〈ある騎士団員の敗北
王国騎士団、第十六番隊隊員、ロートン。
彼は昨年騎士団に入団を果たしてから日々、ナガルジュナ周辺の治安と安全を守っている。
主な仕事は野生の獣や魔獣、延いては影魔獣から町を守る事だ。
とは言えロートンがこの町に配属されてから今日まで、この付近に影魔獣が現れた事はない。
腕に自信のあるロートンにとって、気性の荒い鉱夫達の喧嘩の仲裁ばかりの日々は、少しばかり退屈で、不満でもあった。
しかし本日、これまでの騎士団人生で一番の重要任務に着くこととなる。
あの七番隊、しかも隊長であるラインヴァルトとの共同調査任務。
七番隊と言えば少数精鋭、剣の腕前、魔法の才能、その他全てが一流と吟われる王宮直轄部隊。
けれどロートンは、その技量に疑念を抱いていた。
七番隊の隊員のみならず、隊長と名乗るラインヴァルトが、自分とさして変わらない年齢だったからだ。
所詮は御貴族様ばかりを集めた部隊。その功績が誇張され、噂に尾ヒレが付いているだけに違いない。あの物腰柔らかな優男が、それほどの腕を持っているとは思えない。
実戦ならば、自分の方がずっと強い。
ロートンはそう思っていた。
今回、調査するのはこの町のアメリア聖教会地下。
ラインヴァルトが言うには、この町の教会に、何やら不穏な動きがあるらしい。
――――――まったく。何故この町の事を、七番隊の彼に指揮されなければならないのか。
ロートンは、他の十六番隊の隊員数名と共に、地下水路を歩きながらそんな事を考えていた。
そして見つけたのは、教会の真下に位置する隠し部屋。
煉瓦の壁に巧妙に隠されたその入り口を発見したのは、ラインヴァルトだった。
隠し部屋へ突入すると、中に居たのはアメリア聖教の司祭。
教会に祈りに行ったことの無いロートンでも、服装から簡単に推察できる。
そして、壁一面をびっしりと埋め尽くした蜂の巣の中には・・・低く不気味な羽音を響かせ、無数に蠢く魔蜜蜂の大群。
それは、異様な光景だった。
一際大きな巣穴から流れ出る蜜を集めていた司祭が、焦点の合っていない視線を此方に向ける。
その眼は精気を感じられぬほど濁り、感情など微塵も感じさせない。焦りも、怒りも、恐怖すらも。
「グレゴール司祭!何をしているんです!!」
十六番隊の隊長が大きな声で問う。
他の騎士達は皆警戒し、剣に手を置きその返事を待つ。
「っと・・・アメリア様へ・・もっと祈りを・・・いの・がタリナイ・・・」
しかし、その言葉に反応することなく、グレゴール司祭はブツブツと呟きながら、また背中を向けてしまう。
そんなグレゴール司祭の様子も然ることながら、町の地下にこれ程巨大な魔獣の巣が存在することも、その魔獣の中に魔石を持った奴がいたことも・・・想定外。
――――――影魔獣・・・だと?
あまりの事態に、ロートンは自分の足が竦むのが分かった。
しかし、少なからずラインヴァルトにライバル心を燃やしていた彼は、ラインヴァルトよりも勇敢である事を証明しようと、真っ先に剣を抜き放つ。
その瞬間、大量の魔蜜蜂が飛び立ち、そこは一気に戦場と化す。
ロートンが魔蜜蜂の素早い動きに苦戦しながら、何とか数匹を切り伏せ辺りを見回せば、ラインヴァルトが意識を失った司祭を安全な場所に寝かせているのが見えた。
しかも、魔蜜蜂を簡単に遇いながら、だ。
――――――クソッ!俺だって!!
そう思い、剣を握り直した直後、ズシンッと大きな音と共に、天井からパラパラと細かな瓦礫が降ってきた。
慌てて見上げれば、天井に浮かんだ青い魔方陣。そしてそこに突進する、影魔蜜蜂の姿。
「教会にいる人達の避難を!」
そして直ぐ様、ラインヴァルトから扉近くに居た騎士へと指示が飛ぶ。
その間にも、影魔蜜蜂は天井に突進し続けていて、いつ崩落するとも分からない。
下から注意を引くように攻撃を加えてみても、何かに惹かれるように、影魔蜜蜂は止まらない。
「崩落します!!」
「お前は崩落に注意しつつ、グレゴール司祭を監視、護衛しろ」
天井に小さな光が見え始めた頃、騎士達は皆地上で迎え撃つべく地下を後にしたが、十六番隊の隊長にそう命じられたロートンは、渋々その場に残り、これでは手柄の一つも立てられない。と不満を抱きつつ、殆んどの魔蜜蜂が天井の大穴から出ていくのを、苦々しげに見送っていた。
――――――何故俺がこんな役目を。
ぐったりと壁に凭れる司祭から目を上げ、一匹でも此方に飛んでは来ないかと魔蜜蜂を探す。
しかし、彼の目に飛び込んで来たのは、魔蜜蜂でも、影魔蜜蜂でもなく・・・底の見えない真っ黒な、亀裂だった。
話しには聞いたことのあるロートンも、ゲートを見るのは初めてだった。
その呑み込まれそうな深淵に、ガクガクと膝が揺れる。
そして現れた、漆黒の存在。
黒のローブを纏ったその姿を確認し、咄嗟に剣を構えようとしたロートンは・・・次の瞬間には煉瓦の壁に背中を強かに打ち付け、その衝撃で薄れ行く意識は、全身を貫く痛みによって無理やり繋ぎ止められていた。
一体何が起こったのかすら、分からなかった。黒いモノに覆い尽くされた視界だけが鮮明だった。
それでも護衛対象であるグレゴール司祭を守らなければと思うが、身体はピクリとも動かない。
目の前では、黒いローブを纏った顔の見えぬナニかが、グレゴール司祭に歩みより、明らかに危害を加えていると言うのに。
『・・・やはり、彼の・・・では、完全体には・・・ったか』
自分の事などもう視界に入っていないとでも言うように、黒のローブを纏ったナニかが声を漏らす。そして・・・更に司祭を苦しめる。
守らなければ。俺は騎士だ。人々を守るのが仕事だ!・・・なのに、なのに・・・。
手も足も動かない。制止の声すら上げられない。このままでは、司祭が殺されてしまう。
己の不甲斐なさを痛感し、救いを求める。自分以外の誰かが司祭を守ってくれ、と。それはロートンの数少ない挫折だった。
――――――タンッ!!
悔しさで歪んだロートンの目に、美しい青銀の輝きが差す。
その輝きは黒いローブの裾を床に縫い止めるように突き刺さった、一本の矢。
矢の飛んできた方向を何とか見上げれば、そこに立っていたのは、どう見ても女性、しかもまだ少女と言ってもいい年頃の、だ。
背後のステンドグラスの青い光に包まれ、美しい青銀の弓を構えたまま、此方に視線を向けたその姿はまるで・・・。
――――――女神だ。
『・・・見つ・・た・・・ア・・リア』
しかし、その姿は直ぐに真っ黒に塗り潰されてしまう。
――――――俺は・・・あの女神までも、守れないのか。
ロートンの視界は物理的にも、精神的にも黒に塗り潰された。
しかし、その瞬間。
真っ黒だった視界が、霧散していく。
それを確認し、黒いローブを纏ったナニかがスッと後退り、ゲートの中へと沈んでいく。
退却の動きにロートンは安堵するが、ゲートが閉じきる間際に見てしまった、ソレの不気味に吊り上がった口の端に、ゾワリと悪寒を走らせる。
そんな自分を誤魔化し、奮い立たせるように、先程の美しい女神の姿を探す。
黒い霧が晴れ、座り込んでしまった女神の、それでも無事な姿に安堵し、その前に立ちはだかり、恐らくあの黒いナニかを撃退したであろうラインヴァルトともう一人の青年に目を向ける。
――――――俺は、まだ彼の足元にも及ばないのだな。
薄れ行く意識の中で、ラインヴァルトに完膚なきまでに敗北した事を悟る。
剣の腕だけでは無い。その精神も、騎士としての心構えも・・・。
そして、回復した後に知った女神、いや、協力者である錬金術師に抱いた淡い恋心でさえも、ラインヴァルトと親しげに話す彼女の様子を見るに、完敗だ・・・と、悟ったのだった。




