山中街道
神の肘掛山にある山中街道は、最初山裾を緩やかに登りながら進み、幾つかトンネルを抜けながら、山の一合目辺りまで登るとそこからは暫く平らな道が続いた。
一合目とはいってもかなり高い山なので、もしかしたら標高千メートル位はあるかもしれない。
クヴェレを立つときは暑いくらいの気候だったのに、今は少し肌寒い。
途中、景色を望める開けたスペースがあったり、山小屋を思わせる建物が点々と建っており、長い馬車の旅でも十分な休憩を取ることが出来た。
まぁ、身分の高い人が主に使用する街道だからか、山小屋とはいえ内装はしっかりしていてちょっと良いホテル並みで、登山時の雑魚寝を想像していた私にはかなり衝撃的だったけれど。
でもそれより驚いたのは、その宿泊施設はアメリア聖教会の管理で、宿泊費がかなり高額になるって事だろうか。
山の上では物価が上がるのは当たり前だけど、素泊まり一泊金貨25枚って・・・。
馬車を停めるスペースがあるなら、いっそ夜営しても良いんじゃ無いかな?と思ってしまった貧乏性な私。
それでも、既に料金を支払ってあると言われてしまえば、泊まらない方が勿体ない訳で。
こうして今、山小屋のバルコニーから優雅に月なんか眺めてたりする。
ここは丁度ウールズに面した辺りらしい。眼下に広がる広大な森の中に、白い枝を大きく伸ばす巨木が、月夜に照らされてうっすら発光するかのように浮き立っている。
「・・・あれが、世界樹」
深く繁る森の木々の更に上、その木々すら覆うほどに伸びた枝に葉は一枚も付いていないけれど、枯れ木となってもその存在感は圧倒的だ。
「無惨な姿だろ?」
私の独り言に、いつの間にかバルコニーにやって来た青年姿のフェリオが、手すりに頬杖を尽きながら少し悲しげに返した。
「本当に、枯れちゃってるんだね・・・」
「実はオレも、枯れた世界樹をちゃんと見るのは始めてなんだ」
「そうなの?」
「あぁ。この世界樹を見て、楽しい気分になるヤツなんて、そう居ないだろ?」
そういえば、妖精界から見えるのは"楽しい"とか"嬉しい"みたいなポジティブな感情がある場面だけだって言ってたっけ。
「まぁ、ね。やっぱり、水不足が原因なんだよね?」
でも、単純に水不足が原因なら、周りの木々がまだ青々としているのは何故だろう。
「水不足もだけど、魔力不足も深刻だろうな」
「魔力不足?」
「ああ。世界樹の維持に必要なのは、綺麗で魔力を多く含む水なんだ。でもこの世界の魔力は、水と同様に減り続けてる」
魔力も水と同じで減り続けてる?
マリアさんが魔力欠乏性で死にかけた事を考えれば、この世界の人達にとって、魔力の減少は死に直結する問題だ。
「それって、大丈夫なの?」
「ん?」
「だって、みんな魔力欠乏症にならない?」
「ああ・・・まだ、大丈夫だろ。世界樹は人間よりもずっと多くの魔力を必要とするから影響が出てるけど、他の生物に影響が出るのはもっとずっと先の話だな」
「でも、いずれは・・・」
このまま水も魔力も減少し続ければ、この世界はゆっくりと終わっていくんだ。
そしてその影響は、既に出ているんじゃないの?
昔の人の方が魔力量が多かったのは、世界に満ちる魔力の量が多かったから、と考えれば辻褄も合う。
―――フェリオ曰く、私の生み出す水には魔力が大量に含まれているらしい。
なら・・・もしも私が、錬水の力を自由に使いこなせるようになれば・・・。
私が、水を生み出し続ければ、この世界は―――。
「おい」
不意に、フェリオに肩を叩かれて私は思考を中断された。
「自分が錬水し続ければ、なんて考えるなよ?」
「え?どうして―――」
どうして、私の考えてることが分かったの?
どうして、その考えを否定するの?
だって多分、私はこの世界の助けになれる。
「自分を犠牲にするような考えは止めろ。お前は元々この世界の人間じゃ無いんだ。そこまで背負うこと無い」
「でも、そうしたら皆が」
「今すぐどうこうなるワケじゃ無い。それに、今だって十分貢献してる。シーナは今まで通り、たまに雨を降らせるくらいで良いんだ」
「でもッ―――」
この世界の人間じゃ無いと言われて、本当の事なのに悲しくなった。だから、少し意地になって言い返そうとした私の言葉を、フェリオが珍しく声を荒げて遮った。
「―――ッでもじゃない!アメリアは、同じ事を言って・・・姿が見えなくなった。オレ達から見えないって事は、楽しく幸せに暮らしてたワケじゃ無いって事だ。オレは、シーナにはそんな風になって欲しく無いんだよ」
「フェリオ・・・」
この世界の人間じゃ無いって、突き放された気がしてた。でも、違った。
フェリオは、こんなにも私の事を想ってくれて、私の幸せを願ってくれているんだ。
「ありがとう」
自然と溢れた言葉は、語彙力とは無縁の一言だった。でも、これ以上何か言ったら、ちょっと泣きそうで、それ以上この気持ちを上手く表す言葉も思いつかなくて、私は精一杯の笑顔をフェリオに向ける。
「―――ッおう!あー・・・それにアレだ!そうじゃ無いとオレが楽しくないからな!」
フェリオは、どうやら照れてしまったらしい。慌てたようにそう付け足すけれど、照れ隠しなのがバレバレで、それすら嬉しくなる。
「うん、そうだね。ずっと一緒に楽しく暮らそうね?」
「―――ッ!?ホラッあんまり外に居ると風邪引くから、そろそろ中に入るぞ!」
いつになく真面目に話したからか、最後までいつもの調子を取り戻せなかったらしいフェリオが、部屋の戸口で振り返る。
「そう言えば、王都の広場で雨降らせた時って・・・オレにも」
「ん?」
「・・・いや、なんでも無い。さっさと寝るぞ」
何かを言いかけて途中で止めたフェリオは、そのまま猫の姿になって部屋へと戻って行ってしまった。
フェリオは、何を言おうとしたんだろう?
王都の広場で雨を降らせたのって、花蜜アイスティーを飲んだ時の事だよね??




