〉その頃彼等は~ヴァトナと客人達~
「北の森に影魔獣が出現しました。負傷者は確認されて居りませんが、その数は不明。至急討伐指示をお願いしたいとのことです」
「影魔獣だと?分かったすぐに向かう」
その報告に、ヴァトナは驚きを隠せなかった。
ゲートは比較的荒廃した土地に出現し易く、世界樹の恩恵で豊かな森を維持出来ていたウールズ周辺では、これまで影魔獣の出現報告が無かったからだ。
かと言って、何の対策もしていない訳では無いが、それでも多少の動揺は否めない。
「済まないが急用が出来た様だ。後は自由に見て貰って構わない」
「あッ、はい。ありがとうございます。あの・・・何かあったんですか?」
「少々厄介な客が来たようだ。なに、直ぐに追い返す。其方は心配しなくて良い」
「・・・そうですか。でも、お気を付けて」
「あぁ。ではな」
客人であり錬金術師のシーナに関しては、護衛も付いている上に、集落の中央部に位置するこの書庫に居れば安全だろうと考え、不安を与えない様に敢えて事実を伏せる。
そうして屋敷に向かったヴァトナは、途中で森の調査に向かった兵士に遭遇し、影魔獣が森鹿と森百舌鳥である事を知り、眉間の皺を深くする。
「影森鹿に影百舌鳥だと?厄介な」
しかしそんな厄介者共よりも更に厄介で、最悪の事態と言わざるを得ない状況をヴァトナは目の当たりにする。
視線の先、見慣れた風景であるはずのその光景は、強い違和感と不快感を感じさせた。
まだそれほど大きな変化では無い。しかし、何時もは感じる事の無い、ゾクリと震えるような嫌悪感がジワジワと迫り上がってくる。
これは、影魔獣の気配か?いや、違う・・・。
「───なんだ、アレは」
余りの事に思わず声が漏れる。
ヴァトナの視線の先で、みるみる内に世界樹に広がる不穏な黒。
世界樹の幹右側面に、最初は違和感を覚える程度の黒い染みの様なものが浮かび、それはジワジワと広がり、より濃く黒くなっていく。
その黒色の広がりに比例して高まる嫌悪感に、ヴァトナは早めていた歩調を更に加速させる。
一体、何が起こっているんだ?
状況は目に見えて悪い。
今、感じ取れるだけでも相当数の影魔獣が出現している。
にも拘わらず、今から周辺集落に連絡を送っても、応援が到着するのは速くとも昼過ぎ。それも兵力としては全く足りない。
しかもエルフ族にとって相性の悪い魔物だ。
加えて世界樹の異変で民達に動揺が広がれば、集落の防衛が正常に働かない恐れもある。
まさかとは思うが、アクアディア王国の策略では?
そんな憶測をしてしまうほど、唐突で異常な事態だった。
その後、先に対応に当たっていたフォルニと情報を共有し、そのままフォル二を指揮官として残し、ヴァトナ自身は北の森へと向かう。
「あの錬金術師を追い出せー!」
「錬金術師から世界樹を守るんだー!」
途中、教会の人間が世界樹を囲む防壁の周りでそんな事を叫んでいたが、今はそんな者共の相手をしている暇はない。
如何せん、他国の王侯貴族が既に影魔獣討伐に加わっているのだ。
ウールズの代表であるヴァトナが遅れを取る訳にはいかなかった。
「姫、大丈夫かな」
ヴァトナの隣で、フヴェルミルの王弟ナイルが心配そうに呟く。
「ヴァトナ殿、この事態は決して我々の意図したものではありません」
フィヤトラーラと共に先んじていたアクアディアの侯爵子息が、深刻な表情でヴァトナを待ち受ける。
「ゲートは既に消滅していタ。これ以上は増えないだろウ」
既に森に入り、影魔獣及びゲートの確認までを終えたミーミルの元族長子息が、淡々と告げる。
次から次へと・・・。
本来であれば他国の客人、しかも王侯貴族またはそれに準ずる人間をこの様な場に駆り出すなど有り得ない。
しかし今回の影魔獣に対抗できるだけの兵力が今この集落には無く、不測の事態が立て続けに起こっている現状。
彼等の高い戦闘力と魔法力は渡りに船と言わざるを得ない。
全く、頭の痛い事だ。
眉間に寄せた皺が取れぬまま、ヴァトナは客人達と共に森へと入る。
しかし、いざ影魔獣の討伐が始まると、ヴァトナは客人達がこの場に居て本当に良かったと考えを改める事となる。
彼等は影魔獣との戦いに慣れていた。
影魔獣と戦ったことのあるヴァトナでさえ、普通の魔獣のと違いに慣れるまで少しの時間を要した。
そして恐らく、戦い方を知っている彼等が居なければもっと時間が掛かっただろう。
ヴァトナでさえそうなのだ。一般の兵士に至っては、彼等が居なければ甚大な被害を出していたのは間違いない。
・・・彼等の存在は僥倖だったと思うべきだろうな。
ヴァトナは自身も複数の影魔獣を相手にしながら、他国の貴人達の戦いに称賛を送った。




