金色の王子様
「それじゃあ、今度こそ出発だね」
「あぁ、まずはこの森を出ないとだが・・・取りあえずあっちの方に歩いてみるか?」
「えっと、道・・・分かるのよね?」
「境界の森はどっちに行ってもいずれエノスガイアの森に出る、そこからは分からん」
「それじゃ困るじゃない、地図とか無いの?」
「境界の森はいつも同じ場所に在るとは限らないんだ。どの場所に繋がっているかは出るまで分からん」
「大丈夫なの、それ?」
「まぁ、何とかなるだろ・・・あっ!でも、一応言っておくが、俺は非力な妖精だからな、戦闘要員には数えるなよ」
――――――戦闘要員って・・・今は町に辿り着けるかが一番の不安だよ。
腕の中のフェリオの喉をグリグリと撫でながら、境界の森をしばらく歩く。
それはハイキングでもしている様な気軽な旅路で、田舎育ちの私には特に苦になるものでは無かった。
だから、フェリオが言った戦闘要員って言葉を軽く考えていたんだよね。
「霧が深くなってきたな、そろそろ境界の森から抜けるぞ」
確かに前方には濃い霧が発生しているようだった。
あの霧の向こうには私の知らない世界が広がっているらしい。でも、もしかしたら自分の家の裏手に出た、なんて事もあるかもしれない。
私の中ではやっぱりまだ信じきれていないんだよね。一縷の望みくらい持っても仕方ないと思うのよ。
そんな事を考えながら、私は霧の中へと踏み込む。
「シーナ、そろそろ戦闘の用意をした方がいいぞ」
「・・・戦闘?」
嫌な予感がする。
「ここから先は野生の獣もモンスターもいる普通の森だからな。準備しておかないと危ないだろ?」
「え?」
「―――え?」
フェリオさん?私のいた世界には獣はともかく、モンスターなんていなかったですよ?しかも、普通の森で獣に会う確率もそれほど高くなかったですよ?
無言のまま足を止め、安全な境界の森まで戻ろうと踵を返す。
けれど、今まで歩いてきたはずの明るい森も、濃い霧も、私の背後には存在していなかった。
そこは、薄暗く鬱蒼とした森の中。
「フェリオ、言い忘れてたけど・・・私も戦闘要員じゃないのよね。って言うか、私の世界じゃモンスターとか普通にいないし、狼なんて絶滅してたし」
遠く、視線の先に犬の様な動物が見える。
狼かどうか定かでは無いけれど、どう見ても飼い犬では無い。
まだこちらに気付いていないみたいだけど、アレが野生の獣ってヤツ?
そっとフェリオに視線を向けると、フェリオも硬直した顔でこちらを見返してくる。
――――――逃げよう。
そーっと後ずさりながら狼と距離を取る。
けれどそれほど進む前に、頭上でバサバサッと鳥が飛び立つ音がする。
当然、狼達はその音に反応してこちらを見て・・・。
――――――目が合ってしまった。
瞬間、狼達はスタートを切り、私も正面に向き直り全力で走る。
スーツのタイトなスカートが邪魔だったので、サイドのスリットをビリッと広げ、走りにくいパンプスも脱ぎ捨てる。
けれど、狼のスピードに勝る筈もなく、どんどんと距離が縮まってしまう。
あともう少しで追いつかれてしまう。
そこでようやく、私は森を抜けて人が通りそうな道へ出た。
けれど、勢いよく飛び出した私の眼前には一頭の馬。
狼に追いかけられて、馬に轢かれて死ぬとか酷過ぎる。
私は恐怖で動けず、どうにかフェリオだけでも助けようと腕の中に抱き込み、衝撃に備えてぎゅっと目を閉じる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・?
けれど、予想した衝撃も狼の襲撃も無く、私はそっと目を開ける。
そして、私は今度こそ本当に死んだんだと思った。
目の前で狼を切り伏せていたのが、天使・・・いや、神様だったから。
綺麗な金色の髪に、艶消しの白銀に金の装飾が施された軽鎧、翻るマント、しなやかな体躯。
振り向いた彼は、エメラルドグリーンの瞳をしたとんでもない美男子。
それは物語に出てくる太陽神そのもの。
私は今までの恐怖も忘れて、呆けたように彼を見上げる。
「怪我は無いですか?」
けれど、私の前に膝をついた彼に優しい眼差しでそう問いかけられ、一気に恐怖と安堵が戻ってくる。
彼を見上げたままの目から、自然と涙が溢れてしまう。
「はい。大丈夫・・・です」
嗚咽が漏れてしまいそうで、小さくなってしまった私の声に、それでも彼は優しく微笑んでくれる。
「私の方こそ、もっと早く馬を止めれば良かったのですが。怖い思いをさせてしまい、申し訳ありません」
助けて貰った上にそんな風に頭を下げられては、泣いている場合じゃない。
私は何度か深呼吸をして涙を拭う。
「私の方こそ、いきなり飛び出したりして申し訳ありませんでした。助けて頂きありがとうございます」
深々と頭を下げると、腕の中に居たフェリオが苦しそうに身じろぎする。
ずっと抱き込んだままだった事を思い出し、慌てて腕の力を緩めると、プハッと顔を覗かせる。
「フェリオ、大丈夫?」
「まったく、シーナの圧で死ぬところだったよ」
「ごめん、つい」
「でも、オレを守ろうとしてくれたんだろ?ありがとな」
そんな私達のやり取りを見ていた金色の王子様(どうやら神様では無さそうだけど、見た目が100%王子様だったので取りあえずそう呼ぶことにした)は、驚いたように口を開く。
「貴女は錬金術師なのですか?」
妖精を連れている、イコール錬金術師というのはこの世界ではやっぱり当然のことらしい。
狼の件にしてもこの金色の王子様にしても、本当に異世界に来てしまったのだと今更ながらに実感する。
「そう、みたいです」
私の曖昧な答えに、金色の王子様はうん?と首を傾げる。
どう説明するべきか悩んでいると、腕の中を抜けだしたフェリオが二足歩行で金色の王子様の前まで歩み出る。
「この娘は先程オレと出会ったばかりの素人錬金術師だ。しかも、境界の森でしるべ草を失くしたせいで、自分の国から遠く離れた場所に出てしまったらしい」
フェリオの説明に金色の王子様は納得した様に頷き、私の方へ視線を戻し何かを言い掛けた所で、僅かに頬を赤らめ視線を逸らしてしまう。
そして、自らのマントを脱ぐとそっと私を包み込む。
それはまさに物語の王子様の行動だったけれど、なぜ彼がそうしたのか気が付き、私の頬がカッと熱くなる。
―――そう言えば、シャツのボタン開けたままだった―――!!
さっきまではフェリオを抱いていたから気にならなかったけれど、開けたシャツから胸元が露わになり、さっき破いたスカートから太ももの付け根辺りまでが覗いている。
「すまない、その―――ゴホンッ―――大変な目に遭ったようですね。これからどうするおつもりですか?」
どうやら見なかった事にしてくれるようなので、私はそれに便乗する。
「取りあえず、近くの町まで行こうかと。そこで職を探さないとですかね」
「職を?国へは帰らないのですか?」
「国へ帰ろうにも、ここがどこなのかも分かりませんし、旅をするにもお金が必要ですから」
私は森を歩きながら、もし本当に異世界だったらと仮定して立てた行動予定を話してみる。
「そうでしたか。そう言えばまだ名乗っていませんでしたね。私の名前はラインヴァルト・グトルフォス。アクアディア王国の騎士をしています。貴女方の名前を伺っても?」
金色の王子様改め、ラインヴァルトさんは騎士さんだったのね。
「はい。私は天川汐衣奈といいます。名前が汐衣奈なので、宜しければシーナと呼んで下さい」
フェリオの時の反省を生かして、私は先にそう付け加える。
「で、オレがシーナのパートナー、ケットシーのフェリオだ」
―――ケットシー?
え?とフェリオを見るけれど、澄ました顔で堂々としている。
そう言えば、オーベロン級ってバレると厄介だって言ってたっけ。
「シーナさんとフェリオさんですね。では私の事もラインと呼んで下さい」
「ラインさん、とお呼びすればいいでしょうか?」
王国騎士という職業がどれくらいの地位の人なのかがよく分からないので、もしかしたら様と付けた方がいいのかもしれない、と確認してみる。
「もちろん構いません。それと、ここはアクアディア王国の南東に位置する、カリバという町の近くです。そこへ行けば他の錬金術師もいますし、職を探すのであれば訪ねてみるのもいいでしょう」
「そうなんですね。教えて頂きありがとうございます。では・・・」
私は借りていたマントを返そうとするけど、ラインさんに寒いから着ていた方がいいと返されてしまったので、胸元の留め具を改めて付け直す。
そう言えば、ここで会っただけの私にラインさんはなぜ自己紹介なんてしたんだろう?
ふとそんな疑問が持ち上がった。
「では、行きましょうか」
そんな疑問は、ラインさんの次の行動で直ぐに解消された。
彼は馬の横に立ち、さぁ乗れと言わんばかりにこちらに手を差し伸べている。
―――それは、私に馬に乗れと言っているのでしょうか?
「あの、ラインさん、恥ずかしながら私は馬に乗ったことがありませんので」
そこまでして貰っては本当に申し訳ない気がするので、丁重にお断りしようと試みるも、町まで徒歩ではかなり距離がある上に、この辺りは牙狼(さっきのヤツだ)が多いらしく危険だからと説得されてしまった。
ラインさんに手を貸してもらい何とか馬に跨ると、彼もサッと馬に跨る。
そう、私の後ろに!
ちなみにフェリオは顔だけ出した状態でバッグに押し込み、前に抱えている。
当たり前だけと、ラインさんの様な格好いい人には出会った事無かったし、男の人とこんな風に密着するなんて中学の運動競技会で男子と二人三脚した時以来だ。
「では、出発しましょう。危ないので少々失礼します」
その時点で既に限界だった私は、そう言ったラインさんに腰の辺りをそっと引き寄せられ、後ろから抱き込むようにされて更に焦る。
ひゃぃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ.......。
心の中で謎の悲鳴を上げる私をよそに、馬はゆっくりと走り出し、もう降りる事も叶わない。
布越しに感じる彼の手や、背中の温もりなんて、絶対考えちゃいけない!・・・って物凄く意識しちゃってる!!
こんなの心臓が持たない。なんとか別の事を考えないと。
無理やり意識を逸らそうと、私は今までの出来事について考える事にした。
それは思いの外功を奏し、なんとか私の意識からラインさんの存在をほんの少し追い出す事に成功する。
ここまで来て、異世界じゃないと否定するのはもう無理だとしても、なぜ私はここに来てしまったのだろう?原因は恐らくあの黒い影の様な腕。
でも、アレが何なのかすら私には分からない。やっぱり情報が必要なのは間違いない。
それに、私はここに来て普通に話をしているけれど、何となく日本語を喋っている気がしない。
自分の中では日本語だし、フェリオやラインさんの言葉もちゃんと理解できる。でも、妙な違和感があるのも否めない。
まるで、自分がもう一つ別の言語を自在に操ってでもいるような?
まぁ、言葉が通じる事は幸運だったと考えて、その辺の答えの出無さそうな疑問は一度棚に上げておく。
あとは、町に着いたあとどうするか・・・なんだけど・・・。
「シーナさん、大丈夫ですか?」
考える事に没頭し過ぎたせいで、いつの間にか体制を崩しかけていたらしい。
ラインさんの腕が腰の辺りから少し鳩尾の辺りまで上がり、先程よりもさらにしっかりと抱き込まれている。
「気分が優れない様でしたら・・・」
更に耳元で囁かれ、私の心臓は一瞬限界を超えた。
キュウッと胸が苦しくなり、何かが溢れて・・・弾ける。
ラインさんってば声だけで私を殺す気ですか?心臓壊れたかと思った・・・イケメン恐るべし・・・。
――――――ポツンッ―――――
私の熱くなった頬を突然濡らしたのは、冷たい雨粒だった。
空は雲一つない晴天、けれど辺り一帯にサァァァァと雨が降り注いでいる。
「にわか雨?」
雨の冷たさで多少冷静さを取り戻した私がそう呟くと、
「雨が降るなんて・・・」
と、ラインさんも呟きを漏らす。
雲も無いのに雨が降るなんて、異世界はやっぱり変わってるな。と、この時の私は暢気に考えていたんだよね。




