聖女様の水浴び
どちらの方が目のやり場に困るのか、そこを考えるとどうにも腑に落ちない。けれど―――
「―――ックシュンッ」
陽が森の木々に隠れ影が広がると、辺り一帯の空気がスウッと冷えてきた。
川の水も冷たいから、このままでは身体が冷えて風邪を引いてしまう。
「ホラ。早く上がレ」
私のクシャミを合図にみんな一斉に川から上がり、ディーノさんの家へと戻ると、ペポ君が嬉しそうに小躍りする横で、ディーノさんが不思議そうに空を見上げていた。
「『聖女様の水浴び』に出会うのは初めてじゃ!」
近付いていくと、感極まったディーノさんが嬉しそうに自身の濡れた服を撫でる。
えッ!?まさか・・・ディーノさんの所まで私が聖女だっていう噂が?
しかも、水浴びって・・・見てたんですか!?
「えっと・・・水浴びって?」
流石にディーノさんが水浴びを覗いてたとは思わないけれど、"聖女様"という単語が出ている以上、確かめておかなければ何だか怖い。
「うん?カリバから来たというに、オヌシは知らんのか」
「えぇと・・・はい」
知らないってどういう事?
「そうなのか。有名な話じゃと聞いたんだがな。最近じゃ、こうして晴れの日に突然降る雨を『聖女様の水浴び』というらしいぞ」
「そうなんですか?」
それは狐の嫁入り的な言い回しだろうか?
「なんでも、カリバに現れた聖女様が気紛れに雨を降らせてくれるそうでな。野菜を買い付けに来た商人達が興奮して話しておったわ」
それ、私の事ですね!
私がうっかり降らせてしまった雨が、そんな風に噂になっているなんて。
慌てて振り返れば、特に驚いていないコウガに、苦笑するラインさんとナイル。
うん。この人達知ってたな。
でもなんで水浴び?先刻の事を思い出してなんか恥ずかしいんですが。
「へ、へぇ。そうなんですね。初めて聞きました。可笑しな言い回しですね」
出来ればそんな言い回しは定着する前に消えて無くなって欲しい。
「うん?まぁ、そうじゃな。聖女様なら雨など降らせずとも水浴びくらいできるじゃろうし」
微妙にずれている私とディーノさんの感想の違いに肩を落としながら、心の中で密かに「これ以上広がりませんように」と祈っていれば、体調が悪いと勘違いさせてしまったのか、ディーノさんが慌てて玄関の扉を開けた。
「水浴びが過ぎたようだの。身体が冷えておろう、早く入るといい」
「はい。お邪魔します」
これ以上『聖女様の水浴び』の話題を避けたかった私は、ディーノさんに促されて遠慮無く玄関扉を潜る。
すると、家入ってすぐの所に大きなザルが少々雑に置かれているのが目に入った。
ふかふかした黄金色の綿?いや、苔かな?
余りにも見事な黄金色に、思わず目を奪われていると、気が付いたディーノさんが「おぉ」と声を上げる。
「そうじゃった、そうじゃった。コイツを忘れておったわい。危うく濡れてしまう所じゃった」
「これはなんですか?」
「これか?若いもんは見たことが無いかのう。昔はよく灯りに使われたもんじゃが」
「灯りに?光るんですか?」
確かに黄金色に光輝いているけれど、光源にするほどとは思えない。
「そうじゃ。これはヒカリゴケといってな、元々は緑色の普通の苔なんじゃが、天日で干してやるとこの通り、黄金色に変わる。それにこうして―――」
ディーノさんはヒカリゴケを少し手に取ると、近くにあった水差しでそこに水を少しだけかける。
「ほれ、こうすると分かりやすいじゃろ」
すると、両掌を丸めたディーノさんの手の中がほんのりと照らされているのが分かる。
よく見ればディーノさんの手の中でヒカリゴケが金色に発光している。それはまるで小さな星の輝きみたいで、とても綺麗だ。
「凄い。とても綺麗ですね」
「じゃろう?今ではランプが普及して、手間の掛かるヒカリゴケを使うもんもおらんが、ワシはこの灯りが好きでのう」
「じゃあ、ディーノさんの家の灯りはヒカリゴケなんですか?」
「いや、ランプじゃ」
えぇ~・・・今の話の流れなら、絶対ヒカリゴケだと思ったのに。
「このヒカリゴケは成長促進ポーションの材料なんじゃよ」
「えッ!成長促進ポーションの?」
「そうじゃ。普通のポーションと同様、水とリコリス、それに加えてヒカリゴケともう一つ、森の土を使うんじゃ」
普通のポーションにヒカリゴケと森の土。
「―――そっか、ヒカリゴケが天日で光を溜め込んで発光しているなら、その二つがあれば植物の成長に必要な太陽の光と栄養を補う事ができる・・・」
「ほう。材料だけで理解するか。オヌシは植物を良く理解しておるのう」
考えていた事が声に出ていたのか、ディーノさんに誉められてしまった。でも光合成とか、私の知識は学校で習った程度のもので、それを独自に理解した上でポーションという形に落とし込めるディーノさんの方が、よっぽど凄い。
「いえ、私は知識が有ってもそれを錬金術に活かす発想がなかったので、やっぱりディーノさんは凄いです」
「嬉しい事を言ってくれる。どれ、それだけ理解出来ていれば、オヌシも作れるんじゃないかの?」
照れくさそうに髭を撫でたディーノさんは、そう言うと工房として使われている部屋へと私を誘い、小振りな釜の中に水、リコリス、森の土、ヒカリゴケの順に材料を入れて私の前に置く。
成長促進ポーションを作ってみろという事だろう。私も新しいレシピを試してみたくてウズウズしていたから、とても有難い申し出だ。
「フェリオ!」
「はいはい」
皆を放置して二人だけで盛り上がっていた私に、フェリオが仕方無いなぁと言いながら協力してくれる。
確かに家の中に入ったすぐに家主のディーノさんと話が弾んでしまって、皆が落ち着く暇もなくこうして私達に付き合わせてしまっているのは、本当に申し訳無いと思ってはいるけれど・・・作っていいと言われたら、作るしか無いでしょ?うん。うん。
「じゃあ、お願い」
――――――シュゥゥゥゥゥゥ・・・。
成長促進ポーション。植物が良く育つポーション。植物が早く大きく育つポーション・・・。
しっかりとイメージしながら、小さな釜に魔力を流す。最近では『完成』の感覚が分かるようになってきたから、余分に魔力を流すような失敗も無い。
フワッと、流れる魔力に僅かな抵抗を感じ釜の中を覗けば、ほんのりと光を放つ黄金色の液体が満たされている。成長促進ポーションの完成だ。
「出来た!」
「うむ。なかなか優秀な錬金術師のようじゃ。よし、それなら明日は品種改良を教えてやろう」
品種改良!!
そうだ。ディーノさんに会いに来た理由は、野菜の品種改良に興味があったからだ。
「品種改良、教えて頂けるのですか!?」
「興味があるか?」
「はい!!」
「そうか、そうか。まぁそう難しい事はないからの。すぐに出来るようになる。じゃが、今日のところはそろそろお開きじゃ。オヌシの連れをいつまでも放置しておけんでな」
あぁ、品種改良。本当はすぐにでも教えて欲しいけれど、確かに、室内も随分と暗くなってきている。残念だけど、楽しみは明日へ取っておこう。




