わたしの誇り
公演が終わり、お母さんと一緒に帰路をたどる。興奮の残滓が、わたし達をほんのりと包んでいた。
「本当にすごかったねー。特に休憩の後、役者さん達が背中におっきな羽根飾りをつけて出て来た時はびっくりしたよ」
「ふふっ、初めてだと驚くわよね。前半はお芝居、後半はショーになるのが桜塚の伝統なのよ」
弾むような調子で語るお母さん。わたしも嬉しかった。
「昔から好きだったの。紗花が産まれてから色々あって、ずっと観るのをやめていたのよ」
「相当気合いの入ったファンだよね、お母さん」
「そりゃあね。こう見えても私、桜塚の娘役を目指していたんだから」
「ええっ、本気で?」
「もちろん。男役をするには身長が足りないでしょ?」
他に足りないものはないと言わんばかりだ。はいはい、確かにいまでもお綺麗ですけども。
いたずらっぽい微笑みをおさめ、お母さんは暗い空を見上げた。
「――私にはもうあなたしか残っていないと思っていた。あなたが私のすべてで、もうそれでいいって」
「……」
「でも、違ったわ」
「……うん」
「私はまだ私だったの。ぜんぶ諦めたつもりだったのにね」
高校卒業と同時に佐藤の家に入り、二十歳でわたしを産んだ。勉強や礼儀差法に厳しく、趣味らしい趣味はない――それがわたしの知っているお母さんだった。
だから決めつけてしまっていた。わたしの〝好き〟を話したところで、この人には理解されない。きっと、お互いにそう思っていたのだ。
「紗花、あなたはしたいことをしなさい。なんでも自由にね」
「なにをするか、わたしが決めていいの……?」
「ええ、誰のことも気にしなくていいわ。杏奈ちゃんが言ってたのよ。『好きってどうしようもないじゃないですか』って。殺し文句よね」
ああ、それは確かに大村の言いそうな台詞だ。
「でもだらしなくしてはダメよ? 学生として、人として、すべきことはきちんとした上での話だからね」
「うん」
「それからお母さんにはお母さんの意見があるから、言うべきは言わせてもらうわよ」
「は、はい」
うわ、いつもの調子が戻ってきた。
「特に将来のことについては真剣に考えなさい。まだ高校一年だからって――」
「――ぼんやりしていると先々困るわよ! だよね?」
おなじみのお説教だ。わたし達は苦笑し合った。なるほど、お母さんはやっぱりお母さんだ。
「だけど本当にいいのかな……わたしだけがそんな自分勝手をして」
「自分勝手? 紗花が? まさか!」
あり得ないという感じで笑うお母さん。わたし達は大きな橋の上に差し掛かっていた。蕩々と流れる河に誘われたのか、口から言葉が滑り出す。
「家族がバラバラになっちゃったのは、わたしが……ちゃんとできなかったからでしょう?」
「どうして……そんな風に思うの?」
「だって、昔はそうじゃなかったじゃないっ!」
縫い止められたようにお母さんの足が止まる。しまった、と思ったけどもう止まれなかった。幼い頃、わたしはみんなの間を駆け回り、仲を取り持とうとしていた。それは一応功を奏し、それなりに家族の体裁は保たれていたと思う。
「でも小学校を転校した辺りから、うまくいかなくなったよね。わたしが自分のことだけにかまけてしまったから」
言い訳をするなら、当時わたしは余力を失っていた。転校先でクラスになじめず孤立していたのだ。そして気付いた時にはもう取り返しのつかないほど、家族は壊れてしまっていた。
「だから前よりもっといい子になろうとした。そうすればまた家族をもとに戻せるんじゃないかって……だけど、わたしにはもう無理だった……」
お父さんはほとんど家に戻らなくなった。父方の親戚も訪ねて来なくなった。たまに顔を合わせることはあるけれど、彼らはわたしと話すのを避けるようになっていた。
「紗花、それは――」
「わたしはもうお父さんがどこで暮らしているのかさえ、わからない。わたしがちゃんとしていたらこんなことには……!」
「それは違うわ! 本当に違うのよ、ごめんなさい!!」
思いがけない激しさで否定されてしまい、わたしは驚いた。
お母さんはわたしを抱き締め、嗚咽をもらす。
「ああ……ごめん、ごめんね、紗花……!」
「お母さん……?」
「なんてことなの、そんな……あなたに自分を責めさせていたなんて……!!」
「だ――だって、わたしが」
そっと身体を離し、お母さんはわたしの目を見つめた。
「佐藤の人達の態度が変わったのは紗花のせいじゃないわ。――跡継ぎができたからなのよ」
「え……?」
「あなたには、弟がいるの」
「……おとうと?」
弟だって? わたしの後に産まれた男の子がいるってこと?
わたしは意味をつなげようともがいた。
「あの、それって……外で、ってことだよね……?」
悲しむような、安堵したような表情を浮かべ、お母さんはうなづいた。
真っ白になってしまった頭にじんわりと状況が浸透していく。
ああ、なるほど。
お父さんはもともとわたしへの関心は薄かった。祖父も祖母もわたしが女の子で、しかも母親似であることが不満のようだった。やがて代わりというか彼ら的には本命ができたから、わたし達はお払い箱になった。
これはそういう話だったのだ。
なにそれ。なんだそれ。力が抜け、かくんと膝が折れてしまう。
「紗花っ!?」
わたしはへたり込んでしまった。
向こうがそんなつもりなら、なにをやったって無駄だ。砂漠に種を埋め、水を撒いたところで芽は出ない。至極当然じゃないか。橋の欄干に背を預け、天を仰ぐ。
「――ふ、は。ははっ、あはははは」
「す、紗花……?」
「あははは! あはっははははっ!」
「大丈夫、紗花!?」
お母さんはわたしの前にひざまずき、おろおろしている。それを尻目にわたしはしばらく笑い続けてしまった。他にどうしようもなかった。だって馬鹿すぎるよ、こんなの。
「ああ、どうしましょう……!? わ、私が急にこんな話をしたから……!」
「ちっ、違う……違うよ、お母さん……うふっ、ふふふふっ!」
落ち着け、これ以上はヤバい。本気でおかしくなったと思われかねない。
「はー……びっくりしたよね、ごめんね。でも、わたしはホントに大丈夫だから」
お母さんには悪かったけど、おかげですっきりした。涙を拭い、ようやく笑いをおさめる。伝えるべき言葉を伝えるために。
「わたし、お母さんが好き」
「紗花……」
「お母さんが幸せだとわたしも嬉しいの。だからお母さんも幸せだと思えることをしてね。応援するし、協力するからさ」
腰を上げ、お母さんに手を貸して立ち上がらせた。ここは風通しがいい。わたしを囲んでいた壁は綺麗に取り払われていた。箱はもうないのだ。
「……紗花、あなたは……それでいいの?」
「うん」
「お父さん達のことは――」
「こんな素敵な晩に、どうしようもない人達のことなんて考える必要ないよ。わたし達はわたし達で楽しくやればいい。そうでしょ、お母さん」
わたしは穏やかに笑うことができた。
失望、恨み、やるせなさ――否応なくこみ上げてくるものはあった。負の感情に身を任せることには一種の快感がある。己が被害者だと思える場合はなおさらだ。それは強烈な誘惑だった。
だけど大丈夫。わたしは自ら箱へ閉じ籠もるような馬鹿はしない。わたしはわたしにとって大切なものだけを抱えればいい。
「……驚いたわ。紗花、あなたすっかり大人になったのね」
「どうかなぁ。きっと大村ならそうするだろうな、って思っただけだよ」
中学時代の大村をわたしはよく知らない。だけど、わかることもある。彼女は暗い牢獄へ押しこめられたけど、鉄格子を蹴り倒して出て行ったのだ。きっと堂々と胸を張り、颯爽と背筋を伸ばし、軽やかに大股で。それは切ないほどに鮮やかな身の処し方だった。
大村杏奈と出会い、恋をしたことはわたしの誇りだ。それを汚すような真似はしたくない。
「そうね、杏奈ちゃんなら言いそうね」
想像出来てしまったのか、お母さんも可笑しそうに笑った。
ほら見てよ、大村。やっぱり君がしてくれたことは革命なんだよ。
「ねえ、お母さん。今日は一緒にお風呂に入ろうよ」
「ふふふっ、いいわよ。何年ぶりかしらねぇ」
実を言えば、わたしには大事な相談があった。どうせなら湯船に浸かってリラックスした状態で話したかったのだ。
わたし達はその晩、夜がふけるまで語り合った。




