革命なんだよ
話し合いは済んだ。
おば様がもう一度紗花と話したがったので、あたしはスマホを返した。
紗花は最初不安そうにしていたが、次第に緊張がゆるむ。
「――うん……うん、わかったよ。そうだね。うん……はい。じゃあ切るね、お母さん」
通話を終えると紗花はがくりと頭を下げ、深々と嘆息した。
「はぅぅぅ……」
「お疲れ」
「うん。疲れたね……マジで。マジのマジで」
「だな」
顔を見合わせ、あたし達は乾いた笑いをかわした。ホント、なかなかの瀬戸際だったぜ。話がこじれていたら、二度と紗花に会えなくなったかも知れない。最初の奇襲がすべてを決したのだ。
「てかさぁ大村のあれ、なに? 完全に別人だったよ」
「あー、ありゃ〝よそゆき杏奈ちゃん〟だよ。なかなか面白かったっしょ?」
「むしろ、えっ、怖っ!? ってなったよ。もう憑依じゃん。マジホラーじゃん」
「ほっとけ。お母さん、なんて言ってた?」
「ええと、これからはもし帰りが遅くなりそうな時はちゃんと連絡を入れなさい」
「あー、それな」
「お小遣いの使い道はしばらくわたしに任せる。でも無駄遣いはしないようにって」
「ふーん。ま、無駄かどうかはおまえが決めりゃいいし」
「……わたしが決めていいんだよね?」
「当たり前だろ、おまえのことっしょ? おまえがいいと思った通りにやれよ」
「そうだね。自分のことは自分で決めないとね……」
紗花は自らに言い聞かせるように小さくうなずく。
好きも嫌いも本人しか決められない。誰の顔色もうかがう必要はない。やりたいようにやればいいのだ。
「あと――大村さんと仲良くねって」
「ぷはっ!」
思わず吹き出してしまう。ひょっとすると、ものすごく率直な人なのかも知れないな、おば様は。
「まったく、ウチのお母さんも困った人だよね……」
「あーね」
「大村のスマホ、本当にお母さんに教えちゃってよかったの?」
「もちろん。約束したし」
あたしの連絡先は紗花から香里おば様へ転送してもらうことにしたのだ。
「マジで直電とかメッセ飛んで来ると思うよ、お母さんから」
「いいよ。『いつでもご連絡くださいっ、おば様なら大歓迎ですぅ!』ってゆっといたし」
「うわ、怖っ。てかキモっ」
「キモいゆうな」
実際、あたしは香里おば様には興味がわいていた。会話するまでは怪物のようにさえ思っていたが、お互いにもう少し馴染んだら直接会ってみたくもある。
「うげ、あんた本気かよ!?」
「別におかしくねーだろ。紗花のお母さんなんだからめっちゃ美人っしょ?」
「ってそれ、わたしもめっちゃ美人ってこと?」
「あーね」
「はー、もう! 大村さんはどこまでマジなのか、わかんないっす」
「あたしは最初から最後まで全マジだが?」
「ねえ、大村」
「ん?」
「……」
「なんだよ、便秘?」
「違くて! 大村はどうしてこんなことができるの?」
「へ? なに、こんなって――」
聞き返しかけて息を飲む。
あたしを見詰める紗花の眼差し。あふれこぼれそうな激情をかろうじて堪え、漆黒の瞳が揺らめいていた。
「わたし、生まれ変わったみたいな――世界が変わったみたいな気がしてる。大村のおかげだよ」
さすがに大げさだろ。あたしはおば様が当たり前の判断をするように誘導しただけだ。
しかし紗花は首を振った。
「大げさじゃないよ。わたしにとっては……もしかしたらお母さんにとっても」
大村にはわからないかも知れないけど、と紗花は微笑む。
「こないだ、あんた言ったじゃん。『おまえの母親はおかしい』って」
「あれは――」
「ううん、いいの。本当のことなんだよ。だからすごく頭に来たの。わたしも気付いてた……わかってはいたんだ。わたしとお母さんはおかしかった。わたしの家族はおかしいんだよ。でも……わたし達にはどうしようもなかったから」
確かにおば様との話し合いは成功し、勝利条件はきっちり達成できた。
でもそれだけだ。お小遣いの件は執行猶予みたいなもんだし、捨てられた学トラだって戻ってこない。本質的に見れば紗花の問題はなにも解決してない。
なのに、まるで奇跡を起したみたいに言われては落ち着かない。
「紗花、あたしはそこまでのことはしてないって」
「もちろん、これからもわたしとお母さんはぶつかるよ。でもわたしが閉じ込められていた箱の蓋が、初めて開いたの。それは革命なんだよ」
「……」
「あー、やっぱりわからないかな」
「紗花、あたしは――」
「ね、大村の家ってこないだのマンションだよね?」
「え? ああ、そうだけど」
「もし迷惑じゃなければ、これからお邪魔させてもらってもいいかな?」
□
紗花と連れ立って帰路を歩く。
「大村は背が高いよねー」
「おまえはちっさいよな」
「わたしのことはいいんだよ。何㎝あるの?」
「あー、169かな。伸びているかもだけど」
「でけー! ずるいよね、あんた足も長いし……」
「股下88cmだが」
「うっそっ!?」
「恵美……友達が計って、んなこと言ってた」
「絶対反則スペックだろ! チートじゃん、チート!!」
「るせーな、生まれつきだっての」
「まあいいや。あんた、学校の制服は死ぬほど似合わないし」
「マジほっとけ」
途中、コンビニでお菓子を買い込む。
「大村、たけのこ派なの!? ヤバ……敵じゃん」
「おまえこそなんで歯磨きなんて買ってんだよ」
「歯磨きじゃないよ、ミントチョコだよ殺すぞ」
くだらない会話が楽しかった。居心地の悪さは、どこかへ消えていた。
「ねー、大村の血液型は? 誕生日はいつ? 好みのタイプは?」
「はあ? なんかおまえ、質問多くね?」
「わたし大村のことなんにも知らないんだもん。欲しいものとかないの?」
「現金」
「そういうんじゃなくてだよ!」
「んな、知りたいかよ、そんな情報……」
「もちろん知りたいよ」
少し先を歩いていた紗花がくるりと振り返る。
「大村のことは、ぜんぶ知りたい!」
輝く笑顔に胸がざわついた。
やっぱり、あたしは紗花が好きだ――でもダメだよな。
この娘に必要なのは、自宅よりも楽に息ができる場所だ。気兼ねなく自分をさらけ出せる友達がいればもっといい。
与えるべきは安心できる環境と気の置けない友人。
いつ心変わりするかも知れない、浮ついた恋人などではない。そんなもの、かえって害悪になりかねない。
皮肉にもおば様を煙に巻こうとする過程で、あたしはそれに気付いてしまった。ああ、ちくしょう。こんなことならさっきハグだけで我慢するんじゃなかった。もっと早く気持ちを伝えていればよかった。そしたらおまえは、あたしを受け入れてくれたかも知れないのに。
「大村、部活は?」
「してないよ。団体競技とか苦手だし」
「そっか。暇な時はなにしてるの?」
「まだ質問すんのかよ。ゲームだよ、パソコンの対戦ゲーム」
「うわ、意外ぃ! 似合わねーっ!!」
「だからほっとけって」
「ごめんごめん。やっぱり学校の友達としてるの?」
「んー、いや。ネトゲでタダでやれっから学校のダチとか何人か誘ったけど、ダメだったわ」
「なんで? エロいから?」
「阿呆か。まずパソコンがいるの。まあそれはあたしが貸してやれっけど、ゲーム自体がマニアックで操作が難しいんだよ」
「でも大村は好きなんでしょ? 面白いの?」
「すげぇ面白い。あたしにはね」
ネトゲだから同好の士が近くにいなくても、対戦相手は探せる。なのでプレイをすること自体には問題はないのだが――
「――でもそうだな……」
「なに?」
「欲しいものの話だよ。一緒にゲームしてくれる仲間は欲しいよなー。一応ゲーム上のフレンドとかはいるけど、やっぱリアルの友達じゃねーし」
「同じ趣味で盛り上がれる相手は近くにいて欲しいよね。めっちゃわかる!」
「安心して分隊を組めるレベルの僚機がいると、戦いやすさがぜんぜん違うし」
「……なるほど。うん、なるほどねー」
突如、にまにまし始める紗花。
なんだ? いまの会話のどこかに面白いポイントあったか?
「おまえ、なににやけてるんだよ?」
「えへへへ。なんでもなーい」
それからマンションに着くまで、紗花はずっとご機嫌だった。




