こんにちは、テオさん」
今日も昼前には商品が完売し、閉店の看板を出した頃、テオさんが穏やかな笑顔で店にやって来た。
「今日はクロワッサンを買って来ました。昼食に一緒にどうでしょう?」
「まぁ、ありがとうございます。では私はジャムをいくつか用意して来ますね」
最近ではテオさんと昼食を摂ることが多くなっている。
この前は美味しいピザを買って来てくれて、けれど思いの外量が多く二人で必死に食べ切った後、パンパンのお腹が何故か面白くて、たくさん笑ってしまった。
「美味しい!」
「そうでしょう、今度お店をお教えしますね」
「はい!」
クロワッサンを食べながら、何故テオさんと一緒に食事を摂ることがこれほど楽しいのか首を傾げる。
テオさんはとても優しくて。
テオさんのお話は面白くて。
一緒に笑ってくれて。
たくさんの理由が浮かんでくる。
そして気がついた。
私は誰かと食事を摂ること自体がとても久しぶりなのだと。
六歳から自室で一人で食事を摂っていたし、この地に来てからも一人暮らしであるため自ずと食事は一人だ。
だからこれほど楽しいと感じるのだろうか。
「・・・ミリーさんは他の国から来られたのですか?」
「え」
「あ、いえ、言葉が時々隣国の発音に似ていたので。特に深い意味はないのですよ」
「あぁ、そうですよね。私一年程前にゼスタ国から来ましたので、時々自国の発音が出てしまうのです」
「・・・やはり、そうですか」
テオさんは穏やかに微笑んで、それ以上深く聞いてこようとはしなかった。
もしかしたら、私が表情に出してしまったのかもしれない、これ以上深く聞いてこないで、と。
「ミリーさん、アルロ様の話なのですが、お気持ちに変化はございませんか?」
「・・・申し訳ありません、私は誰とも結婚をするつもりはないのです」
「・・・そうですか」
断り続けていればきっとテオさんは諦めて、主人の元へ帰るだろう。
仕事があるだろうし、あまりテオさんを足止めしてはいけない。
「テオさん、いつお戻りになるのですか? お仕事は大丈夫なのですか?」
「仕事はこちらに持ち込んでいまして、もう暫くならこの地に留まっていても大丈夫なのです。・・・できれば、その間にお気持ちを変えて頂けると私としては嬉しいのですが」
「・・・きっと、気持ちを変える事はありませんので、無駄足をふませることになるかと・・・」
「・・・それでも良いのですよ。ミリーさんと食事をするのは、私の今一番の楽しみなので」
そう言って頂けることが純粋に嬉しく思う。
同時に、断り続けている私に優しく接してくれているテオさんに申し訳なく感じた。
◇
「美味しいパン屋さんを教えて頂きありがとうございました」
「いえ、私も気に入って頂けて安心致しました」
美味しかったクロワッサンのお店を案内して頂いた帰り道。
テオさんの横を歩きながらも、思えばテオさんと外を一緒に歩くのは初めてであることに気がつく。
穏やかに微笑むテオさんに周囲の女性が視線を向けており、やはり整った顔立ちと上品な雰囲気から自然と視線を集めてしまうのだろう。
隣を歩きながら、少しむず痒く感じた。
「あれ、ミリーじゃない!」
「あ、ルビーさん」
後ろから声がかかり振り返るとルビーさんが、買い物かごを下げこちらに手を振っていた。
お使いの帰りなのだろう、ちょうどこれから夕食の支度を始めるのに良い時間だから。
「ん? ミリーったら珍しいじゃない。男の人と一緒にいるなんて。はっ! まさか、ミリーとうとう恋人作る気になったとか!?」
「ちょ、ちょっと、ルビーさんったら大きな声で・・・」
ルビーさんの大きな声に周囲の人が振り返っている。
慌てたようにルビーさんは口を閉じ、「ごめん!」と申し訳なさそうに眉を下げて笑った。
そしてキラキラした視線で私見て、話を促している。
「こちらはテオさん、お仕えされている方のために今この街に来られているの。テオさん、こちらはルビーさん。私がこの街に来てからとても良くして頂いている方です」
「こんにちは、ルビーさん。テオと申します、ミリーさんのご紹介の通り私の主人に代わり、探し物をしておりまして。ミリーさんとは先日から懇意させて頂いています」
「ほー・・・」
テオさんがいつもの笑みで挨拶をされると、ルビーさんは上から下までゆっくりと見渡し、テオさんを手招きした。
テオさんがルビーさんに近づくと、ルビーさんがヒソヒソと何かを耳打ちする。
「・・・」
小声で何を話しているのかは聞こえないが、胸が少しモヤモヤと気持ち悪くなり、いきなりやってきた生まれて初めての感覚に戸惑ってしまう。
先ほどまで色付いていた世界に靄が出たかのような、言い表し難いが良くない感情であることだけは分かった。
「ミリー! じゃあ私は行くわ!」
ルビーさんの声にハッとし、いつの間にか落としていた視線を上げると、いつの間にかテオさんとの話を終えたルビーさんは手を振りながら駆けて行ってしまった。
「ミリーさん?」
「あ、すみません」
ぼーっとしていた私を不思議に思ったのか、テオさんが私の顔を覗き込んできた。
急に視界に入ってきたテオさんに何故か焦ってしまう。
『何でもないです』と口にしようとしたところで
「ミリーさん!!」
と、急に声をかけられ驚く。
声の先に視線を向けると一人の男性が緊張した面差しで私を見ていた。
「・・・は、はい。・・・えっと」
「俺は二つ隣の街から来ました。先日貴女を見かけて、一目惚れしました! ・・・お友達からで構いませんので、俺と結婚を前提に付き合って下さい!!」
「・・・あ、えっと」
まさか街中で告白を受けるとは思わなかった。
しかも隣にはテオさんもいる。
目の前の男性の告白を断るのも辛いけれど、何故か隣のテオさんが気になって仕方ない。
テオさんは今どのような顔をされているのだろう、今何を思っているのだろう。
「・・・お気持ちは嬉しいのですが、私は誰とも結婚をするつもりはないのです。・・・すみません」
「では、友達から! 友達なら良いでしょう! 今隣にいるその人みたいに、俺を友達として側において下さい!」
「・・・え、しかし」
友達になりたいだけなのだったら頷くこともできるが、一度告白を受けているので変に気を持たせてしまうのではないかと心配になる。
「お願いします!」
「・・・あ」
友達になる事はきっと目の前の男性のためにはならないと思いつつ、男性の強い眼差しを受けて、思わず頷きそうになる。
「君、名前は?」
私の前にテオさんが乗り出て男性から見えないように背で隠してくれた。
「まず初めに自分の名を名乗るべきだろう。見ず知らずの男性がいきなり告白してきたら怖いと思わないかい? ・・・しかもこの様な人の往来がある場所で、・・・時と場所を考えるべきだ」
「・・・あ・・・、す、すみませんでした!! ミリーさんをやっと見つけて、居ても立っても居られなくて、・・・本当にすみません!!」
テオさんの背中越しに男性の焦った様な謝罪の言葉が聞こえ、その後走り去る足音が聞こえた。
テオさんは振り返り、優しく笑うと少し眉を下げる。
「もう彼は行きましたよ。貴女は本当に多くの人を魅了しますね。・・・しかし彼の気持ちも分かる。不躾だったことは許してあげて下さい」
「あ、はい、もう気にしていません。テオさん、庇ってくれてありがとうございました」
頭を下げてお礼を伝えると、テオさんは何故か、さらに眉を下げて困ったように笑った。
◇
「綺麗ですね」
「そうですね」
数日後の休店日にテオさんに誘われ、大きな泉のある公園に来ていた。
ベンチに腰掛け暖かい紅茶を入れて二人でのんびりと過ごす。
こうして二人で過ごす時間にも慣れてきている自分に驚き、新しい友人であるテオさんが自分にとって大きな存在になりつつある事に少し怖くなる。
テオさんとの別れも近いだろうから。
「ミリーさん、結婚について否定的ですよね、以前からその理由を聞きたかったのですが、今聞いたら答えて頂けますか?」
「・・・」
「無理にとは言いません」
「・・・いえ、隠すほどでもありませんので。・・・私、魔法適応障害者なのです」
「・・・それは」
「こちらの国では魔力保持者が少ないので気にする事もありませんでしたが、ゼスタ国では、・・・特に貴族としては魔法適応障害は致命的な欠陥だったのです。不出来な私は幼い頃から失敗も多く、加えて障害が分かってからは自宅から出ることを禁じられ、家族からも疎外されていました。それでとうとう居場所がなくなり家を出たのです。学園にも通わせてもらえなかったので、教養も身につけていませんし、不出来な私には結婚して家庭を持つなど無理なのです。・・・夫婦がどういった関係性を持つのかも分かりませんし・・・」
「・・・そうでしたか」
これでテオさんは本当に諦めて戻ってしまうだろう。
おそらく今日のお誘いも、結婚についての最後の意思確認なのだろうから。
「ミリーさん」
「はい」
「あちらのご年配のご夫婦見えますか?」
「え・・・」
テオさんの視線の先を追うと、寄り添い合うご年配の二人がいた。
泉沿いの道をゆっくりと歩いては時々立ち止まり、泉を眺めてまた歩き出す。
「あちらの奥様、杖をついていらっしゃいますね。旦那様が奥様の手をとり支えながら歩いてらっしゃいます。素敵だと思いませんか?」
「・・・はい」
素敵、だと思う。
寄り添い、支え、微笑み合う。
私には無理な事だから、より一層素敵に見えてしまうけれど・・・。
「私の理想的は夫婦はあちらのご夫婦の様な二人なのですよ」
「テオさんの理想、ですか?」
「はい」
テオさんが誰かと結婚したら、あちらのご夫婦の様な素敵な二人になるのだろう。
もし理想の女性が現れて、テオさんが誰かに求婚し結婚し、そしてあちらの素敵な二人の様に・・・。
想像して少し暗い気持ちになる。
きっとテオさんなら奥様を大切にする。
テオさんが選ぶ人ならば、賢くて優しくて美しい女性だろうし、テオさんを生涯支えていけるのだろう。
私には人を支えるなど到底出来ない。
「ミリーさんは結婚とはどういった関係だと思いますか?」
「・・・支え合う二人ではないかと、思います」
「そうですよね。・・・では、あちらのご夫婦の奥様はどう旦那様を支えておられると思いますか?」
「・・・え」
もう一度奥様を見る。
私の目からは旦那様が足の不自由な奥様を支えておられる様にしか見えない。
分からずテオさんを見上げると、ふんわりと微笑んだ。
「笑顔、感謝、信頼、愛ですよ。あちらの奥様は笑顔で“ありがとう”と伝え、身を任せておられる」
「・・・でも、それは支えている事にはならないのでは」
「いいえ、旦那様は奥様を愛しておられるからこそ、それらは大きな支えとなっているのですよ」
「・・・」
「愛し合う二人ならば夫婦となり得ますし、愛し合っていればそれだけで支えとなるのですよ。不出来とか、何も出来ないとか、そういった事は関係ないのです。一番大切なのは気持ちなのですよ」
・・・あぁ、今気づいてしまった。
私はあの時、ルビーさんに嫉妬してしまっていたのだ、求婚された時庇ってもらえて嬉しかったのだ、誰かと結婚するテオさんを想像し悲しかったのだ。
いつから、この気持ちがあったのか分からないが、私はテオさんのことを好きになってしまった。
主人の為に結婚相手を探しに来た執事のテオさん。
この芽生えたばかりの淡い恋心は、テオさんが帰ったあと時間をかけてゆっくりと昇華させていこう。
初めて持つことのできた感情だから、大切にしていきたい。
「ミリーさん、言いづらい事ばかりなのですが・・・三つほどお話しないといけません」
「・・・? は、はい」
「私にとって悲しいお話と謝らなければいけないお話と、気持ちの悪いお話です」
「・・・え、き、気持ち悪い?」
どれも良い話ではなさそうだけれど、テオさんの表情は穏やかに見える。
けれど、その青い瞳が不安げに揺れていた。
「私にとって悲しいお話は、私は近々自分の場所に戻らなければなりません」
「・・・それは何となくですが、感じとっていました」
「謝らなければならないお話は私の素性、嘘をついていました」
「え・・・」
「ミリーさんにお伝えした名前は愛称なのですが、本名はテオドール・ホールマン、ホールマン辺境伯は私の父です。執事だと嘘をついていて申し訳ありません」
「・・・あ、えっと、そんな」
執事ではなく貴族であることが妙に納得できてしまうのは、テオさんの所作が美しかったからだろうか、それか紳士的な行動や言葉からだろうか・・・。
テオさんのことだ、素性を隠していたのも何か理由があるのだろう。
私に身分を晒すのが不安であったとか、素性を隠して成さねばならない事があったとか、私には分からない事情が、きっとあるのだ。
「気持ち悪いお話ですが、・・・私はミリーさんを以前から知っていたのです」
「・・・どこかで、お会いしてましたか?」
「一方的に私が見知っていただけなので、ミリーさんは私を知らないと思います」
「そうなのですか」
以前どこかで私を見かけたのか・・・、けれど今の話のどこが気持ち悪い話なのか分からない。
「・・・約一年前、ミーシアの港にいた貴女を見かけました。そこで、貴女は転んだ小さな男の子にハンカチを差し上げて一緒に母親を探しに行かれましたよね」
「そういえばそういった事もありましたね。小さな子と接する機会がそれまでなかったもので、声のかけ方に随分迷った記憶があります」
幸いすぐに母親は見つかったけれど。
「私はあの時、貴女の優しさに心奪われたのです」
「・・・・・・え」
心奪われたとは、どういった方向の意味だろう。
「あの時、あの場所で、あの男の子に手を差し伸べたのは貴女だけでした」
「・・・それは、たまたま」
「・・・いいえ。私を含め誰もが見てみぬ振りをしている中、貴女は人波を押し分け遠くから駆けて来られたのですよ」
一年も前の事になると記憶も朧げで、どういった経緯で男の子に接触したのか覚えていない。
「その時の私は貴女に声をかける事ができませんでした。時間を置いても貴女を忘れられず、探し始めてから四ヶ月、やっと貴女を見つける事ができました。事前に噂は耳に入っていましたので、いきなり告白しても断られると分かってました。嘘をつきました。貴女の側にいるために。そして、一緒に過ごすうちに、さらに貴女を好きになっていきました」
「す、好きっ・・・!?」
「貴女は自分のことを不出来と表現されていますが、全く違う。見知らぬ土地で生計を立て自立されている努力も、誰にでも手を差し伸べようとする優しさも、悲しい生い立ちを感じさせない心の強さも、求婚を断り続けるその誠実さも、誰にでも出来ることではありませんし、私にとってそれらは何より美しく見えました。」
ふわりと暖かな風が通り過ぎ、私の髪を揺らした。
「結婚とまでは言いません。お試しでも構いません、ほんの少しでも私を好意的に思ってもらえているなら、お付き合いをしていただけませんでしょうか」
耳を真っ赤に染め、心配そうな声とは対照的に、強く私を見つめる眼差し。
今まで何度となく求婚をされてきたけれど・・・。
同じように真っ赤な顔の男性に求婚やお付き合いを申し込まれてきたけれど・・・。
「・・・テオさん、すみません」
「・・・いえ、・・・私の方こそ矢継ぎ早に自分の話ばかり、申し訳ありません。・・・しかし、まだ諦めませんので、また時間をとって会いに」
「あ、いえ、違います。そういった意味ではなく・・・。えっと・・・、お試しではなくて、・・・私と“真剣”にお付き合い、して下さい」
「!!」
あれほど結婚などするつもりなどなかったのに、今ではテオさんとならばしたいと思える。
幼い頃の冷えた家の残像は頭の隅にあるけれど、目の前の嬉しそうにテオさんとならば、遠くない未来でそれも上書きしていけるかもしれない。
「これ程嬉しい事はないです。ミリーさん、大切にします!」
「私も同じ気持ちです。テオさん、貴方を大切にします」
その数年後、国中の新聞に『難攻不落のテオドール・ホールマン、難攻不落の絶世の美女と婚約』との見出しで掲載され、二人で笑い合うのはまた別のお話。