黒虎
ラインさんが帰った後、私はふて寝が本気寝になってしまったらしいフェリオを抱いて、黒虎の様子を見に離れへと足を向ける。
黒虎は離れの、丸く出っ張ったサンルーム状の一角に横たわっていた。
そこはどうやら、フラメル氏の休憩場所兼、子供達の遊び場として使われていたようで、毛足の長い絨毯とふかふかのクッション、ラペルの物らしい人形が置かれている。
フェリオをソファーに寝かせそっと黒虎を窺うと、静かな寝息が聞こえる。
けれど、そのお腹は未だに血で汚れていて、大怪我をした事を如実に物語っている。
「ごめんなさい、こんな怪我をさせてしまって、気付きもしないで・・・」
お湯で絞ったタオルで血で固まった腹部の毛を丁寧に拭いながら、涙が溢れる。
涙は黒虎の腹部が美しい白銀に戻っても止まらず、ポタポタと自分の手の甲を濡らしていく。
――――――ザリッ。
手の甲にざらついた何かが触れる。
いつの間に目を覚ましたのか、黒虎が私の手の甲の涙を気遣わしげに舐め取ってくれていた。
それから此方を見上げて、優しげに目を眇めると再び瞼を閉じて寝入ってしまう。
――――――もう泣くな。
そう、言われた気がした。
そうだ、泣いていたって仕方がない。グダグタ落ち込むなんて意味がない。申し訳ないと思うなら、彼に何か恩返しをするべきなんだ。
・・・でも、虎へ恩返しって何をすればいいんだろう?
まぁ、それは明日彼に直接聞いてみよう。言葉が通じるみたいだし、意思の疎通も出来そうだもの。
そう思い直し、フワフワになったお腹の毛を梳かすように撫でる。
そこでふと下腹に目が行き『あぁ、勝手に彼と呼んでいたけれど、やっぱり雄だったのね』と何気無く思う。
それにしても、今日は色々大変だったなぁ・・・。
柔らかな毛並みに癒されながらそんな事を考えていると、急激に眠気が襲ってくる。
そうなるともう睡魔に抗えず、そのまま黒虎の隣に横になる。
「シーナ、そんな所で寝たら風邪引くぞ。オイ!寝るな!」
―――フェリオ?
夢現で聞こえるフェリオの声と、肩を揺さぶる手の感触。
でも、こんなに低い声だったかな?手も何だか大きいような?
重い瞼を無理やり開けて、ぼうっと見えたのはミントグリーンの頭をした人の影。
心なしか大きくなった気がするけれど、この色はフェリオに違いない。
疑問も解けて安心したら、もう睡魔から逃れるなんて出来ない・・・。
「あーもう!仕方ない。まったく、世話の焼けるパートナーだな」
その声を最後に、私の意識は途切れた。
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何も遮るものの無い朝日が、容赦なくサンルームへ降り注ぐ。
眩しくて寝返りを打つと、丁度良く温かな壁が光を遮り、その壁に額を押し付けると、トクトクと聞こえる心臓の音が心地よくて、私は再び眠りの中へ・・・。
・・・・・・・・・え?
僅かに浮き上がった意識が違和感を覚え、まだ覚醒しきっていない頭で、目の前の壁に触れてみる。
掌で触れると、サラサラとした触り心地で、弾力の中に確かなハリを感じる。
私は昨日・・・そうだ、黒虎の横で寝てしまったんだ。
でも、手に感じるのはフワフワの毛並み・・・じゃない?
バチッと目を開けると、視界は肌色。
「―――――――――ッッッッッなぁ!!!!?」
そこは34歳、「きゃあ!」なんて可愛い悲鳴は上げません。
カバッと身体を起こすと、私はどうやら見知らぬ青年のハダッ・・・裸の胸に顔をッ・・・ムリ、ムリムリ、考えるの止める。
思わず凝視してしまったその青年は、所々に銀色のメッシュが入った少し長めの黒髪、健康的に日に焼けた肌、しっかりと筋肉のついた身体、どこをどう見ても人間、のはずなんだけれど・・・。
黒と銀の毛並みの猫耳が、ワイルドな雰囲気の青年の頭に生えている。
そのまま視線を巡らせると、お尻には同じく黒と銀の尻尾がっ・・・・てぇぇぇぇ!
全裸じゃないの!!
―――――――バサッ!
咄嗟に毛布を被せた自分の反射神経に拍手を送りたい。
でも、状況から考えてこの青年、もしかしたら・・・・あの黒虎?
見た目もそうだけど、纏う魔力が同じだもの。
ファンタジーではお馴染みの獣人という種族については何となくの知識しか無いけれど、そう考えなければ状況の説明がつかない。
でもそうなると・・・昨日、彼を雄と判断した時の事を思い出してしまう。
虎の姿とはいえ・・・見ちゃったぁ・・・。
じわじわと広がる羞恥と罪悪感に身悶えていると、流石に煩かったのか彼が少しだけ目を開ける。
「ん・・・オマエか。俺はマダ寝る。オマエも寝ろ」
そう言うとグイッと私の腕を引き、そのまま再び裸の胸の中に抱き込む。
「オマエ、イイニオイがするな」
いやぁぁ!頭の匂いを嗅がないで―――――!!
――――――バシャァァ。
「つめたっ!?」
突如頭から降ってきたのは、バケツ一杯分程の水。
驚いて飛び起き、訳がわからず呆然とびしょ濡れの服を見下ろし、水が降ってきた頭上を見上げる。
「どこから・・・」
見上げてみても天井に穴は空いていないし、そもそも外は綺麗に晴れている。雨漏りでは無さそう。
そのままぐるっと視線を巡らせば、あんぐりと口を開けたフェリオと目が合う。
「おまッ・・・おぅ、お・・・オレだ!」
「えぇ!?」
今明らかにびっくりした顔してなかった?
しかも、凄く動揺してない?
「そこの、ソレ・・・その水差しを倒したんだ!悪かった、すまん!」
フェリオが寝ていたソファーから、中央のテーブルに置いてある水差しまではわりと距離がある上に、水差しはしっかりと立っている。
しかも、水差しに残った水にしては量が多いような・・・。
フェリオは何かを隠してる?
「妖精か・・・ナラいい。気にスルな」
――――――いいの!?
明らかに不自然ながら、突然頭から水を掛けられたっていうのに、妖精だからって許しちゃうの?
猫耳改め虎耳の青年は頭を振って水気を払い、無造作に髪を掻き上げる。
わぁ~・・・ワイルドイケメーン。
目を覚ました彼は、チタンのような銀灰色の瞳と、意思の強そうなくっきりとした眉が印象的なワイルド系イケメンでした。
水も滴るイイ男と化していた彼は、不快そうに張り付いた髪払うと、フワッと魔力を動かす。
すると、彼の魔力の流れに添うように、私と彼の周りの空気が動き出す。
フシュルルルルル~
暫く風の渦の中にいると、濡れて不快だった衣類も、水が滴っていた髪も、ぐっしょりと重かった毛布も、すっかり乾いてサラサラのフワフワに仕上がっていた。
なんて便利な!・・・これが魔法というやつですか?
「ありがとう!貴方は・・・昨日の黒い虎、なのよね?」
多分そうだろうと思いながらも、一応確認をしておく。
「あぁ。俺はコウガ。虎の獣人だ」
やっぱり!
「私はシーナ、それとパートナーのフェリオ。よろしくね、コウガさん」
「コウガでいい」
「じゃあコウガ、昨日は本当にありがとう、それと・・・ごめんなさい。怪我、痛かったでしょう?」
「気にスルな。俺がオマエ・・・シーナを気に入ったカラ、助けたかったダケだ」
「気に入ったって、どこにそんな要素が?」
首を捻る私に、コウガは優しげに目を細めて笑う。
「シーナは、俺を見てクレた」
・・・・・・?
「ところでシーナ、いつまでそのコウガって奴を素っ裸にしとくんだ」
―――――――――ハッ!!本当だ!
フェリオに言われてようやく思い出した。そうだ、裸だったんだった。
「確かに!ちょっと待ってて、マリアさんに何か無いか聞いてみる!」