漆黒の獣
騎士の詰所を出た私達は、それから市場とハリルさんのお店に寄り、家に帰り着いたのは陽が傾き始めた頃だった。
『ただいま~!』
扉を開け、声を掛けるけれど、マリアさんの返事は無かった。
庭にでも出てるのかな?と思い、私は買ってきた食材を置きに台所へ向かう。
トルネとラペルはマリアさんを探してか、荷物をテーブルに置いて庭の方へ行ったみたいだ。
今日は豪華に丸鶏のローストを作る予定。付け合わせのキノコのバターソテー用にバターを錬成しないと。
朝教えてもらってから、早くやってみたかったのよね。
―――――――――?
トルネが何か叫んでいるのが聞こえる。
続けて、ラペルが台所へと駆け込んでくる。
「・・あさんが・・・お母さんがっ!!」
今にも泣き出してしまいそうな顔で、それでも、グッと我慢しながらラペルが叫ぶ。
「どこっ!?」
私は咄嗟に魔結晶の入った小袋を掴むと、ラペルの後を追う。
庭へ出ると、錬成用の離れの扉が開いていて、中からトルネの声が聞こえた。
「トルネどうしッ―――マリアさんッ!!」
部屋の中に入ると、ヒトヨミの鏡の前にマリアさんが倒れていた。
彼女の顔に血の気は全く無く、意識が無いのか、トルネに抱き起こされた身体はグッタリと力無い。
「とにかく、そこのソファーに寝かせましょう」
――――――どうして!?昨日マナポーションを飲んで、今朝はあんなに元気だったのに。
自分が錬成した薬に、何か問題があったのだろうか?でも、材料も手順もトルネに教わった通りにしたはず。
「トルネ、マリアさんは何か別の病気が?」
何か別の原因が在るのかもしれない。
「ううん、これは魔力欠乏症の症状だよ。でも・・・なんで・・・」
昨日のマナポーションは、水薬計測具(魔法薬の計測ができる魔道具のことだ)で測ったら、ポーションと同じく回復量は120だった。加えて、少し多目にできた分も一緒に飲んで貰ったから、多分130位は魔力が回復したはず。
なのに、なぜ?やっぱり私の薬がいけなかったの?
不安で心臓がドクドクと痛いくらいに脈打っている。でも今はそんな事を考えてる場合じゃない。今できる事をやらなきゃ。
「とにかく、貰ってきた魔結晶でできるだけのマナポーションを錬成しよう」
マリアさんの状態はかなり悪そうだ。すぐにでもマナポーションが必要だろう。
魔結晶は5個分、私が錬成すれば回復量50以上にはなるはず。
「わかった。ラペル!リコリスの根とグリーンミント持って来い、オレは水を汲んでくる」
トルネは不安を追いやるようにグッと拳を握り締めてラペルに指示を出す。
ラペルも不安そうな顔を見せてはいても、トルネの指示に頷くと、すぐに外の花壇へ走っていく。
「よし、フェリオ!私達も準備しよう」
一番小さな釜を石テーブルの上に置き、凄い早さで戻ってきたトルネから水差しを受けとると、慎重に釜の中に注ぐ。
でも、基本が小瓶一本分からの目盛りしか無いので、分量が難しい。
「トルネ、水の量はこれでどう?」
「うん、大丈夫だと思う。少し多めに入れても、蒸発して無くなるだけだから、問題無いはずだよ」
「シーナお姉ちゃん!採ってきたよ!」
手際よく薬草を摘んで戻って来たラペルから、リコリスの根とグリーンミントの葉を受け取り、分量を見ながら釜の中へ入れ、魔結晶も全て入れる。
「フェリオ、お願い!」
「任せろ!!」
私はいつも以上に集中して錬成を始める。
少しでも多く回復できるマナポーションができますように。
――――――シュゥゥゥゥゥゥ・・・。
出来上がったマナポーションを飲みやすいように小瓶に移す。
すると、小瓶8分目までが満たされた。
これなら、回復量90は見込めるかもしれない。
「トルネ、私が身体を支えてるから、マリアさんに飲ませてあげて」
トルネに小瓶を渡し、マリアさんの身体をそっと起こす。
「母さん、マナポーションだよ。飲んで」
トルネが声を掛けると、マリアさんの目がうっすらと開く。良かった、意識が完全に無いわけじゃ無いのね。
トルネが慎重にマリアさんにマナポーションを飲ませると、少しずつだけどちゃんと飲んでくれたみたい。
「お母さん、大丈夫?」
ラペルが心配そうに覗き込むと、血の気が少し戻った顔で、マリアさんが優しく頬笑む。
「大丈夫よ。ごめんね、心配掛けて」
それを見て安心したのか、ラペルの目にみるみる涙が溢れた。トルネもゴシゴシと目を擦っている。
泣きたいの、ずっと我慢してたんだね。
「マリアさん、具合はどうですか?」
「だいぶ楽になったわ、ありがとう」
「母さん、何があったの?こんな急に魔力欠乏になるなんて・・・」
「私にも分からないの。急に身体から力が抜けていく感じがして、確認の為にヒトヨミの鏡を見に来たんだけれど・・・」
ヒトヨミの鏡を使う前に力尽きてしまった、という事だろう。
魔力欠乏症の症状が悪化したのは明白だ。きっとこのままじゃ、いつまた倒れるか分からない。
すぐにでも魔結晶が必要になるだろう。でも、魔結晶はそんなにすぐに集まらない。
すでに日が傾いているから、今から森に入るのは危険だし、何より黒豹がいる。
スフォルツァさんの所に聞きに行ってみようか?でも、私が行ってもきっと彼女は譲ってくれないだろうし・・・。
そこまで考えて、ハッと顔を上げて辺りを見回す。
そこには、さっきまで居たはずのトルネの姿が無かった。
まさか、森に行ったんじゃ!?
「マリアさん、まだ動くのは辛いと思うので、このソファーで横になってて下さい。ラペル、マリアさんに毛布を持ってきてあげて」
私は早る気持ちを押し隠して、笑顔で二人に声を掛ける。
ここで騒げば、マリアさんに不安を与えてしまう。
「トルネがマナポーションを買いに行ったみたいなので、私は夕食の支度を始めますね」
「シーナちゃん、ごめんなさいね。迷惑ばかり掛けてしまって・・・」
「私の方こそお世話になりっぱなしですから、今はちゃんと休んでて下さいね」
毛布を持って戻って来たラペルを連れて離れを後にした私は、テーブルの上にあったトルネの弓矢が無くなっているのを確認して、覚悟を決める。
「ラペル、よく聞いてね」
ラペルの肩に手を置き、正面から視線を合わせると、不安げな目が見返してくる。
ラペルもきっとトルネがどこに行ったのか、気付いているんだろう。
「トルネはきっと森に向かったんだと思う。私が後を追うから、ラペルはラインさんの所へ行ってくれる?」
「私も一緒に行く!!」
今にも飛び出して行きそうなラペルの肩をグッと掴んで引き留め、更に続ける。
「ラペル。ラペルにはとっても重要な仕事をお願いしたいの」
重要な仕事という言葉に、ラペルの顔がきゅっと引き締まりる。その様子に、安心して次の言葉を続ける。
「まず、ラインさんの所へ行って、マナポーションか魔結晶の予備がないか訊いてみて。でも、多分無いと思うから、ラインさんと一緒にスフォルツァさんの所へ行って来て欲しいの」
ラインさんにお願いするのは心苦しいけど、マリアさんとトルネの命には代えられない。
「お兄ちゃんとシーナお姉ちゃんはどうするの?」
「私はトルネを見つけたら、なんとか説得してすぐに森を出るわ。でも、説得するにもマリアさんの為にも、マナポーションがどうしても必要なの」
「でも・・・」
「フェリオも居るし、大丈夫よ。すぐにトルネを連れて帰って来るから、ね?」
「・・・わかった。私、絶対マナポーション貰ってくる!」
ラペルが駆け出して行くのを見送る暇もなく、自分も短弓とランタンを持って慌てて家を飛び出す。
一刻も早くトルネを追わなきゃ。
クイルさんの話だと、黒豹は湖の対岸より少し南で目撃されたらしい。きっとトルネは町の南側から湖に沿って黒豹を探すはず。
夕食前の買い出しで賑わう市場を抜けて、全力で走る。
ここ何日か森を歩いたりしたけど、それでもまだまだ運動不足な身体は、思うように動いてはくれない。
「っ・・・・はぁ、はぁ・・・もっと、運動・・・しとけば良かった」
「シーナ、大丈夫か?ポーション飲むか?」
「ポーションは非常用に取っておきたいの」
今、私が持っているのはポーションと解毒薬1本ずつと心許ない。
森の入り口で力尽き、もっとポーションを錬成しておけば・・・とか、もっと体力をつけていれば・・・と自分を恨むけれど、今はそんな事を言ってる場合じゃ無い。
森の入り口から木々の間を見渡し、少し先の木の根元にキラッと光るものを見つけ、動きの悪い足を進める。
その場所まで行くと、そこには白いただの石が落ちている。
これはトルネの目印。一見普通の石なんだけど、これも魔道具だ。良かった、これで追いかけかれる。
私は石の光を頼りに、なけなしの体力を振り絞って森の奥へと走る。
「トルネ!トルネー!!」
トルネを呼びながら走り、ちょうど湖の南端辺りに来たところで、木々の間からトルネの返事が帰ってきた。
「シーナねぇちゃん!?・・・来ちゃダメだ!!」
その声は悲鳴に近い。
でも、そんな声でそんな事を言われて、帰れる訳がない。
私は足のダルさも脇腹の痛みも忘れて、声のした方へ走る。
―――グルルルルルッ
「くぅッッ!!」
ドカッ!!バサバサ・・・
不吉な音が聞こえて、嫌な汗が吹き出す。
「トルネッ!?」
湖から森の奥へ少し入った所で、木の根元に座り込むトルネを見つけた。
トルネはどこか怪我をしたのか身体を丸め、森の更に奥を驚きの表情で凝視している。
「大丈夫、怪我したの!?」
慌てて駆け寄り、トルネの視線を追った私は、そのまま硬直してしまう。
視線の先、薄暗い木々の間から見えるその姿は、体長3メートル以上はありそうな、漆黒の獣。
太い尾と足、しなやかに伸びる胴体、猫の様な耳。その体毛は艶やかな黒で、銀色の縞模様が浮き出して見える。
「・・・綺麗」
思わず呟いて、そんな場合じゃ無い!と自分を叱責する。
「・・・でも、あれは・・・虎?」
そこに居たのは黒豹なんかじゃなく、大きな漆黒の虎だった。
森の中で虎に遭遇する。それは、とても恐ろしくて危険な事だって、頭では理解しているし、実際身体も硬直したまま動けない。
それなのに、あの虎は危険じゃない・・・そんな気がするのは何故なんだろう?
それは虎が、何故かこちらに背を向け、森の方へ威嚇の唸りをあげているから・・・かもしれない。
・・・でも、それとは違う、安心感の様なものさえ・・・感じている?
あまりの恐怖に私の脳が麻痺してしまったとしか思え無いけれど。
「うッ・・・」
苦しそうな呻き声に、私の身体の硬直が一気に解ける。
「トルネ、これを飲んで」
お腹を押さえて呻くトルネに、持っていたポーションを飲ませる。
「・・・早く、逃げて!」
痛みから解放され、朦朧としていた意識がはっきりすると、トルネは開口一番そう言った。
私も、直ぐに連れて帰るつもりだったから、トルネの腕を取って立たせ、黒虎の様子を伺う。
だって、走って逃げた途端追いかけて来るかもしれないじゃない。
けれど、再び黒虎の方へと視線を向けると、その更に奥、森の暗がりにギラギラと光る4つの赤い光と、2つの黒紫の火の玉の様な仄暗い光が在ることに気付いて、全身の毛がブワッと逆立つような悪寒に襲わる。
―――アレは怖い。
黒虎と遭遇した時には感じなかった恐怖に身がすくむ。
目を凝らして見ると、森の奥に居たのは2頭の獣だった。
姿形は牙狼だけれど、赤く光る眼と額から突き出た黒紫の角の様なモノが、ソレが牙狼とは全く異質な存在だと主張している。
「アレは・・・なに?」
「・・・真っ赤な目に額の魔石・・・アレは影魔獣・・・影狼だよ」
思わず洩れた呟きに、トルネが答える。
ゲートから現れるという影魔獣。まさか、こんなに早く遭遇するなんて。