おかしい
セルフサービスコーナーの一角に鎮座する、ソフトクリームサーバー。
さきほど紗花が凝視していたのはこれだったらしい。
「こんなの別に難しくねぇよ。そこの壁にも説明書が貼ってあるっしょ」
「そうですけど、食べ物ですし、いきなりやるのはどうもハードルが高くて……知らない人の手元を、のぞきこむわけにもいかないじゃないですか」
店員に聞けばいいのだが〝セルフ〟となっている以上、声をかけにくかったようだ。みんな忙しそうに動き回っているから、気持ちはわからなくもない。
「だからって遠くからうかがっていても意味ないと思うがなー」
「うー、それはそうですけど……」
紗花は顔を赤らめてもじもじしている。このお嬢さん、仕草がいちいちかわいいのズルくね?
「ま、いいや。ほらよく見とけよ。まずコーンをノズルの下……この辺に持ってきて」
「は、はい」
「レバーを動かすとノズルからソフトクリームが出てくるの。いくよ」
「おおっ!?」
「コーンを回し下げながら受け止めて」
「わっ、どんどん積み上がるっ!」
「適当なとこでレバーを戻してフィニッシュ」
「おおおおおーっ!」
紗花はすっかりきらきらした目になっていた。できあがったソフトクリームを渡してやると早速パクつく。表情が明るいせいで美少女ぶりが三割増しになってやがるぞ。もはやまばゆい。
「おいしい! 素人が自分でソフトクリームを作れるなんて……すごい時代になったね!」
なにやら深く感激している紗花。人類の進歩をソフトクリーム基準で計るんかい。まあ喜んでくれてなによりではある。
「しかも食べ放題……ネカフェって天国なの……?」
「カロリー高いから調子に乗って食いすぎるとヤベーぞ」
「じ、地獄かな?」
「おまえはちょっとくらい太ってもいいけどな」
「悪魔の誘惑やめて」
実際、紗花はほっそりしている。そのせいか綺麗なのに女くささを感じなかった。そもそも身に纏っている雰囲気からしてあたし達とは全然違う。なのに喋ってみるとごくフツーだからギャップがすごい。
「ネカフェ初めてとか言ってたけどさ、友達と来たりしないわけ?」
「友達は……いないので」
「そっか。まあ、あたしも多い方じゃねーし」
「――では、これが約束のブツだよ!」
紗花はささやき、学トラの27巻を返却の棚に置く。どうしても裏取引っぽくしたいらしい。あたしもなんとなく周囲をうかがい、素早く取り上げる。よしついに念願の最終巻をゲットしたぞ!
「さすが学トラ、驚きの結末だったよね! まさか最終的にゆかりんが」
「流れるようにネタバレするのやめろ。あたし連載とか追ってないから内容知らないんだよ」
「早く読んでよー。語りたいんだよー」
じれったそうに身をよじる紗花。なんだよこの愛らしさ? 思わず家に連れて帰りたくなるな。餌付けが成功したのか、紗花はあたしに打ち解けてくれたようだ。最初からこういう態度ができれば、友達なんてすぐに作れそうなもんだけど、人見知りなんだろうな。
「まあ、誰かが占有してたからなー?」
「えへへ、ごめんて」
「てかさ。そんなに読み返したいなら学トラの単行本買えばいいっしょ」
「いやいや持ってたよ、当然」
「持ってた?」
「うん、1巻から26巻までね。ファンブックと小説版も揃えてたよ」
紗花は困ったように笑って、
「でもお母さんに捨てられちゃったの」
「――は?」
「学校から帰って来たら全部ないんだもん。本棚がらーんってなっててマジ笑ったー。あと一冊で完結だったのにさ」
軽やかに語る紗花をあたしはまじまじと見てしまう。
おまえ学トラめっちゃ好きじゃん。母親だってきっと知ってただろ。なのに――全部捨てられたって?
「……なにそれ? ケンカでもしたのかよ」
「いや違くて。お母さんに聞いたら『あなたも高校生なんだから、もうあんなものは卒業よね?』ってさ。ああ言われちゃったかー、みたいな。でもいきなりだから驚いたよ」
「そりゃ……驚くだろ」
後ろから突き飛ばされたような気分だった。
一方的な母親のやり口を、当然のように受け入れている紗花の態度が信じられなかった。
「さすがに27巻だけは心残りでさ。図書館行くふりして読みに来ちゃった!」
それでいいのか? 本当にそれで済ませちまうのか。
もしそうなら――おまえはどこにいるんだよ。おまえの〝大好き〟が捨てられたんだぞ。どうしてそんなに落ち着いているんだ。
胸中を巡るだけの想いが彼女に伝わるわけがない。
平然とした様子で紗花はソフトクリームを食べ終えた。
「あー、おいしかった!」
「……ひでぇ話だな。おまえのものを勝手に捨てるなんて」
「まー仕方ないじゃん? もとをたどれば親のお金で買ったわけだし」
「んな関係ないっしょ! さすがに横暴すぎるだろ、あり得ねーだろ」
「でもわたしのためを思ってのことだし」
「おまえが親の弁解してどーすんだよっ!!」
思わず怒鳴ってしまった。紗花は目を見開いて硬直している。
見ていられず、あたしは視線を外した。
「ご、ごめん……」
馬鹿なことを口走っちまった。余所の家庭の事情だろ。よく知りもしないくせに他人が首を突っ込むべきじゃない。それにこれくらいの理不尽はよくあること。仕方がないことだ。
だけどあたしは――
「……やっぱりひどい話だよ」
「別に……たかが漫画じゃん。たいしたことじゃないよ」
「たいしたことだよ。紗花はひどいことされたんだよ、わかれよ」
「……」
「おまえの母親は」
「やめて」
――止まれなかった。
「おかしいよ」
「……ああ、そう」
「紗花、おまえは怒っていいよ」
「……」
「むしろちゃんと怒れよってあたしは――」
「もういいよ、大村さん」
はっとした時には紗花は踵を返していた。
小さな背を硬くこわばらせ、拒絶に声を震わせて。
「いいからもう――二度とわたしに話しかけないで」
支払いを済ませると紗花はネカフェを出ていってしまった。
あたしは止めなかった。こんなの、止めようがない。
(くっそ――マジで馬鹿じゃね? なにやってんだろ、あたし)
普段なら絶対言わないことだった。無理なことは無理と受け流すがあたしのやり方だ。必死にすがりついてもかなわない願いはある。もう子供じゃないんだから、そのくらいは理解すべきなのだ。
きっと紗花だってそう思って我慢していたはずだ。お母さん厳しいね、かわいそう、くらいで済ませてやるべきだったのか。
(そうだよ、なんでむきになっちまったんだ? いつもなら……普段のあたしなら適当に合わせられたはずなのに、どうして……)
あれはあたしの話じゃない。友達ですらない、他人の事情だ。関係ないことなんだ。
わかっている。わかっているのに、なぜか言わずにはいられなかった。聞き流せなかった。だけど、結果はこのありさまだ。紗花を傷付けただけじゃないか。
「……」
後悔しても仕方がない。
佐藤紗花と関わりを持つことはもうないだろう。縁が切れる時はこんなものだ。
「……阿呆か。もともと関係ないだろ」
返却の棚に27巻を戻す。すっかり読む気が失せていた。
思えばわざわざ漫画を読みにこようなんてのが、もういつも通りじゃない。きっと今日のあたしはおかしいのだ。
受付で会計をしていると壁時計が目に入った。
(げっ、いつの間にか19時すぎてるじゃん)
この辺はガラが悪い。夜に女が一人歩きするのに向いている場所ではない。変なのに絡まれる前に、さっさと帰った方がいい。
ましてお嬢様学校の制服を着た世間知らずが、一人でうろうろしていたら――
いや心配しすぎだろ。夜ってもまだ遅くはない。
そもそもあいつから縁切りしてきたんだ。あたしには関係ないはずだ。下手に首を突っ込めば馬鹿を見るに決まっている。
「……くっそ! 仕方ねぇな、もう!」