9ちく話『ちくわプリンセス』
再び王の間に戻ると、勢いよく入口の扉が開いた。
「うおおおおおおおおお牛肉! ナメんなよクソが!」
「待て! この!」
「ディーフェンス! デーフェンス!」
マサヲが先ほどの兵士たちの追いかけられていた。
兵士とマサヲは俺に気づく。目が合っちゃった。
流れる沈黙。
俺は兵士たちにゆっくり近づいた。
「あ~これ、お近づきの印に。気持ち程度ですが」
「あ、ハイどうも、ありがとうございます……?」
兵士のうち片方にちくわを手渡した。
そして、マサヲを抱える。
歯の間から息を吸う。
「それじゃッ!」
「待てッ!」
左の階段を駆け上がる。彼らより俺の方が早い。が、このままでは追いつかれること必至だ。
こうなったら。
「すまんマサヲ!」
「は⁉ イテ、イテテ!」
マサヲの羽をむしり取り、兵士たちに投げた。
彼らの口や目の中に羽が入る。
「うわっ」
「ぺっぺっ!」
ひるんで足を止めた。ついでに、地面にも巻いておいた。
「今だ!」
「今だ! じゃねーよ! バッカじゃねえのお前⁉」
なんとか昇り切り、姫の部屋らしき前まで走った。
扉を開けようとする。しかし、鍵がかかっていた。
「あ、開かない!」
「……どなた?」
女の声だ。姫に違いなかった。だがひどく怯えた声だ。
し、しまった! これじゃ押し入り強盗じゃないか!
「あの~怪しいものじゃないんで……」
「怪しい人はみんなそう言うんです! 帰ってください!」
「た、確かに」
階段の兵士の声が大きくなってゆく。マズいぞ、これは。
「バカ、なにしてんだよ!」
「ちょ、待って! ……あ、えっと……ボク、その……ちくわの戦士です」
「フフッなんです? それ」
なんだろうね。焦って変なこと言ってしまった。
そうこうしているうちに、兵士が廊下に出てきてしまった。
「あ、いた!」
やっべぇ。
兵士たちはじりじりにじり寄ってくる。
「姫さま!」
「……え?」
マサヲが叫んだ。扉の向こうからは、戸惑いが混じったような声が漏れた。
鍵の開いた音がした。すると、扉は開けられた。
「お入りなさい」
「あ、ありがとう!」
俺とマサヲは急いで中に入る。その際、姫は「ニワトリ⁉」と驚いていた。
すぐさま、ベッドの下に滑り込んだ。
「大丈夫ですか!」
「え、えぇ……」
二人が入ってきた。俺たちは息を殺す。
「先ほどのニワトリと男はどちらへ?」
「え? えーとぉ……」
マサヲは小声で「マズい……姫は嘘が下手なんだ」と呟く。マジでマズいじゃんか。
「窓……そう、窓から! 逃げていきました、えぇ」
「ここ五階ですよ」
「え⁉ あわわ」
明らかに狼狽している。目も泳いでおり、あわわとか言ってる。
「なんというか、その……羽が、生えて」
「羽? まさか、魔族か?」
「そうですわ!」
お、なんとか話が転がっているじゃないか。よしよし。
「か、カブトムシ、のような……」
「カブトムシ⁉」
姫さま? カブトムシは無理だろ。マサヲも残念なものを見るような目をしていた。
この人、アイリスと同属なんじゃないだろうな。
「な、なんですか! 私の言うことが信じられませんか!」
「い、いえ!」
「そんな!」
「なら早く追ってください! もう!」
「「はっ!」」
強引すぎる。とはいえ、兵士たちは出ていった。あの兵士たち、存在しないカブトムシを追い続けるのだろうか。南無。
「もういいですよ」
姫の声で、俺たちはベッドの下から這い出た。
歳は一五から二〇の間くらいだろうか。背は低く、ほっそりとしていて華奢だが、背筋がスッと伸びていて、立ち振る舞いは堂々としている。目は穏やかな黒だったが、その奥には意志の強さが見て取れるような気がした。
彼女もアイリスと同じくブロンドの長い髪をしていたが、アイリスは白金のきめ細かい絹。姫のそれは黄金のように光る金糸だった。
「それで、あなたたちは?」
「姫さま……遅くなって申し訳ありません」
マサヲの声を聞いた瞬間、彼女はハッと顔色を変えた。その表情は、驚きと、安心と、喜びが織りなすものだ。それがやがて喜びの比率を増し、徐々に笑顔になっていった。
「その声は……やはりあなたなのですね! マサヲ!」
姫はマサヲに駆け寄り、抱き上げ、頬ずりをした。
「キャー! なんでこんなに可愛くなっちゃったのかしら?」
「ちょ、姫! 勘弁してください!」
「だーめ! 今まで来てくれなかった罰よ! でも嬉しいわ!」
この姫、わりと快活だ。マサヲがこっちを見て、助けを求めていた。
しょうがないな。
咳払いをする。
「オッホン!」
「あ、あら? あぁ、ちくわの戦士さん、でしたね。ごめんなさい、はしたないところを」
「いえいえ、マサヲも喜んでいますよ。そのまま抱えているとなお喜ぶでしょう」
「ちょ」
「そうですか? ではこのままで」
「勘弁してくれよ……」
これでよし。さて、本題に入らなくては。
「マサヲ、アイリスの処刑は明日の午前だ」
「なんだって⁉ 時間がねぇな。どこでそれを?」
「右の階段を昇った先に部屋があった。そこで……」
「王の部屋じゃねえか……ふざけやがって」
マサヲは嘴を噛み締める。
「あの、なんのお話ですの?」
「姫さま。今からあなたをこの城から逃がします」
「……分かりました。マサヲの言うことですものね。信じましょう」
「リンタロー。俺は魔方陣を描く。この日のために転移魔法を用意した。蝋石をくれ」
俺はあらかじめ持たされていたそれを、ポケットから取り出し、マサヲに投げた。
「よし、お前は外の様子を見てきてくれ。姫さま、失礼します」
「……また後で抱かせてもらっていい?」
「ダメです」
姫は不満げにマサヲを地面に下ろした。
見張りのため、俺は扉の外へ出て、階段の付近に立つ。異常があれば知らせる。
とても静かだ。遠くで犬の遠吠えが聞こえた。窓の外を見れば、山稜の影の上に、星々が降り注いでいるようだった。
このまま何事もなく、万事うまくいけばいい、素直にそう思ったし、そう思えた。
だが、これほど美しい情景の下に、醜い人間の欲望が燃えている。世界が変わってもなお、本質は大して変わっていない。
ため息を吐いた。
約五分経った頃だろうか。階下から反響し、乾いた音が聞こえてきた。靴を石に叩きつける音だ。体がこわばった。
すぐに部屋に戻る。
「誰か来たようだ」
「なに? もう少しだってのに」
魔方陣はほぼ完成していた。が、まだ時間が必要なようだ。
「急いでくれ!」
「やってる!」
「とにかく鍵を閉めましょう。来たら、私が対応します」
三人に緊張が走る。言葉を発することはなく、蝋石が地面を搔く音のみが響いた。
まだか──?
「……ったく……です……」
「……あ……ろう……」
この声には聞き覚えがあった。マサヲの瞳孔は開き、姫は体を震わせた。ヤツらだった。
マサヲ、急いでくれ! と目で訴える。あと少しだが、ヤツらが着く方が早い気がする。
「……時間を稼ぎましょう。私を、信じてください」
姫は震えを深呼吸して止め、毅然と立ち直った。その態度は、王にふさわしく立派なもののように見える。
そして、ついに扉がノックされた。
「姫さま。侵入者が現れたとのこと。ご無事でしょうか」
「ええ、大臣。彼らは去りましたわ。私なら大丈夫です」
「そうですか……しかし、心配です。どうか中の様子だけでも確認させていただいても?」
会話の裏では、必死にマサヲが動いている。そして、それに向こうは気づいているのか、いないのか。どちらにせよ、ここは姫に懸かっている。踏ん張ってくれ。
「それには及びませんことよ。大臣も、日ごろの執務でお疲れでしょう。どうかお休みくださいな」
「ありがたきお言葉です。そうさせていただきましょう。しかしその前に、姫の安否を確認しないことには、私の心は休まりません。数秒で済みますので、どうか」
マサヲが顔を上げた。ついに準備が整ったのだ。魔方陣の中心に、姫とマサヲ、そして俺が立つ。マサヲが呪文を唱え始めた。
「あまねく不変の宙空よ……」
「ハッ⁉ 大臣さま、魔法の気配がいたします!」
「なんだと⁉」
「扉を吹き飛ばしますか?」
「許可する」
「なんですって⁉ 大臣、そのような狼藉は……」
「狼藉者はこの中にいます、姫さま。ご安心を」
バカな。強硬手段に出るつもりか。扉が吹き飛べば、部屋の中心にいる俺たちに当たってしまい、魔法は失敗に終わるかもしれない。そう考えたのは、身体が動いた後だった。
俺は魔方陣から飛び出し、扉の前に立っていた。