特別な日
いつ来たのか、薄らでかいヤンキー男があたし達を見下ろしていた。
面相凶悪、ガタイはゴリラ、頭は金髪赤メッシュ。スカジャンの背中には馬鹿丸出しのクソ派手な刺繍が踊っているはずだ。
盛り上がりに水を差され、あたしは思い切り舌打ちを返してやった。
「どっか行ってろ、ドチンピラ!」
「てめっ、人を呼び出しといて――」
「うるせぇ、バーカ!! 女が泣き止むまで待つこともできねーのかよ!? だから童貞なんだよ、わかれ!」
「んなっ!? 帰るぞ、俺ぁっ!」
唐突に現れた巨大ヤンキーに驚いたのか、紗花は泣き止む。
「え……? お、大村……」
「ああ、心配いらないよ。こいつがさっき話したあたしの手下。武田譲司っての」
「誰が手下だ、誰がっ! だいたい……!?」
紗花と視線が合うと譲司はぎくりと固まった。
涙を拭って紗花は頭を下げる。
「――佐藤紗花です。あの……初めまして」
「あ、ああ。ど、どうも……」
とたんに口ごもり、顔を逸らす譲司。
あたしは野郎のすねを蹴飛ばした。
「いてっ! な、なにしやがるっ!」
「おまえこそなにキョドってんだよ。サカってんのかコラ!」
「ばっ、ちげーよ!! お、俺はただ……初対面だからちょっと……」
「あ、ごめんなさい……」
「い、いや! あんたが悪いんじゃねぇから!」
珍しくも譲司はしどろもどろになっていた。どうも紗花の美貌にあてられ、萎縮しているらしい。つまり、この娘は自分には絶対手が届かない高嶺の花だとちゃんと理解しているわけだ。暴力で踏み躙ろうとした連中とは好対照だな。
「ふーん。譲司も己の分はわきまえてるわけか。意外だわー」
「はぁ? なんの話だよ、杏奈」
「まあ単に女慣れしてないだけかもだが」
「いやだから、結局なんの用なんだ!」
「あー、はいはい。話してやっからまず座りな」
身長180㎝を越えるデカブツがそばに突っ立ったままじゃ、暗くてかなわない。
あたしは譲司に事の次第を説明した。
「……ふん、なるほどな。さっきの写真か?」
「そう。たぶん普段から繁華街でたむろってる奴らだろ」
譲司はスマホをいじりだした。
あたしはドキュン共のワンボックスカーを撮影し、データを譲司に送付しておいたのである。
「車種もナンバーもばっちりだな。これなら楽勝だ。ダチのグループに投げれば、そいつらの身元はすぐ割れるぜ」
さっきのドキュン共を放置はできない。あたしはまだしも紗花にちょっかいをかけないよう、見つけ出してきっちりシメておく必要がある。
「だ、大丈夫なの……? 武田さんが危ない目に合うんじゃ……?」
「心配ないよ、こいつケンカだけはくっそ強いから。それに紗花もあいつら投げ飛ばしてたっしょ」
「へ? マジかよ!?」
譲司が眼を丸くすると、紗花は顔を赤らめた。
「あ、あれは護身術だよ! 学校で習わされて……まさか実戦で成功するとは思わなかったよ……」
「ほー。見かけによらず度胸があるんだな、あんた!」
うーむ、お嬢様学校おそるべしだな。
譲司の方は本気で感心してやがる。これだから脳筋馬鹿は。
「とにかく大丈夫。こいつ、しょっちゅう危ないことしてっから同じだし」
「同じじゃねーけど、承ってやるよ。俺の地元で女さらうようなクソ野郎は教育してやらねーとな……!」
譲司は凶暴な笑みを浮かべた。後は任せておけば問題ないだろう。ゴリラはジャングルの掟には厳しいのだ。
「っても、さすがに今日明日じゃケリはつかねぇ。しばらくあの辺歩くなよ」
「ああ、それだけどさ。紗花を家まで送ってやってよ」
「えっ、そんないいよ!」
「よくねーって。また連中に捕まったら洒落にならないっしょ。それともタクシーで帰るような金、あるの?」
「ない。でも……」
「奴らが仲間に連絡して、あたし達を探し回っている可能性もあるし」
「……そっか。警察……いや、やめた方がいいか。大騒ぎされちゃう……」
苦笑した後、紗花は譲司に向き直った。
「武田さん。すみませんが、お願いできますか……?」
「あ……ま、まあ構わねーけど」
そろそろ慣れろよ、童貞め。
「紗花、そんなにかしこまらなくていいって。こいつ年下だよ?」
「――えっ!?」
「まだ中二だし」
「ええっ!? 二学年も下なの!?」
「あたしの弟だが」
「えええっ!?」
紗花はあたしと譲司の顔を見比べている。びっくり眼がかわいい。
「た、確かにちょっと似てる……でも名字が」
「それはわかるっしょ。離婚したの、うちの親」
「ああ……そっか、そうなんだ……」
ふっと息を吐き、紗花は微笑む。
「わたしの方がお姉さんなんだね。じゃあ、あらためて――譲司くん!」
「お、おお?」
「わたしを家までエスコートしてくれませんか?」
「お、おう! いいぜ、任せろよ!」
「ありがとう! よろしくお願いします」
話はまとまった。
野郎に預けるのは業腹だが、紗花の安全には代えられない。一応、釘刺しとくか。
「譲司……おまえ、紗花に手ぇ出すなよ?」
「あっ、当たり前だろ!」
「紗花もこの馬鹿を信用しすぎるな。飲み物とか渡されても、絶対飲むなよ」
「あははは、わかったよ」
「杏奈、てめーこそふざけんなっ!!」
マンションの前であたし達は別れた。紗花と譲司はそのまま駅へ向ったはず。
ところが部屋に入るとすぐにスマホが震え、譲司からのメッセージが届く。
『どうすりゃいい?』
なんだ? 家の場所なら本人に聞きゃいいのに。
『ちがう』
『イミフ』
『なに話せばいい?』
二人を包む気まずい沈黙がリアルに伝わってきた。そういうことか。
なりはでかくてもさすがは中坊。女あしらいはド素人だなー。
『おい?』
『話題がないのか』
『ああ』
『質問でもしろよ』
『どんな?』
『下着の色を聞け』
『死ね』
『なら生理の周期』
『マジ死ね』
『朝うんこ出たか』
『やめろ』
レスに一欠片も余裕がないな。譲司のやつ、本気で困ってやがる!
あたしは笑いをかみ殺した。
『おまえ学トラわかる?』
『なんだそれ?』
やっぱ男は知らねーか。まあいい。
『漫画の話しろ』
『は?』
『あいつ漫画好きだぞ』
『マジ?』
少年漫画なら譲司はそこそこ読んでいたはずだ。
紗花は学トラだけ好きかもだが、話のきっかけになればいいのだ。
『すげえ』
『なに?』
『ジャンソーマン読んでる』
なんだそりゃ。
後から聞いた話ではWeb連載の少年漫画のようだ。ベリーハードな展開が売りのバトルもので中高生男子に大人気らしい。
『俺より詳しい』
『ほう』
『めっちゃ語り出した』
『あとよろしく』
『おお』
スマホを放り出すとあたしはベッドに寝転んだ。
くたくたに疲れていた。今日は本当に変な――特別な日だったから仕方がない。
あたし達の縁はこうして結ばれたのだった。




