〉その頃彼等は~ラインとフィヤトラーラ~
シーナが書庫へ向かったその日、ラインはフィヤトラーラに呼ばれ、彼女の下へと足を運んでいた。
「それで、どの様なお話しでしょうか」
通されたのは彼女の執務室と思しき一室。
その部屋には侍女と護衛の兵士が一人ずつ控えており、ラインは促されるままソファへ腰を下ろすと、そう尋ねた。
「全く、開口一番がそれなの?気の利いたお世辞の一つでも言えないのかしら。まぁ良いわ。ネーデル夫人は元気?」
ラインはその時になって、そう言えば自分の母とフィヤトラーラは同じ年頃で、交流もあったと聞いた事がある、と思い出した。
「・・・母ですか?えぇ、変わりなく過ごしていますよ」
「そう・・・でも心配だわ。ネーデル夫人とティサネッテ王妃は双子の姉妹だもの、きっと辛い思いをされてるでしょう」
「そう、ですね。しかしもう10年経ちますから、色々と受け入れざるを得なかったんだと思います」
どんな感情も、流れた時間が増える程に溶けて薄れるもの。忘れる日など在りはしないが、その事ばかり考えては生きられない。
それを痛感した10年だったと、ラインはふと振り返る。
「10年・・・そうね、10年は長いわ。前に会った貴方はまだ愛らしい子供だったものね。それなのに今ではこんなに立派に育って、ますます母君に似てきたのではなくて?」
「よく言われます。ですが、子供の頃の話しは気恥ずかしいので、できれば遠慮したいのですが」
「フフッ。恥ずかしがらなくても良いのに・・・」
緩く微笑んだフィヤトラーラはそこで言葉を切ると、不意に苦しげな表情で頭を下げる。
「ごめんなさいね。ティサネッテ王妃もネーデル夫人も私の友人よ。だから助けたいという思いは勿論あるの。でも・・・私達ウールズの民にとって、世界樹は何よりも優先されるものなのよ」
それに関してはラインも理解していた。
この世界における世界樹の重要性を考えれば、如何に一国の王とはいえ世界樹の存在には変えられないという事を。
それ故、『賢者の柩』が世界樹の維持に使用されている限り、ウールズは『賢者の柩』を決して貸し出したりはしないという事を。
「頭を上げてください。世界樹はこの世界の安寧を担う存在。私が貴女方の立場でも同じ判断をするでしょう」
「そう言って貰えると嬉しいわ」
「ですが・・・」
ラインはそこで一度言葉を切ると、不安など何も無いとでも言うように、爽やな笑みとともに続ける。
「我が家の錬金術師殿はとても優秀ですから、私はまだ諦めた訳ではありませんよ」
その自信に満ちた表情に、陰っていたフィヤトラーラの表情にも笑みが戻る。
「そうね。勿論、そちらが約束を果たしてくれるなら、『賢者の柩』は喜んで貸し出すわ」
それにしても、その話がしたいが為にフィヤトラーラは今日この場に自分を呼んだのだろうか、とラインは疑問に思う。
それだけであれば昨日の会談の席で、此方の謝罪を受け入れ、賠償を放棄した事で十分だったはず。
「それにしても───」
これで終わりだろうか、とラインが考えあぐねていると、フィヤトラーラがさも自然な流れで言葉を重ねる。
「貴方はティサネッテ王妃に本当によく似てきたわね」
「───えぇ。母親似なので、伯母にも似るのでしょうね」
ラインは一瞬言葉に詰まり、その後にこりと笑って答える。
「貴方、本当は───」
コンコンコンッ!!
「ッッ失礼致します」
フィヤトラーラが再び何か言おうと口を開いたその時、酷く慌てた様子の文官が部屋に飛び込んで来た。
「フィヤトラーラ様、来客中の所申し訳御座いません。北の森より影魔獣が発生したのと報告がありました」
「影魔獣ですって!?確かなの?」
「はい。報告によりますと影森鹿とのことです」
結局、フィヤトラーラが最後にラインに投げ掛けた言葉は、この騒動によって有耶無耶となってしまったが、ラインは内心複雑な思いで影魔獣討伐に加わる事となった。




