〉コウガ
里の近くの森、その木の上で何時ものように昼寝をして目を覚ますと、そこは見知らぬ森だった。
境界の森の話は知っていたが、寝ている間に迷い込むとは予想外だ。
辺りの様子を窺ったが特に危険は無いと判断して、また昼寝を続ける。
俺は別にどこにいても変わらない。
再び目を覚ますとまた別の森にいた。
境界の森を抜けて、どうやら人族の町の近くに出てしまった様だ。
狩人だろう男が俺を見て「黒豹が出た!」と血相を変えて走って行った。
面倒な事になりそうだ、移動するか。
それに、俺は黒豹に間違われるのは好きじゃない。
しかし、この森は妙にザワついていてどこか嫌な気配がする。
暫く歩くと、その原因に行き当たる。
――――――ゲートか。
森に突如現れた黒い裂け目。その先は何も映さない黒い闇が広がり、そこに在ったであろう森の木々は跡形も無い。
ゲートは既に閉じ始めているが、コレがあるということは影魔獣が出現しているだろう。
気配は・・・4匹・・・いや、1人と3匹か?
―――グルルルルルッ
気配のする方へ向かうと、人族の子に2匹の狼型影魔獣が襲い掛かっている場面に出会す。
咄嗟に後方の一匹に体当たりすると、先んじていたもう一匹に激突し、勢い余って人族の子までもが吹き飛ばされる。
しまった・・・まぁ、死ぬよりはマシだろう。
影狼の前に立ち牽制していると、人族の子の連れらしき女が現れた。
良かった、そのまま早く連れ帰ってくれ。
しかし、此方に気付いた女の口から溢れた小さな呟きが確かに俺の耳に届く。
「・・・綺麗・・・でも、あれは・・・虎?」
影魔獣の様な漆黒の毛並みは忌避されこそすれ、そんな風に言われた事など無かった。
それに彼女は、一目で俺が虎だと確信した様だ。
虎人族の誇りなど5年も前に砕け散った筈だったが・・・"虎"と認められ、柄にもなく口角が上がってしまう。
あぁ、今はそんな事を考えている場合では無かったな。
飛び掛かって来る影狼の爪を避け、更に此方も爪に魔力を乗せて応戦する。
胴体を攻撃してもあまり手応えが無い。やはり、あの角をどうにかするべきか。
影魔獣の特徴である魔石角は、そのまま奴等の弱点だと聞いたことがある。
試しに叩き折ってやれば、魔石を残して消えた。
これなら何とかなるな。
2匹の影狼を倒し、奴等の気配が3匹だった事を思い出す。
同時に叫び声が聞こえ、声の方へ急ぐ。
追い付いた彼女は影狼に襲われたのか、木を背に座り込み太腿から血を流しながらも、何故か呆然と辺りを見回している。
何をやってるんだ!
再び彼女に襲い掛かる影狼に、風魔法と身体強化で最大限加速して突っ込む。
影狼を吹き飛ばし、再び襲い掛かってきた奴の角を切り落とす。
少し腹を引っ掻けたか。まぁいい、間に合って良かった。
彼女は泣き付く子供の背を撫でながら、俺に目を向ける。
「――――――貴方も、ありがとう助けてくれて」
まさか礼を言われるとは思わなかった。
「この石、私に譲ってもらえませんか?」
しかも、"虎"の俺に頭を下げて魔石が欲しいと言ってくる。
頷いてやれば嬉しそうにまた礼を言う。変な女だ。
しかも魔石から魔結晶を錬成しようとしているらしい。そう言えば妖精を連れている。
しかし、そんな事出来るのか?
気になって見ていれば、彼女は苦労しながらも本当に魔結晶の錬成に成功した様だ。
――――――凄いな。
それにしても、嬉しそうだ。他の魔石も持っていってやったら、もっと喜ぶだろうか?
―――気が付けば全ての魔石を集めて、彼女の前に転がしていた。
「これも貰って良いの?ありがとう!」
―――――――――――――ッッッッッッ!?
首に回った腕や頬の柔らかな感触と、ふわりと香る水辺の花の匂い。
いくらなんでも無防備過ぎだろう!?こんなんで大丈夫なのか?
しかも足を怪我してるじゃないか。そんな足で歩こうなんて無理に決まっている。
案の定、一歩踏み出して見事にバランスを崩し、後ろへ倒れそうになっている。
まったく、仕方の無い奴だ。
「痛っ――――くない?」
背に座らせてやれば、なんの警戒心も無くそのまま身体を預けられ、なんとも言い難い幸福感に満たされる。
こんな風に人と接する機会は、もう無いと思っていた・・・。
彼女を乗せたまま森を抜け町に入ると、町の奴等が俺を見て恐怖の悲鳴を上げる。
普通はそうだろう。しかし、堂々と町中を歩くのは不味かったかもしれない。変な噂が立たなければいいが。
あぁ、それにしても目が霞む。少し血を流し過ぎたか。
後少し、この危なっかしい女を・・・家に送り届けるまで・・・。
.
.
.
――――――朝か。
それにしても、いい寝床だ。
柔らかいし、暖かい。それに・・・いい匂いだ。
胸の辺りでモゾモゾと動かれて少し擽ったいが、また兎か栗鼠でも潜り込んだか・・・まぁいい。
「―――――――――ッッッッッなぁ!!!!?」
再び沈みかけた意識が、変な鳴き声によって遮られる。
なんだ、今日は猫だったか・・・・・・。
――――――バサッ!
まったく、煩いヤツだ。
重い瞼を上げ、ぼんやりと視線を上げると、顔を真っ赤にした人族の女がいた。
――――――あぁ、オマエだったか・・・良かった・・・もう、泣いてないな。
「ん・・・オマエか。俺はマダ寝る。オマエも寝ろ」
腕にぴったり収まる身体は抱き心地が良い。それに、やはりこの匂い・・・。
「オマエ、イイニオイがするな」
――――――バシャァァ。
「―――――――ッ!?」
・・・・・・・・・水?
突然水が降ってきて、完全に目が覚める。
水が降ってきた事も驚きだが・・・自分の身体の変化の方が驚きだ。
――――――人型に戻れた?
飛び起きた際に外れたのか、傍らに鈍い光を放つ黒鉄の足枷が転がっている。
もうずっと獣型のままだと思っていたが・・・・・・そうか、外れたのか。
「おまッ・・・おぅ、お・・・オレだ!そこの、ソレ・・・その水差しを倒したんだ!悪かった、すまん!」
呆然と自分の身体を眺めていると、引き攣った声で妖精が叫ぶ。
あの妖精がやったとも思えないが・・・妖精が言う事だ、そんな事もあるんだろう。
「妖精か・・・ナラいい。気にスルな」
長いこと獣型だったせいか言葉を発するのに慣れないが・・・まぁいい。それより、髪から水が滴って鬱陶しい。乾かすか。
濡れた身体を乾かす為に簡単な風魔法を使えば、彼女が感心した様に自分の周囲に視線を巡らせている。
良く見たら随分と綺麗な青眼だ。俺の魔力も視えているのか。道理で魔法を使っても驚かない訳だ。
普通、急に室内で風が起これば驚き、魔法と分かれば恐怖を覚えるものだ。
しかし彼女は興味深そうに身を任せている。
「ありがとう!貴方は・・・昨日の黒い虎、なのよね?」
水が完全に乾くと、彼女は笑顔で礼を言い、それから少し不安気な顔になって、遠慮がちにそう訊いてくる。
「あぁ。俺はコウガ。虎の獣人だ」
特に隠す理由はないのでそう答える。
「私はシーナ、それとパートナーのフェリオ。よろしくね、コウガさん」
「コウガでいい」
名前を呼ばれるのは何年ぶりだろう?
「じゃあコウガ、昨日は本当にありがとう、それと・・・ごめんなさい。怪我、痛かったでしょう?」
「気にスルな。俺がオマエ・・・シーナを気に入ったカラ、助けたかったダケだ」
そう、俺はシーナを気に入った。それに、恐らく俺の呪いを解いたのは彼女だ。
「気に入ったって、どこにそんな要素が?」
何でも無い事の様に、当たり前に俺を"虎"と言い、"理性ある者"として接してくれた。
「シーナは、俺を見てクレた」
俺はシーナの側に居たい。俺が俺として存在出来るこの場所に。
だから俺は、シーナを守ると決めた。
この危なっかしい女は、誰かが守らなければ、きっとまた自ら危険に飛び込んで、無茶をやらかしそうだからな。