エノスガイアという世界
「では、私達はこれで。あまりお邪魔をしては申し訳ないですから」
私はさりげなく退出の挨拶をしてラインさん達の元を後にしようと・・・何度もしているのだけど、なかなか出来ないでいた。
「そんな、シーナちゃんが邪魔なんて誰も思わないさ。そう言えば近頃の町の噂を知っているかい?」
クイルさんが慌てたように新しい話題を振ってくる。さっきからこんな感じで無理やりと言ってもいい程、話題が尽きない。
それはラインさんや他の騎士の2人も同じで、何故かその場にいた人達が、私達をなかなか開放してくれないのだ。
この後の予定を聞かれ、三人で森に行くと答えたら、何故か今日は町で買い物をしてはどうかと勧められたし。
「そう言えばシーナちゃんがこの町に来た日じゃなかったかな?南の街道に珍しく雨が降っただろ?しかも雲一つない晴天の日に!それに、同じ日にこの詰所の厩舎で馬に水をやってた奴が、桶の水が突然溢れたっていうんだよ。だからみんなアメリア様の加護が復活したんじゃないかって騒いでてさ」
私の肩に乗っていたフェリオの耳がピクッと動く。
アメリア様っていうのは、この国の宗教、アメリア聖教の象徴で、救国の聖女の事らしい。確か、水を創り出す事が出来たのだとラペルに借りた絵本に描かれていた。
確かに水不足の国に水を創れる人がいれば、聖女と崇められるのも分かる気がする。
でも、水を創るなんて、それこそ魔法や錬金術でどうにか出来ないの?とトルネに聞いたら、“水“に必要な材料は何だと思う?と逆に問い返されて、確かに思い浮かばなかった。
今や、“水“の錬成イメージを構築するのは、世界中の錬金術師の研究テーマらしい。
私は中学の授業で水はH2O、水素と酸素で出来ていると習ったのを思い出し、大気中の水素と酸素を使えば・・・とも思ったけれど、空気が無くなったらどの道生きられないと気付いて却下した。
それに、魔法は“存在するものに対して影響するもの“らしく、錬金術のように何かを創り出す事は出来ないらしい。
じゃあ、アメリア様はどうやって水を創ったのか・・・その辺りは童話らしく曖昧に描かれていて、本当か嘘か分からない。
しかも、今はアメリア様の聖遺物である湧水の聖杯が行方不明とかで、加護は失われてしまったと言うから、ちょっと嘘臭い。
町の人達はアメリア様を信じているから、こんな事を言ったら怒られるんだろうけど、水資源の豊富な日本に生まれ育った私には、いまいちピンと来ないのも、仕方ないと許して欲しい。
「あの、雨が降るのはそんなに珍しい事なんですか?」
カリバの町やその周辺は、砂漠や荒野のようにはなっていないし、水不足というには緑が多い気がする。
「神掛山の麓でもなければ、自然の雨はとても珍しい事ですよ。この町も年に数回、王宮から派遣された水魔法使いが、湖の水を雨として降らせているんです」
私の疑問を汲み取ったのか、ラインさんがそう教えてくれた。
なるほど、だから湖の水位は減っているけど、周辺の緑は保たれているって事なのね。
私がついつい彼等の話に腰を落ち着けていると、トルネにツンツンッと袖を引かれた。
しまった、うっかり策略?に嵌まってしまった。
彼等がなぜ私達を引き留めるのか、ここははっきりと聞いてみた方が良いかもしれない。
「ところで、皆さんは私達を森に行かせたくないんですか?」
私が聞くと、彼等は一様にピクッと反応を返す。その中で、ラインさんが諦めた様に苦い笑みを溢す。
「やはり、ばれてしまいましたか」
「バレバレだよ。オレ達は早く森に行きたいのに、どうしてダメなんだよ?」
トルネが不満そうに口を尖らせる。
「やはり、きちんと説明した方が良いでしょう。ライン様、宜しいですか?」
髭の騎士がラインさんに尋ね、彼も頷く。
そういえば、この騎士さんの方が年上そうなのに、ライン様なのね。階級の差かな?それとも、ラインさんが貴族(多分)だから?
「昨日、クイルが森で真っ黒な大型の獣を見たらしい。特徴から影魔獣ではないが、黒豹だと思われる」
「ブラック・・・パンサー?」
「牙狼よりもずっと獰猛で危険な獣だ。もし遭遇しても君達では倒せない」
「でも、黒豹なら大きな魔結晶を持ってるよね?だったら、少しくらい無理してでも―――」
トルネの一言で、彼等がなぜこの事をすぐに話さなかったのか理解する。
「駄目だ!トルネ、絶対に自分で倒そうなどと考えるな。明日、騎士団と町の狩人達で大掛かりな討伐作戦を行うから、それが終わるまでは決して森に入ってはいけない」
髭の騎士の厳しい声に、トルネとラペルの肩がビクッと震える。
加えて、ラペルの目にブワッと涙が浮かぶのを見て、短髪の騎士が慌てて優しい声で付け加える。
「大丈夫、討伐して得た魔結晶はきちんと回収して君達に届けるから、な?」
それでもまだ、二人は納得して無さそうだ。
「トルネ、ラペル、せっかくマリアさんが元気になったんだから、今日の夕食はマリアさんの為にちょっと手間を掛けて、豪華な食事にしたいと思っていたの。市場の買い物と夕食の準備、手伝ってくれない?」
私が言うと、二人もようやく諦めたのか「わかった」と頷いてくれる。
そんなやり取りを見ていた大人達が、ホッとしたように私を見て小さく頭を下げる。
みんな、トルネとラペルが心配で仕方無いのね。微笑ましい限りだ。
そして、なんとか一件落着した所で、時間に余裕が出来た事もあり、私は一つ、どうしても気になっていた事を聞いてみる。
「・・・・・・ところで・・・なんですが、あの、シャドウモンスターって、何ですか?」
当たり前の様に話していたから、これもきっと常識の範疇なんだろうな、と思いながらおずおずと尋ねると、案の定「え!?」と言わんばかりの視線が一斉に返ってくる。
「シーナねぇちゃん・・・そんな事も知らなかったの?」
「シーナさんの国には、影魔獣が出現しなかったのですか?」
「じゃあ、ゲートも出現しないのか?」
矢継ぎ早の質問に気圧されながらも、異世界から来たので・・・とか言える訳もなく、フェリオに視線を送るけれど、明らかな狸寝入りで躱されてしまった。
しかも、影魔獣の他にゲートという新しい単語まで出てきて、私にはもうお手上げだ。
「えーと・・・私のいた所では無かった、みたい?」
私が答えると、みんな揃って信じられないっと首を振る。
「あれは世界規模の災害だぞ?影響の無い国なんてあるのか?」
「しかし、ゲートが出現する場所は決まって戦をしていたり、土地が荒れたりしていると聞いたことがあります。シーナさんの国はとても豊かで平和な国だったのでは?」
「確かに、私が住んでいた所は緑豊かで平和な国でしたけど・・・」
多分そのせいでは無いと思う。
地球上でも戦争は絶えなかったしね。
「なるほど!これは早急に王都に報告して、ゲート対策に役立てなくては!」
今にも飛び出して行きそうな短髪の騎士を見て、私は焦る。だって異世界の情報を参考にしたって意味が無い。
「待ってください!私はまだゲートや影魔獣がどんなモノか聞いていませんから、もしかしたら呼び名が違う同じ様な現象が有るのかも知れませんし、私の住んでいた所はかなり田舎だったので、情報が無かっただけって事も有りますから」
私の言葉に、部屋を出て行こうとしていた騎士がピタッと止まり、戻って来る。危ない、危ない。
「確かにそうですね。ではまず、ゲートと影魔獣の説明からしましょうか」
落ち着いた所で、ラインさんがそう切り出す。
「ゲートとは突如現れる空間の歪みの事です。その向こう側は異空間なのか、全く別の世界なのか、その先に何が在るのかは分かっていません。真っ黒な亀裂のような見た目から、魔界の門とも呼ばれています」
空間の歪み?そこから別の空間に繋がっているなら、もしかしたら地球に繋がっているんじゃ?・・・という私の希望は、続くラインさんの説明で儚く散った。
「そして、そこから出現するのが影魔獣です。真っ黒な影の様な身体に赤い目、主に額に黒紫の禍々しい魔石を有しているのが特徴で、獰猛かつ好戦的な、非常に危険な存在です」
そんな危険な動物は地球には居なかった。ということは、ゲートの先は地球では無さそうだ。しかも、影の様なっていうと、私を引摺り込んだあの腕も、もしかしたら影魔獣のもの?
そう考えて、ふと、前にラインさんが言っていた事を思い出す。
それは、水がこの世界じゃない別のどこかへ流出している、という話だ。
「じゃあ、水不足なのは・・・ゲートのせい?」
私の呟きに、ラインさんが頷く。
「ええ。先日お話した水不足の原因が、ゲートと影魔獣です。アレ等は水を好む傾向が有り、水や水分を含むモノをゲートの中へ引摺り込む習性を持っています。前回は説明不足でしたね、申し訳ありませんでした」
ラインさんも、まさか私がゲートの事を知らないとは思ってなかったんだろうな。
「いえ、私が世間知らずなだけですから」
本当は、異世界事情知らず、なのだけど。
「シーナさん、貴女の国では同じ様な事象は起こっていなかった、と思って良いのですか?」
そこまで話すと、先程飛び出して行きそうだった騎士が確かめるように聞いてくる。
しまった、これじゃあまた王都へ報告すると言い出しかねない。
「そうですね、同じ様な現象は聞いた事がありません。けれど、私は山奥の小さな村に住んで居ましたから、あまり周辺の様子に詳しく無かったんです」
本当は、そこまで山奥って訳では無かったけれど、田舎だった事には変わり無いので、少しだけ盛って話しておく。
通信手段の少なそうなこの世界で山奥となれば、物を知らなくても不思議は無いと思って貰えるだろうし。
「そうですか、だからそんな・・・いえ、それではゲートの存在を知らなくても無理ないですね」
ちょっとクイルさん?だからそんな・・・何ですか?ちょっと傷付きますよ?まぁ、思惑通りだから仕方無いけど。
「お役に立てなくてすみません」
私が謝ると、みんな慌てた様に首を振る。
「シーナさんは何も気に病む必要はありません。ただ、ゲートは世界的な問題ですから、過敏になってしまうのも致し方無い事なのですよ」
ラインさんの苦々しい言葉に、ゲートの与える被害の大きさが伝わってくる。
「そうですよね。でも、もし本当に豊かで平和な所にはゲートが出現しないなら、少なくともこの町は大丈夫そうですね」
少し重苦しくなってしまった空気に、なるべく明るい声音で言う。
「確かに。オレも実は影魔獣って見たこと無いんだ」
「ラペルも見たことな~い」
更にトルネとラペルのカラッとした声で、その場の雰囲気は完全に和やかなものに変わる。
「確かにな。町も人も豊かなこの町ではゲートも出現しないだろう。黒豹も明日には必ず討伐するから、明後日からはまた森へ行って大丈夫だからな」
「「はーい」」
髭の騎士がトルネの頭をワシワシと撫でながら言うと、トルネとラペルが元気よく答える。
「いい子だ。そんな二人にはこれをあげよう」
そう言って、魔結晶を二個くれたのは、クイルさんだった。続けてラインさんも二個、魔結晶を差し出した。しかも、その内の一個は牙狼の物の倍の大きさだ。
「私も、これを。牙狼のものと、赤猪のものです」
「すごい!これなら五個分になりますね。ありがとうございます。代金はいくらですか?」
あと五個なら、きっと明後日から森へ行ってもすぐに集められそうだ。
嬉しくて、クイルさんとラインさんの方へキラキラが飛び出そうな程の感謝の表情を向けると、何故か二人とも困った顔をしていた。
「ちぇ、折角シーナちゃんに良い所見せられると思ったのに、ライン君には勝てないかぁ・・・あっ!代金は要らないよ」
「私も代金は受け取れません。先程魔法薬を沢山頂きましたし」
「そんな、そういう訳には。今日は魔法薬を売ったお金もありますし、きちんとお礼をさせてください」
この町の人達はどうしてこうも良い人なんだろう。でも、きっとトルネとラペルも遠慮してしまうだろうし、ここはちゃんとしないと。
「クイル兄ちゃんもライン兄ちゃんも、人が好過ぎるよ。オレ達はみんなに迷惑掛けるばっかで、何も出来ないのに」
やはりと言うべきか、トルネが悲しそうに言う。ラペルもシュンとうなだれている。
「トルネ、それは違う。私達は君のお父さんにとてもお世話になった。だから、私達はフラメル氏に恩返しがしたいんだ。君のお父さんはいつも誰かの為に働いていただろう?」
「そりゃ、父さんはこの町の錬金術師だったから・・・」
「でもそれは、誰にでも出来る事じゃない。そんなお父さんに、恩返しがしたいと思うのはいけない事かな?」
ラインさんの言葉に、トルネとラペルは泣きながら首を横に振る。
「ううん・・・ありが、とう」
「父さんは・・・やっぱり・・・すごいや」
やっぱり、私がいくらフラメルさんの事を凄いと言っても、所詮は本人を知らない人間の言葉だ。ラインさんの様に彼等の父親の事を知っている人に認めて貰える事の方が、何倍も嬉しいんだろうな。
私はトルネとラペルをそっと抱き寄せて、頭を撫でる。
この子たちは、私が思ったよりもずっと強い。でも、親を失った寂しさを抱え込めるほど、まだ大人じゃなかったんだよね。尊敬する大好きなお父さんなら尚更。
「ラインさん、クイルさん、ありがとうございます。フラメルさんに代わって、その魔結晶、私が責任を持ってこの子達とマリアさんの為に使わせて頂きます」
私までなんだか泣けてしまって、涙目になりながら二人に頭を下げると、「よろしくお願いします」と頭を下げられた。