垂れ麦
それは・・・宴の終盤になって、私の目の前に現れた。
ずっとずっと探していた。恋しくて、堪らなかった。
でも、この世界は水不足だから・・・諦めかけていた。
それなのに―――
目の前に置かれた、深めの皿に盛りつけられたスープの様なそれは、粒々とした形を僅かに残して、白くトロトロに煮込まれていた。
スプーンで掬うと、ポタリと独特なとろみのついた雫が一滴皿に落ちる。
見た目はほぼ同じ。でも、まだ分からない。
ドキドキしながらスプーンを口に運べば、一緒に煮込まれた根菜と塩の味の奥に、懐かしい甘味が口に広がる。
「―――お粥だ。ちゃんと、お米だ・・・」
この世界に来てから、主食と言えばパンか芋類だった。
でもやっぱり日本人だから、ご飯が食べられない事が少なからずストレスに感じていた。
特に、この世界の料理は基本的に濃い味付けのものが多いから、その度に「ご飯があれば」「ご飯が欲しい」と思っていたのだ。
けれど、例え稲に似た植物が存在していたとしても、水不足のこの世界で大量の水を必要とする水田なんてきっと出来ないから、稲作をしている筈が無いと諦めていた。
―――あぁ。お米ってやっぱり美味しい。
「シーナさん、どうしました?大丈夫ですか?」
あまりの嬉しさにちょっと涙目になってしまった私に、それに気付いたラインさんが、耳元でそう問い掛けてくる。
私はそこでここが宴の席であった事を思い出し慌てて周囲を見渡すと、案の定グェイア総長や他の獣人の方々までもが、私を不思議そうに見ていた。
「すみません、何でも無いんです。ただ、このスープに入ってるお米、じゃくてこの実が・・・私の国で主食として食べられている物だったので」
「それは、この白い麦の事ですか?」
「はい。だから、懐かしくて」
食べ物に感動してちょっと泣いたなんて、しかもミーミルの偉い人達の前で、だ。よくよく考えたらかなり恥ずかしい。
うぅ。そう思ったら、なんだか生温かい目で見られてる気がする。
「――あぁ、垂れ麦のことカ」
でも、今は恥ずかしさよりもお米の情報が最優先だ。買えるものなら買い占めたい。
「たれ麦、というのですか?」
「そうだヨ。垂れ麦は普通の麦と違っテ、実がつくと穂が垂れ下がるんダ。だから垂れ麦って呼ばれてル」
私の質問に答えてくれたのは、小さな耳が可愛らしい鼬人族の族長様だった。ちなみに種族的には貂人族だそう。
でも、そう聞くとやっぱり稲で間違い無さそうだ。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』って諺、祖父がよく使ってたなぁ。
「でも、主食としては不向きじゃないかナ?パンにもならないシ、スープに入れるくらいしか、使い道が無いだろウ?」
「そうそう。腹に溜まらないしナ!でも、呑んだ後には最高ダ」
「確かに、それは言えてル」
ピンッとした長い耳が特徴的な兎人族の族長様と、鋭い犬歯を見せて豪快に笑う狼人族の族長様がお酒の入ったカップを片手にそんな話題で盛り上がっている。
お米があったことは喜ばしい事だし、このお粥っぽいスープも美味しいけれど、もしかして"ごはん"がない!?
「ごはんは?垂れ麦を炊いて食べないんですか?」
「タク?」
「えぇと、スープよりも少ない水で煮るんです」
「それじゃ火が通る前にカラカラになるだロ?」
「そこは蓋を・・・」
「フタ?」
え?待って。この世界に来て、蓋って見たことある?いや――――――無い。
フラメル家に無いだけかと思っていたけど、そもそも蓋が存在しないとか?いやいや、そんなまさか・・・。
「えぇと・・・とにかく、煮方によってはふっくら煮えて立派な主食になるんです」
力説する私に、一番興味を示したのは以外にもグェイア総長だった。
「ほう?では我々にその煮方を教えてくれないカ。この辺りでは普通の麦よりも垂れ麦の方がよく育ツ。主食になるなら試してみたイ」
「それはもちろん。私もごはんの美味しさを伝えたいです。あッ!それと、垂れ麦を購入したいので、売っているお店を教えて頂けませんか?」
なんなら今持っているお金をすべて費やしてでも、買えるだけ買って帰りたい。
「助かル。だが、垂れ麦を売っている店は殆んど無いんダ。麦ほど高く売れないかラ、皆自家用に育てている程度でナ」
そんなッ!折角お米に出会えたのに・・・。
「それなら、ウチに有るのを分けてあげるヨ。その代わり、その"ゴハン"ってのをウチで作って見せてくれないかナ。ウチは食堂を経営してるからネ。新しい料理は大歓迎ダヨ。総長、それでいいかイ?」
打ち拉がれる私に救いの手を差し伸べてくれたのは、鼬人族の族長様だった。
「構わなイ。寧ろその方が普及し易いだろウ」
「そんな訳なんだけド、お嬢さんもそれでいいかナ?」
グェイア総長との話も纏まったなら、私に否やが有るはすが無い。
「はいッ!是非それでお願いします」
勢い込んで返事をすれば、鼬人族の族長様は楽しそうにキュキュッと鳴いた。
私の祖父と同じくらいの年齢に見えるのに、なんとも可愛らしいお爺さんだ。




