久しぶり
パソコンで流し読みしていたネットのまとめ記事。
いま思い返せば、きっかけはそれだった。
「ふーん。学トラ終わってたのか」
学トラこと〝学園トラブルガールズ〟はラブコメ少女漫画だ。けっこう人気があり、あたしも友達から単行本を借りて16巻まで読んでいる。最終巻は先週発売されたばかりのようだ。
「って、全27巻!? あそこから11冊も引っ張ったのかよ……すげぇな」
16巻ではヒロインの親友〝ゆかりん〟がゾンビになってしまい、彼女を人間に戻すために魔界ギャンブルとやらが開始されていた。少女漫画にあるまじきパンチの効いた展開だけど、その後どうなったかは知らない。中学に上がった頃からあたしはだんだん漫画を読まなくなり、続きは借りなかったのだ。
まとめ記事には〝ネタバレ〟と注意書きされていた。結末だけならこれを読めばわかりそうだが……。
待てよ、漫画を読むならインターネットカフェって手もあるか。
時刻は13時少し前。特に予定のない日曜日だ。いつもならゲームでもするのだけど、今日は気分じゃないし。
「……久しぶりに行ってみっか」
最寄りのネカフェまでは歩いて十五分ほどかかってしまうが、どうせ暇だ。
適当に身支度を整え、あたしは自宅のマンションを出た。
□
お目当てのネカフェは、繁華街の中にあった。
入店すると、室内は大量の漫画を詰め込んだ本棚で区切られていた。まるで迷路のごとしだ。学トラ27巻はちゃんと入荷していたが、新着の棚にはない。誰かに先をこされたらしい。
(仕方ねぇか。どうせ17巻から順に読まないと話がわからねーし)
ブースに既刊を積み上げ、しばし読書に没頭。
あたしは26巻までを一気読みしていた。
「……おお~、マジかこれ」
魔界ギャンブルなど序の口だった。仲間達が運命に翻弄され、最終的に世界が滅亡寸前に追い込まれていく怒濤の展開がアツくてヤバい。しかもギャグ多めのラブコメという基本路線はキープされているのだ。
この作者、天才っしょ! これは最後まで読まずにはいられない。
足早にブースを出て、返却の棚と新着の棚を再チェック。
しかしまだ戻されていなかった。
「くっそ、誰だよ。いつまで読んでやがるんだ……!」
いや、戻された後に別の奴に取られてしまった可能性もあるな。
どうしても今日中に全部読みたい。こうなったら27巻だけでも買うか――と諦めかけた時、あたしは気付いた。
小柄な少女が通路に立っている。背中を向けており、表情はわからない。
日曜なのに少女は通学鞄を持ち、制服を着ていた。確かあれは有名なお嬢様学校のやつだ。何故か本棚に姿を隠し、じっと反対側の様子をうかがっている。だがその先にはドリンク類などのセルフサービスコーナーがあるだけ。人の姿はない。
(なにやってんだ、あれ? 変な女だなー。ま、どうでもいいか)
猫だってたまに同じようなことをする。あの娘は人間の可聴範囲外の音が聞こえるのかも知れない。霊が見えるのかも知れないし、独創的な暇つぶしをしているのかも知れない。とにかくあたしとは無関係な他人だ。
そのはずだったのだが。
「――んんっ!?」
あたしは思わずダッシュしていた。びくっとして少女が振り向く。シャンプーの宣伝かよって勢いで、艶やかな長髪がさらりと流れ舞った。
「な、なんですか!?」
驚き混じりの抗議――しかし、実はあたしも強い衝撃を受けていた。
この娘すっごい綺麗じゃん! まさに純和風、凛とした風情の清楚系美少女だ。
「あ……びっくりさせちまったよな。ごめん」
あたしの返答がご不満なのか、少女は眉をひそめた。
色白だしマジで顔ちっちゃいな……てか、まつげめっちゃ長げー! つけまとか絶対いらないやつだろ、これ。
「……どなたかとお間違えに?」
漆黒の大きな瞳を向けられ、あたしは気おされてしまった。
なんだろう、この迫力。目力があるってやつだろうか。見詰められると、逆に底知れない闇をのぞいているような気さえする。
いや待てよ? この雰囲気はどこかで覚えがあるぞ。かなり昔……たぶん子供の頃じゃないか。
「あー、そっか。佐藤だわ」
「えっ!?」
「おまえ、佐藤紗花だろ? あたし大村。大村杏奈」
「おおむら、あんな……?」
「そうそれ。小学2年まで同じクラスだったっしょ。途中で紗花は転校したけど」
「はあ。確かに転校はしましたけど……」
めっちゃ怪訝そうだな。だからなに? って顔してやがる。
「あの、大村さん」
「呼び捨てでいいよ。タメだしもとクラスメート――」
「わたし、あなたのことは覚えてません」
ぴしゃりとさえぎられてしまった。
いらないモノをゴミ箱に叩きこむような容赦のなさだ。
「ご用件はそれだけですか? 大村さん」
紗花は愛想笑いを浮かべているが、綺麗すぎるせいかよそよそしさも半端ない。
えっらい塩対応だなー。こんな奴だったっけ? ま、いいか。あたしも別に旧交を温めたいわけではない。
「いや、用はそれ。学トラの27巻」
あたしは紗花が大事そうに抱えている漫画の単行本を指した。
「最終巻だよな。あたしも読みたくてさっきから探してたんだわ」
「っ! 大村さん、学トラ読んでるのっ!?」
「あー、さっき26巻まで読み終わったとこだけど……」
「いいよね、学トラ!! 恋愛とギャクとアクションの配分が神だよね! 特にわたしは消せない憎悪を抱えながらも、次第に認め合っていく健ちゃんとエリックの関係性が――」
はっと我に返り、紗花はわざとらしい咳払いをして居住まいを正した。
手遅れっしょ。めっちゃ早口だったし学トラ大好きなのな、おまえ。
「こ、これはわたしが借りてますからダメです」
「あー、くそ。まだ読み終わってなかったのか……」
「読み終わってますよ」
「は?」
「もう5回以上読みました」
「ええっ、読み終わっているのかよ!?」
「はい、読み終わってますが?」
ますが、じゃねぇ。なんでおまえまで疑問形なんだよ。
「い、いや……あたしも読みたいからさ、棚に戻してくれる?」
「ダメです。まだ読みますから」
「は? なんでだよ!」
「繰り返し読むんです。すべてのコマを魂に焼き付けるために」
「たま……しい?」
「ソウル」
「同じっしょ」
「とにかく、わたしは何度も読み返す派なんです!」
なんて迷惑な派閥だ。せめて活動は自宅に限定しろよ。
でもネカフェに漫画を読み返す回数についての規約は……たぶんないだろうな。
むううう……もやっとするが、魂とか持ち出されちゃ打つ手なしだ。大人しく待つしかないかー。急かされて読むの嫌だもんな。いやこいつはとっくに読み終わってはいるのだが。
仕方ない、あたしも1巻から16巻まで読み返しでもしよう。
いずれ紗花のソウルも満たされる……いや焼き付けられるのだろう、学トラが。
「はー、もうわかったよ。あのさ、あたし14番のブースにいるから棚に――」
「……あの」
「ん?」
「大村さん。こういうお店、慣れてますか?」
何故か紗花は声をひそめ、顔を寄せてきた。
なんだ? 裏取引みたいじゃねーか。
「ネカフェのこと? たまーに来るくらいだけど」
「わたし、今日が初めてで……ちょっとお願いがあるんです」
読了ありがとうございます!
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