炊きたてごはん 炊飯編
「蓋っていうのは、こう・・・釜とかお鍋とかの上に乗せて、熱が逃げない様にしたり、埃が入らないようにしたりする、薄い板みたいなもので」
私は実際に羽釜の上に木蓋を乗せて説明するけれど、何故か誰からも反応が返って来ず、段々と不安になってくる。
え?私の説明、合ってるよね?そういう事だよね?
「それでハ、水が天に還れないんじゃないカ?」
けれど彼等の戸惑いは、私が想像していたものとは全く別の所にあったようで、クズリさんはどこか不安そうにそう呟いた。
「え?あっ・・・そう、ですね。湯気は蓋について水に戻るので、その分水を足す必要もありませんし―――」
いまだにこの世界の価値観に馴染みきっていない私は、料理に使う水が少なくなるのは良いことだと思ったんだけれど、どうやらそういう事では無いようで、テンジン様の言葉も直ぐには理解出来なかった。
「"水が還るのを阻むト、雨が降らなくなル"」
「え?」
「どこの国でも言われてル言葉じゃないかナ」
「そうなんですか?」
「そうですね。最近ではあまり聞かなくなりましたが、昔は水を溜め込んでいたりすると、そう言って咎められたりしたみたいですね」
私の問いに答えてくれたのはラインさんで、ナイルに視線を向ければ、大きく頷いている。
ということは、アクアディアやフヴェルミルでも普通に耳にする言葉なのだろう。
「それじゃあ・・・」
鍋やお釜から湯気が上がるのを阻む蓋は、この世界では受け入れられなくて、折角お米があるのに美味しいごはんが炊けない、という事?
そんな・・・そんなのって・・・。
ここまで来てごはんが食べられないなんて、無理。絶対無理。諦め切れない。もし蓋が受け入れられなければ、一人の時にこっそり炊くのはどうだろう?火を起こすくらいなら自分でも出来るだろうし、お米さえ貰えれば・・・。
なんて、後ろ暗い事を考えいると、テンジン様がニヤリと笑って付け足した。
「でもネ、そんなのは只の迷信だって事ハ、皆知っているんだヨ。だから、別に大丈夫じゃないかナ」
「「えっ、そうなんですか?」」
見事にハモったのは、私とクズリさん。
私の悪巧みは取り越し苦労だったんだろうか?
「ダッテ、どうやったって雨は降らないだろウ?」
「そうそう。昔は水袋や水筒も持てなかったらしいけど、そんな不便を我慢しても結局雨の頻度は変わらないんだよ」
「とはいえ、その考え方がまだ根強いのも確かですね。私もシーナさんに説明されるまで、鍋に蓋をするなんて思い付きもしませんでしたし」
「確かニ。こうやって聞くと、少ない水で料理が出来るなラ、その方が良いに決まってル。なのに、古い考えで頭が固くなってたんだナ」
四人の男達がウンウン頷き合いながら、真剣に鍋の蓋について考えている・・・その光景が微妙にシュールで少し可笑しい。
でも、話の流れからすると―――
「そしたら、このまま続けて大丈夫ですか?」
問題無さそうだと思いながら、少し遠慮がちに聞いてみると、
「あぁ、問題なイ。寧ろこれは料理の革命ダ!さぁ、早くこの蓋を使って見せてくレ」
目を爛々と輝かせたクズリさんにその大きな身体で詰め寄られ、蓋を持った私の手ごと大きな手で掴まれた。
近い!近いです、クズリさん!
大きな身体はそれだけでも圧倒されるのに、覆い被さる勢いで来られると、流石に気圧されてしまう。
「少し距離が近過ぎるかと」
「ちょっと!姫が潰れたらどうするの?」
すると、次の瞬間にはラインさんとナイルがクズリさんの手から私の手と蓋を奪い返し、あっという間に私の視界は二人の背中しか見えなくなっていた。
「すまなイ。つい興奮してしまっタ」
すると反省の言葉を返すクズリさんの横で、テンジン様がキュキュキュッと楽しそうに笑った。
「おやおや、なかなか厳しい護衛だネ。でもクズリ、君が悪いヨ。こんな美人のお嬢さんだ、過保護にもなるヨ」
テンジン様、そういうお世辞的なのは無駄に恥ずかしいので要りません!
「シーナ。顔赤いぞ」
「フェリオはごはんを食べたく無いのかな?」
「すまん。なんでもない」
フェリオがニヤニヤしながらそんな事を言うけれど、こっちには"ごはん"という武器があるのだ。速攻で反撃して、フェリオの口を噤ませる。
それから、変な流れを正すために私は敢えてテンジン様の言葉には触れずに、話を元に戻す事にした。
「ンンッ・・・コホン。では、垂れ麦を炊いてみましょうか」
「よし!そうだナ。火はどうすル?」
すると、シュンと垂れ下がっていたクズリさんのフサフサの尻尾が分かりやすくブンブンと揺れ、嬉しそうに火のある所まで案内してくれた。
この厨房は広く設備も充実していて、魔道具のコンロと竈の両方が備わっていたので、今回は竈を使わせてもらう事にした。
竈炊き羽釜ごはんなんて、完璧じゃない?
「じゃあ、竈で炊きましょう。そうしたら、火を入れて貰って、その間に洗っておいた垂れ麦を羽釜に移して水を入れるんですが―――」
水の量はどうしよう?
ここには軽量カップも計量器もない。そもそも、垂れ麦の量も目分量だ。
幸い竈と羽釜での炊飯の経験はある。
確か、手のひらを沈めてしっかり浸るくらい・・・手首の所まで水があれば良かったはず。
「量ってないのでちょっと心配ですが、だいたい水はこのくらい・・・あッ!クズリさんは掌が厚いのでもう少し下かもしれません。その辺は何度か試して適量を探るしか無いですね」
説明しながら水を入れ、用意して貰った竈に羽釜を設置する。
「火加減ですが、最初は弱火で、それから火を強くして、炊き上がったら暫く蓋を取らずに蒸らすんですが、私の国では昔から"はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな"って歌にして伝わっていたんです」
「面白いですね」
「でも、なんで赤子?」
「それは、赤ちゃんがお腹が空いたって泣いても、直ぐには蓋を取らず蒸らしなさいって事だったかな」
「なるほど、覚えやすいナ」
「そうなんですよ。昔ちょっと聞いただけなのに、何故か頭に残ってるんです。じゃあ、このまま火加減を見ながら待ちましょうか」
ここまでくれば後は炊けるのを待つだけだ。
徐々に広がるごはんの炊ける匂い。
あぁ、なんて幸せな待ち時間!




