魔王タドリーの愉快な日常
この世界は、五人の魔王がいる。東西南北、そして中央に存在するそれぞれの島を支配している魔王は、悪事の限りを尽くしていると言われていた。
実際に島によっては絶対的な支配がされている。だが、中にはとても平穏な場所もあるのだ。
それが中央に存在する〈ダウエル・ダルク〉である。
「うぁ……」
眩しい日差し。いつも通り平穏な朝を迎えた少年は、なぜだか身体に重みを感じた。寝ぼけた頭で考えながら起き上がろうとするが、身体は不思議なことに動かない。
「おはよー、タドリー」
タドリーと呼ばれた少年は、突然入ってきた幼なじみの顔にさらなる疑問を抱いた。
なぜ、自分の部屋にこんな満面な笑顔を浮かべた幼なじみがいるのか。鍵はちゃんとしていたのにどうして忍び込まれているのか。
そんなことを考えていると、タドリーはやっと自分が置かれている状況に気づいた。
「ねぇ、メメル。退いてくれない?」
「やーだ」
幼なじみメイトディアメルフィルリータことメメルは、笑顔で拒絶する。それにタドリーは顔を歪ませた。
「ど、退いてよ。早くトイレに行きたいんだけど」
「やーだ。私にキスしてくれたら考えてもいいよ」
「いや、そう言われても」
「むぅー。ならタドリーの貞操を奪ってやるー!」
「なんでそうなるの!」
あまりにも積極的な幼なじみに、焦るタドリー。懸命に寝間着のズボンを剥ぎ取られないようにガードするが、メメルは容赦をしない。
「そーれ!」
掛け声と共に引き裂かれるズボン。残っているのはトランクスだけで、タドリーはとても情けない姿である。
「メ、メメル。落ち着こうよ、ね?」
「グッフッフッ、諦めが悪いよ? タドリー、ここまで来たら覚悟を決めてよー」
「覚悟も何も、こんな状況でできる訳が……」
「さぁ、楽しい時間よー」
タドリーは青ざめた。懸命に後退りしていくが、すぐに壁へとぶつかり追い詰められてしまう。そんなタドリーにジワリジワリと近寄っていくメメル。その目つきは、鷹の如く鋭い。
「覚悟、タドリー!」
「ひぃいいぃぃぃ!」
タドリーの悲鳴。それは毎度のことながら、ダウエル・ダルクという島に朝がやって来たことを知らせるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
「全く、魔王であるあなたが情けない」
メイド長であるレイラは、タドリーに嘆いていた。
どうにかメメルから逃げることができたタドリー。おかげで部屋は壊れてしまったが、レイラに助けを求めることはできた。しかし、いつも通りレイラからは説教を受けることになり、タドリーは身体を縮めさせて正座をさせられていた。
「だって、メメルが――」
「だってではありません。あなたは童顔で、小柄で、気弱。さらに泣き虫なんですよ? そんな魔王がどこにいると思うんですか?」
「そんなこと言われても……」
「ただでさえ見た目で舐められるんですよ? もう、先代ではあり得ないことです。もっと先代に習って身体を鍛えてください!」
タドリーは泣きそうになった。足が痛いのもあるが、なぜここまで怒られなければならないのか、と心の中で嘆く。
そんなタドリーを見たレイラは、大きく息を吐いた。
「あなたには先代を超える義務があります。確かに今すぐはできませんが、いずれは超えなければならないです。ですから、日々精進をしてもらいたいんですよ」
「無理だよ。お爺ちゃんは、とてもすごかったんだから。父さんだって超えることができなかったし」
「先代はなぜあなたに魔王の座を託したかわかりますか?」
タドリーは首を振った。
ハッキリ言って、先代魔王がなぜ父親でなくタドリーに魔王の座を渡したのかわからなかった。タドリーはこれといった長所はない。短所ばかりだ。
「そうですか。なら、頑張らないといけませんね」
少し残念そうにしながらレイラは言葉を放つ。タドリーはそれに、なんだか情けない気持ちになった。
「ということで、今日は溜まりに溜まった書類に目を通してもらいます」
ポンっ、と手を叩き途端に笑顔となるレイラ。あまりの切り替えの早さに、タドリーは目を点にしてしまう。
レイラがある部分に指先を向ける。目を移すと、そこには山積みにされた書類の束があった。それは一つ二つではない。もはや机が覆い尽くされていると言っても過言ではないほど大量だ。
「あ、あれをやるの……?」
「はい。日頃サボっているからいけないのですよ? 魔王様」
こんな時だけ持ち上げるレイラ。タドリーはあまりの多さに腰が引けてしまう。
「レ、レイラ」
「何でしょうか?」
「代わりを頼んでも、いいかな?」
「ダメです」
回答を聞いた直後、タドリーは笑った。レイラもつられて笑う。タドリーは「そうだよねー」とわかったように言葉を吐き出していた。
「後は頼んだ!」
「あ、逃げるな。魔王!」
持ち前の足の速さを活かして逃げ出すタドリー。進路が塞がれる前にとっとと城の外へと飛び出した。
「あんなのやってられないよ!」
町の中を走るタドリー。とにかく追手が来る前にどこかへ隠れようとする。
そんな中、屋台を引いているおっちゃんと張り合わせた。
「うわわっ」
タドリーは間一髪、どうにか止まりぶつかることは避けた。安心して胸を撫で下ろしていると屋台のおっちゃんが声をかけてくる。
「おんや? 魔王様どうしたんだべ?」
少し訛った言葉にタドリーは笑顔を浮かべた。
「いやー、ちょっといろいろとありまして」
「そりゃ大変だべ。一大事だんべ。力になれることがあれば、微力ながらおらの力を貸してやっぺ」
「いえいえ。お気持ちだけでも嬉しいですよ」
お世辞を言いつつ、去ろうとする。しかし、その瞬間に思いもしない放送が流れた。
それはタドリーが予期していないものだ。
『国民に告ぎます。我が主、魔王タドリーが仕事から逃げ出しました。捕まえた者には一〇〇万ゴールドを贈呈します。もう一度繰り返しましょう。捕まえた者には一〇〇万ゴールドを贈呈します』
タドリーは心の中で「えー!」叫んだ。まるで賞金首のような扱いである。
そしてそんな扱いをされたタドリーは、恐る恐るおっちゃんの顔を見た。するとおっちゃんは、狼のような顔つきとなっていた。
「逃がすか、金づる!」
「ひぃいいぃぃぃ!」
もはや町に安全な場所なんてない。一刻も早く町の外へと逃げなければ。
そんなことを考えて走るタドリーだが、様々な進路を町の人々に塞がれてしまう。
「いたぞ、あそこだ!」
「いやぁぁ!」
「こっちに追い詰めろ!」
「やめてぇぇ!」
懸命に逃げるタドリー。だがその懸命さが仇となった。
一生懸命逃げていると、タドリーは知らない所に立っていた。響き渡る獣の声と、不気味な緑色の闇。広がる木々と草は何を示すのか、タドリーは答えを求めなくてもわかってしまう。
「どうしよう。ここ、嘆きの森だよ……」
嘆きの森。それはこの世に未練が残る様々な存在が徘徊している不思議な森の呼称だ。奥には歴代の魔王達の墓があり、祭られている。つまり神聖な場所でもあるのだ。
ただ、歴代魔王達が祭られているということもあり、とんでもない魔物が存在する。いくら魔王であるタドリーでも、力なき者と判断されれば襲われてしまう可能性があった。
「困ったな。こんな所に来るなんて」
いくら必死に逃げ回っていたとはいえ、ここは来るべき所ではない。それがわかるからこそ、一刻も早く外へと出なければならないのだ。
しかし、タドリーは困っていた。頭ではわかっていても、帰るべき道標がないためできないのだ。
「確か、こういう時はあまり動かないほうがいいってレイラが言っていた。ような気がする」
確信はないが、タドリーはレイラの教えに従うことにした。だが、響き渡る不気味な鳴き声に一面へ広がる闇は、自然と不安を掻きたててくれる。だからタドリーは懸命に、どうすれば脱出できるのか考えた。
「帰りたくないけど、それよりも死にたくないし」
やむを得ない。タドリーは決心をし、手のひらを空へと向ける。そして、僅かに力を込めて魔力を解き放った。
空を泳いでいた雲が割れる。巻き起こる風はタドリーの強大な力を示し、居場所をも教えてくれた。
「後は、誰かが来てくれるのを待つだけか」
タドリーは近くに生えていた大木に腰を下ろす。そして何気なく空を見つめた。
「そういえば、小さい頃もこんな風に迷ったなぁ」
まだ魔王でも何でもなかった幼き日。メメルと一緒に遊んでいたある日に、タドリーは隠れる場所を求めて森に入ってしまった。
その時も今回と同じように不気味な雰囲気が漂っており、タドリーは耐え切れず泣き出してしまった。だが、しばらくするとレイラが駆けつけてくれる。そして一発、頬にビンタされた。
しかし、すぐにレイラは優しく抱き締めてくれた。後に両親に叱られたが、レイラがかばってくれたことをタドリーは覚えていた。
「あの時と変わらないな。父さんと母さんはどっかに旅行に行っちゃったし、お爺ちゃんは死んじゃったけど」
タドリーはどこか情けなく感じてしまう。もっと強くなれたらいいのに、と考えながら目を閉じた。
そして、気がつけば深い眠りへと落ちてしまう。
◆◇◆◇◆◇◆
「――さい。起きてください!」
身体を擦られ、気持ちいい眠りから目を覚ますタドリー。すると泣いているレイラの顔が目に入ってきた。
思いもしない光景にタドリーは目を大きくしてしまう。するとレイラは、安心したかのように笑い、タドリーの身体を抱き締めた。
「良かった、良かったですよ」
何がなんだかわからないタドリー。視線をレイラから周囲に移すと、そこには獣や木を模った魔物達の身体が転がっていた。
「何があったの? レイラ」
「何があったの、じゃありませんよ! 取り囲まれていたのですよ!」
「え? もしかして、魔物に?」
「もー、心配かけさせないでくださいよ!」
レイラは泣きながら怒っていた。そんなレイラにタドリーは「ごめん」というしかなかった。
「罰です。帰ったら書類を全部片づけてください」
「えっ? そんな!」
「次は助けませんからね!」
タドリーはレイラに従うしかない。
レイラに引きずられるように連れ戻されたタドリーは、書類の山へ立ち向かうことになる。様々な書面を睨み、ハンコとサインを繰り返す。
次第に疲れが溜まってくるが、休んでいる暇はない。なぜならレイラとの約束はそれほどまでに大きな意味があるからだ。
「た、大変です!」
しかし、邪魔というのはいつも入るものである。
「なんですか? 今忙しいんですけど?」
「そ、それが、この城に勇者が攻め込んできました!」
タドリーは頭を抱えた。こんな忙しい時に勇者という愚かな人間が来たのだ。こうなると仕事は一旦手を止めなくてはならない。
「もう。レイラ、準備の手伝いをしてくれ」
「わかりました。今回はどんな衣装にしますか?」
「王道的なものでいいと思うよ。この前は奇抜さを狙ったばかりに、変な噂が立ったし」
勇者が来るまで打ち合わせをするタドリーとレイラ。だが、それに報告者が割って入った。
「そんな悠長なことをしていられないのです! メメル様が、勇者達に捕まって――」
何かを言い切る前に、爆発が起きる。飛ばされ転がっていく報告者に、タドリーは駆け寄った。
「しっかりしてよ!」
何かを伝えようとしているが、そこで気絶してしまった。タドリーは攻撃をしてきた勇者一行に目を向ける。するとそこには、金髪を立てたグラサンの男とゴスロリ衣装を着た黒髪の少女が立っていた。
「へいへいへーい。お前が魔王タドリーかぁ?」
いかにも浜辺にいそうな軟派な男に、タドリーは何とも言えない複雑な顔をした。心のどこかで「勇者なのか?」と疑っていると、男はこんなことを言い出す。
「オウオウオーウ。なかなかの面構えじゃないか。俺の好みだぜぇ」
タドリーは背筋に悪寒が走った。
すぐに危険だと判断し、レイラに指示を出す。
「レイラ、トラップ!」
スイッチを押し、トラップが発動する。だが、勇者は襲いかかってきた全てのトラップを触れることなく破壊した。
粉々に散っていくトラップは物語る。この男は、今までとは違うと。
「オウオウオーウ。なかなかの挨拶だなぁ」
「こっちも熱烈な挨拶をしないとね」
ゴスロリ少女が妖しく笑う。瞬間、姿が消えた。
「魔王様!」
咄嗟にレイラがタドリーの前に立つ。すると甲高い金属音が鳴り響いた。
気がつけばゴスロリ少女は、レイラと刃を合わせていた。タドリーはそれに驚いてしまう。
「あら、なかなか速いわね?」
ゴスロリ少女を弾き飛ばすレイラ。しかし、ゴスロリ少女は華麗に着地し、電光石火の如くレイラに襲いかかった。
どうにか対応するレイラだが、明らかに押されていた。
「レイラ! 僕のことは気にするな!」
しかし、レイラはタドリーから離れない。次第に対応ができなくなっていき、かすり傷をつけられていく。
「おいおいおーい。こんなに弱いのか? なら、こいつはいらなかったな」
勇者はそんなことをいうと、指をパチンと鳴らした。直後、磔にされ気絶しているメメルの姿が現れる。
「メメル!」
「なかなかかわいいが、俺の好みじゃない。ということで殺しちゃうぜ」
「やめろ!」
勇者は容赦なくメメルに手を下そうとした。だが、その瞬間にレイラが駆ける。
「きゃ」
弾き飛ばされるゴスロリ少女。レイラはその間に勇者の首を取ろうとしていた。
瞬く間に一閃。それは風さえも止まっているかのように感じられる速さだった。だが、そんなスピードで駆けたレイラの刃を、勇者は掴み取っていた。
「お・そ・い・ぜ」
勇者は腹部に一撃叩き込んだ。途端にレイラはタドリーの元まで転がっていく。
「レイラ!」
タドリーは真っ先にレイラの身体を心配した。しかし、レイラは戦いに向かおうと起き上がる。
「もう立たないで。そんな身体じゃあ――」
「私は、魔王様の盾であり剣でもあります。倒れている暇なんて、ありません」
「だけど!」
「私の代わりはたくさんいます。でも、魔王様の代わりはいませんから」
レイラにも信念がある。だからレイラは、タドリーのために戦うのだ。しかし、そんなことタドリーは望まない。
「命令だ。レイラ、下がれ」
思いもしない言葉に、レイラはついタドリーを見てしまった。
立ち上がるタドリーは、勇者達を睨みつける。メメルを傷つけ、レイラまでも傷つけた勇者達が許せなかった。
「オウオウオーウ。なんだその目は?」
「なかなか魔王らしい目つきになったじゃない? 殺し甲斐があるわ」
タドリーはゆっくりと息を吐き出す。そして、自身の中に納まっていた全ての魔力を解き放った。
それはあまりにも強大な魔力だ。大地は揺れ、海は唸り、生物達は例外なく怯えた。
「おいおいおーい。ちょっとでかすぎないか?」
「これは、想定以上ね」
勇者達の顔つきが変わる。だが、それはもう遅かった。
タドリーが本気で怒ったということは、どういう意味なのか勇者達は気づいていない。
「ねぇ」
勇者は目を疑った。なぜならいつの間にか、タドリーが懐に入り込んでいたからだ。
タドリーは手のひらを勇者の腹部に当てる。そして、睨みつけた。
「怖いって知ってる?」
それは、想定以上なんてものではない。想定外な力だった。
放たれる魔力の塊は、勇者の力でさえかき消すことができない。ゆえに勇者は、どうすることもできないまま壁へと叩きつけられていた。
「僕は、知っているよ」
トドメの一撃。タドリーはそれを遠慮なく放った。
当然のように勇者は避けることはできない。そのまま魔力の塊を真正面から受け、壁ごと彼方へと飛ばされてしまった。
タドリーはそれを見届けると、メメルの身体を受け止める。腰を抜かし、動けなくなってしまった雑魚なんて目にくれず、レイラの元へと戻った。
「ごめん、レイラ。また壊しちゃった」
レイラはあまりにも似合いすぎる笑顔に、ため息を吐きつつ笑った。
「また直せばいいですよ」
◆◇◆◇◆◇◆
騒がしかった一日。さすがに疲れてしまったタドリーは、吸い込まれるように自室のベッドへと向かっていた。
ぶつぶつと「もう嫌だ、仕事なんてしたくない」と呟きながら部屋に入る。すると突然トラップが発動してしまい、タドリーは部屋に閉じ込められてしまった。
「タドリー」
声をかけられ、振り向くとベッドの上にメメルがいた。なぜか、とてもセクシーな衣装をまとい、色っぽい眼差しを向けている。
「えっと、どうしたの? メメル」
「フフ。助けてくれたお礼。今日はタドリーを滅茶苦茶にして・あ・げ・る」
タドリーはどこか違和感を覚えた。しかし、その違和感が何なのかわからないままメメルは飛びかかる。
「タドリー」
「うわぁああぁぁぁ!」
夜になってもタドリーの災難は終わらない。懸命にレイラの名前を叫ぶが、一向に助けに来てくれないことにタドリーは泣いた。
こうしてタドリーの賑やかな一日は終わりを告げる。