影蜥蜴、襲来
「歩けるから!全然大丈夫だし」
私はこれ以上フェリオに揶揄うネタを提供する前に、と勢いよく立ち上がり箱の中から足を一歩前へと出そうとして、その足が思うように動かない事に気付く。
膝が震え、足に力が入らないのだ。
先程までの恐怖が残っているのもあるだろう。でもそれ以上に―――。
―――ズゥン。
地鳴なのか地震なのか、大気が揺れているような音と共に感じる、ビリビリと肌を刺す悪寒と恐怖。
この感じは・・・影魔獣が居るのだろう。
「本当に大丈夫か?この感じ、結構ヤバイぞ」
「うん・・・でも、いつまでもここに居る訳にもいかないし。とにかく、早くここから離れよう」
「そうだな」
フェリオは頷くと、いつもの猫姿に戻って私の肩に乗る。
私は取り敢えず、閉じ込められていた怪しげな箱をちょっと、いやかなり嫌々ではあるものの(だってあのウネウネ気持ち悪い)スマホへ回収し、慎重に外の様子を窺いながら、震える足でそーッと小屋の外へ出た。
鬱蒼とした森が広がるだけの景色に不安を覚えたものの、生えている植物は馴染みのあるものばかりだったので、きっとカリバ周辺の森だろうと予想して、取り敢えず小屋から少し離れた木の陰に身を隠し、グルッと辺りを見渡してみる。
まぁ、少し先が開けていそう、というくらいの事しか分からなかったけれど・・・。
「フェリオ、ここがどの辺か上から見える?」
「あぁそうか。見てくる」
やっぱり自分が飛べる事を忘れていたらしいフェリオは、そう言って素早く木の上まで飛んで行くと、あっという間に戻って来た。
「向こうに湖が見えた。それからその先に町も見えたから、ここは森の南側だな」
フェリオが指した方向は、確かに森が開けていて湖がありそうだ。けれど、先程から痛いほど感じる悪寒と恐怖も、同じ方向から伝わってきている。
「ねぇ、影魔獣も・・・いた?」
「―――あぁ。湖のこっち側にいた。丁度町の対岸だから、カリバの町には今のところ被害は無さそうだ」
「そう、よかっ―――」
「ただ、厄介な事にこっちに向かって来てたんだよな」
「―――え?」
向かって来てたって、影魔獣が?
「しかも、結構図体がデカくてな・・・」
フェリオの話を聞く以前に、先程からメキメキとか、バキバキッとか、木が倒される音が連続して響いている。
このままでは影魔獣に襲われなくとも、倒された木々の下敷きになりかねない。
逃げるにしても、只でさえ走り難い森の中、土地勘の無い南の森を行くのは無謀な上に、南の森は牙狼が多く生息していると聞いた。
「どうする?」
「影魔獣と距離を取りつつ、湖の方へ向かおう」
先程スフォルツァさんは騎士団が動くと言っていた。彼等に合流するのが一番安全だろう。
それに、町にはコウガやナイルもいる。町から離れ過ぎるのは得策じゃない。
「そうだな。じゃあオレが上から先導するから、着いてこい」
そう言うとフェリオは再び木の上へと飛び上がり、影魔獣の位置を確認しながら森の中を進んでいく。
私も周囲を慎重に確認しながら、その後を追っていくと・・・。
「ん?―――おッ!」
フェリオは何かを見つけたのか、影魔獣がいるのとは別の方向に「おーい!」と手を振っている。
そして木の上にいるフェリオが私に「あっち」と少し上向きで指した方角から、森の中へと人影が降ってくる。
「姫!みぃ~~つけた!僕が一番だねッ」
嬉しそうに、私の方へと両手を広げて一直線に向かって来たのは、ナイルだった。
そんなナイルの伸ばした手があと少しで届く、と思った次の瞬間、私の身体は少しの衝撃と共にフワッと風に拐われる。
「シーナ、無事カ?」
え?と顔を上げたその先には、私を見下ろすチタンの瞳。冷たい色の優しいその眼差しは不安に揺れて、珍しく息を切らしている。
「うん、大丈夫だよ。来てくれてありがとう」
二人の登場に、自然と私の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
それを見た二人もまた、ホッと息を吐いた。
「ちょっと虎君!今のは僕でしょ!?」
「早イ者勝ちダ」
ギュッと私を抱き込んだまま、ニヤリと笑うコウガに、ナイルが抗議する。
「見つけたのは僕のが早かったのに!でも、姫が無事でよか――――」
コウガの腕の中にいる私に、穏やかに燃える温かい眼差しを向けていたナイルは、けれど次の瞬間には鋭い視線を湖の方へ向ける。
「来るゾッ!!」
バキバキッバサバサッ!!と木々が薙ぎ倒され、巨大なナニかがその姿を現す。
それは真っ黒な鱗を持つ大きな・・・イグアナ?いや・・・大きさ的には恐竜かもしれない。そんな姿形をした、影魔獣。
見上げるほど大きなソレの血色の眼は真っ直ぐに私に向けられ、鋭い歯がびっしりと生えた大きな口を開けて突進してくる。
「シーナを守レ!」
「言われなくても!!」
ナイルが掌を地面へ当てると素早く地面が盛り上がり、影魔獣と私の間を土壁が隔てる。
その隙にコウガは素早く木の上に飛び乗ると、そこから影魔獣の眉間へと蹴りを入れた。
ズンッと地面に伏した影魔獣は、しかし然程ダメージを受けている様には見えない。
「この隙に逃げるよ」
するとナイルもそれを解っているのか、私を抱えると迷うことなく湖の方へと飛び退く。
けれどやはりと言うべきか、直ぐに起き上がった影魔獣は、土壁をガラガラと崩しながら向きを変えると、私達を追い掛けて来る。
「ねぇ、もしかして・・・私、追われてる?」
「だろうねぇ。姫はモテモテだから」
「いや、嬉しく無いし!」
そんなふざけた会話をしながらも、ナイルの顔は真剣そのものだ。
コウガが注意を引こうと攻撃を加えているものの、硬い鱗に阻まれてなかなか有効打にならず、更にはその長い尻尾に、コウガが木ごと吹き飛ばされて、今にも追い付かれてしまいそうだ。
「コウガッッ!!」
吹き飛ばされたコウガが心配で、ナイルの腕の中から身を乗り出した私の眼前には、喉の奥さえ覗ける程に開かれた、影魔獣の大きな口。そしてそこから溢れて来るのは、真っ黒な炎の息吹。
頬に当たる空気が熱くて、ヒッと漏れた悲鳴まで呑み込まれそうで―――。
「シーナさんッッ!!」
―――バチッバチッ!
次の瞬間、私の眼前で弾けたのは、眩しいほどの金色の閃光だった。




