願いと欲
「では、私が案内しましょう」
私の勢いに少しだけ眉を上げたジュードさんは、苦笑と共にグレゴール司祭の部屋へと案内してくれた。
グレゴール司祭が居たのは、ベッドとテーブルセットが一つずつ置かれた簡素な部屋だった。扉の前に見張りらしき騎士がいる位で鍵は掛けられておらず、グレゴール司祭も特に拘束される事無く、上半身を起こして虚空を見詰めていた。
とは言え、その姿は昨日とは別人の様に小さく弱々しく、言葉は悪いが、一気に老け込んでしまったグレゴール司祭からは、逃げようなんて気力は全く感じられない。
それ所か、ラインさんがベッドの脇に椅子を置き腰掛けても無反応で、翳って虚ろな眼はこちらに向けられる事は無い。
影の魔力に浸食されていた影響なのか、自分の行いを受け止め切れなかったのか・・・身体や魂源を治すことは出来ても、心までは魔法薬でも錬金術でも治せないから厄介だ。
「・・・・・・何を話せば宜しいですか?」
けれど、思いがけずしっかりとした声音でグレゴール司祭は言葉を発した。
此方に視線を向ける事は無かったけれど、その声音から、虚ろな心を抱えながらそれでも自分の罪を認め、懺悔し、包み隠さず全てを話そうとする決意のようなものを感じて、少なからず安堵する。
「司祭様―――」
「私はもう、司祭ではありません。私にはもう、相応しく無い・・・」
「・・・では、オルデン殿。貴方は今回、影憑きに利用されていたと見て、間違いないでしょう。その上で伺いたいのですが、何故、ご自身が影憑きの標的になったのか・・・心当りは御座いませんか?」
「・・・・・・・・・分かりません。恐らく、私の心が脆弱だった故でしょう」
「心が?」
「えぇ。あの子が・・・アメリア様はもっと敬われ、崇拝されて然るべきだと、何故みんなもっと祈りを捧げないのかと・・・そんな人達はきっと、心が濁っているのだと、そう言った時・・・私は、共感してしまったのです」
あの子、とはきっと白い髪の少女なの事だろう。でも、敬虔なグレゴール司祭がそう感じたとして、確かに心が濁ってるなんて考えは良くなかったとしても、それだけで影憑きになるとは思えない。
「それは・・・」
ラインさんもその事がどう影憑きに繋がるのか、考え倦ねている様だ。
「一度持った考えは、もう消えてはくれないのです。私は、自分の願いが・・・いえ、あれは欲求と呼ぶべきモノでしょうな・・・」
「欲求、ですか」
ラインさんが僅かに首を傾げ、グレゴール司祭に相槌を返すけれど、司祭は誰に向けるでもなく、語り続ける。
「心の濁った人々も、アメリア様の素晴らしさを知ればきっと心が洗われるはず・・・あの御方の素晴らしさを知らしめたい・・・そんな欲求が、私の心にはあったのです」
それは、特別偏っているとも、悪いとも言い切れない、誰しもが持つような感情。
「最初は、聖水を配る事で教会にやって来る熱心な信者が増えたことに、満足しておりました。しかし、その内にそれでは足りなくなってしまった・・・満たしても、満たしても、充たされない・・・私は、己が欲求に溺れていました」
「・・・・・・」
「今思えば、影の魔力に影響されていたのでしょう。しかしその欲求は、元来私の中にあったモノ。そんな独りよがりで脆弱な心が・・・影の魔力に魅入られてしまった・・」
人の心の、ほんの小さな欲求。
それで影憑きに狙われるとしたら・・・誰でも影憑きになる可能性がある、ということ。
「・・・有難う御座いました。今日伺いたかった事は以上です」
そう頭を下げたラインさんは、難しい顔でジュードさんと何事か話すと、ジュードさんだけが部屋を後にした。
後に残されたのは、私とフェリオ、それにラインさんとコウガ。
ラインさんに視線で促され、私は先程まで彼が座っていた椅子に腰掛ける。
「グレゴール司祭、こんにちは。少しお話を伺っても宜しいですか?」
私は眼の色を青色に戻し、グレゴール司祭に声を掛ける。
すると、今度は少しだけ顔をこちらに向けてくれたけれど、その眼は伏せられたまま、視線が合うことは無い。
私はそっと、白く痩せ細ったグレゴール司祭の手を両手で包み込む。
年老いた姿に、祖父の姿を重ねていたのかもしれない。
「グレゴール司祭は、これからどうされるおつもりですか?」
手を取られたからか、それとも私の質問が予想外だったのか、グレゴール司祭は僅かに表情を変えて私の顔を見る。
その視線に真っ直ぐに視線を合わせ、極力穏やかにグレゴール司祭の眼を覗き込めば、その眼が驚愕に大きく見開かれた。
「・・・あ、なた・・・は?」
「私は、錬金術師のシーナと言います」
「・・・錬金術師、様?その色、は・・・まるで・・・」
私は何も答えず、にっこりと、少し意味深に微笑んで見せる。
聖女アメリアと同じ、深い青の眼を持つ錬金術師。アメリア聖教の聖職者にとって、その意味はとても大きいと、イシクさんが言っていた。
グレゴール司祭はイシクさん同様、私の中に聖女アメリアの姿を重ねたのか、眩しそうに眼を細め、そのまま顔に刻まれた皺を深くして苦しげに瞼を閉じてしまう。
「・・・何故、私の手を・・・お取りになるのです?」
「・・・司祭様が、このまま消えてしまいそうで」
「私など、心に留め置く様な者ではありますまい。寧ろ、私になど、貴女様が触れてはなりません」
「いいえ。貴方の魂源から、影の魔力を取り除いたのは私です。折角綺麗になったのに、触れて悪い事なんてある筈無いです」
私がわざとらしく得意気な顔でそう返せば、再びグレゴール司祭は瞠目し、そのまま瞬きもせずその眼から幾筋も涙を溢れさせる。
「貴女様が・・・私を助けて下さった、のですか?」
震えて掠れた声が、信じられないとでも言うように戸惑いを滲ませていて、私は努めて明るい声で、何でも無い事の様に話す。
「はい。初めての事だったので、少し心配でしたけど、今日視る限りは問題無さそうなので、良かったです」
昨日錬成で綺麗にしたグレゴール司祭の魂源は、今日も変わらずその美しさを保っている。
「・・・・・・何故?」
それでも、グレゴール司祭はポツリと、私の耳に届くか届かないか位の小さな声を漏らす。
「それは・・・文句の一つでも言ってやろう、って思ってたので。私、怒ってたんですよ。私の知り合いも被害に遭ってて。だから、そんな事する人には文句の一つも言わなくちゃって」
「そう、でしょうな」
「でも、文句を言わなきゃならないのは、司祭様じゃ無かったみたいですし・・・今は心から、助かって良かったって思ってますよ?」
私は本物の聖女様では無いし、それらしい事なんて言えないから、思ったままを話す。
「いえ・・・私は責められて然るべきです。どんな叱責も罰も、全て受け入れましょう」
グレゴール司祭は裁定を待つように、静に目を閉じる。
でも、やっぱり司祭様が悪かったとは思えない。だって、想いや願い、欲求や欲望、それらを持っていない人なんて、居る筈が無いもの。
私だって、お風呂にゆっくり浸かりたいし、テレビを見て、マンガの続きを読みたい。それに・・・
・・・・・・お爺ちゃんに、会いたい。
そんな心をねじ曲げられて、利用されたら、誰だって抗えない。
それでも、グレゴール司祭が罰を望んで、それで心が軽くなるなら―――。
「じゃあ・・・グレゴール司祭には一生働いて貰います。毎日教会の掃除をして、祈りを捧げて、町の人達の話を聞いて下さい」
「・・・それでは、今までと何ら変わりが有りません」
グレゴール司祭は陰りのある苦笑を浮かべて、首を横に振る。
「もちろん、それだけじゃ有りませんよ?話や悩みを聞いたら、町の人達が影憑きにならないよう、導いて下さい。これは、司祭様にしか出来ない事ですから」
「それは・・・」
「まずは、イシクさんの話を聞いてあげて下さい。グレゴール司祭の事も、凄く心配してましたし」
「イシクが・・・彼にも悪い事をしてしまいました」
それを聞いたグレゴール司祭は、申し訳なさそうに眉を垂らして顔を顰める。
「イシクさんにも言いましたけど、私はお二人は聖職者に向いていると思います。だからこそ、続けて欲しいんです。むしろ、これは罰でもありますから、どんなに罪悪感で苦しんだとしても、辞める、なんて選択肢は無いんですけどね?」
きっと、罪の意識が強ければ強いほど、町の人達に向き合うのは辛く、苦しい。
「確かに・・・自らの過ちから目を逸らす事は、償いとは言えませんな。もし、赦されるならば・・・残り少ないこの命、アメリア様の為に全て捧げましょう」
「貴方の想いはきっと聖女様に届いてますから、聖女様も、喜んで赦してくれると思いますよ」
「・・・・・・そうであれば、良いのですが」
グレゴール司祭が私の言葉をどう捉えたかは分からない。これで本当に心を救えたのかも分からない。
グレゴール司祭の眼からは相変わらず涙が溢れている。
それでも先程迄の陰りは薄れ、穏やかな眼差しが、少しだけ前を見据えている気がした。
「では、私はこれで。今日はありがとうございました」
そう言って席を立ち、その場を離れようとした私の肩からフェリオがピョンッと飛び降りると、グレゴール司祭に何やら耳打ちをする。
「―――――赦すか―――――後で窓の外を――――――」
「フェリオ?」
「いいか、必ず見てろよ?――――――今行く!」
首を傾げながらも、これ以上部屋に留まる訳にもいかないので、取り敢えず部屋を出る。
「司祭様に何て言ったの?」
「うん?・・・ちょっとな~」
何かしらグレゴール司祭に念を押していたみたいだけど、何だろう?
まぁ、フェリオはアメリア様を実際に見たことがあるみたいだし、妖精だし、何か思うことがあったのかもしれない。
と、真面目に考えていた私は、フェリオのニンマリと歪んだ口元を見逃していたんだよね。




