〈王宮の事情~頭の足りない公爵令息~
モーゼルが去った後、一人残されたフィヤトラーラは一人情報を整理しようとバルコニーへ出ていた。
(グトルフォス侯爵は、聖女様の噂を否定しなかった。そういった話があるのは事実ということね・・・でも、まだその聖女様については未確認なのかしら。でももしかしたら・・・)
フィヤトラーラはアクアディア王国が顕現した聖女を、また独占しようと企んでいるのではないか?と疑っていた。
前アクアディア国王は信用できる人物だったが、現アクアディア国王は長く臥せっている上に、あのデゼルト家の者が再び王宮を取り仕切っているのだ。それによってアクアディア王国の信用度は、随分と下がってしまっている。
現状、グトルフォス侯爵の尽力で、辛うじて国交を保っていると言っても過言ではない。
(もし、アクアディア王国が聖女様を発見したとして、自分達で囲いこんでしまわないと言い切れる?それに、先に見付けたのがデゼルト家の者だったとしたら・・・)
バルコニーで自らの思考に耽っていたフィヤトラーラは、不意に自身の視界に落ちた影に視線を上げる。
そこに立っていたのは、この状況で最もフィヤトラーラに接触してはならない人物だった。
「これはこれはフィヤトラーラ嬢!こんな所に居たのですか」
現れたのは、デセルト・アステラ。
アステラ公爵家の嫡男であり、旧王家と一字違いの名を持つこの男は、名付けた母親が望んだ通り旧王家デゼルトの特徴を顕著に持って産まれ、育っていた。
くすんだ金髪に赤茶色の瞳。その性格は享楽的で傲慢。そして、強欲。
容姿はそれなりに整っているが、フィヤトラーラに向ける欲を含んだ下卑た視線がその印象を最悪なものにしていた。
「アステラ公爵子息。私に何かご用ですか?」
あからさまな視線にフィヤトラーラの対応は冷ややかなものとなったが、彼はそれを気に止める事もなく、勝手に彼女の手を取る。
「いえ、女性がこんな所で一人で居るなんて、と心配になりまして。如何です?僕と踊りませんか?」
「申し訳ありませんが、疲れてしまったのでこちらで休ませて頂いていたのです。どうぞ、他の方と踊ってらしてください」
フィヤトラーラは言葉こそ丁寧ではあるが、取られた手を振り払い、あからさまに迷惑であると態度で示した。
「おや、お疲れでしたか。それは大変だ。では、僕が休憩室にお連れしましょう」
しかし、そんなフィヤトラーラの意図を知ってか知らずか、デセルトの視線が先程よりも明確な意思を持ってフィヤトラーラに絡み付いた。
視線の先の張本人が不躾なその視線に気付かないはずも無く、身震いするほどの嫌悪感に苛まれながら、フィヤトラーラは今度こそきっぱりと断りを口にする事にした。
「いいえ。少し休めば問題ありません―――いえ、貴方にははっきりと申上げた方が良さそうですね。これ以上、貴方と踊るつもりも、会話する気もありませんので、どうぞ会場へお戻り下さい」
「なッッ!?」
ここまではっきりと拒絶されれば、空気の読めないデセルトでも流石に理解したようだ。
「この国で、誰よりも高貴な血を持つこの僕を侮辱するのか?」
「誰よりも、ですか」
「そうだ!デゼルトとアクアディア。僕だけが二つの王家の血を継いでいるんだぞ?」
(あの事件で、デゼルトの血は地に堕ちた・・・それさえも理解していないなんて)
あまりの発言に愕然とし、言葉を失ったフィヤトラーラを、自分を畏怖してのものだと勘違いしたデセルトは、更に増長して言葉を重ねる。
「どうだ?僕の誘いに乗れば、世界樹の枝一本で聖女を貸してやってもいいんだぞ?」
デセルトは、聖女の恩恵を受ける為に、フィヤトラーラ自身と世界樹の枝を差し出せと言ったのだ。
この時点で、デセルトが聖女の正体を知っているはずも無く、その存在に確証を持っている訳でも無いのだが、彼にとってそれは重要では無かった。
今この時、フィヤトラーラが手に入ればそれで良いのだ。そしてついでに世界樹の枝が手には入れば、発見した聖女に再び聖杯を作らせる事が出来るかもしれない・・・くらいの事しか考えていない。
しかし、フィヤトラーラはそうでは無い。
デセルトが要求した全てが、アクアディア王国への不信感を増大させた。
世界樹はその大半が枯れ落ち、今や辛うじて残っているのが、デセルトが寄越せと言った枝一本。
(誰の所為でッ!世界樹が枯死する寸前まで追い詰められていると思うの!?)
そしてフィヤトラーラは敬虔なアメリア聖教の信者でもある。
聖女復活の為にその身を捧げろと言われれば、喜んで差し出すだろうが、だからと言ってデセルトに差し出すかと聞かれれば、答えは否だ。
(この世界において、聖女様の恩恵無しに生まれた命など無い。その聖女様を我が物のように言うなど、到底許される事ではないわ)
怒りに震えるフィヤトラーラだったが、彼女は各国の王侯貴族と渡り合う、ウールズの使者だ。デセルトの言葉がアクアディア王国の総意で無いことなど百も承知している。
それでも、デセルトの発言を許す訳にはいかない上に、アクアディア王国が聖女の存在を隠している可能性がある以上、何もしないという選択肢も無かった。
(大義名分はこちらにある)
「―――不愉快です」
「え?」
「こんなにも無礼な扱いを受けたのは初めてです。私はウールズ使者として今この場で宣言します」
「な、なんだよ!?僕が何をしたって言うんだよ」
「我がウールズは、アクアディア王国との国交を断絶します」
フィヤトラーラは、アクアディア王国に揺さぶりを掛ける為にも、一度国境を封鎖する事を決断したのだ。
この大胆な決断の背景には、アクアディア王国がある魔道具を探しているという情報あっての事だったが、一度国交を断絶しても交渉次第で再び友好的な関係を築けるという自信からくるものでもあった。
「では、私は国へ帰りますので、ここで失礼させて頂きます」
「え?おい!ちょっと待て!国交断絶なんてして、損をするのはそっちだぞ!分かってるのか」
デセルトの言葉を完全に無視し、引き留めるように伸ばされた腕を華麗に避けながら、フィヤトラーラは、優雅に一礼してその場を後にしたのだった。




