ナガルジュナの町
「町の灯りが見えてきましたよ」
ラインさんの言葉に馬車の前方に目をやれば、暗闇にうっすらと町の外壁が見て取れた。
馬車の進む先には二つの灯り。多分あそこが町の入口なのだろう。
丸々一日を要した馬車の旅が、漸く終わる。
――――――長かった・・・ほんッと~に、長かった!
出発直後、絶対に寝ないと意気込んだものの、私はモノの見事に眠りこけた。そして、ラインさんの配慮で多めに取られた休憩の度・・・雨を降らせてしまった。
最初の休憩時はラインさんに寄り掛かって眠っていた。その休憩が終わると、何故か私が使っていたクッションがコウガの隣に置かれていて・・・次の休憩時にはコウガに寄り掛かって眠っていた。そしてクッションはまたラインさんの隣に・・・。
馬車に乗ると性懲りもなく寝てしまう私は、交互にやってくる目覚めのイケメンに全く慣れる事が出来ず、その度に錬水の衝動に駆られ、フェリオの肉球で頬をブニッとされて、首をグリンッと空へ向けられて・・・首が痛いです。
更にはフェリオに錬水の条件がバレた気がする。あの顔、絶対面白がってる顔だったし。
あぁぁぁぁ、どうしよ。恥ずかし過ぎる。
折角雨に偽装出来るようになって、錬水の事バレなくなったと思ったのに。
こっちも絶対バレちゃいけないヤツだったのにぃぃぃ・・・。
そんな事で悩んでいた私は、街道沿いに何度も雨が振ったこの日が『ナーガ街道の奇跡』として広くアクアディア王国で噂になり、その噂は王都、更には王宮にまで届く事になるなんて・・・全く考えていなかった。
「随分早く着きましたね」
そう、漸く到着とは言っても、予定よりもかなり早く到着出来たと思う。
予定では夜遅くに着く予定だったはずなのに、陽は既に落ちてしまったけれど、まだ夕食の時間帯だ。
「シーナさんのポーション入りの干し草が効きましたからね」
「大事にならなくて良かったです」
途中、飛び出してきた赤猪に驚いた馬が岩に足をぶつけて怪我をしてしまったので、干し草にポーションを混ぜて与えたところ、怪我が治ったと同時に体力も回復してスピードアップしたのが良かったらしい。
因みに赤猪はコウガが瞬殺してました。
そんな会話をしている内に、あっという間にナガルジュナの門まで到達した馬車がゆっくりと停車し、門番とラインさんが一言二言会話した後、特に止められる事無くナガルジュナの町へと再びの馬車が進む。
ナガルジュナはナーガ山の麓にある鉱山町で、鉄鉱石と銅鉱石が主に産出されている。と、来る途中にラインさんが説明してくれた。
カリバよりも大きなこの町を囲うしっかりとした外壁は、鉄や銅を精錬する際にできる石から出来ていて、不思議な光沢が有るのだと聞いて楽しみにしていたけれど、流石に暗すぎて真っ黒な石にしか見えなかった。
少しだけガッカリしつつ馬車の前方から外を眺めれば、カリバの町とはまた違った活気に溢れた町の風情に、ガッカリなんてすぐに吹き飛ばされてしまう。
鉱山採掘が主産業の為か、屈強な男の人達が多く行き交い、灯りの漏れる酒場からは楽しげな笑い声が上がっている。
「賑やかな町だな!」
さっきまでは疲れたようにグッタリとしていたフェリオが(ほぼ私の所為だが)、私と同じようにキラキラと目を輝かせて町を眺めている。
「ほんと!夜も賑やかね」
カリバの町の夜はもっと静かだったから、この活気は新鮮だ。
「この辺りは食事処が多い地区なので、夜になると鉱夫達が多く集まるんですよ」
「確かに!美味しそうな匂いがしてます」
そう。さっきから私の鼻を擽るのは、肉の焼ける匂いと香辛料の香り。
「ハラ減った」
この匂いに触発されたのか、コウガも鼻をスンスン鳴らして、ボソリと一言。
「もうすぐ宿に着きますので、もう少しだけ我慢してください。宿で食事にしましょう」
「わかりました。楽しみだね?」
未だにキラキラと外を眺めるフェリオに声を掛ければ、「おう!」と元気な声が返ってくる。"妖精はご飯を食べなくても平気"なんて、誰が言ったんだっけ?
――――――カタンッと小さな振動と共に馬車が停車する。
御者のおじさんが素早く裏へと回り幌を開けてくれて、私はラインさんの後を追って馬車を降りた。
到着したのは『露草亭』という、なかなか立派な店構えの宿屋だった。
ラインさんが手続きを済ませて案内してくれたのは、二階の一番奥の部屋。その隣と真向かいがラインさんとコウガの部屋らしい。
ラインさんは自分の住居に帰ると思ったのだけれど、どうやら一緒にお泊まりの様だ。
部屋はベットにテーブルと椅子、小さなクローゼットとシンプルだけど、綺麗に掃除が行き届いていて快適そう。
カモフラージュの為に一応持っていた大きめの鞄をテーブルに下ろし、さほど広くない室内を歩き回り、カーテンを開けて窓の外を眺めたり、クローゼットを開けたりしてみる。
これはいつもホテルでついついやってしまう私の癖だ。このホテルにはドライヤーは有るかな~とか、アメニティはどんなのかな~とか、最初に確認したいじゃない?
とは言えここは異世界。ドライヤーはおろか、タオルすら無かったけれど。
「シーナ、何をやってんだ?落ち着かない奴だな」
「・・・ごめんなさい、つい癖で」
「別に警戒する様なモノは無いぞ?」
「いや、警戒してた訳ではなくて・・・」
地球のアメニティの豪華さを説明するのは難しい。
こんな所で地球との齟齬が身に染みるとは思わなかった。
――――――コンコンコンッ。
「シーナさん、もう出られますか?」
地球を想って少しだけ切ない気持ちになっていれば、控えめなノックの音とラインさんの声が部屋に響く。
――――――いけない、荷物を置いたらすぐご飯を食べに行くんだった!
「はい、すぐに!」
慌てて部屋を出れば、ラインさんの隣には既にコウガも立っていて、二人を待たせてしまった事がわかる。
「ごめんなさい、遅くなりました」
「いえ、気にする事はありませんよ」
「気にスルな。ホラ、行こう」
気にするなと言いながら、コウガはやっぱりお腹が空いていたのか、私の手を引いてさっさと歩き出す。
それにしても、手を繋いで歩くのはちょっと恥ずかしいのだけれど・・・夕食にまっしぐらなコウガには、遅れた身としては文句も言えない。
そうしてコウガと手を繋ぎ、ラインさんと並んで食堂へ入れば、殆どのテーブルがお客さんで埋まっていた。
なんとか三人で座れるテーブルを見つけて席につき、料理を注文し終えた頃には――――――なんだか食堂中の視線を集めているような・・・。
食事をしていた女性達はもれなくラインさんとコウガに視線を奪われているし、男性客までもがチラチラと此方を窺っているのが分かる。
――――――目立つ。二人は、物凄く目立つ!
そんな煌びやかな二人に挟まれた私は、さぞかし地味な存在だろう。隣に居るのが私で、なんだか申し訳無い。
とは言え、今はご飯が最優先だ。
不躾な視線には辟易するけれど、早速運ばれてきた料理達を目の前に、そんな事はすぐに気にならなくなる。
赤猪のエール煮込みは、仄かな苦味とピリッとした香辛料が効いていて美味しかった。欲を言えば、角煮にして食べたいところだけれど、この世界には醤油の代わりになるものは無さそうだ。
そしてここでもやはり野菜、特に葉物野菜は全くと言っていい程出てこない。
――――――あぁ、野菜が食べたい。トマトとか、レタスとか、キュウリとか・・・せめて緑の野菜が食べたい。
彩りの少ないメニューを眺めて、ついついそんな事を考えていると、目の前に美しい緑がわっさりと盛り付けられた皿が運ばれてくる。
――――――これはッッッ!このポコポコと膨らんだフォルム、フサフサと毛の生えた鞘、これは・・・まさか・・・。
「枝豆!?」
そう、運ばれてきたのは、どこからどう見ても枝豆!最強おつまみ、枝豆様だったのだ。
嬉しさのあまり大きな声が出てしまった私は、ハッと口を両手で塞ぐ。
けれど、溢れる喜びに大声で叫んでガッツポーズをしたいくらいだ。
「シーナさんは蔓豆を知っているんですか?これはこの辺りでよく栽培されている豆なのですが」
「はい!私のいた所では枝豆って呼んでました。多分、同じものだと思います」
私は枝豆改め蔓豆を一つ摘まむと、指で押してそのまま口の中に豆を送り込む。
実際食べてみても、やっぱり枝豆だ。しっかり目の塩味が、いい塩梅。
「確かに、食べ方も手慣れてますね」
しまった、直接食べるとか行儀が悪かったかな?と心配になるも、ラインさんもコウガも私と同じように次々と口の中に豆を放り込んでいく。
野菜では無かったけれど、枝豆があるということは大豆もあるって事だ。大豆さえあれば、味噌や醤油、豆腐だって出来るかもしれない。これは、ナガルジュナに来て一番の収穫に違いない。
「コレは・・・エールが欲しくナルな」
コウガはどうやら初めて食べたらしく、最初は物珍しげにしていたけれど、もはや食べる手が止まらない。止められない止まらない。それが枝豆の魔力です。
そしてコウガさん!エールとは、ビールの事ですね?
この世界でもビールと枝豆、いや・・・エールと蔓豆は最強コンビと認定されました!
「そうなの!私もエール呑みたい!」
結局みんなでエールを注文し、蔓豆もおかわりした。何だろう、久し振りにアルコールを呑んだ所為か、物凄く楽しい。
元々そんなに呑む方では無かったけれど、弱いという事も無かった私は、調子に乗ってエールを三杯呑んだ所で、フェリオに止められる。
「フフフッ・・・楽しいぃ。エールおかわり!」
「シーナ、もう止めとけ。明らかに酔っぱらいだぞ?」
「そう?私、そんなにお酒弱くないよ?」
でも、確かに意味もなく笑いが込み上げてきて、フワフワして気持ちが良いのは、少し酔いが回っている所為かもしれない。
「シーナさん、私としてもそろそろ止めておいた方が良いかと・・・」
「コレを呑んでおけ」
しかも、ラインさんにまで止められて、コウガには水を手渡され、完全な酔っぱらい扱いである。
とは言え、ラインさんもコウガも顔が赤いから、二人だって酔っているに違いないのに。
自分だけ酔っぱらい扱いされて不満に口を尖らせば、更に酔いが回ったのか、二人とも更に赤くなった顔を掌で覆って項垂れてしまう。
「ククッ―――シーナは酔っ払った方が免疫力と攻撃力が上がるんだな」
フェリオが何故か可笑しそうに笑い、項垂れる二人と私を交互に見る。
いや、私は酔拳の使い手とかでは無いのだけど。
でも、まぁ仕方ない。お酒の席は楽しいけれど、翌日が仕事ならば早目に切り上げた方が良いだろう。これは、社会人としての常識だ。ナガルジュナに来たのはラインさんの依頼の為だし、明日はちゃんと教会の調査をするのだから、今日は早く休まなければなるまい。
「じゃあ、そろそろ部屋に戻りましょうか」
「そうですね」
「あぁ。もう休んだ方がイイ」
私がサッパリと言い切れば、どこか安堵した表情の二人が席を立つ。
何処からとも無く落胆の声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう。
まぁいいか、と部屋に戻るべく歩き出せば、フラフラと覚束無い足取りに、自分で少し驚いてしまう。
最近お酒を呑む機会が無かったからといって、私はこんなにお酒に弱かっただろうか?
結局二人に両側を支えられる様な形で歩きながら、自分の身体の変化が年齢や見た目だけで無い事に、言い知れない不安が過る。
――――――私はまだ天川汐衣奈なんだろうか、と。
フワフワと心地好かった気分はすっかり醒めて、でも身体は未だにフラフラと覚束無い。
変な感じだと俯けば、両側からガシッと腕を掴まれる。
ハッと顔を上げれば、食堂を出た先の中庭まで来ていた。
「ドウした?」
「気分が優れませんか?」
心配そうに覗き込む二人の顔を間近に捉え、更に腕に感じる二人分の温もりに、急激に恥ずかしさが込み上げてくる。
さっきまでは平気だったのだ。酔いが回ってフワフワしてたから。でも、不意に感じた不安と中庭を通り抜ける夜風が、私の酔いを完全に醒ましてしまった今となっては・・・・。
――――――バシャァァァ。
盛大に溢れた水は、それでも私達に降り掛かる事無く中庭に注がれた。
屋外とは言え、突然大量の水が降ってくれば誰しも驚くものだ。しかも、明らかに雨とは呼べない程の。
二階からバケツの水をひっくり返したと言われた方が信じるだろうが、見上げた限り窓が開いてすら居ない。
――――――コレは・・・マズイ。
そっと両隣を窺えば、唖然と空を見上げるラインさんと、空を見上げた後にフェリオが私の肩に乗っているのを確認して首を傾げるコウガ。
私も思わずフェリオを見てしまうけれど、流石のフェリオもフォロー出来る範囲を越えていたのだろう。ブンブンと首を横に振っている。それでも・・・
「あッ・・・あ~、アレか?酔っ払った水魔法使いでも居たか?」
若干顔が引き攣っているし、声も裏返っているけれど、何とか言い訳を捻り出してくれたらしい。
「水魔法使い?酔っ払って魔法を使うなど、魔法使いにあるまじき行為です。少し調べてきます」
フェリオの言葉にラインさんが騎士の顔で食堂へ引き返そうとする。
「待て待て!魔法使いがやったとは決まってないから!可能性の問題だから!」
「そッそうですよ!それに、誰にも被害が無かったのだし、あまり騒ぎにするのもッ」
困る。騒ぎにされたら私が困る。しかも水魔法使いさんが本当に食堂にいたら、確実に冤罪になってしまう。
私とフェリオがあまりにも必死で止めたお陰で、ラインさんは食堂へと向けた足を止めてくれた。けれど、まだ納得はしていない様だ。
「しかし、それでは・・・」
「明日、教会の調査をスルなら、アマリ騒ぎを起こさナイ方がイイ」
最終的にラインさんを納得はさせたのはコウガの一言だった。
「確かに。教会の件が片付いたら、夜の巡回警備を強化する事にします」
危なかった。今回は本当に危なかった。
感謝の意を込めてフェリオを見れば、物凄く呆れた眼差しが私を見ていた。
――――――ごめんなさい。
「酔うと免疫力は上がるが反動が大きい・・・か。全く世話の焼ける・・・」
それからずっと何やらブツブツと文句を言うフェリオを宥めながら部屋へ戻り、ラインさんとコウガに「おやすみなさい」と挨拶を交わして部屋へ戻る。
とにかく、今日は色々と大変だったから、明日に備えて早く休まなければ。




