錬金術師
その工房は想像よりも大きな店構えだった。
工房というイメージとは程遠い華美な装飾が施され、並んでいるのはティーセットや花瓶、高そうな装飾品ばかり。
その一角のガラス戸付きの棚と作業が出来そうなテーブルに置かれた小さな釜が、そこが錬金術の工房だと僅かに主張している。
「すまないが、スフォルツァ殿は居るか」
使用人らしき男性にラインさんがそう告げると、奥の扉から一人の女性が慌てたように姿を現す。
その人は、赤茶色の長い髪に少し青みを帯びたグレーの眼をした派手な美人だった。
ワインレッドの胸元が大きく開いたドレスと真っ赤な口紅、首に巻き付いた妖精らしき赤い蜥蜴が、自分の中の魔女のイメージと重なる。
「これは、ラインヴァルト様では御座いませんか。今日はどうなされたのですか」
明らかに媚を含んだ甘い声。
あぁ、私この人苦手かもしれない。
34年の私の人生の中で、こういった喋り方をする女性に良い思い出が全くないんだよね。
「スフォルツァ殿、今日は・・・」
ラインさんが話しているにも関わらず、彼女は彼の腕にピッタリと寄り添い、甘えたように言葉を続ける。
「カロリーナと呼んで下さいまし。ラインヴァルト様の為でしたら、ポーションでも、マナポーションでも、すぐにご用意しますわ。それとも、ディナーのお誘いかしら?」
どうやら、彼女の眼中に私は映っていないようだ。
ラインさんは意外なほど冷静に彼女を押し退けると、今度こそはっきりと要件を口にした。
「スフォルツァ殿、今日は彼女の事で相談があって来たのです」
そこでようやく彼女の視線が私に向く。
「あら、使用人かと思いましたわ。どなた?」
明らかに敵意に満ちた視線が痛い。
「私の名前はシーナ、今日妖精のパートナーを得たばかりの錬金術師です」
もう説明するのも面倒なので、名前だけの自己紹介をする。
「錬金術師?妖精は・・・ケットシーね。それで、相談と言うのはなんですの?」
それ以上の興味を失ったのか、彼女は再びラインさんに視線を戻す。
フェリオは不快そうに眉の辺りを顰めたけれど、何も言わない。
「彼女はまだ錬金術について知らない事が多い様なので、貴女の所で錬金術を学べればと思うのですが」
「私の所で、ですの?私も忙しい身ですし・・・でも、ラインヴァルト様の頼みでしたら断わる訳には参りませんわね」
頼みという所を強調した喋り方、これじゃラインさんが彼女に借りを作ったみたいじゃない。
「いえ、ご迷惑になるようでしたら他を当たりますので」
私は思わずそう答えてしまった。
「いいえ、大丈夫よ。アナタの面倒は私がちゃ~んとみてあげる」
にっこり笑った笑顔が怖い。
「シーナさん、どうされますか?」
ラインさんが心配そうに私を窺っている。
そうだ、ここで彼女の所に世話にならなければラインさんの心配事を増やしてしまう。
これ以上、彼に手間を掛けさせる訳にはいかないし、私が彼に何か返せるとしたら、この世界では錬金術しか無い気がする。
「では、こちらでお世話になります。スフォルツァさん、よろしくお願いします」
「じゃあ、決まりね。ラインヴァルト様、今度ディナーに誘ってくださいね」
それが条件みたいな言い方が気になるけれど、ラインさんは大丈夫だよ、と言う様に視線だけで私に頷いて見せる。
「では、私はこれで失礼します。スフォルツァ殿、シーナさんをお願いします。また様子を見に来ますので」
そう言ってラインさんは工房を出ていった。
余りにスマートに去っていったラインさんに、きちんとお礼を言っていないと気付いたのは、工房のドアが閉まった後だった。
すると、やはりと言うべきか・・・スフォルツァさんの態度がガラッと変わる。
「アナタ、庶民の様ですけれど、ラインヴァルト様とどういう関係なの?」
なんて定番な展開。
「先程、街道で牙狼に襲われている所を助けて頂いたんです」
私が言うと彼女は鷹揚に頷いて、早速いい放つ。
「それはそうよね、アナタみたいな庶民があの方と知り合いな筈無いですわね。言っておくけれど、あの方はアナタの様な庶民が馴れ馴れしく接していい方では無くてよ」
あぁ、本当に分かりやすい。予想していた分、特に腹も立たないけど。
私はとにかく早く、錬金術を覚えないといけないんだ。こんな所でいちいち突っ掛かってる場合じゃない。
「分かっています。ラインヴァルト様にはお世話になりましたが、これ以上お手間を取らせる事は致しません」
私が言うと、彼女は満足したのかソファーへ腰を下ろす。
「それにしても、あの方にも困ったものだわ。こんな黒髪黒目の不吉な小娘にまで親切にして。早く私を連れて王都へお帰りになって下さればいいのに」
黒髪黒目って不吉なんだ?確かに街中でもどちらも黒って人は見掛けなかったかもしれない。
まぁ、私には関係無いけど。
「スフォルツァさんは王都にいらっしゃったんですか?」
微妙に貶されているのはスルーして話題を振ってみる。コミュニケーションは大事だしね。
「スフォルツァ様と呼びなさい。私、本当はこんな辺境に居ていい身分では無いのよ。私はスフォルツァ子爵家の一人娘にして、宮廷錬金術師の一人。アナタみたいな躾も教養もなってない庶民は、口をきく事さえ許されなくてよ」
貴族制度とかあるんですね。
そうなると、ラインさんも貴族?まぁいいか、本人が気にして無さそうだったし。
人を見下した視線と棘のある言葉に、私は早々にコミュニケーションを断念する。
「失礼致しました、スフォルツァ"様"」
口を開くべきでは無いのだろうと、スフォルツァ様がお茶を飲むのを静かに見守る。
気配を消すのは得意だからね。
――――――カランカランッ――――――
そこへやって来たのは50代位の男性。
「錬金術師様、材料を持ってきました。これでポーションを作ってくださいますよね?」
男は入ってくるなりそう言うと、スフォルツァ様の前に葉束と水袋を置く。
あ!あの草、森で採って来た草だ。確かリコリスって名前の。本当に錬金術の材料だったのね。
私がそんな事で少しだけ感動していると、スフォルツァ様は持っていたティーカップをソーサーへ置くと、さも面倒臭そうに溜息を吐く。
「なぜこの私が、庶民の為にポーションを錬成しなければならないのかしら。宮廷錬金術師である私の高貴な魔力を、そんな事の為に使う筈無いでしょう?」
「そんな、それでは約束が違います」
必死に言募る男性に、スフォルツァ様はまたしても溜息を吐くと、ふと此方に視線を向ける。
「じゃあ、そこの小娘にやらせましょう。ポーションくらいできるでしょ?」
――――――え?
「いえ、私はまだ一度も錬金術を使ったことが無くて」
そう答えるけれど、彼女はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて作業台を指差す。
「アナタの意見なんて聞いてないわ。早くポーションを錬成しなさい。特別にこの工房の釜を使わせてあげる」
「そんなっ!?」
どうにか断ろうとするけれど、男性からも期待の眼差しを向けられて、どうにも断り難い。
――――――どうしよう。ポーションってどんなものだっけ?・・・確か、ゲームとかに出てくる傷薬みたいなモノよね。でも、錬成ってどうやるの?
「フェリオ、どうすればいいの?」
困った私はフェリオに助けを求めた。すぐに彼女に聞くのは、私の中のプライドの様なものが邪魔をして出来なかった。
「ポーションは確か、リコリスの葉と水を釜に入れてオレの妖精の炎で煮詰める。シーナはその時に魔力を注いでくれ」
私は男性が持ってきた葉束ではなく、自分の持っていた材料を釜へ入れる。だって成功する保証がないもの。
「リコリスってさっき採ってきた草よね。後は水を入れてマリョクを注ぐのね」
――――――ん?マリョクって魔力の事?
「魔力って何?私にそんなもの無いよ!」
どうしよう、いきなりピンチ?
「魔力を使ったこと無いのか?」
「あるわけ無いじゃない」
「何をグズグズやってるの?まさか、ポーション一つ錬成出来ないなんて言わないでしょう?」
ソファーに凭れながらクスクスと笑う彼女に、流石に苛立ちを覚える。
魔力なんて無いけど、やってやろうじゃない!私は負けず嫌いなのよ!!
作業台に置かれた金魚鉢ほどの釜に持っていたリコリスの葉と泉の水を入れ、フェリオが妖精の炎で包む。
妖精の炎は、炎と言うより妖精花のそれのような七色の輝きで熱は感じない。
問題は魔力なんだけど・・・とにかく手をかざして念?を送ってみる。
――――――シュゥゥゥゥゥゥ・・・。
湯気が消えるて出来上がったのは、緑色の軟膏の様なもの。
何かは出来たけれど、これが正解なのか判断がつかずフェリオを見ると、首を横に振っている。どうやら失敗だったらしい。
そこへスフォルツァ様がやって来て釜を覗き込み、如何にも魔女といった感じの嘲笑の声を上げる。
「アナタ、ポーションもまともに作れないなんて、本当に錬金術師なのかしら。あの方の紹介でなければ、すぐにでも追い出したい所だけれど・・・そうねぇ、召使いくらいになら使えるかしら」
私は黙って悔しさ呑み込む。確かに、出来なかったのは事実だから。
「ほら、アナタが錬成したポーションを早くあの男に渡してあげなさいな」
「でも、こんなのじゃ・・・」
流石に出来損ないのポーションを渡すわけにはいかない。
スフォルツァ様はそんな私を見て愉しげに笑う。
「ウフフッ・・・仕方がないから、小瓶・・・には入らないわねぇ。木皮に包んであげるわ。アナタも、錬金術師が錬成したポーションなんだから、文句を言わずに受け取って帰りなさいね?」
木皮で包まれたソレを押し付けられ途方に暮れていると、見かねた男性がその包みをそっと私の手から取り上げる。
「お嬢さん、無理を言って悪かったね。これは貰っていくよ、いくらだい?」
「いえ、こんな失敗作にお代なんて頂けません。すみません・・・」
「そうかい?では遠慮無く頂こう。頑張ってね、お嬢さん」
そう言って僅かに笑った彼の瞳には、憐れみと諦めの色が滲んでいた。
「・・・ありがとうございます」
店を出ていく男性に深くお辞儀をしながら、ジワッと涙腺が弛む。
悔しい、悔しい、悔しい。でも、ここで泣くのは違う。絶対に嫌。
私は一つ深呼吸をして、気を落ち着ける。
・・・うん、もう大丈夫。
「それにしても、あんなベタベタなポーション初めて見たわ。釜も使い物にならないじゃない、ちゃんと綺麗にしてよね」
私が黙って釜を片付け始めると、彼女は更に饒舌になる。
「でも、いくら黒眼で妖精がケットシーの錬金術師とは言え、アナタ、才能無いわねぇ。まぁ、私みたいにこの世界では実質最上位のサラマンダーがパートナーで、青眼の才能溢れる錬金術師と比べるのは酷というものでしょうけれど」
貶しながら自慢する、器用だよね。
でも、青眼って?
「そこのケットシー、お前も不運ね。いくら第4階級の平凡な妖精でも、こんな子がパートナーなんて。お前、私の所に来ない?ペットとしてなら飼ってあげてもいいわよ?」
怒っちゃいけない。我慢しなきゃいけない。
私はここで錬金術を学ばないといけないんだから・・・そう思って我慢してたけど、フェリオにまでそんな事言うなんてッ――――
――――――カランカランッ――――――
私が口を開いたのと同時に、再び工房のドアベルが勢いよく鳴る。
「おい、錬金術師!魔結晶持ってきたぞ」
入ってきたのは薄茶色の髪をした10歳位の少年と、妹だろうか、6歳位の少女。
「これで今度こそマナポーション作れるだろ」
少年が手を広げると、そこにはパール大のターコイズみたいな青色の石が5粒乗っている。
「またアナタ達なの。だから言っているでしょう?私はアナタ達の様な庶民の為に錬成はしませんの」
「で、でも・・・この間」
少女が何か言おうと口を開くけれど、スフォルツァ様に睨まれてビクッと肩を震わせる。
「牙狼の魔結晶を20個持ってきたら作るって言っただろ」
少年が少女を庇うように前に出て、言葉を繋ぐ。
「そうね、でもアナタ、今魔結晶をいくつ持っているのかしら?」
確かに、彼の手には5個しか無い。
「この間持ってきたので、合わせて20個だろ?それに父さんのレシピだと、マナポーションに必要な牙狼の魔結晶は10個だった」
「私は魔結晶を20個持ってきたら、と言ったのよ。そもそもアナタ達の父親が死んだりしなければ、私がこんな外れの町に来る事も無かったですのに」
この子達、ラインさんが言ってた前任の錬金術師の子供?
勝手にお爺ちゃんを想像してたけど、こんな小さな子供がいたんだ・・・。
「そもそも、素材集めに行って死ぬなんて、本当に間抜けよねぇ。こんな田舎の錬金術師じゃ、どんな良い素材を使った所で大したものも出来ない癖に。いい迷惑だわ」
私の心がギシッと軋む。
両親が死んだ時、親戚のおばさんが言っていた「あんな気味の悪い子を置いて死ぬなんて、迷惑だわ」と。
亡くなった人を悪く言うなんて。それもこんな小さな子供の前で・・・。
「さっきから聞いていれば、いい年した大人が子供相手に詐欺紛いの取引ですか?」
限界だった。
「詐欺だなんて、言い掛かりは止めて頂戴」
「では、この子達に先の魔結晶15個を返されては?まだ対価を支払っていない様ですし」
私が言うと、スフォルツァ様は少し苛立った様に爪を噛む。
「そんなもの、もう無いわ」
「無い?何故?」
「より崇高な目的の為に使っただけよ」
「でも、この子達の魔結晶を使い込んだのは事実ですよね?」
私が尚も問い詰めると、スフォルツァ様はギッと私を睨む。
「アナタ、ポーションもまともに作れない癖に、この私によくもそんな事が言えたわね」
「私の錬金術が未熟なのは分かっています。でも、貴女ほど人間として未熟では無いと思います」
あぁ、言ってしまった。明日からの生活どうしよう。ラインさんにも申し訳ない。
でも、彼女の言い草が、私にはどうしても我慢出来なかったんだ。
「言ってくれるわね。これで文句無いでしょう」
言うと、彼女は銀色の硬貨を私の手に叩きつける。
私はそれを男の子に手渡し「ごめんね」と謝る。
結果的にこの子達が欲していたマナポーションを彼女に錬成してもらう事は、これで完全に出来なくなってしまったからだ。
それでも、男の子は笑顔で「ありがとう」と硬貨を受け取ってくれる。
「でもアナタ、流石にあの方の紹介でも許せなくてよ?覚悟はしているんでしょうね?」
やっぱり、そうなるよね。
「分かっています。お世話になりました」
私が深々と頭を下げていると、少女の小さな手が私の手をきゅっと握る。
「オレ達も、もういい。マナポーションは他を当たることにする」
少年もスフォルツァ様にそう言うと、何故か私の背中を押して工房の外に出てしまう。
――――――カランカランッ―――――
工房を出て、押されるがままに進む。
「ねぇ、どこまで行くの?」
通りの角を曲がった所でようやく止まると、少年が私の前に回り込んで来る。
「ねぇちゃん、錬金術師なんだろ?オレ達にマナポーション作ってくれよ」