〉コウガ~回想~
何やら意気込んだ様子で温室を後にするシーナの後ろ姿に若干の不安を感じはするが・・・それでもミーミルに行く前に話が出来て良かった。
話した事が全てでは無いが、シーナはオレの"家族"への感情を否定しなかった。
家族に情は無いと言ったオレに「家族のなのに」とも、「可哀想に」とも言わず、ただ一言「そうなんだ」と。
それが心地よかった。
家族、親族・・・血の繋がりがあっても、それを信じられなければ他人と同じだ。
オレが生まれた家は、特に純血を重んじる家だったらしい。
獣人種の間でも純血に拘る者は少なくなっているというのに。
そんな家へ"純血だから"という理由だけで嫁いだ母は、生まれた子供の毛並みが黒かったが故に豹人族との不貞を疑われ、屋敷の敷地内にある森の中の離れで暮らしていた。
世間体を気にしたのか、父親は母と離縁こそしなかったが、直ぐに新たな妻を娶り子を産ませ、オレと母は居ないものとして扱った。
当然、生活費は必要最低限、食事が提供されるハズもなく、森で採った薬草や獲物を密かに里に売りに出て、日々の暮らしを賄っていた。
そういえば・・・ミッカを煮詰めたシロップはよく売れたな。離れの周りに沢山咲いてたから、オレもよく花を摘まされた。
そんな森での暮らしに不便は感じなかったし、父親の関心もオレには必要無かったが・・・母はそうもいかなかった。
オレは絶対に父親の子だと、自分は不貞などしていないと、何度も言い聞かされた。
オレが獣型に変化できる様になれば、それを証明出来る。きっと父親も認めてくれる。それが母の口癖だった。
けれどオレには、なかなか変化の兆しが訪れなかった。
純血の獣人が初めて獣型になる年齢は10歳前後。しかしオレは、10歳になっても11歳になっても、変化することは無かった。
最後の希望だったオレの変化が起こらない事で、元々身体の弱かった母は急激に衰弱し、オレが14歳になる前に・・・死んだ。
最後まで、同じ口癖を遺して。
その頃からだった。
義弟が度々離れを訪れる様になったのは。
遠くから此方を窺っているかと思えば、「豹の子」だの、「不貞の子」だのと叫んでは走って逃げる。その繰り返し。
投げ掛けられる言葉はどうでも良かったが、昼寝の最中は煩わしかった。
そして、14歳になったあの日。
オレは、初めて変化した。
正直、今更自分が父親の子だと証明された所で、オレにはどうでも良い事だったが、母の名誉だけは回復してやりたかった。
だから、本邸へと足を向けた。
母はたまに本邸へと呼び出され、その度に屈辱の色を濃く滲ませて帰って来たが、オレが本邸を訪れるのはその時が初めてだった。
結果的にその日、本邸にはあの女と義弟しかいなかった。
「オマエ、執事に獣型に変化したと言ったっテ?よくもそんな嘘がつけたものネ。恥ずかしくは無いノ?・・・ああッ!あの恥知らずの子供だものネェ。さっさと出て行けば良いものを、厚かましく死ぬまでこの家に留まっていたあの女のネ!」
通された本邸の一室で、あの女が放った言葉を聞き、この屋敷で母がどんな扱いを受けていたのかを理解した。
「変化したのは本当ダ。今ここで変化してもイイ」
「―――だったら見せてご覧なさイ」
言われた通り獣型へと変化すると、あの女は明らかに狼狽えたが、それも一瞬の事だった。
「まぁ!本当に変化出来たのネ。純血の虎人族も数が減っているから、旦那様に報告したらとても喜んで下さるワ」
手のひらを返したその様子は胡散臭かったが、それでもその時は父親に報告される事を疑っていなかった。
獣型になれる純血の獣人は年々その数を減らしている。純血を重んじる者にとって何よりも優先されるのは、より多くの子供を残すことだったが、父親にはオレと義弟以外に子は居ない。
だからこそ、この事実を隠蔽する事は大きな罪となり得るのだ。
「でも残念だワ。旦那様は出掛けていて今日は帰って来ないノ。純血が証明された以上、この屋敷へ移る事になるでしょうケド・・・オマエも居心地が悪いでしょウ?今日はあの離れへお帰りなさイ。明日、迎えを寄越すから、明日また来ればいいワ」
そう言われ、オレは離れへと戻った。
純血が証明されたからといって、あの屋敷で生活する気は無いし、そろそろこの家から出ていこうと考えていたから、全く問題は無い。
寧ろ、家を出られなくなる事の方が問題だ。
家を出る事を反対された時の為に、逃げ出せるよう荷物を纏めておくべきか・・・などと考えていたが、考えが甘かった。
離れへ戻り暫くすると、室内に嗅いだことの無い臭いが漂い始めた。
それは部屋の至る所から発せられ、あっという間に部屋全体に充満し、風を起こし窓を破ったが間に合わず・・・。
対魔獣用麻痺薬。
錬金術で作られるこの薬は、即効性があり持続時間も長い。しかもこれは、催眠効果も付加されて、いる・・・。
まさか、そんな高価な薬を大量に使うとは。
そんな、意識が朦朧とし、指一本動かせない状態のオレの元にやって来たのは、義弟だった。
「・・・効いてる、ノカ?ハハッ!凄い、本当に効いテル!―――バカだなぁアンタ。今更純血を証明したっテ、父様の跡継ぎはボクなのに」
「オレ・・・は、アノ家に、興味は・・・ナイ」
「そんなのウソだ!母様が言ってたゾ!アンタの母親は嘘付きだから、アンタも嘘を付くッテ!それにいくら純血だからっテ、真っ黒な虎なんて気味が悪いヨ。野蛮な黒豹みたいダ。だから、アンタにはずっと黒豹でいて貰うことにしたんダ」
そう言いながら義弟が取り出したのは、身体が痺れていても分かるほどの、禍々しい気配を放つ罪人用の足枷。
「これがなんだか分かる?呪いの魔道具なんだってサ。アンタが悪いんだヨ?今更、父様の気を引こうとなんてするカラ。この呪い、アンタが虎人だって認められたら解けるんだケド・・・まぁ、黒豹のアンタにはムリだろうネ!アハハッ」
薄れ行く意識の中、最後に聞いたのは重い鉄の合わさるガチャリという音だった。
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次の日、甲高い女の悲鳴で目を覚ましたオレの目の前には、あの女と複数の兵士。
「キャーッ!!黒豹よ、黒豹がいるワ。昨日、黒い影を見たのヨ!」
「奥様、危険ですので御下がり下さい」
その声に、自分が獣型に変化している事に気付いたが、獣人の姿に戻ろうにもそれが出来ない。
これが、呪いの効果・・・なのか?
「なんてコト・・・この離れには病気の子供が居たのニ、きっと喰われてしまったのネ!」
「そんな・・・人を襲った獣を放置はできませン。お前達、あの黒豹を討伐するゾ!」
オレは黒豹じゃない。
黒いからといって、これだけの獣人が虎と豹を見間違えるなど有り得ない。
「お願イ!早くあの黒豹を討伐して!!」
そう言った瞬間、あの女の口が弧を描く。
そうか・・・これも呪いの一部なのか。
しかし、そんな事を考えている暇もなく、槍を向けられ矢を射られ、オレはその場を離れるしか無かった。
それからはずっと森の中を転々としていた。
ずっとそのままだと思っていた。
境界の森を抜け、シーナに出会うまでは。




