カリバの町
にわか雨以来、私の心臓は何とかラインさんの存在に耐えられるようになったらしく、それ以降は彼と会話する余裕ができた。
とは言っても、馬に乗った状態じゃ舌を噛みそうで私は殆ど喋れなかったけれど。
ラインさんによると、今この地域で雨が降る事自体、珍しい事らしい。
その原因が、この世界の水の絶対量が減っているのだと聞いた時はかなり驚いてしまった。
だって、水って増えも減りもしないのが当たり前だと思っていたから。
水は雨として地上に降り注ぎ、蒸気となってまた空へ昇り、雲となって雨が降る。その繰り返しで、人が飲もうが何しようがそのサイクル自体は変わらない。
それはこの世界でも当たり前の事らしいんだけど、水がこの世界じゃない別のどこかへ流出しているのだと言う。
もしかしたら元の世界へ?そう思ってどこから水が流出しているのか聞こうとした矢先、ちょうど町に到着してしまって聞けなかった。
町の入口には門番が居て、身分証明が必要かと思ったけれど、ラインさんが身元保証人になってくれたお陰で問題無く町に入れて貰う事ができた。
それに、ラインさん曰く錬金術師は貴重な存在だから、基本的にどの町も出入り自由なんだとか。錬金術師って、ほんと何者?
カリバの町は湖に沿って作られた、三日月形の町だったのだと思う。今では湖の水かさが減り、町と湖の間に湖底だったであろう岩場が広がっている。
それでも、石と煉瓦で作られた温かみのあるオレンジの街並みがとても美しい。ヨーロッパの美しい古都10選、なんて特集で取り上げられそうな景色だ。
「すごい・・・映画の中みたい!フェリオ、見える?」
バッグから首を伸ばしていたフェリオを、よく見える様に肩に乗せてあげる。
「これが人間の町か!賑やかで面白そうだな」
私とフェリオがキョロキョロと街中を見て回っている間に、ラインさんが馬を停めて戻ってくる。
「シーナさん、そんな風にフラフラしていると迷子になりますよ?」
少し可笑しそうに言われ、私はつい子供のようにはしゃいでしまっていた事を自覚する。
「ごめんなさい。とても素敵な街並みだったもので、つい」
慌ててちょっとお淑やかにしてみるけれど、ラインさんは優しい笑顔を向けるばかりで、逆に恥ずかしくなってしまう。
――――――そんな、子供を見守る様な目で見ないで下さい。
「私もこの街並みは気に入っているんです。しばらくはこの町に駐在するので、いつでも案内しますよ。基本的にはあちらの詰所に居ますので、何かあれば声を掛けて下さい」
「ありがとうございます。落ち着いたらきちんとお礼に伺わせて頂きますね」
私が言うと、ラインさんは少し残念そうな顔をした。だってあまり頼りすぎるのは良くないと思ったから・・・。
「でも、知っている人がいるってとても心強いです。困った時は頼ってしまうかもしれません」
付け加える様に言った私の言葉に、ラインさんはまた優しい笑顔で応えてくれる。
「騎士は頼られるのが好きなんです。いつでも頼って下さい、その方が私も嬉しいですから」
―――――――――ッッッ!!
ラインさん!その笑顔でそのセリフは女殺しです!
「では、行きましょうか」
歩き始めた私達の後で、何事かザワザワと騒ぐ人達の声が聞こえたけれど、ラインさんの先程の笑顔とセリフの衝撃が強すぎて、私はそれどころでは無かった。
ラインさんに連れられてやって来たのは、可愛らしい吊り看板のお店が並ぶ、商店街といった感じの通りだった。
そして、彼は迷うことなくその中の一軒に入る。
そこは小綺麗な服屋だった。日本の既製服の並んだショップとは違う、オーダーメイドの仕立屋といった風情だ。
てっきり錬金術師の所に行くものと思っていた私は、ここが?と意外に思う。
「ようこそいらっしゃいました。本日はどの様なものをお探しですか?」
ラインさんは奥から出てきた店主らしき、ダンディーな髭の老人と挨拶を交わしている。
「彼女に新しい服を見立てて欲しいのです」
―――え、私の?
このお店はやはり服屋さんだったらしい。
でも、この世界の物価がどれ程か分からないけれど、無一文の私にはどの道買えるような代物では無い。
「いえ、私はお金を持っていませんので」
慌ててブンブンと手と頭を振ったせいで、フェリオが肩からずり落ちそうになっている。
まぁ、本当は飛べるみたいだし大丈夫だとは思うのだけど。
「おや、これはまた遠慮深いお嬢様ですね」
「シーナさん、これは私からの贈り物ですから遠慮無く受け取って下さい」
いくら何でも、今日会ったばかりの人にそこまでして貰う訳にはいかない。
「そんな、そこまでして頂く訳には」
何とか辞退しようとするけれど、店主の一言が私の痛い所を突いてくる。
「貴女がお召しのマントは、そちらの殿方のものではありませんか?少々丈が長すぎる様に見受けられます」
そう、私はラインさんのマントを借りたままだったのだ。マントを返すには、やはり替えの服が欲しくなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・うぅ。
代金を返すと言っても、彼はきっと受け取ってはくれないだろう。それに、ここで頑なに拒否すれば、彼の面子を潰しかねない。
考えた末、自分の中の条件として収入が確保できたら何かお返しをする、そう心に決めて彼の厚意を受け取る事にした。
「そうですね、ではお言葉に甘えさせて頂きます。でも、今度きちんとお礼をさせてくださいね」
誰かにここまで優しくされた経験が無い私にとって、それを素直に受け入れる事は難しい。
それを察してか、ラインさんも素直に頷いてくれた。
「わかりました、楽しみにしています」
店主が見立ててくれたのは、シンプルながらフリルが可愛らしい白のブラウスと、足首まである綺麗な水色のフレアスカートだった。
あまり華美な装飾はされていないけれど、その着心地が仕立ての良さを表している。
いつの間にか用意されていた靴も、滑らかな革製でとても履き心地がいい。
このお店にある服の中でも高価な方なんじゃないかなと思いながらも、せっかく見立てて貰った服を交換して欲しいなんて言えない。
・・・・・・お返し、奮発しなきゃ。
それはそれとして、新しい服を披露するのがこんなにも恥ずかしいものだとは、予想外だった。
「あの・・・着てみました」
ラインさんと店主、テーブルの上のフェリオ。皆の視線が一気に自分に向く瞬間が妙に居たたまれない。
「おぉ!いいんじゃないか」
「とてもお似合いで御座います」
「えぇ・・・とても素敵です」
ほんとすみません。慣れてないんです。こんな時どう反応していいか分からないんです。
「とても素敵な服を、ありがとうございます」
これだけ言うのがやっとですから、もうじっと見ないで下さい。
何とか平静を取り繕うけれど、赤くなった顔がそれを邪魔している。
そんな私につられてか、ラインさんまで少し頬を染めているものだから余計に恥ずかしくなってしまう。
しかも、「まだ肌寒い季節ですから」とラインさんの手で紺色のショールを肩に掛けられて、申し訳ないやら恥ずかしいやら。
その後の私は、「ありがとうございます」と「すみません」を連呼しながら、なんとか失礼にならない程度の素早さで、仕立屋を出た。
色々心臓に悪い。
その後も、お昼時だからとラインさんは色々な屋台を周り、恐縮する私に「私がお腹が空いたんです」なんて、見え透いた嘘で私を甘やかした。
並んでいた屋台は、焼き串・肉団子・薄い黒パンにハムやチーズを挟んだサンドイッチ。魚の塩焼きも売られていたけれど、基本的に肉類が多く、野菜はあまり無い。
そこはやはり水不足の影響だろう。
年齢的に野菜は欠かせないけれど、新鮮な生野菜を食べるのは難しいかもしれない。
どの料理も少し味付けが濃いものの、美味しく食べられた事に安堵しつつも、これからの食生活に少しだけ不安が残る。
「そろそろ、この町の錬金術師の工房へ行きましょうか」
ラインさんがそう言ったのは、私のお腹が良い感じにいっぱいになった頃だった。
「はい、よろしくお願いします」
錬金術師ってどんな人だろう?
できればその人の所でお世話になりながら、錬金術でお金を稼ぐ術を教えて貰いたい。
でもそれは、かなり厚かましいお願いな気がする。
――――――善い人だといいな。
「錬金術師の方はどんな方なんですか?」
工房への道を歩きながらラインさんに尋ねると、彼は少し困ったような顔をした。
「名前はカロリーナ・スファルツァ殿。宮廷錬金術師の一員ですので、技術的に問題は無いとは思うのですが・・・」
ラインさんが言い淀むなんて、もの凄く変わり者とか?
「彼女は、前任の錬金術師が亡くなった為、一月程前にこの町に派遣されて来たのですが、すぐにでも王都に帰りたいと言っていまして」
「もしかしたら、王都に帰ってしまうかもしれない、と?」
ラインさんは申し訳なさそうに頷く。
「本当なら、前任の錬金術師のフラメル氏の工房が良いと思うのですが、ご夫人の具合が良く無いらしいく」
前任の錬金術師という事は、亡くなった人の奥さんって事だよね。
「旦那さんを亡くされたばかりでは、負担を掛けるわけには行きませんよね。大丈夫です。どの工房を紹介して頂いても、私はそこで頑張るだけですから」
とにかく町に辿り着けたんだから、あとは自分でなんとかしなきゃ。
「シーナさんは強いですね。では、私から最後にこれを」
ラインさんが差し出したのは、小さな革袋だった。
「これはこの国の通貨です。多くは無いですが、何かあっても10日程は生活できる筈です」
通貨ってお金ってことだよね?革袋の中には十数枚の金銀銅、三色のコインが入っている。
私が慌てて返そうとすると、ラインさんは予想していたのか、更に付け加える。
「これは錬金術師としての貴女への投資です。錬金術を使えるようになったら、私にも力を貸してください」
投資・・・お金を受け取らせる為の口実だという事は分かっているけれど、もし本当に私が彼の力になれるなら、その時彼が遠慮なんて出来ないように言質を取ったとも言える。
私に錬金術の才能が無くて、力になれないと判った時はこのお金は返そう。
でも、できるなら力になりたいし、その為には錬金術を使えるようになりたい。
「分かりました、どれだけ力になれるか分かりませんが、ラインさんが困っているときは絶対に協力します。ありがとうございます」
深々と頭を下げた私に、ラインさんはホッとした顔で頷いた。
「では、工房へ行きましょうか」