聖水
「本当に、こんな素晴らしい物を頂いていいんでしょうか?」
心の何処かで腕輪への恐怖が残っていたのか、躊躇いがちに腕を差し出せば、司祭は「勿論です」と大きく頷くと、私の手を取る。
いつの間にか来ていたコウガとフェリオが、思わずといった様子で席を立ちそうになるのを目線で制して、されるがままに腕輪を嵌めれば、注意していなければ気付かない程度のチクッとした感覚が手首に触れた。
その瞬間、司祭が僅かに腕輪を肌に押し当てていたし、意図的に魔蜜蜂の針を刺しているのは明白だ。
「ありがとうございます」
私がなるべく不安や不快感が顔に出ないよう注意しながらなんとか笑顔でお礼を言えば、司祭は「いえ・・・」と首を振る。
「私に礼など必要ありませんよ。全てはアメリア様の神意なのですから。感謝を伝えるべきはアメリア様です。是非、明日も祈りにいらしてください」
こうやって聞いていると、この人は本当にアメリア様を信仰しているようにしか見えない。真っ当な聖職者然とした人なのに、なぜ影魔獣を?とも思う。
「はい。毎日でも伺わせて頂きます」
私の言葉に満足そうに頷いた司祭は、「ではまた明日」と踵を返す。去り際、司祭が先程小箱を持ってきた助祭の青年に再び合図を送ったのが分かり、既に目的を果たした気でいた私は、まだ何かあるのかと内心ビクビクしてしまう。
「おはようございます。当教会ではその腕輪を賜った方には、特別にあちらの別室にて聖水の授与を行っております。宜しければ貴女も如何ですか?」
聖水という単語にドキッとする。
そうだ。聖水の事も調べなければ為らないんだった。
「聖水、ですか?」
「えぇ。アメリア様の足元に水瓶が有りますでしょう?あの中で一日、アメリア様の加護と司祭様方の祈りを受けた水が、聖水となります。聖杯から湧き出る聖水程の加護は無いかも知れませんが、町の方々からは『疲れが取れた』『病が治った』と感謝の言葉も頂いておりますよ」
「凄いですね」
「えぇ。お陰で、最近では以前よりも祈りに来てくださる方が増えたんですよ。聖杯の消失以降、教会を訪れる人は減少の一途でしたから、嬉しい限りです」
助祭の青年は、話してみると存外気さくで話し易く、そして何より、含むものが何もない普通の聖職者に見えた。
――――――この人は、何も知らない?
私が案内された別室は、先程から気になっていたあの部屋だった。
その部屋は本棚が置かれた書斎のような小部屋で、恐らく、元々は教会の事務作業にでも使われていた部屋だろう。
けれどその真ん中に置かれたテーブルには、ガラスで出来た大きなウォーターサーバーが置いてあり、背凭れの無い木製の丸椅子が壁際に数個並べられている。
「そちらへお掛けになってください・・・はい、どうぞ」
素焼きのカップに注がれた聖水を手渡され、椅子に腰かける。
「聖水はいつもこちらで?・・・なんだか飲んでしまうのは勿体無いですね。持って帰ったりは出来ないのですか?」
ここで飲んでしまったら調べる事が出来ないし、飲むのはちょっと・・・勇気がいる。
「申し訳ありません。聖水の持ち出しは、司祭様のお許しを得なければならないのですが、初めての方では流石に・・・」
お許し頂けないですよね~。
物凄く申し訳なさそうに眉を下げる彼に、これ以上強くも言えず、どうしたものか・・・と暫し悩む。
――――――――――――――あッ、そうだ!
いい事を思い付いた。
「そうですよね。無理を言ってすみません・・・それにしても、この聖水は先程の司祭様がお始めに?」
「えぇ。先程の、グレゴール司祭様がお考えになられたんです。グレゴール司祭様は、町の方々に少しでもアメリア様の加護を感じて欲しいとお考えなのですよ」
「・・・素晴らしい方なのですね」
「ッそうなんです!グレゴール司祭様はとても素晴らしい方なんですよ!私がこの―――――」
彼はどうやら先程の司祭の事をかなり尊敬しているらしく、狙って話を振ったとはいえ、予想以上に語りだした。
私は熱弁を振るう彼の隙を窺いながら、スマホを取り出し、その中に入れてあった空のガラス瓶を確認すると、手の中のカップに集中する。
―――カップの中の聖水だけを、空のガラス瓶に収納・・・出来た!
小瓶の表示が『聖水?』に変わったのを確認し、情報を盗み取る罪悪感を感じながらも、ついでとばかりにちゃっかり室内を写真に収める。
ごめんなさい、これも調査の為なんです。
そこまで終えて、聖水を飲み干す振りをしてから、「ありがとうございました」とカップを返せば、多少語り足りない様子ではあったものの「それでは、また明日」と部屋からの退出を促された。
よし、怪しまれてない。
スパイ映画さながら華麗に(自己申告)情報と聖水をゲットした私は、達成感と緊張感で心拍が上がり、頬を上気させながら笑顔で返す。
「はい。また明日」
そのまま背を向けると、後ろからガチャガシャッガタタンッ!と凄い音が聞こえ振り替えれば、何故か真っ赤になった助祭の青年が、「僕は神に仕える身・・・ダメだ、絶対ダメだ・・・」などとブツブツいいながら、無惨に倒れた素焼きのカップを片している。
うん?やっぱり彼も何か知ってるのかな?
それよりも今は早く帰ろう、と礼拝堂へと戻れば、小部屋から一番近い席にコウガとフェリオが座ってこちらを窺っていて、私の姿を確認すると、はぁぁぁぁ・・・と安堵のため息を吐く。
流石に心配掛け過ぎたかもしれない。
でも、このチャンスはしっかりモノにしたから、怒らないで欲しい。
私は不自然にならないように、早足になるのを必死で堪えながら教会の扉を潜り、我慢しきれず歩調を早めながら広場の中程まで来た所で、漸く詰めていた息を吐き出す。
―――――――――ッはぁぁぁぁぁぁ。緊張した!
どうやら自分で思っていたよりもずっと緊張していたらしい私の心臓は、今さらながらにドクドクと強く脈打っていて、呼吸が乱れて息苦しい。
大きく深呼吸を繰り返し、動悸が治まるのを待っていると、遅れて教会から出てきたコウガとフェリオが追い付いてきた。
「大丈夫カ?」
コウガが覗き込んで来ると同時に、私の肩にフェリオが戻ってくる。
労るような優しげな眼差しと、フワッと温かくなった肩にホッと息を吐き出せば、ちょっと震えてしまっていた手に力が戻る。
――――――あぁ、落ち着く。
「うん。大丈夫」
「全く。あんまり無茶するなよ・・・」
フェリオはいつもと変わらない声音で言うけれど、グリグリと首元に頭を擦り付けられていてちょっと擽ったい。
「ココに留まるのはヨクない。ラインと合流シヨウ」
コウガに促されれ、そう言えばまだ教会前の広場に居たのだと思い出す。
「そうね。色々報告したい事があるし、早く合流しようか」
ラインさん達も広場で様子を窺って居るだろうけど、教会前の広場で王国騎士と落ち合うのは流石にマズイ。
早く帰って報告しなきゃ。
助祭の青年は兎も角、あのグレゴールと呼ばれた司祭は、やっぱり怪しい。
あの『聖水』と呼ばれた液体・・・アレの正体が分かれば、きっと調査も進むはず。
・・・でも、教会の・・・グレゴール司祭の目的って、何なんだろう?




