魔力と魔石と魔結晶
「シーナねぇちゃん!あの黒豹が影狼を牽制してるうちに早く逃げよう」
「トルネ、あれは黒豹じゃなくて、黒い虎よ」
「シーナ、今はそんな事言ってる場合じゃ・・・」
フェリオが肩に爪を立てて急かすけれど、トルネは思わず振り返って黒虎をまじまじと観察してしまう。
「えっ!?あっ!ほんとだ」
「あの虎は・・・彼は影狼の仲間・・・では無いのよね?」
「うん。オレが影狼に襲われてた所に割って入って来たんだ」
それって助けてくれた・・・って事?それならやっぱり悪いひとじゃ無いのかな?白虎は神様のイメージがあるけど、黒虎もそうなのかな?
確かに、あの毛並みは神々しい程綺麗だけど・・・。
――――――――あの毛並み・・・触ってみたい。
自分でもなんて危機感の無い思考だろうと思う。状況が状況だけに、現実逃避なのかもしれない。
「だから!そんな事より、早く逃げるぞ!」
フェリオの焦れた声に、先に我に返ったのはトルネだった。
ガシッと私の腕を掴み、湖の方へ走り出す。
その瞬間、黒虎と睨み合っていた影狼が動く。
二頭同時に襲い掛かる影狼を、黒虎は易々と避けて的確に反撃している。
あれなら彼の心配はしなくて大丈夫かな?なんて、人の心配をしていられる程、状況は甘くなかった。
右側の茂みから、更にもう一頭の影狼が飛び出してきて、私達に襲いかかる。
私は咄嗟にトルネを突飛ばすと、腕を顔の前で交差して精一杯の防御をする。
眼前に迫る影狼の鋭い爪と牙に身体が竦んで、逃げるなんてできなかったのだ。
「――――――させるかッ!!」
もう少しで私の顔面に届きそうだった影狼の爪が、フェリオの叫びと共に、何かに弾かれた様に軌道が逸れる。
それと同時に、私の身体も前からドンッと押された様に後ろへ弾かれた。
――――――ッッ!!
その勢いのまま背中を後方の木に強打し、息が詰まった。太股が焼け付くように痛いのは、爪が掠ったのだろう。
それでも、あの爪と牙が眼前に迫っていた事を思えば大した事怪我じゃない。
フェリオが助けてくれたみたい。
それでも、まだ影狼を撃退できた訳ではないので、痛みでギュッと閉じていた目を慌てて開ける。
その瞬間・・・世界が変わっていた。
――――――ヒュッ・・・ッッ・・・ゴホッッ!ゴホッゴホッ・・・。
突然、森の中が水に沈んだ。
驚いて息を吸い込んでしまい慌てるけれど、肺に充たされたのは空気だった。
何がどうなっているのか、さっぱり分からない。
フェリオなら何か知っているかも、と視線を向けると、肩の上でグッタリと力無く目を閉じている。
さっきの一撃を回避するのに、かなりのパワーを使ってしまったのかもしれない。
自分でも戦闘要員じゃ無いって言っていたから、きっと無理をしたんだろう。
「フェリオ、フェリオ!大丈夫?」
慌てて腕の中に抱き直し、影狼の動向を確認する。
影狼はさっきの反撃を警戒してか、こちらの様子を窺っている。
けれど、先程までは出ていなかった渦巻く黒紫の炎の様なモノが、角を中心にその身体を覆っている。
その恐ろしい姿に、とにかく逃げなくてはとトルネを振り返ると、彼の周りには緑色の羽毛がフワフワと舞っている様に見える。
―――ナニコレ・・・ナニコレ、ナニコレ?
それはまるで、ファンタジー映画やアニメに出てきそうなエフェクト。オーラとか、魔力とかっていう類いのモノ。
私の頭はいよいよ幻覚を見る程に病んでしまったのだろうか?
それとも、この世界ではコレが普通なんだろうか?
そうなると、この水の中みたいな視覚も同じ現象なのかもしれない。
「――――――うっ・・・」
グルグルと渦巻く思考は、フェリオの呻き声に一瞬止まる。
「フェリオ、だいじょう・・・・ぶ?」
腕の中のフェリオを覗き込むと、彼の前足の付け根のフワフワした毛の辺りに、渦を巻いて水(の様なモノ)が吸い込まれていく。
やがてそれが収まると、眼を開けたフェリオがその金色の瞳をまん丸にしてビックリした!と言わんばかりに私の方へ視線を向ける。いや、ビックリしたのは私も一緒なんだけど。
でも、その顔がちょっと可愛いいとか思ってしまう辺り、私はやっぱり危機意識が薄いのかもしれない。
「シーナねぇちゃん!来るよ!!」
二人して呆けていた私とフェリオが、トルネの叫びに我に返る。
再び襲い掛かろうと姿勢を低くする影狼に、恐怖が再び湧き上がる。
「シーナ、オレじゃ防ぎきれない!逃げるぞ!!」
気を取り直したフェリオの声に急いで立ち上がろうするが、足が痛んで力が入らない。
「シーナねぇちゃん!!」
そうしている内に、影狼は既に地面を蹴り、こちらへと飛び掛かって来ていた。
こんな時、まるでスローモーションみたいに見えるというのは本当らしい。影狼の黒くて禍々しい口内がはっきりと見えて、あぁ・・・あの牙が私の喉元に突き刺さるんだろうか・・・などと考えてしまう。
――――――ッッッ!!
スローモーションだった光景が急激に時間を取り戻す。
影狼の身体が銀色の風に吹き飛ばされ、私の目の前から消えたのだ。
それとほぼ同時に銀色の風を纏った黒い虎が、目の前にフワッと音も無く着地する。
艶々と輝く銀色のしっぽが、手を伸ばせば届く程近くにあって、触れてみたい衝動に駆られる。
けれど、手を伸ばした瞬間しっぽが逃げて、自然とその後を目で追うと、その先では黒虎と影狼が再び対峙していた。
しまった、また危機を忘れかけてた・・・。
そんな反省をしながら、固唾を飲んで行く末を見守っていると、黒虎の爪に銀色の風が集まり、刃の様な硬質な輝きへと変わっていく。
そして、再度地面を蹴った影狼の額めがけて、黒虎の刃となった鋭い爪が振り下ろされると、そこにあった黒紫の角がスパッと切り落とされた。
その断面は美しい青色をしていて、キラキラと輝いてさえ見える。
あんな禍々しい炎を纏っていたのに、随分と中身は綺麗なんだな、と思ったの束の間、断面はすぐに黒く変色し、元の色と変わらなくなってしまった。
さらに、影狼の身体が塵となって霧散し始め、後に残ったのは、二つに割られた黒紫の石だけだ。
――――――助かった?
へたり込んで呆然としていると、トルネが肩に抱きついてきた。
「シーナねぇちゃんのバカ!死んじゃうかと、思った・・・ッッ」
嗚咽を圧し殺しながら、それでも止めようが無いといった様子で、ヒッックと肩を震わせるトルネの背を、優しくさする。
「ごめんね、心配かけて。貴方も、ありがとう助けてくれて」
そうしながら、私の側で、けれど一定の距離を置いて立つ黒虎に笑顔でお礼を言うと、黒虎は驚いた様に目を見開き、それから優しげに目を細める。
随分と人間っぽい表情をするのね。などと感心しながら、地面に転がったままの黒紫の石を手に取る。
今は黒紫だけど、あの時確かにこの石は青く輝いていた。
もしこれが魔結晶なら、これでマナポーションが錬成できるかもしれない。
そう、色々ありすぎて聞きたい事や考えたい事がいっぱいあるけれど、今一番に考えるべきはマリアさんの事だ。
黒豹の噂は恐らくこの黒虎の事だろう。命の恩人を狩ろうとも思えないし、何より絶対敵わない。
ラペルの方でマナポーションを確保できていれば良いのだけれど、それもかなり望み薄だ。
そうなると、手元のこの石だけが最後の望みという事になる。
私は再び黒虎に視線を向けて、頭を下げる。
「この石、私に譲ってもらえませんか?」
この石は影狼を倒した黒虎の物。でも彼には言葉が通じる気がしたのでそうお願いするとまた驚かれてしまったけれど、はっきりと首を縦に振ってくれる。
「ありがとうございます!・・・ねぇ、フェリオ。この石って魔結晶と同じ物よね?これでマナポーションを錬成出来ないかな?」
私の言葉に、トルネがバッと身体を起こす。
「シーナねぇちゃん!それは魔石だよ、魔結晶とは別物だ。魔石は水に浸けておかないとまた影魔獣になるんだから、早く湖に捨てなきゃ!」
「え、復活するの!?・・・でも、この石の中は凄く綺麗な青色だったの。だから、中の綺麗な所だけ取り出せれば・・・」
私は漠然と大丈夫な気がしていた。何故と聞かれると分からないのだけど。
「フェリオ、錬金術って分解もできるのよね?・・・ちょっと試してみたいんだけど、協力してくれる?」
「―――――そうだな、今のシーナならちょっとくらい無理しても大丈夫そうだしな。やってみるか」
今も昔も無い気がするけど、協力してくれるなら文句は言わないでおこう。
「シーナねぇちゃん!危ないよ、魔力がどのくらい必要かも分からないし、失敗したら影魔獣になるかもしれないんだぞ!?」
トルネがグイグイと袖を引っ張る。
「トルネ、落ち着いて。私だってマリアさん為に、出来ることは何でもやってみたいの。大丈夫、無理は絶対しないし、危ないと思ったらすぐに止めるから、ね?」
極力穏やかな声でそう言うと、トルネは私の袖から離した手をぐっと握って、真っ直ぐに私を見上げる。
「わかった、母さんが助かるかもしれないなら・・・でも、無理は絶対にしないって、約束だからな!」
「もちろん、約束する」
私もしっかりとトルネの眼を見てそう答える。その間も黒虎は見守る様にずっと側にいてくれて、なんだか心強い。
もし錬成に失敗して影魔獣になっても、彼が居てくれれば大丈夫そうだしね。
「よし!じゃあフェリオ、お願い」
「任せろ!そのまましっかりイメージして、魔力を込めろ」
私は魔石を手のひらに乗せ、魔結晶をイメージする。
すると、既にちょっと見慣れた水の流れが手のひらに向かって流れるのが視える。
やっぱりこれは私の魔力、なんだろうな。魔力を感じるっていうのはこういう事なのかも。
そこに、フェリオの妖精の炎が混ざり合うようにして魔石を包み混んでいる。
でも、魔石は一向に青くならない。
さっき見たときはあんなに綺麗な青色だったのに―――やっぱり、無謀だった・・・?
一瞬、脳裏に不安が過る。でも、直ぐに諦める訳にはいかない。もっと、明確に、より具体的なイメージで・・・。
―――魔結晶を覆う黒紫の炎を引き剥がす様に、汚れを落とすような感じで。
――――――シュゥゥゥゥゥゥ・・・
すると、水に洗われる様に魔石の黒く淀んだ表面が剥がれ落ち、中からアクアマリンかと思う程青く透き通った石が姿を現した。
「できたぁー!!」
トルネ曰く、魔結晶は高品質な物ほど透明度が増すらしいから、これはかなり良い物なんじゃないかと期待の眼差しをトルネに向ければ、目をまん丸にして、口もぽかーんと開いてしまっている。その顔は年相応に見えてなんとも可愛らしい。
「トルネどう?これ、魔結晶よね?」
「魔結晶、なんだろうけど・・・こんな透明なの見たことない・・・」
信じられない、と魔結晶を手にとって繁々と眺めるトルネ。
「そうなの?品質が高ければ透明なんでしょう?」
「いや、だって・・・どんなに高品質なモノでもここまでは・・・」
尚もうーんと唸るトルネに、私はポンッと掌を鳴らす。
「まぁ、難しい事はいいじゃない。これだけあればマリアさんのマナポーション、いっぱい作れるんだから、ね?」
いつの間に集めたのか、黒虎が他の魔石も私の前にゴロンと転がす。
「これも貰って良いの?ありがとう!」
私が聞くと、またしてもしっかり頷いてくれるので、つい嬉しくなって黒虎の首にガバッと抱き付いてしまった。
すると、黒虎がビクッと身体を揺らす。流石にやり過ぎたかな?と少々反省。黒虎の艶々サラサラの毛並みを堪能したい下心があったので尚更反省。
でも、本当にこれだけあればかなりの量のマナポーションが出来そう。早く帰って錬成しよう!
残りの魔石も手早く魔結晶へ錬成し、急いで立ち上がろうとした私は、右太股と足首に強い痛みを感じて尻餅をついてしまった。どうやらさっきの一撃で太股の裂傷の他に、足首も捻挫したようだ。
私の様子を見て太股の怪我に気付いたトルネが、慌てて魔法鞄からポーションを取り出そうとして・・・。
「あれ?・・・ない」
どうやら在庫切れだったらしく、トルネは申し訳なさそうに眉を下げて此方を見る。
確かに、魔法鞄は在庫管理が難しいかもしれないなぁと考えながら、トルネに笑いかける。
「大丈夫よ。家に着いたらポーションも錬成すればいいんだし」
そう言いながら、心配を掛けまいとエイヤッ!と一気に立ち上がる。右足首がかなり痛いけれど、そのまま一歩踏み出して・・・見事にバランスを崩した。
「痛っ――――くない?」
これは激しく尻餅をつきそうだと覚悟を決めるけれど、地面に着くかなり前にポスッとフワサラの感触に着地する。
どうして?とお尻を着いた場所を確認すると、黒と銀の毛並みの靭やかな背中が私を優しく受け止めていた。
しかも乗れと言わんばかりに顎で背を示された。これは背に乗せてくれるという事だろうか?
「貴方の背に乗ってもいいの?」
遠慮がちに聞いてみると、黒虎はしっかりと頷いた。
「ありがとう!助けて貰ってばかりで申し訳ないけど、お願いします」
本当になんて親切な虎だろう。帰ったらお礼は生肉がいいかなぁ、なんて考えながらその背に跨がれば、悠然と苦もなく私を運んでくれた。