異変
ふと脳裏に過ぎったのは、赤を纏った苛烈な女性。
あれから一度も遭遇してないけれど、あの魔道具を見るとどうしても思い出さずには居られない。
でも、こんな所に居るわけ無い、よね?
それよりも、まずはこの状況をどうにかしないと。
一抹の不安も、目の前にある大きな不安に覆われて直ぐに霧散する。
「フェリオを離して!」
「へん。どうせ妖精に頼んで逃げ出す気だろう。錬金術師だからって偉そうにするな!」
「そんなんじゃないッ!そんなモノに入れられたら、フェリオの魔力が枯渇しちゃう」
いくらフェリオでも、今でさえグッタリとして見えるのに、この状態が長く続いて無事で居られる保証は無い。
「そうだのう。低位の妖精とは言え、ケットシーも立派な妖精。お主が素直に拘束されるなら、この妖精は籠から出してやらん事も無いぞ」
素直も何も、私は最初から抵抗なんてしていない。とは言え、フェリオが人質に取られた状況じゃ、そんな文句も言えないけれど。
「分かりました。ですが、私には身に覚えの無い事です。何故拘束されるのか、理由をちゃんと説明して下さい。そうでなければ同行できません」
「ふんッ白々しい。時間稼ぎをした所で、誰も助けになど来んぞ。ホラ、お主等何をしておる、連れて行け!」
「なッ!?」
結局私は、エルフの老人から名乗られる事も、詳細を説明される事も無く拘束、連行されるという、恐ろしい事態に陥っていた。
フェリオは教会の人間だって言っていたけど、本当にそうなんだろうか?
もし誘拐犯だったりしたら・・・。
そんな私の不安は、幸か不幸か直ぐに解消される事になる。
彼等が私を連行して向かったのは、ミョーサダールのアメリア聖教会の大聖堂だったからだ。
その大聖堂へと向かう途中、町に漂う雰囲気に私は違和感を覚えた。
昨日は大量の水と雨のお陰で弾んだ雰囲気だった人々が、今日はなんだかとても不安気に世界樹を見上げているのだ。
その視線を追って、不安でつい下がっていた視線を世界樹へと向けると───。
───なに、あれ・・・。
昨日までは、いや今朝見上げた時まではなんともなかった世界樹の、右側面。根元の辺りから遠目でも分かる程の範囲が、明らかに黒ずんでいる。
驚愕に見開かれた私の視線に気付いたのは、見た目詐欺のソバカス兵士。
「何を驚いてる。どうせ昨日オマエが何か良くない薬でも撒いたんだろう?その所為で世界樹があんな風になったに決まってる」
「はぁ!?」
しまった。思わずガラが悪くなっちゃった。
でも、そんな事を気にしている場合じゃない。
世界樹の異変。見るからに善くない変化を起こしているその姿に、誰もが不安に駆られた事だろう。
そして、私を連行する彼等の言動からして、きっと私がその異変を起こした犯人だと思われている。
昨日の今日でこの異変だ。疑うのも分からなくは無い。
でも、私は水を撒いただけだ。ただ現段階では実際にそれを説明することも、証明することも難しい。
このまま拘束されて、罪を問われたらどうしよう。
心に、急激に広がったのはそれまでに無い、恐怖。
それまでは、説明すればいずれ分かって貰える。ラインさん達に証言して貰えばきっと大丈夫。そう思って、心の何処かに余裕があった。
けれど、世界樹に危害を加えたと疑われているならば、そう易々と解放される事は無いのではないか。
もしこのまま世界樹が黒く染まりきって、二度と回復出来ないなんて事になったら、問われる罪は非常に重いものになるだろう。
怖い。逃げ出したい。
でも、フェリオを置いて逃げるなんて出来るわけ無い。
そんな葛藤を延々と繰り返している内に、大聖堂へと連れてこられた私は、大聖堂という場所に不似合いな鉄格子の嵌まった部屋へと押し込められる。
ベッドとテーブルセットだけというシンプルな部屋ではあれど、地下牢のようなジメッとした不衛生な部屋で無かっただけマシだろうか。
なんて考えるのは、現実逃避なのかも。
フェリオとは離れ離れ。詳しい説明も、弁明の機会も無い。
皆とも連絡する手段が無く、スマホも入っていた魔法鞄ごと奪われてしまった。
こんな状況で、錬金術を使えない非力な私に出来ることなんて、何も無い。
一人で居るのは、サパタ村以来だろうか。
・・・不安で、不安で、どうしようもなくて。
恐怖や後悔もぐちゃぐちゃと頭の中を巡って、頭が上手く回らない。
ただ立ち尽くしていたって何も解決しないのに。
そう分かっているのに、ずっと回りに皆が居たから。
こんな風に一人になると、急に自分自身が物凄く弱い人間なんだと自覚して、動けなくなる。
頼りになる仲間が側にいないから?
錬金術が使えないから?
びっくりするくらい高性能なスマホが手元に無いから?
でも、この世界に来るまでは、そんなモノ一つも持っていなかった。
それでも、前はもっと強かったはずだ。
一人で居ることに不安なんて感じなかったはずだ。
それなのに···私はいつの間に、こんな風に人に頼って生きていたんだろう。




