〉コウガ~企みの森~
影黒豹討伐へ向かうラインとナイルを送り出した後、コウガは割り当てられた部屋のソファーでぼんやりと天井を眺めていた。
ラインとナイルは討伐へ、シーナは朝からポーションを作っている。
一応自らの故郷であるにも係わらず、自分だけが何もしていないこの状況に、少なからず罪悪感を感じてはいるが、それは本来なら関係の無いシーナ達を巻き込んいるからであって、故郷に対してではない、はずだ。
コウガはソファーの上で居心地悪そうに身動ぎを繰り返しなから、自嘲気味に笑う。
全く気にもならないと思っていたのにな・・・。
そうやって何度目かの寝返りを打った頃、屋敷のメイドが来客を告げた。
「久しぶりネ。元気そうで何よりだワ」
心にもない言葉を吐いて薄ら嗤いを浮かべたのは、この国で最も顔を会わせたくなかった女、イジャラン・グェイアだった。
「何の用ダ」
「あら嫌ダ。挨拶も碌に出来ないなんテ。育ちを疑われるわヨ」
「用が無いなら帰レ」
「フン、相変わらず生意気ネ。でも、そんな事言って良いのかしラ?アナタの大切なご主人様、今どこにいると思う?」
何らや企んでいる様子のイジャランを、コウガは警戒を強めて睨み付ける。
「何もしなければ、俺はこのままこの国を出ル。だが、シーナに手を出すというなら話は別ダ」
「嫌ネ。私は親切に教えてあげてるだけヨ。アナタのご主人様、さっきメイリンと森に入って行ったそうヨ?」
「メイリンと森に?」
何故メイリンと?
この前顔を合わせた時、メイリンはシーナを良く思っていないようだった。それなのに急に二人で出掛けるなんて事が有り得るのか?
「信じられないなラ、ご主人が部屋に居るか確かめたらどウ?」
その言葉を聞くよりも前に、コウガは戸口に立つイジャランの脇をすり抜けてシーナの部屋の扉を叩くけれど、中から返事が返って来る事は無く、そのまま部屋の中を確認する。
結果から言えば、部屋にあったのは、テーブルの上に残された『メイリンさんと一緒にミヤマコモモを採りに行ってきます。直ぐに戻ります。シーナ』というメモ書きのみだった。
メイリンが連れ出したのか?何故?
この時期まだミヤマコモモが採れるのは、恐らく遠見の崖の上のあの木だろう。
影魔獣が出た森からは離れているし、メイリンに限って、危害を加えるような事は無いとは思うが。
メイリンの母マオメイ伯母は、コウガ達親子にとって唯一の理解者で協力者だった。
コウガを産んでから実家からも見放された母スイメイは、実家に帰ることも頼ることも出来なかったが、そんな彼等に様々な支援をしてくれたのがマオメイ伯母だった。
そんな伯母と一緒に、離れに遊びに来ていたのがメイリンだ。
少し思い込みが激しく直情的ではあるが、伯母に似て正義感が強く一本気で面倒見の良い彼女ならば、シーナに対して何か誤解があったとしても、無闇に危害を加える事は無いだろうと思えた。
しかし、その情報をイジャランが持って来た以上、何かあるに違いない。
「ホラ、いないでしょウ?こんな時に森に入るなんて、一体何をしに行ったのかしラ。間違っても遠見の崖になんて行っていないと良いんだけド・・・」
コウガの後を追って部屋の入り口まで来ていたイジャランが、そう言ってわざとらしく「困ったワ」と溜め息を吐く。
「何を企んでル?」
「企むだなんテ!私は心配しているのヨ。コウザが率いる隊が、影黒豹を遠見の崖へ追い込む作戦を立てていたかラ」
「なんだト!?」
「おぉ怖イ・・・でももし、二人が遠見の崖に向かったなラ、急いだ方が良いワ。アナタなら獣型になって急げバ、まだ間に合うんじゃないかしラ」
この女の魂胆は分かりきっている。
黒豹が出た森へ獣型の俺を行かせるのは、黒豹と混同した討伐隊に俺を討たせる為。いや、混同したと思わせる為、か。元々コウザの標的は俺だろう。
「あぁ、そう言えば・・・真っ黒なオマエを見たら町の人が驚いてしまうだろうかラ、町を抜けるまではその姿で行った方がいいワ。それと、途中で寄り道もしない方がいイ。急がなければ、崖の上にも黒豹が潜んでいるかもしれないから、ネ?」
町で獣型の姿を晒したり、人に助けを求めれば、シーナとメイリンに危害を加えられる者が崖上に居る。暗にそう脅されて、コウガは小さく舌打ちをする。
「心配するナ。俺にそんな伝手は無イ」
だから二人に手を出すな。そう釘を刺して、コウガはバルコニーからヒラリと飛び降りると、その姿を見下ろしてニィッと口の端を上げた女の顔をチラリと振り返り、そのまま森へと駆け出した。
そうして森の入り口まで着くと、服が裂けるのも構わず漆黒の虎へと姿を変える。
イジャランの思惑通りにするのは気に入らないが、森を走るのならばこの姿の方が断然早い。それに言う通りにしなければ、迎賓館を出た時から追跡しているヤツから、何らかの連絡が行きシーナとメイリンに危険が及ぶ可能性も捨てきれない。
暫く進み森の中程まで来た頃、辺りには薄く霧が漂い始めた。
慣れた森で道に迷うことは無いが、敵が潜んで居るであろう森では厄介だ。
これなら、虎と豹を見間違えた言い訳になるだろうな。
―――三人、いや四人か?
自分を囲む様に展開した者の気配にコウガが気付いた所で、四方から矢が飛んで来る。
「危ない!!」の声と同時にそれを避けたコウガだったが、その内の一本が後ろ足の付け根を掠めた。
「コウガ、大丈夫か!?」
声の主であるフェリオが、上空から近づいてきてコウガの隣に並ぶ。
「大丈夫ダ。それよりシーナは無事カ?」
「崖下に影黒豹が出た。でも、今はお前の方がピンチじゃないか?」
「―――問題無イ」
実の所、矢が掠めた部分に燃えるような痛みを覚えてはいるが、それでも足を止める事はしない。
しまったナ。今日はシーナのポーションを飲んで無かっタ。
自分が狙われているからと、シーナが用意してくれた耐毒のポーション。折角用意してくれたそれを無駄にしてしまった事が悔やまれた。




