待ち人
授業が終わると同時にあたしは席を立った。
さっさと教室を出ようとしたが、恵美に呼び止められてしまう。
「お-い、むらっち! 待てよ、なに急いでんだよ」
「水曜だろ? バイトなの」
「あっ、だっけか。じゃあよ、終わった後でいいからカラオケいかね? ジョー君も誘って――」
「夜は先約があっからダメ」
「ええ? なんだよ、まさかデートか?」
「あーね。豪華ディナーをゴチられてくるわ」
「ちょ、マジかテメー!」
むくれる恵美にあたしはにんまりと笑い返してやった。
□
自宅マンションからほど近いカフェレストランが、あたしのバイト先だ。
客のはけた席から食器類を下げていると、入り口で鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいませー」
反射的に声を出して振り向く。入って来たのは上品そうな女性が一人。どうやら、あたしの待ち人らしい。
「ごめんなさい、よろしいかしら。こちらに大村さんって方は」
「はい、あたしです!」
「えっ? あなたが大村さんなの?」
びっくり眼が紗花にそっくりだ。営業スマイルを浮かべるまでもなく、笑ってしまった。
「はい、大村杏奈です! あらためまして、よろしくお願いします、香里おば様!」
おば様を席にご案内した後、バイト仲間に接客を引き継ぐ。
タイムカードを押し、手早く着替えるとあたしは店内に舞い戻った。
「お待たせしました! 店の場所、すぐわかりました?」
聞きながらあたしは惚れ惚れとおば様を眺めた。
想像通りのスゴイ美人。もう中年のはずなのに実に若々しく、美肌を保つコツをウチのママに教えてやって欲しいほどだ。
「ええ……タクシーで来たから大丈夫だったわ」
「よかった! まず注文をしましょうか。おすすめのメニューは――」
最初おば様はぎこちなかった。たぶん紗花と同じく人見知りなタチ――加えてあたしのなりが気になるのだろう。メッセや通話でのやり取りは何度かしているが、会うのは初めてなのだ。今夜は少しでも真面目っぽく見せる為に地味なヘアスタイルにしたけど、さすがに髪を黒く染めるまではしてないからなー。
まあ、こういう反応には慣れている。あたしはでかい上にガラも悪く見える女なのだ。
幸い適当に身の上話をするうちに、おば様も慣れてくれたらしい。
食事が済み、コーヒーが供される頃にはお互いリラックスして話せるようになっていた。
(……めっちゃ綺麗だけど、この人が紗花を追い詰めていたんだよな……)
なのに不思議と責める気持ちになれない。
たぶんあたしは最初の電話の時からそうだった。なんでだろ?
「――美味しかったわ。私は滅多に外食しないのだけれど、たまにはいいわね」
「お口に合ってよかったです。よろしかったら、またいらしてくださいね」
「ええ、ありがとう。あの、それで……大村さん」
おば様はためらいがちに話し始めた。
「相談というのはね、紗花のことなの」
「はい」
「あなたはあの子をよく理解してくれているみたいだし、私は――他に相談できる相手がいなくて」
「はい、なんでもおっしゃってください!」
「ええ……ありがとう、大村さん」
そっか、声だ。
おば様と紗花は見た目以上に声質が似ている。まるで大人になった紗花と話しているみたいだ。
『うんっ! ありがとう、大村っ!』
紗花とおば様が重なり、じんときてしまった。ああ、親子なんだなぁ。
どうにかして、この二人の仲を取り持てればいいのだが。
「母親の口から言うことでもないのだけども、紗花はいい子なのよ。きちんと勉強して、学校の決まりも守るし、親に逆らったこともない」
「――はい」
高校生の娘が親に逆らったことがない?
おば様、それはおかしいんですよ。
「ただね……あの、大村さんはよく漫画を読んだりするの?」
「いえ、あたしはあまり読みませんね。この前、久しぶりに読みましたけど」
「そうよね! 高校生ともなればあまり読まないのが普通よね!」
意を得たとばかりに、おば様は勢いづく。
「別にね、ちょっとくらいなら……気晴らし程度ならいいのよ。でも紗花はね、入れこみすぎていて……心配になってね」
「もしかして同じ本を何冊も買ってしまうとか?」
「いいえ、まさか。さすがにそれはないわ。同じ本があっても意味がないじゃない?」
おば様はきょとんとしてしまった。まったく理解の埒外という感じだ。
「紗花はね、毎日同じ漫画を読むの。毎日よ? さすがにおかしいわよね」
学トラ以外は買ってないはずだから、毎日それを読んでいたわけか。うん、あいつならやりかねない。てか、紗花の学トラ愛からして普通にやるだろう。
「長編で何冊も出ている漫画もありますし、読み返すことはあるんじゃないですか?」
「確かに20冊以上はあったわね。いえ、30冊近いかも……」
「それなら――」
「でも結局、同じお話でしょ? 普通はそんなに読み返さないと思うのよ。そもそもあの子の年齢になってそんなにたくさん漫画を買うこと自体、おかしいんじゃないかしら」
世の中には数百冊の漫画蔵書を抱え、家がネカフェみたくなっている大人もいるぞ。なんか常識の断絶を感じるな。
「あたしも好きなものは集めたり、繰り返し楽しんだりしますよ。趣味なんですから、おかしいとまでは」
「でもね、紗花は他の漫画は読まないのよ。その漫画……なんて言ったかしら……学校? 学級……学なんとかって漫画だけを何冊も買い集めて、そればかり毎日毎日読んでいるの!」
好きなんだからその程度は余裕っしょ。
それにお嬢さんは学トラ以外にもいっぱい読んでますって。おば様には隠しているだけです。
「紗花さんが読んでいたのは学トラじゃないですか? 学園トラブルガールズって漫画」
「そうそう、そんなタイトルだったわ!」
おば様はぽんと手を打ち、
「いくら何冊もあるとしても毎日よ? 同じ漫画を繰り返し読んでいることには変わらないし……おかしいわよね? やっぱり」
「おかしいんじゃなくて、紗花さんは学トラが好きなんですよ。きっと特別好きなんです。それだけですよ」
助け船を出したつもりだったのだが、おば様はずしんと落ち込んでしまった。
「やっぱり……そうなのね。そうじゃないかとは思っていたのだけど……」
「ど、どうかなさいました?」
「私のせいなんだわ。私のせいであの子は……」
「……学トラを捨ててしまったことでしょうか?」
「紗花から聞いたのね?」
「はい。学校から帰って来たらぜんぶなかった、と……」
「そう……やっぱりあの子はあなたを信用しているのね」
おば様は首を振った。
「でも、違うの。実はまだ捨ててないのよ」




