薄れた命
ラインさんに案内されてやって来たのは、カリバでは一般的な民家だった。
こんにちは、と声を掛けて暫くしてから玄関扉を開けてくれたのは、被害に遭った子の母親と思しき女性。
「どちら様ですか?」
「あの、えっと・・・」
こちらを怪訝そうに見つめ、不信感も露なその表情にたじろいで言葉を詰まらせた私の代わりに、ラインさんが用件を伝えてくれる。
「こんにちは。突然伺って申し訳無い。私は王国騎士団所属のラインヴァルトといいます。今日はフィアさんの様子を窺いに来たのですが、よろしいでしょうか?」
ラインさんの存在に気付いた途端、女性の表情は柔らかくなり、快く私達を家の中へと招き入れてくれる。
失念していたけれど、見ず知らずの人間がいきなり訪ねてきて来て、事件に遭ったばかりの娘に会わせて欲しいと言った所で、会わせてくれるはずも無い。
キナンさんの配慮と、同行してくれたラインさんには感謝しかない。
「フィアは・・・娘は、どうなるのでしょう?食事もほとんど食べず、目に見えて痩せ細って・・・このままじゃ・・・」
私達が家に入ると、それまで気丈に振る舞っていたのだろう、肩を震わせた母親の眼が不安に揺れる。疲れきったその眼の下には深く濃い隈が刻まれていて、その苦悩を表していた。
「騎士団でも全力で犯人確保に努めています。そして今日は・・・錬金術師であるこちらのシーナさんと、シーナさんの護衛のナイル殿をお連れしました」
ラインさんに紹介され、ナイルは「こんにちは」と軽く笑顔で応えていたけれど、私はなんだか緊張しながら挨拶をする。
「シーナと言います。錬金術師としてはまだまだ未熟ですが、今日は何かお役に立てる事があればと思い、伺わせて頂きました」
「・・・・錬金術師、様?でも、うちにはそんなお金・・・」
錬金術師という単語に母親の顔が曇る。カリバでも錬金術師に対する認識はまだまだ芳しくない。
「大丈夫ですよ。彼女はフラメル氏の工房の錬金術師ですから」
「フラメル氏の?・・・そう言えばマリアさんの家に、猫の妖精を連れた錬金術師様が居るって聞いた事があるわ」
いつも通り、フラメル氏の名前は効果絶大だ。フラメル氏とマリアさんのお陰で、私はこの町で信用を獲る事が出来ている。それはそれでとても有難いのだけど・・・
「じゃあ、貴女が軟膏ポーションを作ってくれた錬金術師様なのね。あれ、安価だし、使いやすくて助かってるのよ。貴女なら、信用できるわ」
自分が創ったモノで築き上げた信用。
それがどれ程の達成感や満足感を与えるのか、私はこの時初めて知った。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
―――嬉しい。
胸が詰まって、ジワリと眼が潤う程に。
でも、そんな感慨に耽っている暇は無かった。
早速、被害に遭ったフィアちゃんの様子を見るために、失礼ながら奥の家族の寝室に案内して貰い、そっと扉を開けた私達が目の当たりにしたのは、“無事”発見されたという、その子の姿・・・。
ベッドから起き上がってはいるものの、部屋に私達が入ってきても無反応。いや、少し視線はこちらを向いたかもしれない、程度か。
元は元気に外で遊んでいたであろう健康的で日に焼けた肌に、似つかわしくないほど痩せてしまった腕はダランと力なく、その眼は虚ろに視界の端で私達を何とか捉えている。
その姿は、“生気を失った”と表現する以外、思い付かない。そんな感じだ。
「拐われる前は、本当に元気で・・・元気過ぎて困るくらいだったんです。いくら危ないと言い聞かせても、森へ遊びに行ってしまったり、何にでも興味を引かれて、危なっかしい事ばかりして・・・なのに、こんな・・・」
そう話してくれる母親の声は苦しげな涙声だった。きっと声に出して言葉にする事で、事実として現実を再認識してしまったんだろう。
そんな彼女を、ナイルが支えて居間へと促して座らせる。彼女も相当疲れている様だし、このままでは倒れてしまう。
「シーナさん。貴女の眼で、何か分かりそうですか?」
母親が不安にならないよう、寝室の扉は開けたままなので、ラインさんは小声で私に問い掛ける。
「分かりませんが、やってみます」
青眼に戻して、フィアちゃんをじっと見つめる。
彼女の魔力は淡い赤色だった。けれどその量はかなり少なく、一般的な人の三分の一程度しかない。それなら魔力欠乏なのでは?と思ってみるものの、それらしい原因は見られない。
ならば、と魂源を調べようと眼を凝らした私は、その形をなかなか捉えることが出来なかった。
―――どうして?グレゴール司祭の時も、ナミブーの時も、集中すればすぐに視えたのに・・・。
更にじっと観察し、漸く彼女魂源を視認した私は、その存在感の希薄さに思わず息を呑んだ。
「魂源が、薄くなってる?」
グレゴール司祭の魂源も、ナミブーの魂源も、影の魔力に浸食されていたとはいえ、その形ははっきりとしていたし、元はどちらも綺麗な青色だった。
それなのにフィアちゃんの魂源は、右眼だけで視ても薄ぼんやりとして輪郭が定まらず、その色はかなり薄い青色だ。
「魂源が薄い!?マズイな・・・」
私の呟きを拾ったフェリオの焦った声に、集中を切らした私が顔を上げると、布団の上に降りたフェリオが、難しい顔をして考え込んでいる。
「やっぱり、魂源が薄いって良くないの?」
フィアちゃんの様子もそうだし、魂源がその人の全ての源だと考えるなら、薄くて良い筈は無い。
「あぁ。魂源ってのは生命エネルギーそのものだからな。魔力もそうだが、こんな風に活力とか、生きる為の全てのモノに影響が出る」
フィアちゃんを心配そうに見上げながら、フェリオが唸るように言葉を絞り出す。
「これもやはり、影憑の仕業でしょうか?」
そんな会話の中で、ラインさんが険しい表情でフェリオに問い掛ける。
「多分な。こんなこと、普通に生活してて起こることじゃない」
「でも、フィアちゃんの魂源に影の魔力は視えないよ?」
「それでも・・・この子、僕達が話してても全然反応が無い・・・短期間でこんな風になるなんて、他に理由が思い付かないよ」
「そうですね・・・だとすると、やはり影憑が関わっている可能性が高いでしょう」
改めて、フィアちゃんを見る。
魔力や、魂源では無く、彼女の表情を。
これだけの人間が自分の事を話しているというのに、その眼に関心の色は無く、人形にでもなってしまったかのように、表情に一切の変化も無い。
たまに視線が彷徨う事があるけれど、その目線の先で何かを捉えているという訳でもない。
フィアちゃんの感情を映さない眼に、何とも言い難い、可哀想とか、腹立たしいとか、どうして?どうやって?どうにかしなきゃ、とか、色々な感情が胸に溢れて、でもそれさえも苦しくて・・・。
ぐちゃぐちゃでどうしようもないこの感情さえも、彼女には無いのだから。
落ち着こうと深く息を吐いて俯いたその先で、自らの影が視界にはいる。
影憑のその深く真っ黒な影が、自分の影の中にも潜んでいるかもしれない・・・。
不意にそんな事を考えてしまい、恐怖にゾワリと身震いした私は、それを振り払うように頭をブンブンと振り、パンッ!と両頬を叩く。
震えている場合じゃ無い。
私はこの子を元気にする為に、ここへ来たんだから。




