泥と鉄の臭い
迎賓館を飛び出し向かった広場は、私が想像した以上の惨状だった。
辺りに漂う鉄臭さと僅かに混ざる泥の臭い。聞こえてくるのは呻き声と、必死に呼び掛ける悲痛な声。
その光景を見た瞬間、私の中の記憶がフラッシュバックする。
車内を埋め尽くした泥土に呑まれた父の背中と、抱き締めるように私に覆い被さった母から伝う鉄臭い液体―――。
「うッ・・・」
込み上げた吐き気と目眩にその場に膝を突けば、あの時の恐怖でガタガタと身体が震える。
―――実家からの帰り道、親子三人を乗せた車が呑み込まれた土砂崩れ。父と母はその事故で死んでしまった。
私が・・・親戚達の視線に堪えきれず、「帰りたい」なんて言ったから。大雨の中、無理に帰る必要なんて無かったのに・・・。
「おい、シーナ?大丈夫か?」
「ひめ?――――――シーナ!!」
後悔と恐怖に閉ざされた私を、フェリオとナイルの力強い声と暖かな腕が現実に引き戻す。
「あ・・・ごめん、なさい。大丈夫」
「大丈夫じゃ無いだろ。顔が真っ青だぞ」
「そうだよ、無理しないで。ポーションなら僕が渡してくるから」
心配そうに私を覗き込む二人に、私はなんとか笑みを作って返す。
「大丈夫。ちょっと色々思い出しちゃっただけ。それよりも今はポーションを配らなきゃ。こんな状況じゃ人手はいくらあっても足りないもの」
そう。その場にいる殆どが何処かしらに怪我を負い、軽傷者が重傷者の手当てをしているような状況なのだ。それなのに、ちょっと昔の事を思い出したからって休んでいる訳にはいかない。それに、何かしていないとずっと考えてしまうから。
「無理はするなよ」
「そうだよ。そのうち騎士君達も来るだろうから」
「―――うん、分かった」
二人にフラつく足を気付かれない様、グッと力を入れて立ち上がり、広場をぐるりと見渡す。
闇雲に配っては時間が掛かるし、他国の人間が配った薬を素直に飲んでくれるかも分からない。
誰か、この場を纏めている人に―――
―――居た!狼人族の族長様だ!
宴の席で顔を合わせているから私の事を知っているし、族長様から配って貰えば他の人も安心してポーションを飲んでくれるだろう。確か名前は・・・
「アスバン様!」
「ウン?あぁ、アクアディアの嬢ちゃんカ。悪いが今は忙しイ」
「分かってます!ポーションが必要ですよね?作り置きがあるので使って下さい」
「ポーション?そう言えば嬢ちゃんは錬金術師だったナ。今は一本でもありがたイ、頼めるカ?」
「もちろんです!今あるのは・・・このくらいですけど」
ポーチから出すフリをしてスマホから取り出したポーションは、下級ポーション30本、中級が20本。それから軟膏ポーションが10個。
けれど、そのポーションを見たアスバン様は、ギョッと目を瞠って眉間にシワを寄せてしまった。
「オイオイ、嬢ちゃん。流石にこの量は・・・」
「やっぱり足りないですよね。材料も少しはあるので、もっと作りますね」
「ッッ!?マテマテ!ポーションは有難いガ、この量を買い取る金ハ流石に直ぐに用意できン」
私はポーションの不足を心配したけれど、アスバン様は別の事が気になったようだ。
そう言えば、巷ではポーションって物凄く高いんだっけ。錬金術師も高額で売る上に、小売店も更に利益を乗せるから。
他のお店でポーションを買った事は無いし、カリバの町は私やトルネ達が卸して、ハリルさんが適正価格で売っているから忘れていた。
「そんな、こんな状況ですからお金なんて―――」
「嬢ちゃん、それは駄目ダ。嬢ちゃんが珍しくイイ錬金術師なのは分かったが、タダは借りになる。借りはタダより重いものダ」
タダより高い物は無い、みたいな事だろうか?
確かに"借り"を作ってしまうと、返す基準が曖昧になる。明確な取引の方が後々の事を考えれば安全、という事か。更にそれが国同士の貸し借りになれば尚更。
「分かりました、それでは・・・金貨5枚とポーションの材料提供をして頂く、というのはどうでしょう?材料は今回提供するポーションの半量分で」
「金貨5枚!?それでも安過ぎル!」
「いえ、材料を提供して頂ければ私がいつも卸している金額と同じですよ?」
「・・・世の中、嬢ちゃんみたいな錬金術師ばかりならイイんだがナァ。よし分かっタ!それで頼ム」
「はい!」
交渉成立したからには、善は急げ!だ。
「まずはアスバン様、これを飲んで下さい!」
私が手渡したのは、中級ポーション。アスバン様はなんでも無い様に振る舞っているけれど、鎧の砕けた腹部が真っ赤に染まっている。それなのに、
「イヤ、儂はいらン。他のヤツ等にやってくレ」
なんて言うものだから、
「アスバン様がそんな怪我をしたままでは、他の方がポーションを飲んでくれないじゃないですか!それとも、私のポーションに不安がお有りですか?」
「イヤ、そう言う訳でハ」
ちょい悪でイケオジな狼獣人のアスバン様がタジタジになっている姿は見ていてちょっと楽しいけれど、怪我はしっかり治して貰わないと。他の人だって色んな意味で安心してポーションを飲めないからね。
「でしたら、お願いします」
「アァ。分かっタ、分かっタ」
そうやって、無事アスバン様にポーションを飲んで貰った所で、残りのポーションをアスバン様に託す。
「こっちの箱が下級ポーションで、こっちが中級です」
アスバン様は私がポーションを手渡すと、直ぐに近くにいた狼獣人の兵士にそれを配るよう指示を出す。すると流石は族長、的確な指示のお陰であっという間にポーションが行き渡っていく。
「中級がこんなに有るのカ、凄いナ。ウン?これは何ダ?」
「あ!これは軟膏ポーションといって、軽度の裂傷に直接塗布して頂ければ、傷を塞ぐ事が出来るんです」
私が初めて作った出来損ないのポーション。でもその価値を認めて貰って、今では人気商品となった私の自信作だ。
「ホウ?それはイイな。オイ!これを軽傷者の傷口に塗ってやれ」
言うが早いか、軟膏ポーションも瞬く間に負傷者の元へと配られていき、やっぱりアスバン様にお願いして正解だったと思う。
その後、ラインさん達も合流し提供したポーションで漸く現場が落ち着いてきた頃、ナイルがアスバン様に問い掛けた。
「それにしてもこの被害・・・今日は黒豹の討伐だったんだよね?」
「アァ。黒豹の数が報告よりも多かった上ニ、影魔獣まで出やがっタ」
「影魔獣が!?」
「アァ。影黒豹ダ」




